悪役令嬢は幸せな夢を見ることが出来たのか
(私は、どこで間違えたんでしょうか……)
彼女は壇上に立ち、自身の心にそう問いかける。
目の前には、千を超える群衆。それは本来、彼女が支えるべき、愛すべき、自身の領地の民だった者達。
そんな彼らの手には、鍬や鉈、斧などの農作業用の道具。それらを掲げ、叫んでいる。
『殺せ! 殺せ! 殺せ!』
本当に、どうしてこうなってしまったのか……。
♢
彼女、リリィ・マクスウェルは、地方で小さな領地を収める小貴族の一人娘だった。
小さい頃から可愛がられ、甘やかされていた彼女は、当然のように我儘に育つ。しかしそれでも彼女は、家族に愛されるのと同じように、民にも愛されていたのだ。
だが、それは彼女に対する愛情ではなかった。
リリィの父親は、小貴族でありながらそれはそれは有能な男だった。
元々はどこにでもある人口数百人程度だったこの田舎を、赴任後直ぐにその辣腕を振るい、わずか十年たらずで数千人が住む街へと改革してみせた。
民達が愛していたのは、偉大なる彼女の父親。その父を持つ娘だからこそ、多少の我儘でも受け入れられ、笑って許されていたのだ。
しかしある日、リリィが8歳の頃。悲劇が起きる。
彼女の両親は、王国で行われる社交会に参加する為に街を発ちそのまま、帰ってくる事は無かった。
事故死だとも、暗殺だとも言われてはいたが、真相は既に闇の中。リリィが両親の訃報を知ったのは、三ヶ月も後の事だった。
それから、彼女が変わっていれば今日の悲劇は避けられたのかも知れない。
でも、そうは成らなかった。
リリィの我儘は両親を失った寂しさを埋めるかのように、拍車がかかる。
あれが欲しい、これが欲しい。
地方の貴族にはあるまじき贅沢を繰り返し、わずか数年で、両親の遺産を食い潰してしまった。
それが終わっても、彼女の我儘は止まらない。
『お金がない?それなら民達の税金を上げなさい!』
諌めようとする執事を首にし、陰口を叩くメイドを家から追い出した。
残ったのは、彼女にへつらい甘い汁を望む、取り巻きだけ。
税金を上げ、民に苦難を強いる彼女の味方は……既に居なくなっていた。
両親の訃報から七年。ついに、リリィに破滅の時が訪れる。
我慢の限界を迎えた民達が、反乱を起こしたのだ。
金目的の取り巻きは直ぐに逃げ出し、リリィは簡単に、取り押さえられる。
しかしそんな状態になっても、彼女の頭は呑気な物だった。
――これで、両親の元に逝ける。
そう思い、衆人環視の中処刑台へと上がる彼女の目に飛び込んだ光景は、想像を絶する物だった。
元々ここは、前領主。リリィの父親の実力でまとまっていた街。領主が居なくなってからの街の様子は、それはもう酷い物だった。
「何よ……これ」
目の前に広がる光景は、壇上だからこそ、見える物。
屋根に穴が空き、修復もされず放置されている家。井戸は既に枯れているのか、釣瓶はボロボロと今にも崩れ落ちそうだ。
地べたには糞尿がそのまま放置され、動物の死体も見受けられる。
農具を持ち吠える彼らもよくよく見やれば、とても農奴には見えないほど、痩せこけていた。
そして何より、子供が少ない。
当然だ。こんな状況で、誰が好き好んで子供を作るだろう。出来たとしても、とても成人まで生きられない。それ程に酷い光景が、眼前にある。
それは、ずっと屋敷に引きこもっていた彼女には決して知る事の無かった光景。初めて見た景色。ようやく学んだ、情景。
「私は、なんて事を……」
ここまで来てようやく、彼女は自らの愚かさに気づき、悔いることになる。
かつてあれほど、自分に良くしてくれた領民。
そして自分が愛し、愛された両親が、同じように愛情を向けた彼ら領民。
「私は、お父様お母様が愛した領民を……こんな」
しかしその気づきは最早遅く、手遅れ。
――ああ……こんな私が、両親と同じ天国に行けるはずがない。
リリィはそう思い、涙を流した。
彼女を前にした領民達はそれを、死を前にした恐怖の涙だと思ったに違いない。
だがその涙は、リリィが両親の訃報を聞いた時、最後に見せたものと同様。
家族に対する、後悔と、悲しみの涙。
リリィは処刑台の上で、声を張り上げる。
「ああ、もし……もし奇跡が起きるのなら!」
傍に立つ男が、剣を振り上げた。
「私に――」
彼女の首は中を舞い、血は噴水のような飛沫をあげる。
彼女の声はついぞ領民に届くことはなく、歓声の波に、消えた。
♢
彼女、リリィの運命は終わりを告げる。
これから先のお話は、一人の少女の物語。
あの出来事が現実に起きた事なのか、それとも少女が見た、良くある悪夢なのかは……誰にも分からない。
ただ一つ分かる事は、この夢とも知れない出来事が、その後の少女に多大な影響を与えた事は間違いないだろう。
♢
「いやああああああ!!!」
朝、とある貴族の娘、リリィは凄惨な悪夢により悲鳴を上げながら目を覚ます。
それは、両親が亡くなる夢。領民に罵られる夢。自身が、処刑される夢。
滝のように流れる寝汗が、どれほど辛い物だったのかを物語っているようだった。
「どう致しましたかお嬢様!?」
リリィの悲鳴を聞きつけ彼女の専属メイド、ヘレン・ニームが駆けつける。彼女はリリィが赤ん坊の頃から仕えているメイドであった。
あの夢では、一番初めにリリィを諌め、追い出されたメイドでもある。
「へ、ヘレン……うわぁぁぁん!」
恐怖に震える体を少しでも安心させようと、枕元に近づいてきたヘレンに抱きつくリリィ。
最初は驚いたものの、ヘレンはリリィを優しく抱きしめ、彼女が落ち着くまで背中をさすり続けた。
「あ、ありがとうヘレン。もう大丈夫よ」
どれほどそうしていたかは分からないが、リリィはようやくは落ち着きを取り戻し、ヘレンから離れると彼女は優しく微笑んだ。
「いいえ、私で宜しければ、いつでもお嬢様の側におります」
「ヘレン……」
そんなヘレンの笑みを見て、再度涙ぐみそうになる。
――こんなにも自分に尽くしてくれていたヘレンに自分はとんでもない事を。
そこまで考え、自分の現状と、記憶の齟齬に気が付いた。
「あれ?」
自分は確かに死んだはずだ。そう思い、体を触り周りの景色を確かめる。
しかし、そこは記憶の中よりは幾分か綺麗だが、確かに自分の部屋であった。
(ヘレンも、心なしか若いわね)
つい顔を見つめてしまうリリィ。
そうしていると、視線に気づいたヘレンが不思議そうな顔でリリィへと問いかけた。
「どうしましたか?」
「い、いえ! なんでもないわよ!」
慌てて視線を逸らすが、よくよく見ると、自分の頭身もおかしい事に気がつく。
これではまるで――。
「ねえヘレン! 今は何年かしら!?」
突如そんな事を言うリリィに、目を丸くしながらもヘレンは答える。
「え、えっと……王国暦870年、ですね」
「!? やっぱり!」
リリィはヘレンの答えを聞くと、ベッドから飛び降りてある場所へと駆け出す。
後ろからはヘレンの呼び止める声が聞こえるが、リリィは止まらない。
彼女の頭には、ある二人の事しか考えてはいなかった。
「お父様! お母様!」
リリィが向かったのは、昔、朝には家族がみんなが集まっていた食卓。
彼女の記憶では、七年前に両親が亡くなってから、辛い思い出に変わってしまい近づくことすら無くなっていた場所。
そこには、リリィが望む光景が広がっていた。
「こらリリィ。お嬢様が廊下を走るんじゃあない」
金髪碧眼を持ち、渋い相貌を掲げるリリィの父、バートン・マクスウェル。
「そうですよ。もうお年頃なんだから、スカートで走るのはやめなさい」
赤い髪に赤い瞳。父と年齢はそう変わらないはずだが、年齢より遥かに若く見える母、デイジー・マクスウェル。
もう、二度と拝むことが出来るはずのない景色。
それを確認したリリィは、先ほど泣き尽くしたはずの瞳に再度涙を浮かべ、溢れ出す。
「ど、どうしたんだ!?」
それを見て、当然両親は驚く。最愛の娘が突然泣き出したのだから、無理もない。
そんな両親の元へ、リリィは駆け出す。
「お父様あぁぁ。お母様あぁぁ……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたリリィを、父のバートンは優しく抱きしめる。
「おいおい、どうしたんだリリィ」
「怖い夢でも見たのかしらね」
デイジーも傍に立ち、娘の頭を撫でやる。
両親の暖かさを感じ、彼女はこれが現実であることをようやく実感出来た。
だが、あの惨劇が夢だったとも思えない。
熱さ、悲しみ、後悔、全てがリリィの胸に、残っている。
あれがただの夢なのか、現実のものだったのか。それはもう、確かめることが出来ない。
だが、もしもあれが現実に起こりうる、惨劇なのだとしたら。
――私が変わらないと。
リリィは最愛の両親の胸の中で、そう決意を固める。
♢
これから先は、知りようのない未来のお話。
果たして彼女は、あの夢で行っていた自身の行動を鑑みて、幸せな未来を掴むことが出来たのであろうか。
……願わくば、彼女があの悪夢と同じような道を辿らない事を、祈るばかりである。
思いつきの息抜きついでに書いた物なので特にオチなどもありません。
すいません。




