僕のペットのヘビは異世界でドラゴンになっていた
ヘビをペットとして飼うと聞けば、眉をひそめる人が多いのではないだろうか。
かつては僕もそうだったので、気持ちはわかる。
細長い体でうねうねと動く姿に嫌悪感を抱く人は多く、テレビにヘビが登場すると視聴率が下がると言われているほどだ。
それでも僕は、ヘビと運命的な出会いをしてしまったのだ。
その日、ホームセンターの中のペット売り場をうろついていたのは、もちろんヘビを見るためではなかった。
ウサギやフェレット、ハムスターなどのかわいい小動物を見て、心を癒したかったからだ。
ヘビがいるコーナーに足を延ばしたのは、怖いもの見たさの気持ちだった。
ガラスの水槽の中に、鮮やかな赤い色の体に、オレンジ色のまだら模様がついたヘビがいた。
綺麗だ、と思った。
そう感じてしまった自分が不思議だった。
体長は一メートルを少し超えるほど。コーンスネークという種類の、若いメスのヘビだった。
目が合った。
そして、そのつぶらな瞳に、一目惚れしてしまったのだ。
僕は彼女を飼うことにし、ハイドラという名前をつけた。
ヘビは犬や猫のように触れ合える動物ではない。
もちろん馴れていればハンドリングも可能だが、ヘビにとってはストレスになる場合があるので、できれば避けたほうがよい。
僕は触れ合えずとも、同じ部屋にハイドラがいるだけで幸せだった。
僕はよくハイドラに話しかけた。
ヘビには聴覚がほとんどないので、聞こえるわけはないのだが、だからこそ何でも話せた。
特によく話したのは、ファンタジー世界のゲームや小説の話だった。
中世ヨーロッパ風の街並み。街の外に跋扈する魔物と、それを退治する冒険者。
世界を滅ぼそうとする魔王がいて、それを勇者とその仲間たちが討滅する。
そんな話だ。
彼女はそれを黙って聞いている。
もちろん僕が一方的にしゃべって自己満足をしているだけだが、それだけでも楽しかった。
そんな生活がずっと続くと思っていた。
ヘビは脱走の名人である。
ヘビを飼ったことのある人は、ケージから愛ヘビがいなくなっているのを発見し、慌てた経験はないだろうか。
もちろん僕はそんなことにならないよう、気をつけていた。
ケージであるガラスの水槽のふたは確実に閉まっていることを、声出し確認までしてチェックしている。
にもかかわらず、いなくなった。
朝起きてケージを見ると、そこにいるはずのハイドラがいなくなっているのを発見し、僕は焦った。
まさかふたを閉め忘れたのかと確認したが、きっちり閉まっていた。
ひょっとしてシェルターに隠れているのではと思い、持ち上げてみたが、もぬけの殻だった。
ちなみにシェルターとは、暗くて狭い所が好きなヘビのために用意してやる、隠れ場所のことだ。
僕は素焼きの植木鉢に横穴を開けたものを、伏せて置いていた。
それから部屋中をひっくり返して探したが、どこにもいない。
外に出られる場所はないのに、見つからないのだ。
わけがわからなかった。
焦燥感に駆られ、食事ものどを通らない日が続いた。
三日後、ハイドラは何事もなかったかのようにケージに戻っていた。
僕は心の底から安堵し、その場にへたりこんだ。
「まったく、どこに行ってたんだよ」
《ご心配をおかけしてしまったようですわね。ごめんなさいね》
幻聴が聞こえた。
辺りをキョロキョロ見回す。
《ここですわ。私が思念を飛ばして主様に話しかけているのですわ》
どうも、ケージの中から声が聞こえてくるような気がする。
「ハイドラか?」
そんなバカな、と思いながら声をかけると、頭の中に声が響いた。
《はい。主様のペットのハイドラですわ。思念で会話するのは、異世界で身につけた技術ですの。向こうでもこの力を使って、人間と会話していましたのよ》
「異世界だって!?」
《とても信じられませんわよね。でも本当ですの》
それからハイドラは、とぐろを巻いた姿勢になり、詳しい話を語ってくれた。
なんとシェルターの内部が、異世界に通じていたというのである。
《私はその世界では、体長十メートルを超える巨大な体で、複数の頭を持ち、口からは炎を吐くことができましたの。
主様がよく話してくださった『ドラゴン』という生き物になったのだと思いますわ》
「なんでそんな奇妙なことが起きたんだ?」
《私にはわかりませんわ。でも異世界ではどんなことが起きても不思議ではないのではなくて? 主様はもっと不思議な話をしてくれたじゃありませんか》
どうやら、僕の話はずっと聞こえていたらしい。
しかも、その話を理解する知能も持っていたようだ。
彼女の話は信じがたいが、こうして僕と思念で会話ができていることは事実だ。信じるしかないだろう。
僕がショックを受けたのは、彼女がその世界で人間を食べていたと言ったことだ。
《私はその世界で圧倒的な強さを持っていましたのよ。人間は私を恐れていました》
自慢げにそんなことを言うので、僕は飼い主として注意しなければならなかった。
「人間なんて食べちゃダメだ。そんな君の姿は想像したくない」
《だって主様はいつも、冷凍のピンクマウスしか用意してくれないんですもの。私だってたまには生きた餌を食べたくなりますわ》
ピンクマウスというのは、生まれて間もないマウスを冷凍したものだ。
それを解凍してから、彼女の餌として与えているのだ。
ヘビは野生下ではもちろん、生きた餌を食べている。だから生きた餌の方がいいというのは理解できる。
だからと言って、人間を食べるのは見過ごせない。
《まあ、主様がそう言うのであれば、今後はできるだけ人間を食べないようにしますわ》
「今後はって……また異世界に行くつもりなのか?」
《あの世界は楽しいのですわ。そこでは私は絶対的強者ですの》
それでも不安がる僕を、彼女は安心させるように言った。
《心配ありませんわ。私の家はここですもの、必ず帰ってきます。異世界には遊びに行くだけですわ》
それからハイドラは、異世界とケージを行ったり来たりする日々を続けた。
異世界ではドラゴンの姿、ケージに帰るとヘビの姿に戻るのだそうだ。
ある夜、僕がちびちびと日本酒を飲んでいると、彼女も飲ませてほしいと言い出した。
「ヘビに酒を飲ませてもいいのかなあ?」
《大丈夫ですわ。私はかなりいける口ですわよ》
どうやら異世界で酒の味まで覚えてきたようだ。
僕は平たい皿に日本酒を注ぎ、ケージに入れてやった。
彼女はそれを、舌を出してぴちゃぴちゃと、旨そうになめている。
赤い体が、さらに赤くなったような気がする。
《さあ、主様も一緒に飲みましょうよ》
彼女は飲むと陽気になるタイプのようだ。
《コーンスネークがやってくるー♪》
おまけに歌いだした。
僕はケージの前で、ハイドラと共に酒を飲んだ。
それから、さらに何日も経ってからのことだった。
《主様……助けて……》
例によってハイドラに思念で話しかけられたのだが、普段とは打って変わって弱々しい口調だった。
僕は慌ててケージに駆け寄る。
「どうしたハイドラ!」
《油断しました……あんなに強い者がいるなんて……》
ハイドラはぐったりと横たわっていた。
全身に斬られたような深い傷があり、血だらけになっている。
鱗の下の柔らかい組織が見えており、痛々しい。
「待ってろ、すぐに病院に連れて行ってやるからな!」
僕はケージを抱えて急いで車の荷台に乗せ、病院へと向かった。
とはいえ、ヘビを診てくれる動物病院は少ない。隣の市まで行かなければならない。
車で急いでも、三十分以上はかかる。
僕は気が気ではなかった。
「大丈夫だ、ハイドラ。僕が絶対に助けてやる。死なせるものか!」
大声で語りかけながら、車を走らせた。
ハイドラの怪我は幸いにも大したことはなかった。
その病院はこの辺では唯一の、ヘビや爬虫類を見られる病院なため、ヘビの飼い主はよくここを訪れる。
そのため犬や猫の飼い主には敬遠されており、患者が少ないのが気の毒であった。
だが、そのおかげでハイドラをすぐに診てもらえたのは助かった。
獣医の先生は年配の男性だったが、ハイドラの怪我を見ても全く慌てた様子を見せず、手際よく治療を進めていった。
消毒をしてから軟膏を塗り、注射をし、最後に傷口を覆うように全身をテーピングしてくれた。
僕は何度も先生にお礼を言ってから、病院を後にした。
「一体何があったんだ?」
数日後、ハイドラの容体が回復してから、僕は話を聞くことにした。
シェルターはケージから取り除いてある。もう危険な異世界に行かせるつもりはなかった。
《勇者にやられましたの》
彼女は、あの後また人間を食べてしまったらしい。
そのせいで勇者とやらがやって来て、討伐されたのだと言う。
とどめを刺される前にシェルターを通って、こちらの世界に逃げることができたのは幸いだった。
《主様の言う事を聞いておくべきでしたわ。人間を食べるべきではありませんでした》
「そうだな。でも良かったよ、君が死ななくて」
異世界の人間には気の毒で申し訳ないが、僕にとってはハイドラが大事だった。
それから二ヶ月ほど経った頃のことだ。
ハイドラの傷は完全に癒えていた。
《あの、主様、お願いがありますの》
「なんだい?」
《もう一度、あの異世界に行きたいのです》
「ダメに決まってるだろ。死にたいのか」
そんなことを認められるわけがない。
《お願いします。あと一度だけでいいのです》
彼女があまりにも必死に頼むので、話だけは聞くことにする。
「何をしに行くんだ?」
《異世界の人間に、謝りたいのです。
あれから私も、いろいろと考えました。
異世界の人間を食べてしまったのは、私の犯した大きな罪です。そのことにようやく気付きました。
このままでは私の気が済みません。
許してもらえるとは思いませんが、どうしても遺族の方に謝りたいのです》
「ダメだ、また勇者に討伐されるぞ」
《このままでは私は、犬畜生にも劣るケダモノです。私はヘビとして、誇り高く生きたいのです》
彼女の苦悩が、強く伝わってきた。
そのつぶらな瞳に見つめられると、僕は拒否し続けることができなかった。
「条件がある」
《なんでしょうか?》
「遺族に謝った後、絶対に生きて帰ってくるんだ。勇者に殺されそうになったら、逃げろ」
彼女はうなずいた。
僕は、シェルターをケージに入れてやった。
彼女の姿が、シェルターの中に消えていった。
それから彼女が帰ってくるまでの僕の不安は、とても言葉では言い表せない。
ハイドラがいない部屋で、一人で食事をするのは、たまらなく寂しかった。
再び、彼女と共に酒を飲みたかった。
そしてついに、待っていた時が訪れた。彼女が帰ってきたのだ。
《主様、起きてくださいな》
深夜だった。
僕はとっくに眠っていたが、ハイドラに思念で語りかけられ、慌ててとび起きた。
すぐにケージに駆け寄る。
そこには、予想もしない光景があった。
ハイドラは無事だった。
そして、ケージの中には一本の剣があった。
長さは一メートルもない。
両刃の直剣で、鍔はついていない。あまり切れ味がよさそうには見えなかった。
「ハイドラ、よかった、無事で……本当に」
剣のことが気になるが、まずは彼女の無事を喜んだ。
《はい。主様との約束ですもの》
「ちゃんと謝れたのか?」
《はい。でも初めは、遺族の人たちは恐がって逃げ出しましたの。そして彼らは、また勇者を呼んできたのですわ》
「勇者を!? それで大丈夫だったのか?」
《はい。勇者は話が通じる相手でしたわ。私が反省し、謝りたいと申し出ると、遺族に話を取り次いでくれました。遺族は謝っても許してくれませんでしたが、勇者は私を許してくれましたの》
「そうなのか」
《勇者と私は、酒を酌み交わすほど仲良くなれましたわ。この剣は、友情の証として勇者にもらったものですのよ。私を斬ったときに出てきたものだそうです》
「ん? 君を斬った時に出てきた?」
《ええ、もう必要ないからと言って、私にくださったのですわ》
「その剣、なんという名前かわかるか?」
《草薙の剣というそうです》
僕は衝撃を受けた。
まさか、彼女が行った異世界というのは……。
「君はその世界では、頭が複数あるドラゴンだったよな。いくつ頭があったんだ?」
《八つありましたわ。それがどうかしましたの?》
もう間違いないなと思ったが、最後の質問をする。
「なあ、その勇者の名前は聞いたか?」
《ええ》
ハイドラは、なぜそんなことを聞くんだろう、という顔をしながら答えた。
《スサノオという名だそうですわ》