後篇
――あれは、十数年前のことだった。
私は、ここより北のとある国境沿いの街で画家をやっていた。
絵の腕前?そんなもの、凡庸という一言に限るよ。もし私に天才的な腕が有ったならば、そもそも今こんなところにはいないだろうね。
生活は当然苦しかったよ。道の端っこで広げられていた私の絵を、本当に気に入ったのかそれとも哀れみか、買ってくれる人は時折いたが、その程度の収入でまともに暮らしていけるわけがない。
それでも、私は絵を描くことに喜びを感じていたし……なにより、愛すべき妻と娘がいた。
彼女らは、たとえ貧しい生活を強いられようともそれに不平不満を言うこともなく、ただ私のことを応援してくれた。
それだけで、私は幸せだったよ。
このまま幸せな家族のもとで、売れない絵描きを続けて、そして年老いて行くのだと、そう信じていた。
だが、ある日。そんな私に転機が訪れたのだ。
その日、いつもどおり道の片隅に作品を広げてたら、シルクハットの男が訪れ、こう言った。
――素晴らしい!君の絵には、奥底に秘めた才能を感じるよ!だが、それだけにその絵が裸のままになっているのはもったいない――
――それではまるで、宝石が原石のまま埋もれているようなものだ。君の絵は然るべき額縁に入れられてこそ輝く!――
――私に君の絵の額縁を作らせてほしい――
その男は、国境を超えた隣町で工芸品の製作所を経営してる者だった。
彼は私の絵を一つ買い、そして自身が経営するという製作所の場所を教えて去っていった。
とても嬉しかったよ。ようやく、ようやく私の努力が認められたのだと、そう思ったんだ。
それからは、まるで今までが嘘だったかのように変わった。
彼の製作所で作られた、重厚さのある額縁で飾られた私の絵は、それまでとうって変わって飛ぶように売れた。
契約したときの約束から、私が直接国境を超えて彼のもとへ額縁を受け取りに行かねばならないという手間はあったものの、今まで全く売れなかったということを考えれば、そんなもの苦労のうちにも入らなかったよ。
ディナーも豪華になったし、家の雨漏りも直せたし、最愛の娘に可愛い服やぬいぐるみを買ってやれた。
全てが上手くいったんだと、これからは苦しい生活をしなくていいのだと、そう思ったのた。
……だが、その夢は長くは続かなかった。
彼の額縁をつけ始めてから数ヶ月たったときだったかな。
その日やってきたのは、客でもなくシルクハットの男でもなく……警察だった。
彼らは、来たわけも説明することなく抵抗する私を拘束し、その目の前で額縁を、絵ごと壊し始めた。
壊れた額縁を見た私は絶句したよ。
そこから出てきたのは、額縁の破片、そして白い粉、粉、粉。
そう、麻薬だよ。厚みのある額縁は、国境を超え麻薬を流すための隠れ蓑であり、絵を買っていった客は麻薬の売人だった。
私は、知らずのうちに麻薬密売の片棒を担がされていたのだ!
悟った私は、すぐに私を取り押さえる警察に事情を叫んだよ。私は額縁を買ってただけだ、麻薬のことなど知らなかったと。
だが、無能な警察共はそれを聞き入れてはくれなかった。
ろくな操作をすることもなく事実は都合のいいように歪められていき、気がつけば私は麻薬の売人として有罪判決を受けていたよ。
もちろん、警察にシルクハットの男の製作所のことも話した。……だが、警察が立ち入ったときには既に遅く、彼らが逃げ出した後だった。
更に悪いことに、唯一の希望であった妻と娘も私を信じてくれず国外へ去っていった。
私は全てを失った。
監獄の中で私は、怒りに打ち震えたよ。
犯罪の片棒を担がされたということに。最愛の家族と引き離されたということに。
……私の絵が、そんなもののために汚されたということに!
ああ、そうなのだ!それが最も許せなかった!犯罪など、家族など、どうでもいい!私の絵が、誇りが、そんな低俗なもののためだけに汚されてしまった!
私はそれが許せなかった!
……そして、それから私の心を埋め尽くしたのは、ただ一つ、彼らへの復讐だった。
ずさんな警備をかいくぐり脱獄を果たした私は、思いつく全ての手段を使ってシルクハットの男の一味の行方を調べたよ。
情報を得るためには、どんな黒いことだってやった。詐欺も、麻薬密売も、殺人も。
どうやら、私には絵の才能はなくともそっち方面の才能はあったようで、不思議と捕まることはなかった。
そして、私はシルクハットの男の一味が7人であることと、この国へ逃げてきたことを突き止めた。
……そう、君の父、ルイス・エバンズはその中の一人だったよ。最も、あの国では別の名を名乗っていたようだがね。
私は歓喜したよ。せめてシルクハットの男だけでもと思っていたが、まさか全員の居場所がわかったのだ!これで私の復讐は完遂される!
けれど、私は油断しなかった。狙われていることを彼らに悟られないようにすることも勿論だが、それを警察に知られる訳にはいかない。
もし、被害者から警察共が共通点を割り出し、仮に奴らの素性に迫ったとしたら!そんなことはあってはいけない!奴らは法でもなく、警察でもなく、私の手で裁くのだ!
だから私は、ターゲットだけではなくダミーも作った。結果として私の殺害人数が17にも昇ったのはそのためだよ。
おかげで警察共は犯人の共通点に気付くこともなく、私はただの無差別通り魔ということになったよ。
そして、通り魔の仮面をかぶった私は、次々と復讐をしていき……17人目、最後の復讐を果たした末、捕まったのだ。
◇◆◇
「……どうだね、これが真実だよ」
「そんな……父が……」
アレクはうつむき、その目には涙が溢れていた。
父親が犯罪者であったという事実は、幼い少年の心には重すぎるものだった。
「さて、私は真実を話したわけだが、残念なことにそれを真だと証明する術は持ってないのでね。これをただの法螺話だと思ってもかまわないがね?」
「……いえ……あなたの話を、信じます」
アレクは、気丈にも真実を受け入れる決意をした。
思えば、不可解な点はいくつかあったのだ。なぜ遠く国境を超えてこの国まで来たのか、なぜろくに仕事をしてる様子のない父があれほどの大金を持っていたのか。
それらを考えれば、目の前の囚人が話したことは真実だと、受け入れざるをえない。
「……そうか。君はとても聡い子だね。ガラス越しでなければ頭を撫でてあげたかったよ」
囚人は、アレクに優しげに微笑む、だが、壁に備え付けられた時計を見やると悲しげな顔で告げた。
「さて、もう少し話していたかったがどうやらちょうど面会時間も終わりのようだね」
そう言い、囚人は一瞬うつむくと、再び偽りの狂気をその限界まで開かれた目に宿した。
椅子から立ち上がり、少年へと別れを告げる。
「それでは、さようならだね。願わくば、君がこの先復讐に怯えることも、狂気に身をやつすこともない人生を送るよう」
言い終わるより早いか遅いか、扉を開けた警官服の男が刻限を告げ、囚人と共にその奥へと消えていく。
それを見送った少年も、立ち上がり出口へと向かう。
強く握りしめられ血で真っ赤に染まった手が、ドアノブへとかけられた。
次章の投稿は未定。
感想お待ちしてます




