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預言者“富嶽十八刑”の解決録その1

作者: 天草一樹

 四月。

 桜が舞い散る、日本で最も美しい景色が見られる月。

 新たな旅路を迎える人たちが、その景色を見ながら胸をときめかせ、同時に散っていく桜に儚さや不安を覚えたりもする。そんな、ちょっぴり複雑な感情が渦巻く季節。

 もちろん僕――桜岡芳樹サクラオカヨシキも、これから始まる未知の大学生活に興奮と不安を押し隠せないでいた。

 高校生活の多くを受験勉強に費やし、ようやく幕を開ける大学生活。元々狙っていた第一志望校に入学することこそできなかったけど、その次に狙っていた国立大学にはギリギリ(?)で合格。浪人することなく、初めての大学生活を迎えることができた。

 今日は入学式から数日後の授業開始日。僕の選んだ学科は必修科目が少なく、今日は取っても取らなくてもそこまで影響のない自由な講義ばかり。だから朝早くから大学には来たものの、講義を受けるでもなくキャンパス内の散策にいそしんでいた。

 入学式の日やその前のガイダンスの日にもキャンパス内を見まわったが、授業が始まり本格的に大学生活が幕を開けた今日は、それまでとは違う不思議な活気に満ち溢れている。道を歩いているとちょくちょくサークルの勧誘をしにくる先輩なんかもいて、そんな所からも自分が大学生になったんだという実感が得られワクワクが大きくなった。

 だからだろうか。その時の僕は上がり続けるテンションに気を取られ、そろそろ帰ろうかとキャンパスを出る直前まで気づいていなかった。僕にとっては命の次に大切ともいえる、あれ――眼鏡が盗まれていたことに。





「ない、ない、ない! なんで、さっきまで確かに持ってたはずなのに! どっかで落した! それとも実は今もかけてるとか……ってそんなわけないか。嘘だろ……。大学入って早々、小学校のころから数多の思い出をともに見つめてきた最愛の眼鏡を無くすなんて……」


 僕の視力はそこまで低くない。だから、普段生活しているときなんかはかけたりせず、眼鏡ケースに入れた状態で手に持って動くことが多い。そんな僕の姿を見て友人はよく、「眼鏡置いてったりするなよ」などと言ってきたが、そんなミスをしたことは一度足りともなかった。それだけ僕にとってあの眼鏡は大切であり、いついかなる時でも意識から外したことはない相棒だったのだ。

 その相棒を、いくら大学に浮かれていたからと言ってどこかに置き忘れてしまったというのか。僕は自責の念に駆られ、周囲の目も気にせずその場で蹲ってしまった。


 ああ、新生活早々どうしてこんなことに……。僕が何をしたっていうんだ……。


 絶望に打ちひしがれ、もはや立ち上がる気力すらなくなる。眩いほどの青空から差す太陽の光が、そんな僕をじりじりと焼き尽くそうとする。


 もういっそ、このまま灰になってしまえればいいのに……。


 紫外線に脳をやられたのか、いよいよ考えが後ろ向きになっていく。蹲る力さえなくなりかけ、もう横になってしまおうと体を大の字にして地面の上に横たわった。

 と、その時。僕を焼き尽くさんとしていた太陽の光が、急に遮られた。


「フフフふふ、今年の新入生にはなかなかどうして面白そうな子がいるね。授業開始日から、大学の入り口で大の字に寝そべる青少年。何かお困りごとがあるなら、この私――富嶽十八刑が解決してやるが、どうするかな?」


 自信満々、意気揚々。

 男とも女とも分からない中性的な声が、太陽光の代わりに僕に降り注ぐ。

 自分自身でも何言ってるんだかよく分からないけど、どこか神々しいオーラを感じて、目を細めながらその声の主を仰ぎ見た。

 長身長髪。腰まで伸びる長い黒髪は結われ、尻尾の様にゆらゆらと揺れるポニーテール。声だけでなく容姿も中性的で、男か女かよく分からない。髪は長いから女のようにも見えるけど、胸はないから男のようにも見える。ただ、自信満々な態度を裏付けるかのように、その見た目は天使が舞い降りたのかと思うほど清く美しい。彼の姿だけで一枚の優美な絵画になりそうだ。

 これほど神秘的で美しい光景を、相棒と共に見られないなんて……。堪える暇もなく涙がとめどなく両の目から溢れ、頬を濡らしていく。

 話しかけた途端涙を流され、富嶽さんの自信満々な表情が崩れていく。どうやら自分が原因で泣かせたと思ったのか、おたおたとしながら取り敢えず立って移動するよう説得してきた。そんな姿もまた一段と美しく、僕の目からはさらに涙が溢れてくる。


 ああ、本当に何で、今この場に眼鏡がないんだよ……。


 どんなに言葉をかけようともより涙を流すだけで全く動こうとしない大学生男子。もはや説得は無理だと諦め、富嶽さんは腕をつかんでずるずると人の通らない隅っこへ僕を引っ張っていった。





「ぐすん、ぐすん……。迷惑かけてすみません……。その上愚痴にも付き合ってもらって……。何から何まで本当……」


 泣きながらも眼鏡を失った経緯と、その眼鏡がどれほど自身に大切なものだったのか滔々と語ること早一時間。最初に見たときの自信に満ち溢れた不敵さは影を潜め、少しやつれた表情の富嶽先輩。途中で投げ出すことなく僕の話に付き合ってもらえたことにはただただ感謝しかないが、相棒を失ったことを考えるとまだ……。

 再び泣き出しそうになった僕を見て、富嶽先輩は「ひっ」と悲鳴を上げかける。これ以上迷惑はかけられないと思い必死に涙をこらえると、彼は安堵したのかほっと溜息をついた。


「泣き止んでくれてよかったよ。その……まさか眼鏡がなくなっただけで――いや! 桜岡君にとってその眼鏡がただの眼鏡じゃないってことは分かってるよ! 命の次に大事な十年来の相棒なんだもんね!――でもまあ、うん。やっぱりかなり驚きの理由だよね。普通大学生にもなったら、親が死んでもあそこまで涙は流さないと思うんだが……」

「すいません。でもあいつのことを考えると、どうしても……」

「おっと、もう泣くなよ。泣くんじゃないぞ! そもそも君の話を聞いた限りではまだ探しに行ったりしてないんだろ。落とし物として誰かが届けてくれてるかもしれないし、まだそんな悲観するようなことじゃ――」

「でも! 僕は相棒を忘れてキャンパス巡りを堪能してたんですよ! 仮に再会できたとしても、どんな顔をして彼に向き合えばいいのか……」

「普通にかけてあげればいいと思うけどねえ」


 どんよりと重い空気を纏った僕を見て、富嶽先輩は大きなため息をつく。それから気分を入れ替えるように手を鳴らすと、僕に立ち上がるよう促してきた。


「取り敢えずは落とし物として届けられてないか、学生課に行って聞いてみよう。その眼鏡――相棒に謝るためにも、まずは見つけてあげないといけないしね」

「は、はい! 絶対に見つけ出して、土下座してでも許してもらいます!」

「いや、眼鏡に土下座する姿は流石にシュールだからやめてほしいかな……」


 そう言って苦笑いを浮かべる富嶽先輩と共に、僕は学生課への道を急いだ。





「落とし物として届いてはいない、か……。そう都合よくはいかないものだね」


 学生課に行き、今日眼鏡の落し物が届けられなかったか聞いてみるも、結果は惨敗。眼鏡は届けられてないし、落ちていると言った噂も聞いたことはないそうだった。

 だが、じゃあそれで諦めましょうとはいかない。草の根分けてでも探し出すまで終われない。

 僕は自分が通ってきた道のりを思い出し、隅々まで探し尽くそうと全神経を集中させて来た道を戻り始める。そんな僕の姿を見て何をしようとしているのか察した富嶽先輩は、首根っこを掴んで移動を阻止してきた。


「少し落ち着きなさい。いくらなんでも闇雲に探すのは無謀すぎる。何かしら当たりをつけてから行動しないと。まず確認しておきたいんだが、本当に君は今眼鏡を持っていないんだよね?」

「当たり前です。鞄に穴が開くほど徹底的に探しましたし、ズボンや上着のポケットにもありませんでした」


 念のため、今一度鞄の中身を全てだし、眼鏡がないことを確認する。たいして多くもない僕の荷物を眺めていた富嶽先輩は、ある物を見て首を傾げた。


「桜岡君、それは眼鏡ケースじゃないのかい? その中に眼鏡が入ってたりはしないのかな」


 僕は真っ黒なプラスチック製の眼鏡ケースを開いて、中には何も入っていないことを見せた。


「確かにこれは眼鏡ケースですけど、ご覧の通り中に眼鏡は入っていないんです。そもそも僕は眼鏡ケースを鞄に入れず手で持って歩いていたんですが、大学から出る直前にもう一度眼鏡をかけて構内を見てみようと思ってケースを開けたんです。その時に眼鏡がなくなっていることに気づいて、慌てて鞄の中も探したりしたんですが……」

「な、成る程ね! いいよ、辛いことは無理に思い出さなくても! 要するに君は眼鏡ケースを手に持って歩いていたけど、いつの間にかその中身だけがなくなってしまっていたというわけだ。ふむふむ、眼鏡ケースは持ってるのに、眼鏡だけなくしたのか……」


 ぶつぶつと何やら呟き始めた富嶽先輩。その姿も妙に凛々しく、見ていて全然飽きない。しかし今は先輩の姿に見惚れている場合ではない。一刻も早く相棒を探しに行かないといけないのだ。

 僕は鞄の中に出したものを詰めなおすと、急かすように言った。


「もう眼鏡がなくなったことには納得してくれましたよね。そろそろ探しに行きましょうよ!」

「だから落ち着くんだ桜岡君。焦っていては見つかるものも見つからない。次はどこまで眼鏡を持っていたのか思い出してみてくれ」


 あくまでも冷静な態度の富嶽先輩に、少しだけ苛つきを覚える。いくら親切にしてくれるとは言え、彼には僕が今どれだけ辛い気持ちでいるのかなど分かりっこない。たとえ眼鏡が見つからずとも、彼には何の問題もないのだから。

 苛立ちを表情に出さないよう努めつつ、外を指さして僕は言った。


「分かりました。その質問にもお答えします。ですが、まだ僕はこの大学に来て日が浅いです。正確な場所を口頭で説明はできないので、今日通ってきた道を辿りながら話してもいいでしょうか」

「もちろん構わないよ。では軽く探しながら話を聞いていこうか」


 悠然とした動きで道案内するよう促される。

 僕は憮然とした表情で外へと踏み出した。





 道の真ん中を歩きながら、どんな経路を通ってきたのか、どこで眼鏡をかけたのかを先輩に話していく。眼鏡がどこかに落ちていないか探しながらなので、その足取りは酷く遅い。

 先輩は基本的に僕の話を黙って聞き、時おりちょっとした質問を返すだけ。どこまで真剣に考えているのかは分からない。

 話を続けていると、ふと違和感を覚え僕は立ち止まった。前通った時はひっきりなしにサークルの勧誘が行われた食堂前広場。今も周りの新入生は勧誘を受けているのに、不思議と僕の近くには誰も寄ってこない。

 どうしたのだろうと眼鏡を探すのをやめ、きょろきょろと周囲に目を向ける。すると、黙していた富嶽先輩が口を開いた。


「ああ、私はこの学校ではちょっとした有名人でね。『預言者』なんて捻りのないふざけた名称で呼ばれ、学生・教師問わず避けられているんだ。だから困ったときなんかは是非頼ってくれていいが、それ以外の時はあまり近寄らないことをお薦めするよ」


 特になんとも思っていない口調。でも、声に感情が乗っていないからこそ、どこか寂しさを感じ、僕は相棒のことも忘れて先輩を見つめた。

 暗い雰囲気にさせてしまったことを恥じたのだろう。気を取り直すように質問をしてきた。


「ところで、君も当然この場所でサークル勧誘されたんだよね。その時は眼鏡をかけていたのかい? それとも眼鏡ケースに仕舞ったままだったのかな?」

「あ、はい。こういう人の多い場所では眼鏡ケースに仕舞っていました。僕が眼鏡をかけるのは、目に焼き付けて起きたい素敵な風景を眺める時とか、単純に視力を矯正しないと物が見えない時だけですから」

「成る程ね。因みに何人ぐらいに声を掛けられたの? 後、声を掛けられた時の状況とかは?」

「もしかして富嶽先輩、誰かが僕の眼鏡を盗んだって考えてるんですか? 確かにあの眼鏡は僕にとっては宝物ですけど、他の人からしたら大して価値のある物じゃないと思いますよ。別に純金製でもない普通の眼鏡ですし。それにこの大学に入ったばかりの僕に恨みを抱いている人もいないでしょうから」


 眼鏡の中にはそれなりに高いものもあるだろうが、売るとなるとそこまで高値で売れるわけでもない。まして他人の眼鏡を盗んで再利用する奇特な人もいないだろうし、盗まれたという考えは現実的でない気がする。認めたくはないが、浮かれていた僕がどこかに眼鏡を置き忘れたと考えるのが妥当だろう。

 僕の言葉を聞き、富嶽先輩は俯いて考えこむ。小さな声で「それもそうだね」と頷くと、顔を上げて周りを見渡した。


「……まあでも、一応答えてもらえないかな。何がヒントになるか分からないしさ」

「そうですか。えっと、僕に話しかけてきたのは四人――というか四つのサークルです。まず構内の散策を始めたときに二つのサークル、『ミステリ研究会』と『ゲームサークル』に話しかけられました。どちらのサークルとも軽く立ち話して、勧誘のビラをもらって別れました。あ、でも、『ミステリ研究会』からはビラとは別に冊子もいただきました。何でも自分たちで書いたものだとか。それから『ゲームサークル』からは自作の小型ボードゲームをいただきました。

後は一通り見まわって休憩してたときですね。この近くのベンチに座ってスマホを操作してた時に『オカルト研究会』に。それから立ち上がって階段を上っている最中に『アニメ研究会』に声を掛けられました。この二つのサークルはビラを渡してきただけで、特にもらい物はなかったです。階段を上ったところにまだ『ミステリ研究会』と『ゲームサークル』の勧誘者さんがいたので、軽く挨拶だけしました」

「その四つのサークルと会話した後は、まだ眼鏡を持っていたのかな?」

「最初に二つのサークルと会話した後は確実に持っていました。でも、帰り際に会った時はどうだったか……。もうその頃からは眼鏡はずっと眼鏡ケースに仕舞っていて出していなかったと思います」

「そう、か。ついでにもう一つ。君に話しかけてきた人はそのサークル勧誘者達以外にいたかい?」

「いえ、誰もいませんでしたけど」


 それを聞くと、顎に手を当てて富嶽先輩は考え込む。だがそれも一瞬。すぐに顔を上げて、次はどの道を通ったのか教えるよう聞いてきた。





 一通り歩いて回った僕と富嶽先輩だったが、結局眼鏡を見つけることはできなかった。

 富嶽先輩は時折腕時計に目をやり、僕は失望から憔悴した表情で天を仰ぐ。

 もう二度と、相棒と共に素敵な景色を見ることは叶わないのか。せっかくの大学生活を、相棒抜きで過ごしていかないといけないのか。

 いや、そんな現実は認めない。たとえ何日かかろうとも、必ず見つけ出してみせる。

 そう気持ちを改め、僕は自分がどこで眼鏡を忘れたのか、再度考えてみることにした。


「思うんですけど、やっぱりトイレが怪しい気がします。今までの経験上、何か景色を見るのに眼鏡を使った後は、すぐに眼鏡ケースに仕舞ってたんです。だけどトイレに行く時ってたまに焦ってたりして、眼鏡と眼鏡ケースを別々に持って入ったりすることもあったんです。それで出るときにそのことを忘れて眼鏡ケースだけ持って出ちゃったのかも。あの、もう一度トイレで探してきてもいいでしょうか? さっきは少し探したりなかった気がするので」


 僕の話を聞いていたのか、心ここにあらずと言った様子で富嶽先輩は腕時計を見つめたまま。


「先輩? 聞いてますか?」


 耳元でそう声をかけるとようやく先輩は腕時計から目を離し、僕に笑いかけてきた。


「ああ、トイレをもう一度探すんだよね。それも悪くはないと思うけど、その前に学生課に戻って見ないかい。もしかしたら入れ違いで眼鏡が届けられているかもしれないし」


 どこか有無を言わせぬ迫力。僕は少し戸惑いつつも頷き、彼の言葉に従った。





「え! 本当ですか! 眼鏡が届いてる!」

「はい。先程落とし物として、ある学生さんが持ってきてくれました。急いでいたようで、名前などは聞きそびれましたけど」

「そ、それより早くその眼鏡を見せてください! 僕の眼鏡はフレームが黒色の、ちょっとぼろい眼鏡なんですけど!」

「は、はい。先程も聞いたから分かってますよ。ちょっと待っててください」


 そう言って係の人は落とし物ボックスから、眼鏡を一つ持ってきた。それは紛うことなき僕の相棒。命の次に大切な、絶対になくてはならない存在。

 再び会えた感動から、意志とは無関係に涙と鼻水が滴り落ちる。そのあまりの様相に、周りの人がドン引きして僕から身を離す。だが、そんなことはどうでもいい。今この瞬間に泣かずして、一体いつ泣けと言うのか。

人目をはばかることなく、それから十分近くの間、僕は盛大に泣き続けた。






「本当に、御迷惑をおかけしました! そして、探すのを手伝っていただき有難うございました」


 直角に、自分ながらほれぼれする角度での謝罪&御礼。

 その姿を見て苦笑いを浮かべた富嶽先輩は、礼を受け取るのを拒むように首を横に振った。


「いや、こちらこそ申し訳ない。結局大したことはできず、君を無用に振り回してしまった気さえする」

「そんなことないですよ! そもそも公道で大の字になって涙を流すような人間に、ここまで付き合ってくれただけでも本当に感謝しています! 今度是非、何かお礼をさせてほしいです!」

「いや、いいって。私といると君まで周りに避けられるかもしれないからね。まあ困ったときの便利屋だとでも思って、また何かあった時に尋ねてくれればいいよ。これ、私のメールアドレスだから。それじゃあ、楽しい大学生活を過ごしなよ」


 軽く手を振りながら、優雅な足取りで学生課を去っていく。なぜかそのまま行かせてしまうのが躊躇われ、声を掛けようとする。すると、僕が話しかけるより早く、富嶽先輩が振り返った。


「そうだ、最後に『預言者』から一言。二、三日中に菓子折りをもって君に謝罪しに来る先輩方がいるだろうけど、あまり深く気にせず彼らの謝罪を受け取って欲しい。彼らも深く反省し、もう二度とこんなことはしないだろうからね」


 にこりと笑顔を浮かべて、今度こそ立ち止まることなく去っていく。僕はその姿を、眼鏡を握り締めたまま呆然と見送った。





 桜岡君と分かれた私は、その足で学生ホールのとある一室へと向かった。学生ホールはこの大学の文化系サークルが主に拠点としている建物である。数十にも及ぶ文化サークルが、それぞれ一室ずつ部室を所持し、活動に必要なものを置いたり集まって話したりしている。

 私はその中から、『オカルト研究会』と札の貼られた扉の前で立ち止まった。

 電気がついてるから中に人がいることは明らか。軽くノックをすると、扉を開け、中にいた二人の人物に挨拶した。


「どうもこんにちわ。富嶽十八刑だ。皆まで言わずとも、君たちは私がここに来た理由を理解しているよね?」


 ドクロや魔法陣の描かれた怪しげなタペストリーが貼られ、本棚には『黒魔術全集』や『心霊特集』などの雑誌が置かれた六畳程度の狭い一室。

 そこで何やら話し合っていた二人のオカルト部員は、突然の侵入者に声もなく固まった。

 私は彼らに悠然と微笑みかけると、前置きもなく滔々と語りだした。


「君たちのサークルが万年人手不足なのは知っている。去年さらに部員が減って、いよいよ今年は君たち二人だけ。だから是が非でも新入部員を得たいと思う気持ちは分かっているさ。だけど、そのために盗みを働くのは、感心できないね」

「ぬ、盗みって何のことだ……。俺にはさっぱり――」

「そ、そうだ! 突然そんなことを言われても――」


 おどおどした態度で、オカルト部員は反論してくる。しかしこの時点で、彼らは自分の犯行を認めたも同然だろう。盗みを働いていないのなら、ここまで慌てる必要も無い。

 まあ犯罪に対して覚悟の薄い者などこの程度だろう。少し事態が露見しそうになれば、簡単に慌てふためく。

 私は笑顔を崩さないままに、彼らを追い詰める武器を提示した。


「君たちが勧誘しようとした桜岡君は、十年以上もの間、どこかに眼鏡を置き忘れたことは一度もないらしい。そんな彼が、いくら大学生活に浮かれていたからと言って、そこまで愛用してきた眼鏡を忘れるなんてことがあるだろうか?

 決してないとは言えない。だけど、私はその可能性は薄いと考えた。彼の眼鏡への愛情は、常人には計り知れないほど深いものだと知ってしまったからね。そこで考えたのが、眼鏡は盗まれたんじゃないかと言うこと。どこかに置き忘れたって考えより、よっぽどしっくりする気がしたんだ」

「な、何でそうなるんだ! 大体人の眼鏡なんて盗んだって役に立たないだろ!」

「そうだそうだ! それにそんなに眼鏡を愛している奴からどうやって眼鏡を盗むんだ! 盗もうとしたら普通に気付かれるだろ!」


 必死の形相で反論する二人。私がここまで来た時点で諦めればいいものを、往生際の悪い犯人とはなんと無様なことか。

 近くに置いてあった一冊の本を取り、中に入っていた栞を抜き出す。それをピラピラとはためかせながら、私は言った。


「動機に関しては最初に言っただろ。君たちは新入部員が欲しかった。だけどオカルト研究会なんて怪しくて早々部員は入らない。だから君たちは、その怪しいというイメージを払拭しようとしたんだ。自作自演の盗難騒ぎでね」

「「う!」」


 驚きからか、コントのように二人同時に膝をつく。

 そんな彼らを見下ろしながら、私はさらに言葉を続けた。


「一度盗んでから、彼が眼鏡を失ったことに気付いたタイミングで声をかける。そして、眼鏡を探してあげると提案し、適当に探したところで発見した振りをする。それによって、『見知らぬ新入生のために時間を惜しまず助けてくれた優しい先輩』と言うイメージを植え付けられるし、それを恩に着せてサークルに勧誘することもできる。君たちはそう考えたんだろう」


 そこまで暑くもないのに、額から汗をだらだらと垂らす二人。どんどん彼らの姿が哀れになってくるが、まだ抵抗する気力はあるらしい。

 震える声で「しょ、証拠は!」と叫んだ。

 私は慌てることなく、淡々と論理の糸を絡めていく。


「これは君たちが彼の眼鏡を盗んだ方法とも関与するんだけどね。彼は基本的に眼鏡を眼鏡ケースの中に入れ、しかも手で持っていた。彼が眼鏡ケースを持っているときや、眼鏡をかけているときに盗むのは普通に考えて無理だろう。ではいつ盗めるか。それは、眼鏡ケースを横に置いて、手には違うもの――例えばスマホなんかを持っていた時だ」


 私は彼らの目の前に持っていた本だけ置き、栞を別の場所に移した。


「一人が彼に話しかけて眼鏡ケースから注意をそらし、もう一人がその間に眼鏡ケースから眼鏡だけ抜き取る。これだったら難しいことは何もないし、一瞬で終わる。盗まれた本人は眼鏡ケースの中から眼鏡がなくなっているなんて思わないから、わざわざその場で確認することもない。そこでさり気なく別れて後をつければ、もう君たちの計画は成功したも同然だ。因みに君たちがやったと考えた根拠は、彼がベンチに座って眼鏡を置いているときに話しかけたのがオカルト研究会だけだったから。もっと具体的な証拠が欲しければ、学生課前の監視カメラの映像を入手してきて、誰が落とし物を届けたのか調べたっていいけど。それとも眼鏡ケースについているであろう君たちの指紋を採取してみようか? こんな杜撰な計画を立てた人たちが手袋をして犯行に及んだとは思えないしね」


 この言葉がとどめとなり、彼らは諦めたのかがっくりと肩を落とした。

 哀れで愚かな犯罪者たちから目を外し、盛大にため息をついて見せる。それから出口へ寄って帰る準備をしつつ、最後の忠告を行った。


「私としても、せっかく入学したばかりの新入生にこの大学の悪印象を持ってほしくはないんだ。だから君たちの行いを今回は見逃そう。だけど、次こんな真似をしたらどうなるか分かってるよね。『予言』させてもらうが、大学を辞める程度では済まないことが、必ず起こるよ」


 がくがくと首を振って頷く二人。

 それを見て満足し、私は部室の扉を開け外へと踏み出す。が、一つ言い忘れていたことを思い出し、扉を閉める手を止めた。

 まだ何かあるのかと怯えた表情を向けるオカルト研のメンバー。私は優雅に微笑むと、言った。


「それにしても君たちも不運だったね。狙ってた新入生が驚くほど個性的だったうえに、実行直前に私まで現れるんだ。やっぱり悪いことはできないね。じゃあ、桜岡君へのお詫び、忘れないように」


 再び何度も首を縦に振る彼らを尻目に、私はゆっくりと扉を閉めた。





 眼鏡紛失事件から三日後。

 僕は構内にある大きな池の前で、富嶽先輩と待ち合わせをしていた。先輩は時間ピッタリにやってくると、少し呆れた笑みを浮かべながら手を振った。


「やれやれ。困ったことがあったら呼んでくれとは言ったけど、まさかあの件からたったの三日後に新たな問題とは。桜岡君はなかなか忙しい人だね」

「すいません。でもお礼もしたかったし、どうしてオカルト研の先輩たちが謝罪してくることを予言できたのかも聞きたかったので。あと、今抱えてる問題は僕一人だと少々手に余りまして」


 にこやかに笑いかけると、持ってきた和菓子の箱を先輩に渡した。


「どうぞ、つまらないものですが」

「君も義理堅いね。さすがにここで断るものあれだし、有り難くいただくとするよ」


 ポニーテールを左右に振りつつ、先輩は少しほくほく顔でプレゼントを受け取った。御礼はいらないと言っていたが、欲しくないわけではなかったらしい。

 今すぐ開けようか、後で開けようかしばらく悩んでいた富嶽先輩だったが、僕の視線を受けて後にすることに決めたらしい。ゴホン、と咳払いすると、改めて尋ねてきた。


「それで、困りごととは一体何かな? まあどんな問題であろうと、この富嶽十八刑が解決してみせるけどね」


 初めて会った時と同じ、自信満々でどこか神々しいオーラを放った富嶽先輩。僕は手に持っていた相棒をかけると、そのご尊顔をじっくりと脳内に刻み込んだ。


「実は困りごとと言うのは、前回僕が公道で大の字になって倒れていた件なんですよ」

「……ん?」


 何か嫌な予感を感じたのか、自信満々だった富嶽先輩の表情が曇る。

 この顔もそれはそれで素敵だと思い、相棒と共にじっと見つめながら、僕は言った。


「あの姿がツ〇ッターでばらまかれて、大学始まって数日だっていうのに変人だって噂が広まっちゃったんです。それで、同じ変人同士、富嶽先輩からこの大学の生き方を学ぼうと思いまして」


 この大学では『預言者』と恐れられる先輩も、僕の申し出を予知できなかったらしい。呆然と、口を開いた姿で固まっている。

だが、その姿も一瞬のこと。困ったように頭をかきながらも、笑顔で手を差し出してきた。


「まあ、仕方ないね。この大学をやり抜くノウハウ、私流でよければ伝授してあげるよ」

「はい! 宜しくお願いします!」


僕はその手を握り返し、相棒と共に今この瞬間を、しっかりと目に焼き付けた。



  *   *   *



「できました! 先輩の活躍を記した、『預言者”富嶽十八刑“の解決録』の第一話! 語り部として僕自身を使いたかったので、僕と先輩が初めて会った際の事件から書いてみました。少し懐かしい気分にもなると思いますし、ちょっと読んでみてください」


 徹夜明けのハイな勢いそのままに、僕は富嶽先輩に迫った。

 突然部屋に侵入してきたうえ、自作の小説を片手に叫びだした男を見て、先輩は引き攣った笑みを浮かべる。だが、追い出そうとしたりはせず、差し出された原稿を受け取ると無言で読み始めた。

 一体どんな感想が飛び出すのか、ワクワクしながらその姿を見つめる。十分程で読み終えた先輩は、原稿をテーブルに置くと大きなため息をついた。


「確かに、かなり懐かしい気分にはなったね。君が構内で大の字になっていたシーンや、眼鏡について泣きながら熱く語っていたシーンをありありと思い出したよ。とはいえ、読者に誤解を与えるようなひどい文章が紛れ込んでいないかい?」

「そうですか? 実際にあったことを素直な気持ちで書いただけなんですけど」


 皮肉るような先輩の問いを、僕は素知らぬ顔で受け流す。すると、先輩は目付きを鋭くしながら、とあるページを開いた。


「まずはここ。私がオカルト研究会の二人を糾弾しに行く場面。推理した内容なんかは忠実に再現されているが、その心理描写がおかしいだろう! これではまるで、私の性格がかなり歪んでいるように思えるじゃないか! 彼らに対してきつく当たりはしたものの、こんな風に見下していたつもりなんて全くないぞ!」

「まあまあ先輩。外から先輩の声を聞いていた僕としては、こんな風に聞こえていたんですよ」


 僕はにやにやと笑みを浮かべ、怒った表情の先輩を堪能する。この挑発で火が点いたのか、先輩はさらに語気を荒げて問題点を指摘した。


「そもそもなぜ私の性別を不明にしてるんだ! これだと私のことを()だと勘違いして読む輩も出てくるじゃないか! と言うか最初の胸がない発言は本当に必要か! 君は私の活躍を記すと言いつつ、実は喧嘩を売っているんじゃないだろうな!」

「そ、そそ、そんなことはありませんよ」


 思った以上に激しく責め立てられ、冷や汗をかきつつ数歩後ろに下がる。そろそろ謝ったほうがいい気もするが、一応用意しておいた反論くらいは言わせてもらおうと口を開いた。


「こ、これも読み物なわけですし、多少は面白い仕掛けを作ったほうがいいかなーと。それに一応ですが、ちゃんと先輩の性別を判断できるような一文も加えてあるんですよ。ほらここ、『あの、もう一度トイレで探してきてもいいでしょうか?』って文章。探しに行きましょうって誘わず、一人で行くって言ってるところから、先輩が男子トイレに入れない女性であることを示して――」

「君は馬鹿か。その文章だけじゃ私に対して単に遠慮しているだけとも受け取れるだろう。私が女であることを示すには根拠が弱すぎる。その程度では、読者は私が『彼』と表記されていることの方をより重視してしまうはずだ」

「で、ですかね……」

「そうだ。だからこの文章は没! 書き直しだ!」


 勢いよく原稿が飛んでくる。

 何とか落とすことなく受け止めたものの、僕のテンションはかなり落ちていた。

 多少自分から煽りに行ったとは言え、返ってきたのは辛口のコメントばかり。僕としては先輩との懐かしい思い出を一緒に振り返りたいという一心だったのだが。どうやら裏目に出てしまったようだ。

 しょんぼりと肩を落とし、部屋から出て行こうと体を反転させる。

 すると、少し言い過ぎたと思ったのか、背後から少し慌てた声が聞こえてきた。


「そ、その、何だ。色々と文句を言いたい点はあったが、昔のことを思い出せて中々楽しくはあったぞ。それに、君の口から『先輩』と呼ばれたのも久しぶりで、何だか初々しい気持ちにもなれたからな」


 部屋から出ようとしていた足を止め、僕は先輩――もとい最愛の妻へと向き直った。

 はにかんだ表情でこちらを見つめる妻の姿は、初めて僕が見た時と変わらぬ美しさと神々しさを身に纏っている。

 いまだに僕の心を魅了した止まない優雅な笑みを浮かべ、彼女は言った。


「これは、私たちの結婚一周年を祝うプレゼントなんだろう。来年以降も、二話・三話を期待させてもらってもいいのかな」

「勿論です! 二話・三話と言わず、百話を超える大作を期待していてください!」


 その言葉に、妻は満面の笑みを浮かべる。僕はその幸せな一瞬を、二代目の相棒と共に、しっかりと目に焼き付けた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんと言っても、富嶽十八刑のキャラクターが大好きです! 最後に明かされるサプライズにびっくり。すっかり騙されていました……! 真面目な桜岡君と優しい富嶽先輩。紛失事件に挑みながら、ふたり…
[一言] 面白かったです! 日常の謎の推理と、叙述的な要素と、ミステリーの魅力が巧くちりばめられた作品でした。 富嶽十八刑先輩のほうが明らかに目立つキャラ、と思いきや、主人公の少年のほうが強烈なキャラ…
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