四
八月に入って広島・長崎に相次いで原子爆弾が落とされて戦争は終結した。その惨状は遠くこの首都にも伝わった。その報を聞いて、口には出さずとも誰もがもうこの国は終わりだろうと、そう思ったことだろう。
昭和二十年八月十五日。
正午に入った玉音放送で、私たちは日本の敗戦を知ることとなる。スピーカーから聞こえてくる天皇陛下の声に顔を下に向け、涙する人は多かった。それは恐らく、悲しみや悔しさからくるものだったのであろう。
私は、不謹慎にも全く別の意味で涙を零していた。それは、安堵の涙だった。
「かあさま…?」
横で不安げに雪花が私を見上げてくる。応えるように、私は三人の子どもたちをぎゅっと抱きしめた。
やっと、終わる。ようやく終わる。この数年間、焦がれて焦がれて、焦がれ続けたものだ。これであの人がようやく帰ってくる。待って、待って、待ち続けた四年間だった。
その間に失ったものはとても多い。
家は焼夷弾に焼き尽くされ、跡形も無く消え去った。夫のいない者同士支え合った近所の人々も儚くなった。行方不明で生死すら分からない者もいる。
日々の食べ物や飲み物を得ることすら難しくなった。質素な食事が日に二回も食べられればまだいい方だったのだ。そんな屈辱にも似た環境にもひたすら耐えた。
それは、雫槻さんが帰ってくるということを信じていたからだ。惨い戦争が終わって、あの人が帰ってくるなら私は何にでも耐えられる。私一人で子ども達を守りきってみせると。
ようやく、道の先に光が見出せる。私は子どもたちを抱きしめて安堵の涙を流した。もう耐えなくていい、これでようやくあの人に会える、と。約束を守り切った、と。
***
けれど、その後一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、彼からも国からも音沙汰はなかった。戦後の混乱からか、お役所もなかなか機能せずに人々も混乱している。終戦から四ヶ月経って、復員兵を迎え入れる準備ができても、雫槻さんの行方は分からなかった。
日本はGHQに占領されて、今はそれに合わせていくので手一杯なのだろうか。生死だけでも確認したいとお義父さまがお役所に問い合わせたけれど、今はそれどころではないと断られる始末。まるで人一人の生死など構っていられないとでも言われた様であった。
まんじりともせずに、一日また一日と日々は無情に過ぎていく。あの暑い夏から季節は二回変わった。
人々は、それでも何とか壊れたものを取り戻そうと、元気になっていく。町もどんどんと復興していっている。瓦礫は撤去され、掘っ立て小屋のようなものから徐々に家屋が建ち始めていた。
駅に復員兵が帰るようになってから、あの人がいるのではないかと、私は毎日のように駅に通った。知らせはなかったけれど、このご時世、行き違いはよくあることだ。
そんな虚しい期待を抱いて、子ども達を連れて、毎日毎日駅と義実家を往復した。けれど、雫槻さんの姿は簡単に見出せなかった。再会を喜びあう人々の横で、虚しく時間だけが過ぎていく。
「とうさま、いないね」、とそう言う子ども達に、何と言っていいのか分からない。
そんな時間をただただ過ごして、私だけが現実に目を向けられずに置いてけぼりになっている。子どもたちに向ける笑顔もどこか上っ面だけのものになってしまう。
これじゃ駄目だ、とそう思うのに身体はどんどん重たくなっていく。雪が降って根雪になっても、雫槻さんの消息は分からない。冷たくなる指先を、一体誰が温めてくれるのだろう。
身体の重さも、自分でどうにかしようという気がないのだ。もう笑顔も浮かべることが難しくなってしまった。
会いたいと、そればかり毎日思ってしまう。一日一日が長くて、町は元通りになっていくのに私だけ元通りになれない。それでも、毎日駅に通うことは止められなかった。復員列車が来ない日でも、ふらふらと外に出て、あの人の姿を探した。
希望のない毎日に、戦争を生き抜いた私が、殺されそうになる。
これでは駄目だ、元気でいなくてはと思うことにも限界が来てしまった。
年が明けて、双子たちの四歳の誕生日を迎える直前に私はとうとう倒れてしまった。
***
「…あまり食べてないでしょう。駄目よ、子どもたちの前なんですから」
お義母さまの叱責が飛んでも、私は弱々しく頷くことしかできなかった。
「…すみません。すぐ、よくなりますから…」
いつの間に私の声はこんなに細々しく頼りなくなってしまったのだろう。櫻のように強く、したたかに生きていくはずだったのに。今は、布団から起きあがることすら難しくなってしまった。
そんな様子を見てお義母さまは私の額に手を置いた。ひんやりと冷たい温度が、雫槻さんにそっくりだ。
その温度にもう枯れたと思った涙が出そうになる。
「…いつまでも、そこに留まっていたら駄目よ。前を見なきゃ」
「ええ…」
「もう、諦めましょう?あの子はきっと、お国のために死ねたんです…」
寂しそうにお義母さまが言う。本当はお義母さまもそんなことは言いたくないだろう。けれど、私はどうしてもそれに頷くことは出来なかった。枕の上で力なく首を振る。
「諦めが、悪いんでしょう。私は…でも、ごめんなさい」
「…狭衣さん」
「もう少しだけ、あと少しだけ信じさせて下さい」
その声に、お義母さまは何とも言ってくれなかった。一つだけため息を吐き、「とにかくきちんと食べて。ようやくお米が手に入るようになったんですから」と枕元にお粥を置き、辞していった。
一人きりになった部屋で、雪が降り積もる音を聞きながら私は目を開けた。まだ昼間なのに、外は重く雲がたれ込めていて薄暗い。
私はよたよたと布団からやっとの思いで身を起こし、枕元の水差しに手をやった。この数日で驚くほど痩せてしまった。もともと食料不足で荒れた手ではあったけれど、今は骨が浮き出て惨めな姿だ。
何故、自分はこんなに弱いのだろう。あの人がいないだけで、何故こんなにも弱くなってしまったのだろう。情けない、と心では思うのに身体がどうしても動かない。
それほどまでに、あの人を欲している。自分でもどうしてなのか、よく分からない。どんどん欲張りになって、どんどん惨めになるだけなのに。
振り切るように水差しから水を飲んで、布団の中に倒れ込んだ。
『実物にはかなわないのでしょう』
いつか、雫槻さんが手紙に書いていた言葉。写真の子ども達を見て、けれど、実物には敵わないと。思い出して、また、瞳に薄く膜が張る。あんなに支えになっていた写真も物語も手紙も、今は無力だ。
枕に顔を押しつけて嗚咽を漏らそうとした時だった。
「…母さま?」
障子の外から、伺うような声。
「若櫻…?」
「入っていい?」
私は急いで涙を拭った。
「おいで」
どれだけ弱っていても、虚勢を張って子ども達の前では泣かないと決めていた。そう声をかけると、すす、と障子が横に滑って開いた。その隙間から覗くのは、三人の子どもたちの顔。私がよたよたと起きあがろうとしているのを見ると、三人は走って部屋に入ってきた。
「母さま、大丈夫?」
若櫻に支えられて私はにこりと緩く微笑んで見せた。
「ごめんね、大丈夫。どうしたの?」
側に座った三人は、目を見合わせて次に私を見上げた。くりくりとした丸い目が私を見ている。
じっと、私の様子を窺うように。けれどそれは、段々と潤んでぽろぽろと涙がまろやかな頬を伝っていく。
「…とうさまは、もうかえっていらっしゃらないの?」
口を開いたのは、雪成だった。
「だからかあさまは、そんなにかなしんでいらっしゃるの?」
ひっく、と嗚咽を漏らしながら雪花が見上げる。私は泣きそうになるのを必死で堪えて、思わず私は眉間に皺を刻んだ。それが辛そうに見えたのだろう。ふと、若桜が私の胸に抱きついてきた。雪成も雪花も、泣きながらそれを真似る。
「母さま、大丈夫。母さまは、わかとゆきとせつが、守るから」
「…わかさ…」
「父さまみたいには、いかないかもしれないけど、ちゃんと守ってあげるからぁ…!」
「だから、はやくげんきになってください!」
「はやく、せつやゆきと、あそんでください!」
そう言い終えるやいなや、三人とも大泣きしだした。
本当に、耐えて涙を零すのではなく、赤ちゃんのようにわあわあと声を上げる。あの日の空襲の翌朝のように、甘えるように泣いて泣いて。
そんな姿を見て、この子達を抱きしめ返すことしかできなかった。
(私は、何という子不幸な親だったのだろう…)
私がどれだけ無駄な努力をして押し隠そうとも、この子たちは、きっと誰よりも分かっていた。
誰よりも父と遊びたくて、かまってほしくて、でもそれがなかなか叶わないことも、分かっている。
戦争がどういうものなのかも、どういう結果に終わったのかも、幼いながらにきちんと理解している。
日本は負け、すなわち、自分の父がどういう状況にあるのかも。それなのに、こうして不甲斐なく倒れてしまった私を元気づけようと足を運んでくれた。
父さまの代わりに、自分たちが母を守るのだと言って。父の代わりにたくさん遊んでくれと、甘えてきて。
それでも、父のいない哀しみを涙に表して。
私は大泣きする子どもたちを、やせ細った両腕で一遍に抱きしめた。今までの不甲斐なさを悔いるように、力一杯抱きしめた。
三人の温かな体が私を励ましてくれている。
若櫻を生んだ時も、苦労して雪成と雪花を生んだ時も感じた大切な大切な、ぬくもりだった。雫槻さんと私が、何よりも大切にしてきた宝物だった。何度も哀しみに暮れる私を励ましてきてくれた、子ども達だった。
私の冷えた指先は、雫槻さんの代わりにこの子達がしっかり温めようとしてくれているのだ。
「ごめん…ごめんね」
そんな簡単なことを、私は忘れていた。見ないふりをして、子ども達に甘えきっていた。だめな母親だ。こんな母のままでいては、雫槻さんは絶対に帰って来ない。
「大丈夫。母さまは、もう大丈夫だから」
「ほんと…?」
「かあさまも、とうさまみたいに、いなくならない?」
「ずっといっしょにいる?」
「いなくならない。若櫻と、雪成と、雪花とずっと一緒。父さまもよ」
「…でも、父さまいないもの」
拗ねたように唇を尖らせる若櫻の頬を撫でた。
「帰ってらっしゃるのよ。絶対に。皆が信じていたら、きっとよ」
ようやく、見せかけでなく、本当に笑みを浮かべることができた。そんな私を見て、子ども達はようやく安心したように、涙を拭ってみせたのだった。
***
私の役目とは、一体何なのだろう。少なくとも、愛している人の帰りが遅すぎるのを嘆いて弱っている立場ではない。
私は雫槻さんの妻で、そして、三人の子どもたちの母親。なら、するべきことはとうに決まっている。
嘆いて悲しんで、倒れていることではない。雫槻さんの帰りを、信じて待つこと。託された子どもたちをこの手で守ること。決して忘れてはいけなかったことだった。
私は自分の身体を叱咤した。寝たきりだった布団から私はようやく抜け出したのだ。なかなか食べられなかったご飯も無理矢理口につめこんで、外に出るようになった。
食糧難であえいでいた頃よりも、今は食べ物も手に入りやすくはなったのだ。今食べないでどうする、と痩せた芋粥だろうが硬い葉物だろうが何でも食べた。
そして、穏やかな日差しを浴びて、子どもたちと一生懸命遊んだ。子ども達と一緒に心の底から笑いあう。
復興している町並みを見つめながら買い物をする。若櫻が字を習いたいと言えば、習字道具を引っ張り出して教える。
「母さま見て!上手に書けたの!」と言えばたくさん褒めてやる。
「かあさまー!せつがころんだぁ!」と雪成が言えば駆けていって雪花の涙を拭ってやる。
倒壊してしまった家も、建て直そうと思った。物資はまだ十分ではないけれど、いつまでもお義父さまの家に厄介になっていても仕方ない。できることはなんでもやりたかった。
子どもたちの笑顔を失わせるような真似だけは、もうこれ以上できなかった。あのように泣かせることを、もうしてはいけない。そして、自分のためにも、笑っていたかった。雫槻さんは必ず帰ってくると、信じているから、笑っていられた。
何よりも強くありたかったのだ。あの人が書いてくれたみたいに、櫻のように強く生きたかった。毎日毎日そう思って、自分を叱咤した。
ふと、どうしようもなく寂しくなってしまう時はあるけれど、でも、「かあさま!」と、そう呼んでくれる子どもたちの笑顔がある。
だからきっと、まだ耐えることは出来るのだ。これだけ待ったんだから、もう少しくらい待つことは許されるだろうと勝手に思って。
重い根雪が段々と解け、たれ込める雲が動き始めた。
生命がまた溢れ出そうとしている。
また、巡り巡って、春が来る。




