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櫻姫  作者:
昭和十二年
8/28

幕間―月を顧み、君想ふ―


瞼裏が不意に明るくなった気がして、私は目を開けた。雲間から顔を出した月が、寝室に明かりを灯している。温かな蒲団に包まってひとつ身動ぎして、体の違和感を鎮めた。素肌に触れる蒲団は、今日よくお日様に干したばかりで心地よい。

下腹部に感じる仄かな熱は、先刻の名残を思い起こさせる。一瞬きゅっと目を閉じて体を丸めてから、私は隣にあるはずの温みが無いことに気付いた。

眠る前は確かにあった、私を包む腕。

頭の天辺に擦り付けられていた頬の感触。

急に不安になって、私はそっと身を起こした。こんなにも月明かりが眩しいのは、きちんと閉められていたはずの障子戸がほんの少し開いていたからだ。そして、探し求めていたその姿の影が、月明かりに照らされて障子に影を作っている。


脱ぎ散らかしたままの夜着を手に取り、素肌に纏った。ぼさぼさの髪の毛を手櫛で整えて、私は温かな蒲団から離れた。


「――眠れないのですか?」


不意に問いかければ、まるで私の気配を察知していたかのように、雫槻さんは振り返って微笑んだ。


「狭衣さんは、眠っていても構わないんですよ?」

「嫌です」

「僕が隣に居ないと眠れない?」

「ええ」


意地悪で言ったのだろう、そのからかう様な言葉に即答すると、少しだけ恥ずかしそうにはにかむ。何だか急に愛おしさがこみ上げて、私は雫槻さんの横に腰を下ろした。隙間もないほどに傍によって、腕に腕を絡めてやった。

夜のこの時間は、少しだけ私を大胆にさせる。それを雫槻さんも分かっているのか、何も言わずに私の好きにさせていた。先刻の熱を追うように、ぐりぐりと頬を押し付けると、「仕方ありませんね」と優しく髪の毛を梳いてくれた。

言外に、私が何を求めているのかも雫槻さんは分かっているのだ。


「月を見ていたのですか?」

「はい。僕は満月よりも三日月の方が好きなんです」

「今日は雲もあるけど、何だか不思議な感じがしていいですね」

「――月に照らされている、狭衣さんの寝顔も見ていました」


不意に、雫槻さんはこういうことを言う。夜は、雫槻さんも大胆になるようだ。

益々私が雫槻さんに体を押し付けると、彼は困ったように眉を下げた。


「…あんまり寄られると、嬉しいような困ったような、複雑な気持ちがしますね」

「え、どうして?」

「狭衣さんを、抱き潰してしまいそうで怖いんですよ」

「私、簡単に潰れたりしません。意外と骨太なんですよ」

「意味が違います。明日の朝足腰立たなくなりますよ、という意味です」


明け透けなく突然言われて、私はぽかんと口を開けた。つまりは――そういうことなのだろうか。

彼は、まだ私を。


「実を言えば、あのまま抱きしめて眠っていたら、不埒なことをしかねないなと。さすがにがっつきすぎだと反省して、でも眠れないからこうして起きていたんです」

「はあ…」

「あ、呆れてますね。別に構わないんですが。だから狭衣さんは寝ていても――」

「いえ、別に私も構いません。どうぞ、雫槻さんの好きになさってもらって大丈夫です。寧ろ、そうして頂きたいです」


今度は雫槻さんがぽかんと口を開ける番だった。普段の雫槻さんは、優しくて穏やかな顔をしているけれど、こういう表情は無性に可愛い。ふふ、と私は微笑んで、雫槻さんの唇の横に口づけた。

すると、そのまま抱きこまれて額とこめかみに柔らかな唇が返ってきた。


「ああ、もう。知りませんよ、どうなっても」

「ええ、どうにでもして下さい」


立ち上がった雫槻さんに抱きかかえられて、私は寝室に逆戻りした。その後のことは、よく覚えていない。熱に浮かされたみたいに、雫槻さんしか見えていなかった。

十九歳になった私が、初めての恋に浮かれるみたいに。


翌日、本当に足腰立たなくなっていた。雫槻さんは私を見て、こう言った。


「これに懲りたら、天然で僕を誘うのは止めたほうがいいですよ」


絶対止めてやるもんか、と私が変な方向に意気込んだのは言うまでもない。





幕間―了―




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