前編
私は父の顔を知りません。今まで会おうと思ったことは、なきにしもあらずなのですが、結局のところ私は女手一つで育てられました。
母はとても大柄で、ふくよかな方でした。そして感情変化の極端な人でした。
私が笑うと、その三倍くらいの大きな声で笑いました。
私が泣くと、私本人よりもぼろぼろと水たまりができるくらいに涙を流しました。
私が怒ると、母の声も天にも届かんばかりの大音量になり、大きな体を真っ赤にして今にも暴れ出さんと全身をぶるぶる震わせました。
きっと、暴れ出したら手がつけられないと思います。そして私がさびしがると、母も魂が抜けた人形のようになり、うずくまってしまうのです。
私が回復しても、まだ落ち込んでいるときもあります。
その様子を見ていると何となく感じるのです。彼女の周りには誰も触れるべきではない空間が広がっていること。そしてそれに触れてしまったら最後、何が起こってもおかしくないことが。
小さい頃の私にはなぜ母がここまで感情の起伏が激しいのか、その理由がわかりませんでした。ですが大きくなるにつれて色々なことを知り、学び、感じていくうちに一つの仮説が浮かんできたのです。
それは父の不在によるものではないかと。
私は何回か父について尋ねたことがあります。どんな人なのか、なぜ一緒にいてくれないのか、私が会ってはいけないのかと。ですが母はそのたびに憐れむような顔をして「もうどうしようもないこと。忘れなさい」と言うのです。
私は考えました。
母は父を憎んでいるわけではないようです。むしろ愛しているように感じました。
それなのに自分から父について語ることはなく、私が聞けば「忘れなさい」の一点張りです。
このことから父は、私や母の手の届かないような遠いところにいるのだと、悟りました。
そして母は本来父と分かち合うべきだった感情を、子である私を父の代わりとして分かち合っているのではないかと、私は考えたのです。
そう思うと何だか悲しくなりました。この予想が正しければ、母は私を子どもとして愛しているのではなく、自分の感情のはけ口として愛していることになるのですから。
しかもその度合いがあまりに私と釣り合わない。大げさすぎるのです。
たとえ、一緒に笑ったり、泣いたり、怒ったり、さびしがったりしてくれても、それは同情であって同情ではないのです。その上、遠慮なくそれらのことを本人の前でやるのですから、たまったものではありません。
相手が母でなければ真っ先に私は逃げているでしょう。「所詮、君に私のことなどわかるわけがない」とか言いながら。
私はひたすら耐え続けました。
いくつもの昼と夜が過ぎて行きます。私は心身共に、昔よりも大きくなりました。
一方の母は私を見るたびに、さめざめと泣いて時折大きな声を出して暴れるようになったのです。
傍目には狂っているようにしか見えないでしょうが、私にはその気持ちがほんの少しだけわかるような気がしました。
母は今まで自身の感情を溜めこまないように、溜めこまないようにと異様なくらい私の情緒に合わせて発散していたのですが、私はあくまで代用品。父本人ではありません。
そのためどうしても満たされない要素が生まれてしまうのです。
長い月日を経てその歪みは彼女の中に蓄積され、とうとうその許容範囲を超えようとしている。それが今、彼女を暴走させている原因ではないかと私は思ったのです。
この観測はすぐに確信に変わりました。
ある時、私がいつもの寝床に入ろうとした時、ふと天上を見上げたのです。
そこには、視界を埋め尽くさんばかりの、無数の「母」の姿がありました。厳密には母をかたどった、何かです。
眠っている時の私でさえも、常に見守っていたい。いや、それどころか監視していたい。そのすべてを把握しておかなければ、気が済まない。
そのような思いがひしひしと感じられるほどの、すき間のなさでした。
それからというもの、私は四六時中母の動向に気を配らなくてはいけなくなりました。寝床は移動しましたが、いつまた「発作」が来るかわかりません。
私は父ではない、とはっきり告げられたら良いのでしょうが、もし結果が裏目に出た場合、今よりもひどい、取り返しのつかないことに発展する恐れがあります。
どちらが保護者なのかわからなくなりそうな、ちぐはぐで緊張に満ちた時間が流れていきました。
もし私が父に会っていてどのような人物なのかを把握していたならば、私は母の気持ちをくみ取って慰めることができたかも知れません。
しかし、本人に会うどころか、母もまともに話してくれなかった父という人物は、私にとっては抽象的で漠然とした幻のようなものに過ぎないのです。
そしてその幻を追う母の姿も、事情を知るものであれば純粋で一途だと思うかも知れませんが、私には可哀そうな夢追い人にしか見えませんでした。
まるで砂漠の蜃気楼を目指して必死に歩いて行く旅人のように、無意味で、哀れで、しかし懸命で――。
私はまた考えました。どうすれば私は母の感情のはけ口でなくなるのか。それによってせき止められるであろう、母の内にある想いの濁流をどこに流せばよいのか。
私はさんざん悩みました。そしてようやく一つの結論にたどり着いたのです。
母は私ではなく、私の中にある父と感情を共有しようとしている。私には父の面影が少なからずあるのは疑いない。そして父の姿を、私ただ一人の中にしか見いだせないから私に迫ってくるのだ。
だが私の分身がいれば話は違う。私と同じ父の面影を宿した分身がたくさんいれば、私の負担を減らすことができる。それを創ることができるのは私自身しかいない。
二人が壊れないために、分身を創って母にあてがう。そうだ、これしかない。
――私は創作の道を歩むことにしたのです。
始める前は今まで生きてきた時間の中でそれを成し得るだけの力を自分はつけてきたと思っていました。しかし、いざ取りかかってみると、なかなか難しいものです。
私は持てる技量を持って、ときどきつまずきながら、ようやく処女作を完成させました。創り終えた直後は、自分はこんなことができる奴なのか、と少し陶酔すらしてしまったものです。
ですが、熱が冷めてからもう一度作品を見直してみると、逆に自分はとてつもない馬鹿のように思えてきました。
作品のところどころからにじみ出る稚拙さ、下等さ。見れば見るほど不快になってきました。
このようなことに時間と労力を費やしたのかと思うと、その作業をしていた自分を打ちのめしたくなるくらいです。私にとっての、史上最低の汚点と言っても差し支えありません。
こんなものを母に見せられるわけがないのですが、見せなければこれまでの生活を続けることになってしまいます。私は覚悟を決めて母のもとに向かいました。
意外なことに母は非常に喜んでくれました。私としては何が良いのか皆目見当がつかなかったのですが、彼女はこの作品のどこかに父を感じたのでしょう。私の目的は一応果たされたわけです。
手元におくのも汚らわしいので、それはそのまま母に捧げることにしました。