第十五話 『初依頼②』
森を奥へと進む。
断続的に威嚇するような咆哮は聞こえてくるが、まだ魔物とは遭遇していない。『森に入った者を襲う』と聞いていたのだが、一向に姿を現さない。
(俺達には気付いているはずだ。なんで襲ってこない?)
疑問に思いながらも歩を進める。
「ねぇおにいさん、むこうのほう明るいよ」
振り返りアルの指差すほうに視線を向ける。確かに薄っすらと光が差しているのが見える。
「でかした!」
ドヤ顔のアルの頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
(これで多少は戦いやすくなる)
開けた視界に安定した足場。生存率――勝率と言えないのがツライ――は少しでも上げたい。
急いで光の差すほうへ向かう。近づくにつれ、そこそこ広い広場のようなものが見えてくる。
(この広さなら充分だ。あとはここに誘き出せれば……)
広場に出る。久しぶりの陽の光に目が眩む。見上げれば雲一つない晴天。――こんな日に大物狩りとか俺達は何をしてるんだ? と、先程決めたばかりの覚悟が揺らぐのを頭を振って追い出す。
「おにいさん、これスゴイね⁉」
――スゴイ?
楽しそうな、嬉しそうな、何かに感動した声を出すアルに視線を向けようとして気付く。
「……なにこれ?」
間の抜けた声しか出ない。確かにこの広場には光を遮る鬱蒼と茂っていた木々は無い。なぜなら全て薙ぎ倒されて横たわっているのだから。
アルは倒れた木々を飛び越え広場の中央に立つ。
「スゴイスゴイっ! 『これ』ずっと続いてるよ⁉」
左右を見渡し嬉しそうに言う。
――何故喜ぶ? と、頭を抱えそうになる。
この惨状の原因さえ考えなければ、確かに俺だって嬉しい。光が差す開けた視界に、少し邪魔だが倒れた木々の上を上手く移動できれば、森の中で戦うよりずっといい。
(でもこれ、間違いなく『アイツ』がやったんだよな?)
薙ぎ倒された木々が続く先、そこにいるであろう、まだ姿の見えない咆哮の主を想う。
(広場だと思っていたのは『アイツ』が通るための道で、何百本もの木々を薙ぎ倒すだけの膂力を持っていて、大きめの馬車が一台、余裕で通れるくらいの道幅がある、と)
これから戦うことになるであろう相手の巨大さに眩暈がする。小細工が通用するような相手ではない。力業でなんて考えるまでもない。
(『俺が囮になって木々を障害物にして逃げ回り、隙をついてアルが樹の上から一撃を入れる』という当初の作戦は駄目だ。そもそも障害物にならない。自然破壊が進むだけだ。魔法も無理。俺は初級魔法しか使えないし、アルは中級魔法を使えるけど、それが通じるサイズじゃない。)
――『魔法』。大気中の魔力を操作しイメージを具現化させること。地水火風の四元素を主とし、他には怪我の治療や身体能力の向上――アルがよく使っている――などがあるらしい。
一度リアに、光や闇の魔法はないのか尋ねてみたが、『光と闇でどう戦うの?』と真顔で返された。
レーザー光線で敵を焼き払ったり、影に敵を引きずり込む、なんてことは出来ないらしい。
魔力を操作しながら想像する、言葉にすると簡単だが、めちゃくちゃ難しい。
『本を読みながら内容を想像するのと一緒、初心者は詠唱することで魔法を使いやすくなる』と言われ、詠唱にはどんなものがあるのか尋ねてみたら、『自己流』とただ一言返されたので丁重にお断りした。恥の多い人生だが、そこまで自分を捨ててない、いや捨てきれない。
そんな理由で、俺は初級魔法しか使えない。ライターの火、蛇口から出る水道の水、扇風機の風、手のひらサイズの小石、精々これぐらいが限界だ。回復魔法はそもそも想像できないから使えないが、身体強化は出来ているらしい。自覚がないので微々たるものだろう。
(何か考えないと……)
これではただ死にに行くようなものだ。ヒントでも残していないかとリアの言葉を思い出す。
『魔物化しても、元の動物の特性や習性はほとんど変わらない。それに生物なのだから、眼球や内臓は鍛えられないし脳や心臓を潰せば殺せる。首を斬り落としてもいい。死ににくても死なないわけじゃない』
荷馬車の上で眠る前に言っていたことだが参考にしかならないので、熊の習性を思い出す。
(逃げるものを追いかける。嗅覚が優れている。食べ物に執着する。学習能力が高い、くらいか。駄目だ、攻略のヒントになりそうなものがない)
――『あなた達なら大丈夫』と言ったその根拠を是非教えていただきたい。
何かいい案はないかと、さっきからウロチョロしているアルを見る。
倒れた木の上に乗ったり、遠くを見たり、獣の咆哮に対抗して『ウガァー』と叫んだりしている。最後のはちょっと勘弁してほしい。
「なぁアル。アイツを倒すいい方法とかないか?」
年下の女の子になにを聞いてるんだ、と思わなくもないが子供だからこそ柔軟な発想があるかもしれない。期待しながら答えを待つ。
「ん~? ん~~~~」
中空に視線を彷徨わせながら考える。
「ん~~と、『斬る』?」
「…………」
シンプルな回答に声が出ない。何を言ったのか理解が追い付かなかったせいかもしれない。
「こう、ズバーーって」
見えない剣で何かを斬るように腕を振る。
熱くなる目頭を指で押さえながら、ちょうどいい高さのアルの頭をポンポンとたたく。
「……うん。そうだな。それしかないよな」
この世の真理に絶望しかける。
「大丈夫だよ、おにいさん」
迷いのない声。
「リア姉に『教わった通りにやればいいだけ』だよ」
「…………」
わかってはいたことだ、結局できることを全力でやるしかないのだ。
「っーーーーーー!」
再び聞こえる咆哮。何度も聞いているうちに慣れてしまったのか、(元気だなぁ)などと気の抜けたことを考えてしまう。
歩を進めながら長剣を抜く。どれほど効果があるかわからないが身体強化も忘れない。身体能力は圧倒的に向こうが上、姿が見える前に戦闘態勢を整えていたほうがいいだろう。
森の中からでは気付かなかったが、視線の先には切り立った崖が見える。方向から見て恐らくそこにいるのだろう。
(よし、行くぞ)
今日何度目かの覚悟を決め前へ進む。近づくごとにその全貌が徐々に見えてくる。巨大な壁のような崖には棲み処と思われる大きな穴が開いている。その周りに土が盛られていることから自力で掘ったのだとわかる。幸運なことに、その周囲は半円状の広場になっており、薙ぎ倒された樹が多少転がっているが多分大丈夫だろうと気にしないことにする。
問題は広場の中央に見える巨大な影。その巨体に遠近感がおかしくなる。
四つん這いの姿勢で、グルルと唸り声をあげる。お互いに目視できる距離まで近づいたのに襲ってこようとしない。まるで『それ以上近づくな』とでも言うように威嚇を続けている。
「……いけるか、アル?」
剣を中段に構え、左足を前に出した半身の姿勢をとる。重心を低く回避を意識しながら、ジリジリと間合いを詰める。
「うん! いつでも大丈夫!」
頼もしい返事に笑みが浮かぶ。アルは細剣を右下段に構え、左右にステップを踏んでいる。
俺達が逃げないことを悟ったのだろう。魔物は身を低くし突撃の姿勢になる。
(まずは相手の間合いと攻撃パターンの把握に努める。アルを主力に俺がひきつけ役になる)
作戦とはとても言えない安易な考えだが、今はこれが精一杯。
(どんな相手にも勇敢に立ち向かえる『力』でもあればよかったんだけど……)
残念ながら、そんな『チート能力』は望んでいない。今ある力を最大限に活用するしかない。
獣の体にさらに力が籠められるのが見える。――来るか⁉ と、まずは初撃の回避に全神経を集中する。
「っ――――――――!」
本日何度目かの咆哮を合図に、戦闘が始まる――。