第十話 『領境の街ゼルド』
すっかり日が暮れた夜。
今いるのは街の門を抜けた先にある門前広場。
周囲を見渡せば美しい街並みが広がっている。、整然とした石畳に立ち並ぶ店の数々。道行く人々には笑顔が溢れている。
「エルフにドワーフ、それにワービースト……?」
目の前を通り過ぎる人々の『種族』を口にする。
「そう『この世界』には、その三種族が生活している」
初めて目の当たりにする光景に呆然としていると、リアが答えてくれる。
「みんな結構普通なんだな。もっとこう種族ごとに諍いとかあるのかと思った」
目の前を酔ったエルフとワービーストが、肩を組みながら通り過ぎる。
「大昔にはそういうこともあったみたいだけど、今は大体こんな感じ……。それでもまだ、同族意識の強いエルフもいるし、差別されてきたことを恨んでいるドワーフもワービーストも少なからずいる。一部の地域では奴隷のように扱っているところもまだある」
街の一角に目をやると、エルフとドワーフの女性が飲み比べをしている。
(酔っ払い多すぎだろう……)
種族の垣根を超えた酔っ払いの集まりに驚愕していると、俺の視線に気付いたリアが説明を続ける。
「この街は『ハイウェイン領』と『ストックデイル領』を繋ぐ中継地点。聖地巡礼か観光目的の人がほとんど。魔物も少なくて治安もいいから、ギルドも簡易的なのがあるだけで、冒険者も新人くらいしかいない」
一日半かかった『勉強会』の内容の一部を思い出す。
この世界は巨大な大陸が一つあり、周囲を海に囲まれている。神樹がある大陸の中央を『ハイウェイン領』と呼び、その周囲を六つの領地が囲んでいるのだという。
一日の予定だった勉強会は、半日追加したところで当然終わらなかった。
『残りは空いた時間にやる。……必ず』と、リアはやる気に満ちていた。
自分の背中に目をやる。俺はいま、寝息を立てるアルを背負っている。
子供は寝る時間なので、スイッチが切れたかのように――勉強会の疲れもあるだろうが――眠りに落ちた。
アルを背負いなおしながら、リアに聞く。
「それで? リアが言ってた宿屋ってどこ?」
年下とはいえ、そこそこ重い。頬を汗が伝う。
「うん、こっち」
リアが案内する。隠れ家的な格安の宿屋らしいが……。
喧騒を離れ、薄暗い路地を進む。
ほどなくしてリアが足を止める。
「着いた、ここ」
リアが指差した方を見る。
「……………………」
リアクションに困る。
それは周りの建物と同じような石造りの民家にしか見えず、さらに言えば、人が住んでいるのか疑うレベルで荒れている。廃墟にしかみえない。
(『隠れ家的な格安の宿屋』……ね)
そもそも誰も、ここが宿屋だとは思わないだろう。
「……ここ?」
恐る恐る確認する。
「うん、早く入ろ?」
リアに促され、渋々宿屋? に足を踏み入れた。
「…………ふぅ」
小さく息を吐く。
「くぅ~~~~っ、風呂最高!」
成人男性五人は入れそうな無駄に広い浴槽で足を伸ばしながら、久しぶりの湯船に心から感謝する。
浴場の隅には、一抱えもある半透明な青い水晶球――『魔石』というらしい――から、お湯が出続けている。ここだけ見れば『高級宿屋』に匹敵するらしい。
あれから、宿屋を経営しているというドワーフの老夫婦に部屋に案内された――他に客はいないようだ――。その部屋もボロボロな上に、一人一枚毛布を渡されただけで、『野営と変わらねぇな⁉』と脳内でツッコミをいれつつ、いそいそと何かの準備をしているリアに視線を向ける。
俺の視線の意味に気付いた彼女は、『地下に行けばわかる』と、興奮気味にこの立派な浴場に案内してくれた。
『なんで風呂場だけ、こんなに立派なんだ⁉』と驚愕する俺に、詳しく事情を説明してくれた。
実はこの老夫婦、昔はかなり有名な魔道具職人で、今は引退して完全な趣味で宿屋の経営を始めたのだという。『知る人ぞ知る隠れ家的宿屋』というのを目指した結果、本当に隠れ家になってしまったのだという。職人時代に一財産築いていたらしく、採算度外視で営んでいるようだ。
リアがなぜ、この宿屋を知っているのかというと、
『酔ってしつこくナンパしてきたお爺さんを当身で気絶させたら、迎えに来たお婆さんにお詫びに泊めてもらった』のだそうだ。
(お年寄りに何してんの⁉)
――本日何度目かの驚きに疲労が重なる。
久しぶりの入浴を満喫し、部屋――三人一緒――の扉を開ける。
「リアの言う通り風呂だけは最高……だ、な」
真剣な顔をしたリアが、眠るアルを見つめていた。
ちょうど月明かりが差して、リアの姿が淡く輝く。
(『廃墟に佇む女神』ってところか。……うん、仕事しろ、俺の『ネーミングセンス』)
くだらないことを考えていると、話しかけられる。
「……ねぇ、アルって『何者』?」
質問の意味を理解する。……だけど気付かないふりをする。
「……なにって、ダークエルフで、そのせいで地下牢に何年も閉じ込められてて――」
「そうじゃなくてっ!」
言葉を遮られる。リアにしては珍しい、少しだけ大きな声で……。
「『成長の速度』が速すぎる。異常と言ってもいい。戦闘に特化したダークエルフでも、さすがにおかしい」
(……うん、『知ってる』)
口には出さない。代わりに、それらしい理由を言う。
「ほら、成長期とか、好奇心旺盛だからとかじゃないか? 子供の成長は速いもんだ」
「一級冒険者の『技』を『見た』だけで『覚えて』、しかも『応用』までしているのに?」
「……」
この面倒見のいい優しい女性は、良くも悪くもアルの成長の速さに危機感を抱いている。
(……それなら)
と、意地の悪い質問を投げかける。
「もう、教えるのをやめるか?」
「……」
危険の多い冒険者稼業、『強くなりすぎて困る』ということはないのだ。
それにこの優しい女性は、無知な子供を見捨てられない。
「やめられないだろ? だったらアルが『間違わない』ように、しっかり見ててやればいいんじゃないか?」
「……そう、ね。うん、そうする」
――とりあえず納得してくれたようだ。
「……」
無言でアルを見つめるリア。
今度は柔らかな笑みを浮かべるながら――。
だから、つい、余計な事を口にしてしまう。
「優しいなリアは。まるで『母親』みたいだ」
瞬間、リアの姿が視線から消える。
感じるのは、腹部への圧倒的な衝撃。
「……私は、そんな年じゃない」
――薄れゆく意識の中、そんな声が聞こえる。
(……お爺さん、よく生きてたな)
意識を手放す直前、恐らく同じ一撃を受けたであろうドワーフの老人の姿が浮かぶ。
――朝まで、ぐっすり眠ることができました。