第十四話 『初依頼①』
「着いたぞ」
ガタゴト、と揺れていた荷馬車が停まる。
いつの間に眠っていたのか、行商人の声で目を覚ます。
「おいアル、起きろ」
俺の膝を枕代わりにして寝ている少女を揺り起こす。視界の端ではリアが小さく伸びをしている。
「ん~? 着いたの?」
街を出たのが早朝だった為、まだ少し眠いのだろう。
「ああ、着いた。ほら、お兄さんにお礼を言わないと」
依頼のあった森へ向かう途中、森から近い村に行商に行く途中だというエルフのお兄さん(推定)が馬車に乗せてくれたのだ。徒歩で半日はかかると言われていたので、正直とても助かった。
「お兄さん、ありがとう!」
ここまで運んでくれた気のいいエルフの行商人――ダークエルフに嫌悪感は抱いていないようで、アルに飴玉をあげたりしていた――にお礼を言い、荷馬車を降りる。
「気にするな。魔物退治に来てくれたんだろう? こちらとしても助かる」
「知ってるんですか?」
「噂程度だがな。最近この森に棲みついたみたいで、森に入った者を襲うだけで、近くの村に被害はでていないらしい」
「発見した人は大丈夫だったんですか?」
「ああ、魔法で怯んだところを逃げ出して、森の外に出たら追って来なかったそうだ」
「森から出てこないなら、わざわざ討伐を依頼しなくてもよかったのでは……?」
ここに至るまでの経緯を思い出し、つい恨みがましい言葉がでてくる。
「村の連中からすれば、近くに狂暴な魔物がいては気が気でないだろう。いつ村が襲われるかもわからないし、薬草など森でしか採れないものもあるだろう。そのおかげで我々行商人が儲かっているわけだが、我々もいつ襲われるかわからないしな」
――それもそうか、と一人納得する。
再度、お兄さんにお礼を言い、ここで別れる。
「さて、と」
眼前の森を見渡す。木々は天高く生い茂り、陽の光が届かないのか暗くて見通せない。手入れなどされてるわけもないので草も生え放題だ。当然整備された道などあるわけもなく、(……ここを行くしかないのか)と気が滅入る。
「どうしたの?」
と左隣からリアが、森の前で呆然としている俺に話しかける。
「早くいこっ!」
と右隣からアルが、俺の手を引く。
アルに急かされながら、(……どうしてこうなった?)と昨日の出来事を思い出す……。
――一日前――
ギルド内に設置された掲示板で俺たちは依頼を確認していた。
『狼型魔物の群れの討伐』『迷子のペット探し』『息子の剣術指南』などなど……。
(よし! たいした依頼はなさそうだ)
内心でガッツポーズをとる。
「これ! これがいい‼」
アルが『大量発生したスライムの討伐』と書かれた依頼書をバンバン叩いている。
「却下‼」
「う~~~~っ」
ふくれるアルを無視する。どうせまた遊ぶ気なのだろう。二・三匹程度なら俺も賛成なのだが『大量発生』と書かれている、骨になった自分の姿しか想像できない。
「…………」
すると真剣な表情で依頼書を見ていたリアが唯一設置された窓口へ向かう。
なにやら受付のお姉さんに首から下げていた金属板を見せながら何か話している。
(あれって確か……)
金属板に見覚えがある。というか俺とアルも貰ったばかりだ。
あれには冒険者の等級が彫られている。三級なら星一つ、二級なら星二つ、一級なら星三つだ。裏面には申請書に記入した名前、出生地、職業が彫ってある。冒険者専用のドッグタグ――認識票――のようなものである。新人は実力があったとしても、例外なく三級から始めるように決められているそうだ。
「依頼を受けてきたわ」
満足気な顔でリアが戻ってくる。その手には一枚の依頼書が握られている。
「……は? え?」
理解が追い付かず、掲示板の依頼書とリアの手元の依頼書を見比べる。
「えっと、何それ?」
当然の疑問を投げかける。
「危険すぎる依頼や、緊急度の低い依頼は掲示板には貼りださないことがある」
(……今、『危険すぎる』って言わなかったか、この人?)
「そういうのは、等級の高い人が聞けば受付で斡旋してくれる」
「……それ討伐するの、俺達だよな?」
「問題ない。あなた達なら大丈夫」
そう言いながら依頼書をこちらに見せてくる。
そこには『熊型魔物の討伐依頼』と大きく書かれており、その下には小さく詳細などが書いてある。
「? クマって強いの?」
よくわかっていないアルが呑気に聞いている。
「多少肉は斬りにくいけど、そこまで強くはないわ。試験にはちょうどいい相手」
微笑みを浮かべながらリアは答える。
(あなたの基準で話さないでください……)
楽しそうにこれからの予定を話し合う二人の声が遠く感じる。
「場所は……、ちょっと遠いみたいだから、今日はこの街でもう一泊して、明日の朝出発ね」
「遠いの? どれくらい?」
「徒歩だと半日くらいかな? お昼には着くと思うから、お弁当持っていこうね」
「おべんとー!」
バンザイしながら喜ぶアル。
(……ピクニックついでに熊退治なんて聞いたことねえよ)
危機感こそあるが、悲愴感や死の予感というほどではない。現実味がなさすぎる。
(実際に見てみないとわからないな。リアが言うように、本当に大したことがないのかもしれないし)
などと、『ありえない』ことを考える。
魔物化した熊。普通に考えれば、いや考えるまでもなく大したことがない、わけがない。
今まで遭遇した魔物も、元の姿より巨大化――少なくとも一回りは大きい――し、狂暴になっているのだ。
後になって思い返せば、この時すでに混乱の極致にいたのかもしれない。
だが、そんなことを自覚できない俺は、呑気に今後の予定を話す二人の会話に交ざるのだった。
――そして現在――
森に入ってから三十分程たった。
鬱蒼とした木々が陽の光を遮っているため視界が悪く、生い茂った草のせいで思うように進めない。
俺達は前後の警戒をしやすいよう縦一列になって歩いている。前が俺で、後ろがアル。リアは同行していない。『試験なのだから、二人だけでやり遂げなさい』と言い、森の入り口で待っている。普段は優しいのだが、いざ戦いのことになるとスパルタなのだ。
(まあ旅を続けるなら、身を守る術は必須だからな)
理解はしてるつもりだが、この依頼はさすがに無理じゃないか、と思う。
普通の熊にすら勝てるイメージがわかないのに、さらに魔物化しているのだ。最悪の結果にだけはならないよう、気持ちを奮い立たせ、腰に差した長剣に触れる。
――さすがに『それ』では心許ないでしょう、と俺の腰にある『ナマクラ』の小剣を指差し、自分の剣を貸してくれたのだ。その『ナマクラ』はたすき掛けのようにして背負っている。
「……魔物、いないね」
後ろから呟くような声。問いかけるというより、ただ事実を告げているような――。
そこでようやく気付く、ここまで一匹も魔物に遭遇していないことに。
(……つまり他の魔物が森から逃げ出すほど、ヤバい奴がいるわけだ)
もちろん、たまたま遭遇していない可能性もあるが、静かすぎる森の気配に不安が募る。
(広くて見通しがいい足場がしっかりした場所でも見つかればいいんだが……)
贅沢すぎる条件に自嘲する。こんな森の中であるわけがない。仮にあったとして、どうやってそこに誘き出すというのだ。
一人で考えいても気が滅入るだけだと思い、アルに話しかけようと振り返る。
「…………」
そこには無言で遠くを見つめる相棒の姿。
「どうした、アル?」
「おにいさん、『あれ』なぁに?」
と、遠くを指差す。その先を見渡すが、変わらない森の景色しか見えない。ついに魔物が出たかと身構えたが、そうではないようだ。
「こっち」
走り出すアル。
(一人で行動するな! というか一人にしないで⁉)
と情けないことを思いつつ、慌てて後を追う。森の中だというのに前を走る姿は速い。離されないようについていくだけで精一杯だ。
近づくにつれて『あれ』の正体が見えてくる。そこには周りと比べて一際大きい一本の樹があった。
それだけでも十分目を引く光景だが、その太い幹には抉り取るような三本の爪痕が刻まれていた。
(縄張りの印、だったか?)
確か熊の習性で、そういうのがあったはずだ。
「……ここ、なんか臭い」
アルが眉間に皺を寄せ、鼻をつまむ。周囲にはむせ返るような獣の臭いが満ちている。突然突き付けられた現実に、心臓の音がバクバクとうるさい。
「アル! 近くにいるかもしれない。警戒して――」
――進もう、と続けようとしと瞬間。
「------ッ!」
大気を震わせる咆哮。振動が体を突き抜ける。
獣の姿はまだ見えないが、相手には俺達の存在を気付かれたようだ。
一瞬で気が動転する。落ち着け、と思うが体が言うことを聞かない。
膝が震える。呼吸も荒く、視野が狭まっていく。死の恐怖に体が動いてくれない。
(動かないと――)
震える足は意思に反して、その場に縫い付けられたかのように動かない。
(まだ何も『成して』いない――)
自分を奮い立たせようとするが、うまくいかない。
「どうしたの、おにいさん? 早く行こ?」
いつもと変わらぬ笑顔、いつもと変わらぬ声で、隣にいた少女が手を握ってくる。
「………………」
状況も忘れて呆ける。平時と変わらない笑顔に見つめられ、震えている自分が馬鹿らしくなってくる。
――我ながら単純だな、と笑いがこみ上げてくるのを必死に我慢して、大きく一度だけ深呼吸をし状態を確認する。
(呼吸は整った、視野もクリア、心臓の音はまだうるさいけどそれだけだ)
少女に握られているのと反対の手で拳を作る。
――大丈夫、戦える。と拳に力を籠めながら、自らを鼓舞する。
「アルは怖くないのか?」
さっきまでの自分の醜態を誤魔化すように問いかける。
「わたしは『魔王』だもん。『魔王』は一番強いんでしょ?」
――だから何も怖くない。と少女は言いたいのだろう。
「ハハッ、確かにその通りだな。よし、じゃあ行くか!」
「うん!」
(この子が『魔王』なら、俺は『何に』なるべきだろう?)
手を繋いだまま、雄叫びのしたほうへ向かう。
これから人生初の死闘を繰り広げようとしているのに、まったく別の――どうでもいい――ことをただ漠然と考えながら――。