白虎騎士と雇われ料理人
「おいっ店主、金に糸目はつけねぇ、料理人をよこせ」
店先の暖簾を分け、のっそりと室内に入り込んできたのは、大きな白い獣だった。
たよりない暖簾を押し上げるその手は、私の二倍はありそうな大きさ。綺麗な白い毛に覆われてはいるものの、隙間からは鋭い爪が覗いている。開けっ放しの入り口を隠すほどに大きな体を屈ませて、ひょっこりとその下から現れた顔は、丸っこく猫じみた愛嬌があるものの、隈取のような縞があり、氷のような青い瞳が、ぎょろりと周囲に睨みを効かせる。
私たちのような普通の人と同じく二足歩行はしているものの、その姿は獰猛な獣にほかならず、武器など持たずとも、容易く辺りを血の海にしてしまえるのだろう。
彼は、昨今近隣の地に立った砦の騎士、獰猛な獣の性を持つ獣人たちを束ねる隊長、セレスタン様その人だ。
ほんの数年前まで、この辺境の地では物語の中の存在とまで思えていた獣人たちが、突然現れ砦を築き、腰を落ち着けた。しかも、王都では騎士としてよく目にするという犬や狼といった従順な種ではなく、虎やライオンや豹といった肉食獣ばかりおり、残りはネズミに昆虫にカラスに……少々別の意味で近づきたくないものばかりであった。
それを見て、田舎者たちはみな怯え……るどころか、こぞって面白がり見物に押しかけた。田舎者というのは、基本的にのんきで暇なのだ。毎日のように人だかりができ、訓練風景のみならず、休憩中のあくび一つに大喜びする始末。
それを一つ吼えで威嚇し追い払ったのがこの人だ。
以来、子どもを叱り付けるときには「セレスタン様に吼えつかれっぞ」と言い、砦は子どもたちの度胸試しの場と相成ったのだが……はっきり言って、守るために都からやってきた人相手に怖がって逃げ回るほど、ここののんきな田舎者は、警戒心を持ってはいなかった。
どこぞには閉鎖的な地域もあろうが、ことここにおいてはない。そもそもいつのまにか大国に飲み込まれていたものの、元々は複数の国にまたがり宿と食事の提供が主だった田舎町、他人を忌避する気持ちはさらさらなく、肌や髪や目の色なんて違うのがあたりまえのここにおいては、どうやら獣の姿すらどうでもよかったらしい。
「うちは人身売買を行っておりませんし、我が国では食人は禁止されておりますが」
冷静に父が応えたのも当然だ。
そもそもこの辺りの田舎者は、この国の名すら知らぬほどで、その権威になびく者など1人もいない。獣人には会ったことがなくとも怖じもせず、何もないこの辺りでは、国王すらもここに宿を頼む。辺境騎士団の隊長と食堂のオヤジという身分違いもはなはだしい相手ながら、礼をとらぬ相手には頭も下げぬ無法ぶりだ。
父は全く気にもせぬように、いつもながらの愛想笑い一つない顔で一言告げただけで、また料理に戻ってしまっていた。
「……すまん、言い方が悪かった」
セレスタン様は、途端にしゅんっと言う音すら聞こえそうなほど身を縮めて頭を下げる。それだけで、一回りも二回りも小さくなった気がした。
その、目に見えて落ち込む様は、ちょっとばかりかわいらしい。ぽりぽりと頬のあたりを掻く爪が、どれだけ鋭かろうとも、その様子に恐ろしさの欠片もない。
「えっとだなぁ……誰か、うちに雇われてくれるような料理人を知らんだろうか」
改めて言った言葉に、父は鍋を火から下ろして、改めて厨房から出てきた。
私より頭一つ分高くはあるが普通の体形の父は、当然ながら2まわりほど大きいセレスタン様と対峙すれば、大人と子どもかというほどの差がある。だが、自分より小さい父を前に、セレスタン様が必死に縮こまっている姿がおかしくてしょうがない。
「賃金は多めに出せる、待遇も優遇する、もちろん砦の誰にも手出しはさせねぇから、安全も確保する」
「先月赴任してきた料理人はどうした?」
「……王都から呼び寄せたはいいが、うちの連中を怖がって、すぐに逃げちまって……飢えてんだ。あ、飢えてるっつっても、食ったりはしねぇから、人は食えねぇから。この間、部下が『野生の血を呼び戻せ』とか言って、生肉食って寝込んでから、もうだめだと思ったんだ。強面連中ばかりなもんで、誰もいつかねぇでよぉ、料理できるやつもいねぇで……」
「そうですか」
「困ってんだが、どうか、紹介してもらえんか?」
「わ、私がやりましょう!」
早口でまくし立てるその姿を見て、必死のその姿を見て、思わず私は手をあげた。
ずっとそばで掃除をしていたのだが、どうやら今はじめて私の存在に気付いたらしいセレスタン様は、きょとんとした顔で私を見た後、雑巾を持ったままの私の手を取った。
「あ、ありがたい」
父が驚いたような顔をこちらに向けたが、止める様子はない。それに気をよくして真っ直ぐにセレスタン様を見上げ、さらに自分を売り込んでみる。
「私、ここの子で、小さい頃から料理は教え込まれています。豪華な料理や上品な料理は出せませんが、大人数用の大衆向け料理でいいなら任せてください。それに、猫とか大好きなんで、みんなの顔が怖くても大丈夫です!」
「本当か!」
「むしろ、その肉球を触らせてくれるなら、なんだってします!」
「まかせろ!」
思わず言った言葉に、セレスタン様は手のひらを向けて、肉球をさらしてくれる。
その手はまさしく猫のそれそのもので、黒くて大きなまぁるい肉球の上、猫より幾分長くはあるものの、ちょんちょんちょんと四つのまるみ。器用に動く手は、猫のそれとは全く同じではないものの、猫好きにはたまらない魅力的なもの。
厚みたっぷりの肉球を指先でつつけば、普通の猫よりは少々硬いが、つるつるとして温かくてなんとも気持ちいい。指先で押せばぷにんとして、張りよく押し返すその感触がたまらない。
小さな指の肉球をぎゅうとつまめば、鋭い爪が出てくる。だが、傷つける意思のないそれは、鋭くも三日月のように湾曲しておりつややかな輝きを持っていて、思わず見惚れてしまう。
ふわふわの毛もまた手入れが行き届いているのだろう、思うよりも心地よくて、指先でつまんだりしつつ、また肉球を思う存分堪能してしまう。
まかせろというのだから、これは、今後毎日だって触らせてくれるつもりだろう。
こうして思い切り触らせてくれるというのなら、本当になんだってさせてもらう意気込みだ。十人や二十人分の食事、しかも男性、さらには獣人、どれだけ大変だろうと、これのためにやってやれないことはない。
「……好きにしろ」
父の呆れた顔をしたのだろうが、見る間も惜しくセレスタン様の手のひらを弄びつづけてしまった。
そうして満足した頃には、二つの椅子をつかってちょこんと座ったセレスタン様が、片手を私に渡したまま、出来立ての父のスープに舌鼓を打っていた。
「……メスの匂いがする」
背後でこぼされた言葉に振り返れば、そこに呆然としたセレスタン様がいた。
私の名前は、女としてありきたりなアンナで、当然ながら男性の名前としては使われることがない。
赤茶けた髪はいつも後ろでひつめてはいるものの、背中の中ほどまで伸ばしている。香水も化粧も苦手だからしてはいないが、これでも以前は看板娘を気取っていたので、清潔感ある格好を心がけてきた。
出会ったその時は、掃除中とはいえ店にいたのだからスカートにエプロンという姿だったはずだ。料理人として雇われた以上、普段は動きやすいようにと父のズボンとコックコートを着込んでいるが、買出しのときなどはスカートを着ていることだってあった。
毎晩片付けが終わった後で、特別報酬だと肉球を触らせてもらっているのだが、そういうときに「坊主はほんとうに俺の手が好きだなぁ」とか言ってたから、男と勘違いしているなとは思っていたが……まぁ、女ですよなんて改めて言うのも変だと思い、そのまま放っておいたのが悪いのかもしれない。
雇われ始めてからもう一ヶ月近くの月日がたっているというのに、今更ながらにセレスタン様は、私の性別に気がついたらしい。
「……メスって言い方はいやですね。淑女というのは柄ではありませんが、せめて女と言っていただけませんか?」
呆然と立つセレスタン様の手が襟元にのびて、ひょいと爪をそこに引っ掛けた。
風呂上りだったので花柄の寝間着を着ているのだが、その襟ぐりは少し広い。ふくらはぎの中ほどまでの長さのあるそれ一枚しか着ていないものだから、覗き込めば胸の丸みも足も見えている。もちろん、下着はつけているので直接素肌が見えているわけではないが、柔らかな布地は円やかな脂肪の塊りに押し上げられ、その形をあらわにしている。
「……さすがにそれはセクハラです」
「ある……」
「あたりまえです」
その行動にぎょっとはしたものの、セレスタン様だからいいやとしたいままにさせていれば、ボタンをはじいてその手が退き、ずざざーっと壁際まで下がってしまった。
訓練している姿を覗き見たことはあるが、むしろそれ以上のすばやい動きに、思わず目を見張ってしまう。
「今朝まではなかった!」
「コックコートの下に隠れていただけです」
いったい、今まで何を見ていたのだろうか、女だということを隠したことなど一度もないのに、どうやら彼は、全く気付いていなかったらしい。
まぁ、しょうがないのだろう、うちのコックコートは油跳ねや火から身を守るために厚手にできており、寝間着と比べればその防御性能が違いすぎる。その上、鍋やフライパンを振り回すのに邪魔だから、胸はさらしでつぶしていた。寝るときにそんなものをつけていれば寝にくいので、下着しかつけていなければ、その形は寝間着の外からも知れたもの。
この姿をセレスタン様が今まで目にしなかったのは、風呂場と私の部屋が近かったせいと、仕込みを終えて遅い時間に入っていたせいと……理解していた砦のほかの騎士たちが、その時間に風呂場近辺を避けてくれていたせいだろう。
いつものようにのんびりとお風呂を楽しみ、おろしたての寝間着に身を包み、まだ濡れたままの髪を乾かしながら部屋に戻っている最中だったのだ。
そういえば、おろしたての寝間着のボタンだというのに、どこに飛んでいったやら……きょろきょろと辺りを見回してみれば、セレスタン様は壁にはりつきながらもさらにと後退しようとして、爪先立ちになっていた。
「今朝までは男だった!」
「そんなわけあるかーい!」
「いや、匂いが、匂いが違うんだ、なんだこの匂い……食えってのか?」
匂い匂いと言われて、思わず袖口を鼻に持っていってしまったが、別段何か特別な匂いがしているようには感じられない。
強いて言うのなら、おろしたてのせいで、まだ少しごわついているかもしれない。水通ししてから着ればよかったかなんて余計なことを考えかけたが、とりあえず、見つけたボタンをポケットに押し込んでおいた。
「いや、なに混乱してるん……ああ、そうか、匂いですか……そういえば、基本的に私が着ていたのは父の服ですね。この寝間着は初給金で買ってきたばかりなので、父の匂いはしないでしょうね」
店で着ていた服はともかく、普段着からなにから、おてんばな私は父のお下がりをもらっていた。母の服は、どうにもひらひらとしていて着心地が悪く、オシャレをする気があるとき以外は着る気になれないのだ。
当然ながら昨日まで着ていた寝間着も父のお古で、母の、どこにお出かけですかと言いたくなるような代物は遠慮していた。
それで父の匂い、つまり男……セレスタン様の言うようにオスの匂いに、私の匂いはまぎれて消えていたというのだろうか。
「スパイスの匂いもオスの匂いもねぇ、生粋の……ダメだ、その匂いダメだ、あっちいけ」
そういえば、スパイスは獣人にとってあまりよくないと思い、控えめにはしていたのだが……それでも、たまに私の側を通ってくしゃみを連発していたセレスタン様にとって、私の本来の匂いを打ち消すには充分だったようだ。
いい加減、壁にへばりついているセレスタン様の失礼さに呆れてしまうが、普段の豪胆さが欠片も見られぬそのなんとも情けない姿に、つい、初めて出会ったときのことなど思い出してしまう。
そういえば、あの時も、父にすげなくされてしゅんっとした顔のかわいらしかったこと。虎面の表情などわかりにくいものかと思っていたのに、ここまでありありと心情を表すものなのかと、ついつい楽しくなってしまう。
もう少しつついてみたら、もっと慌ててしまうのだろうか、そうしたら、どんな表情を見せてくれるのか……ついとイタズラ心が湧き出して、わざとらしく怒った顔などつくって近づく。
「なんか、失礼ですねぇ」
ずいっと近づけば、さらに壁と一体化せんとばかり、バリバギと爪を立てて床から壁に乗りあがる。そこには足場など欠片もないはずなのに、両手の爪でしっかり体を支え、足がかりかりと壁を必死に蹴っている。ぶわっとばかりに毛羽立っていれば、その体は随分大きく見えるものの、むしろほわほわしていそうで、その毛に手を突っ込みたくなってしまう。
「違う、違う、その匂いじゃ……食っちまいそうだ!」
「性欲なんだか食欲なんだかわからないんですが……」
「エロイ方だ、あっち行っとけ、近づくな」
「近づいたら、襲う気ですか?」
「そういうわけにはいかんだろうが!」
ガオウと腹の底にまで響くような咆哮を上げて威嚇されたが、その格好ではまったく様にならない。
一歩足を踏み込んだら、ずささささーっと壁にへばりついたままに横移動し、かなりの距離を開けられてしまった。壁には、セレスタン様の爪の後がありありと残ってしまっている。
……これは楽しまずにどうしろというのだろうか。楽しくてしょうがなくなって、思わず緩みがちになる口元を隠し、とりあえず二歩ほど距離を縮めた。
「お前はこれ以上にないぐらい気に入っている、料理人としての腕もいい、それを失うわけにはいかないんだ」
「……襲ったら、失うんですか?」
一歩距離を詰める度に、余裕がなくなってゆくどころかがりがりがりと壁を掻き毟るセレスタン様。素直に廊下を駆け抜ければ、そのまま自室にでも逃げ込んでしまえば、それ以上は追えないだろうに、そんな頭も働かないほど、混乱しきってしまっているらしい。
「そりゃそうだ、嫌だろ、そんなごぅ……いや、そもそも、若い女の子がっ、こんな男ばっかのとこにいちゃぁ、ダメだろ!」
「料理人がいないのは困るのでは?」
「困る、すっげぇ困るが、お前じゃ料理の手間もなく食われちまう」
「守ってくれるのではなかったのですか?」
「お、俺が、今、一番危険だーっ!」
どうやら守ると言ったセレスタン様こそが、今、一番の危険分子らしい。たしかに、今一番近いものの、壁にへばりついて逃げ腰のこの状況で、なにが危険なのかと問いたくなってしまう。
というか、つまるところ、一番私をどうにかしたいのは、彼こそだと言うのなら……ちょっと、嬉しくもなってしまう。
「……お召し上がりになります?」
弾けたボタンの、もう一つ下のボタンに手をかけて、外しはしないがもてあそぶ。しっかり縫い付けられている、木を削りだして作られたかわいらしい小さなボタンは、私の指先でくるくると回りボタン穴に引っかかる。
セレスタン様がつばを呑んだのだろう、ごくんと、大きな音がした。
妙な緊張の漂う中、ずっとそらされていた視線がこちらを向き、私を見て目を見張る。じっとこちらを見つめる視線、一瞬、獲物を補えたかのように輝いたような気すらした。瞳孔が細くなり、鋭く私を睨みつけてくるその眼差しの熱さに、思わず胸が高鳴りゆく。
「……っ……。えっ……ぁ……ダメだろ!」
ものっすごい間が空いてから、否定の言葉が飛び出した。
それと同時に、情熱的に見つめてきた目もまた反らされて、あらぬ方へ向いてしまう。さっきの一瞬はちょっとばかり怖かったものの、そうなるとまた肩透かしというか悪戯心が募ると言うか……。
「なぜ?」
問いに、改めてセレスタン様の足がじたばたと動き、もう少し壁にめり込もうとばかりに悪あがきし始める。
「なぜって、ダメだろうが! 壊しちまう」
「……どうて……」
「違う!」
「大丈夫です、私は経験ありますから」
「嘘つけ、その匂いは男を知らんだろうが」
「そんなものも匂いでわかるんですか……」
それならば、この恋心もきちっと分かってくれたらいいのにと思うのだが、どうやらそれは、匂いでは分からぬらしい。まぁ、それが分かるのなら、毎晩のふれ合いで、もう少しは分かっていてくれただろう。
同族だったらば、私も虎の獣人だったらば、もしかしたらすぐに彼に擦り寄れていたのかもしれないが、ただの人間である私には望むべくもない。
「処女は残酷だ……」
ぼそっと言う彼に、かすかな苛立ちを覚えてずかずか近づいて行くと、セレスタン様は銅像のようにピキーンと固まってしまった。ヒゲはもとより、尻尾や耳まで毛羽立ち立って、ぴくりとも動かない。
その肩にそっと手を置こうとも、今度は硬直してしまったのか逃げることも叶わぬよう。そっと、その身に体を寄せれば、薄手のシャツの内に大量の毛がほわほわとしていて、熱気すら感じられそう。そっと頬を摺り寄せ、わざとらしく上目遣いに見つめてみた。
「ダメだ、ダメだ、理性が焼ききれそうなんだから」
「……じゃぁ……もう、二度と会えないほうがいいですか?」
言った途端、視界がぐるりと回転した。頭と背中に腕が回されていたせいで、恐怖心は感じなかったものの……いきなり廊下で押し倒されたのだと気付いたのは、上から覗き込むセレスタン様が、びゅんっと見事な後ろ飛びで飛び退いた後だった。
ドッドッドッと、いきなりのことに早鐘を打つ心音に、自分の不覚悟具合を思い知るも、とりあえず横たえたままの身を起こせば、少し先に飛び退いたセレスタン様が、大きな体を縮めるように土下座していた。
「……いや、その……」
「すまん!」
今のは私が悪いと分かっている……なのにその態度はどうしたものか。謝られるだけでも問題なのに、ここまで大げさに謝られては困ってしまう。
なにより、それほど嫌とも思っていないのが一番の問題かもしれない。
もちろん、はじめてが廊下でなんていうのは嫌だが、煽ったのは私だし、相手がセレスタン様ならば、しょうがないとあきらめだってつくだろう。だというのに、ここまで平伏されてしまうと困ってしまう。
すぐ側にしゃがみこめば、びくっと体が揺れるものの、起き上がる気もないらしい。
「私のこと、好きですか?」
「すまん! た、多分、そうだ」
告白強要したつもりが、謝罪とともにあっさり返事がもらえてしまえば、心が浮き立たぬわけもない。先ほどまで男と思っていたくせ、女としてどう思うかは、彼の態度が一番如実に語っていることだろう。
もとより、いつでも気にかけてくれていたのは知っているし、毎晩肉球いじりもさせてくれていたし、嫌われているとは思っていなかったが……そうだとはっきり言ってもらえれば、やっぱり嬉しいもの。
「私も好きです」
「嘘だーっ!」
しまった、なんだかおもしろい! そう思ってつんっと頭をつついたら、ずささーっと土下座したまま後退していった。
「た~いちょ、なにやってんですか」
追いかけようかと一歩足を踏み出したところで、通路の向こうからライオンの獣人でこの砦の副隊長でもあるライ様が現れた。
まぁ、あれだけ騒いで、壁がこそげるぐらいに大暴れして、さらには咆哮まであげていたのだから、今まで誰も駆けつけない方がおかしかったか。むしろ、今まで黙って見ていてくれた……というか、覗かれていた可能性さえあれば、さすがにさきほどコトがなくてよかったと安堵してしまう。
「こいつ、女だった」
「そりゃそうでしょう」
「知ってたのか!」
「まぁ……おそらくお気づきでなかったのは、隊長だけじゃないですか?」
「う、嘘だ……」
こちらの気持ちなど知らず、セレスタン様はライ様に当たり前のことを訴え、そして、あきれ顔を向けられている。
当然だ、本当にこの砦の人たちは紳士的で、料理人である私が女性であるとはじめから知りつつ、丁寧に扱ってくれている。だからこそ、お風呂だって安心して入れるし、今まで危機など感じたことがなかった。
というよりも、毎晩あれだけいちゃこら……は、私の偏見ではあるが、肉球弄りのスキンシップを楽しんでいたものだから、実はセレスタン様の恋人と思われていたりもしたのだが……知らぬは本人ばかりなりということか。
「隊長はトラですからね、トラは繁殖期以外は単独で生活するんで、他人に疎いんです。うちなんか実家はハーレムですから……女の怖さはいっぱい知っていますからねぇ」
「あ、同じ猫科でも、そういう違いあるんですか」
「当然でしょ、普通の人間だって、いろいろあるでしょ?」
言い切られてしまうと、なんだか獣人と普通の人との差を気にする自分が馬鹿らしくもなってくる。普通の人だって、裕福な生まれや貧乏人、こんな辺鄙な村と都会暮らし、他国も含めれば風習からなにからいろいろ違いはあるだろう。それと同じようなものと言われてしまえばそうなのかもしれない。
「……同じ……ですかねぇ?」
「同じです」
同じだというのなら、その特性の違いはあれど、きっともっとわかりあえるはず。ならば、もう少しセレスタン様の混乱が収まったら、改めて告白してみようか。
今度こそ、ちゃんと、女として見てもらって……好きですと。