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櫻姫  作者:
昭和十年
5/28

幕間―雪あそび―

結婚して初めての冬のことだった。年が明けてすぐ、東京に雪が降った。前日の夜は相当な寒さで、炭火を置いても効果はあまりなかった。寒さが苦手な私は何枚も掛布を重ねて、雫槻さんに「蝸牛ですか」と笑われてしまった。

そして翌日の朝起きてー布団から出るのに相当な時間を要してー障子戸を開けると。


「わ…積もってる」


庭には、うっすらどころか足首が隠れそうなほど雪が降り積もっている。柴垣にも、躑躅の花にも、こんもりと白の小山ができていた。


「寒いはずですね」


私の後ろから顔をのぞかせた雫槻さんは、もう既に単に着替えていて、その表情はとても寒そうには見えない。けれども吐息は雪と同じく白く、は、と手指に息を吹きかけている。いまだ夜着のままの私はぶるりと震えて羽織の前をかき合わせた。


「夜、全然気づきませんでした…」

「そうですか?聞こえてきましたよ。『しんしん』て」

「雫槻さんは耳がいいんです。私、布団に埋もれていたから聞こえませんよ」


ぷ、と頬を膨らませると、雫槻さんは微苦笑して人差し指で膨らんだそこを突いてきた。


「なかなかに面白かったですよ。蝸牛の狭衣さん」


ひどい人だ。きっと私が眠りに落ちてからも、ひとり起きて夜を楽しんでいたのだろう。じとりと睨んでみても雫槻さんは笑うばかり。ぷいと振り切り、私も綿入れの着物を慌てて着込む。もたもたしてるともっと冷えてしまうからだ。

からかってみても雫槻さんは私に甘いから、炭火を掘り返して部屋を暖めることに余念がない。「寒くないですか」「足先は冷えてませんか」としつこいくらいに問うてくる。そんなに構われると、捻くれていた心はあっという間に解れてしまう。


「大丈夫ですから。ほら、朝餉作りましょう?」


今度はこちらが苦笑する番だった。


***


朝餉の後、雫槻さんは玄関周りだけでも雪かきをするとようようと外に出て行った。雪かきをしないと、凍った雪の上をつるつる滑ることになる。手伝いましょうか、と声をかけたが、とんでもないと首を振られる。よって、縁側から雫槻さんの働きぶりを観察することになった。

ちなみに雫槻さんの手に握られているショベルは借り物だ。まさかこんなに積もると思っていなかった我が家には雪の備えがなかったのだ。


「今後も降るなら、一本購入したほうがいいでしょうね」

「まあ、僕の稼ぎが安定したら何本でも買ってあげましょう」

「そんなにたくさんいりませんよ」


一生懸命体を動かしながら話す雫槻さんからは湯気が立っている。あたたかいのだろう。私が繕った襟巻も取ってしまった。


「もう。風邪ひかないでくださいね」

「狭衣さんよりかは頑丈なつもりですよ」

「それでも汗をかいて放っておいたら引きますよ」

「そこでじっとしてる狭衣さんの方が風邪を引きます」


屁理屈を言う雫槻さんはどこか楽しげだ。部屋に入っていてくださいよ、とのたまいながらも、目は雪に向けられている。ざ、ざ、と雪を除けて庭の方へと投げていくと、自然そこには雪の小山が築かれる。ふと惹かれて縁側から降り立って、雪駄を履いて庭を横切った。

単のままでは歩きにくいから、私は着物を脱いで簡素なズボンに着替えていた。(それでも雫槻さんは渋い顔をしたけれど)

足元できゅと雪が鳴り、まっさらな雪の絨毯の上に私の足跡がつく。いくつになっても、雪が降ってそれなりに積もれば、心はくすぐられるものだ。振り返れば私についてくるかのように、一本道ができている。楽しくなって、夢中で私は庭中を歩き回った。

――呆れ顔でこちらをみている雫槻さんを尻目に。


「ー狭衣さん。そろそろそれくらいいにしませんか」


は、と気がつくと、雪かきを終えたのか、雫槻さんがショベル片手に庭に戻ってきていた。夢中になっていたわたしはというと、息を切らして肩で息をしている始末だ。もちろん、はあはあと吐く息は白く、僅かな時で空気に溶けていく。


「ご、ごめんなさい。つい…」

「ほら。こんなに冷えて」


眉根を潜ませて雫槻さんは手を私の頬やら首筋にやら当てている。どうやら私の顔は頬から鼻の頭まで真っ赤なようだ。手ぬぐいでごしごしと乱暴にこすられて、摩擦で熱を得る。それも効果はあまりない。


「んん、雫槻さん!痛い!」


抗議しても聞き入れてもらえない。

――ちょっと待って。私、子ども扱いされていないだろうか。年が明ければ十八の年を迎えるは、もう立派な大人の女のつもりだ。こんな子どものようにごしごしされて、黙ってはいられない。


「…っ雫槻さんったら!」

「はい、おしまい」


静かな声が抗議を遮る。と、不意に体が浮き上がった。


「ああもう。こんな薄着で。足を見てください。こんなに濡れて」


雪に足が埋まった私を、雫槻さんが抱き上げたのだ。ぽかんと私が惚けているうちに、雫槻さんはひょいひょいと雪をかき分け、縁側に私を下ろした。


「…雫槻さん…私、子どもではないのですけれど」

「知ってますよ。僕は狭衣さんというれっきとした女性に惚れて、妻としたのですから」


子どもでは困ります。と、そんな風に何気なく言うから。私の頬は違う意味でまた真っ赤になる。

この人は、分かって言っているのだろうか。わざとであれば、末恐ろしい。この先、私の心臓は保つのか非常に心配になる。


その後。

さっさと足袋を脱がされて。

暖かい部屋に連れ戻されて。

敷布の中に押し込められて。

ついでに、雫槻さんも一緒に入ってきて。


雪の日の午後、二人仲良く惰眠を貪ったのだった。


***


そんなことがあってから、私は子ども扱いされないようにと、まずは髪型を変えた。今まで三つ編みおさげであったのを、一つにまとめ上げるようにした。これで少しは大人っぽく見えるのではないかと奮起したのだ。

さあ、雫槻さんが私を子ども扱いしなくなったのかどうか。


「僕はあなたを子供扱いしたことはありませんよ。たまらなく心配で、構いたくなるだけですから」




――どうやら空振りに終わったらしい。






幕間―了―

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