8 チュートリアル戦
テーブルマウンテンの過酷な環境にも、一か月も暮らせば必然慣れが生じた。
住めば都……とまでは、さすがに言わないが。少なくとも俺が今日まで生きていられることがなによりの証拠だ。
ゴーレムがそこら一帯に生えた草の中から食用にできるものを選別してくれたおかげで、味はともかく食物には困らない。
また草や種ばかりでは栄養面に問題があるだろうということで、時おりその辺を這っている虫だのカエルだのトカゲだのも……この話はやめよう。
定期的に廃墟を吹き抜ける強風に関しては、最近はなんとなく感覚で風の前兆が分かるようになってきたため、風の直前にパゼロへ避難することでやり過ごすことに成功している。
寝泊まりだってパゼロの中で行う。シートを倒せばこれが案外寝心地がいい。
前世でも畑仕事でへとへとに疲れて帰ってくれば畳の上でも寝ていたので、俺にしちゃあ上等な寝床だ。
一つだけ贅沢を言わせてもらえるとするなら――これは完全に俺のミスだ。
大事にとっておいたタバコとマッチが湿気にやられてしまい、火をつけることすらできなくなってしまったのだ。
これに気付いた時、俺は今までにないほど落胆した。
……どうせ今回の人生ももうすぐ終わるというのだから、タバコくらい自由に吸わせてほしいものである。
というのも、ゴーレムに限界が近づいてきたためだ。
ゴーレムの錆落としはあれから一日も欠かさずに続いたが、しかしゴーレムの調子は悪くなる一方だった。
こちらの呼びかけに対して時おり反応が鈍くなるのは前からだったが、最近では会話の途中に一切の無反応になることがある。
何度も呼びかけると、それに気づいたゴーレムが「すまん、寝ておった」などと冗談めかして言う。
俺は「年寄り」とからかって、ゴーレムをこづく。
ゴーレムは覚えていないのだろうが、会話の中で「ゴーレムに睡眠は必要ない」とゴーレム自身が言っていたことを、俺は覚えている。
もう、ゴーレムは限界なのだ。
たかが一か月程度の付き合いとはいえ、俺はゴーレムに対して愛着が沸いていた。
というのも、俺はこの廃墟においてゴーレムとの会話以外に娯楽がなかったためである。
ゴーレムはこの一か月の間に、自らの半生を語った。
いかに自分が頼られていたか、この場所が廃墟になる前いかに人で賑わっていたか。
それとゴーレムはこの地から一歩も外に出たことがないので、知識は豊富だが、外の事情には疎いのだという。
俺もまた自らの半生を語った。
両親が死んで祖父母に引き取られたこと、亡くなった祖母に代わって俺が祖父の面倒を見ていたこと、そのように暮らしていたら祖父をかばって死んでしまい、このような世界に転生させられてしまったこと。
ゴーレムはこれを時に笑い、時に涙しながら聞いてくれた。
そんなゴーレムを見て、話に聞いていたよりもずいぶんと情緒豊かなゴーレムだと、俺は苦笑した。
ゴーレムの錆落としは、時間がかかったが確実に成果を上げていた。
今では錆に覆われた背中の一部分から僅かに金属質のボディが見えるほどである。
ゴーレムは泥人形というよりは機械仕掛けのロボットといった感じで、もう少し磨けば腰の部分の関節が動かせるようになるであろう。
せめて最期の時は綺麗な体で迎えさせてやりたかったが、この分では間に合わなそうだ。
「なあ、キョースケよ」
いつも通り背中の錆を落としていると、ゴーレムが語りかけてきた。
「なんだ」
俺はたわしで背中をこする手を休めずに応える。
「おぬしには、後悔とかそういうものはないのか」
「後悔ね、しいて言うならじいちゃんを現世に一人で残してきたことかな」
今頃のたれ死んだりしてないだろうな……じいちゃん、俺がいなきゃ飯もロクに用意できないし。
「いや違う、そういうことではなくておぬし自身の後悔じゃ」
少し考えてから、俺は答える。
「特にないかな」
「本当か」
ゴーレムが再三問うので、俺は困惑してしまった。
「考えてもみろ、聞く限りぬしは前世で人のためによく尽くした。自らの若い時間を犠牲にしてまで祖父を助け、勤勉に生きた。その結果が頭のいかれた男に逆恨みで殺されて終わりなんじゃぞ?」
「まあ、そうなるな」
「本当に後悔はないのか」
「ないね」
俺はきっぱりと言い切った。
ゴーレムは、何かを言いかけて口をつぐんでしまう。
「俺は別に、何も褒められたことをしたつもりはないさ。確かに俺を殺した野郎のことはむかつくが、とはいえ俺に未練なんかないんだ。俺の人生、夢も恨みも彼女もなかったからな」
「……そうか、ならよい。せめて拾った第二の生は平穏に過ごすといいのじゃ」
「ああ、老い先短い年寄りの背中をこすりながら、ゆっくり死ぬとするさ」
「うぐ……」
ゴーレムはバツが悪そうに押し黙ってしまった。
なんだろう、こうしていると本当に祖父の世話をしている気分になってくるのだから不思議だ。
言われてみれば異世界へやってきても俺のやってることは現世と変わらないな、なんて考えて人知れず苦笑してみる。
「おいゴーレム、そろそろ錆がいい感じに取れたと思うんだが、少し背中を曲げてみてくれるか?」
「こうか?」
ゴーレムの身体がぎちぎちと耳障りな音を立てて動き出した。
その音とともに体中から細かい錆やらなんやらがぽろぽろと落ちてくるが、ゴーレムは確かに背中を曲げることが叶ったのである。
「お、おお!? 動く!」
ゴーレムは背中を丸めたり、逆に反らしたりとぎこちないながらも身体を動かした。はしゃいでいるのが目に見えて分かる。
「どんな塩梅だゴーレム?」
「うむ! 気持ちがいい! ここ数百年ずっと同じ体勢だったからのう、身体が凝って凝って仕方なかったのじゃ! ゴーレムじゃから身体は凝らないけども!」
いつもの自虐にも隠しきれない喜びが見え隠れしている。
ああ、よかったよかった。老い先短いゴーレムとはいえ、やってよかった。これで俺も未練なくこいつと一緒に死ねるってもんだ。
「見てみろキョースケ! こんなにも身体が曲がるぞ!」
ゴーレムは歓喜のあまりに身体を前方に倒して、ちょうどストレッチのように身体を伸ばしていた。
あまりにも大きく曲げるものだから、腰の関節から身体の内側の様子が丸見えじゃないか。
「おいおい、年寄りなんだからあんまり無理すんなよ、それで腰やったら笑い話にもならねえ……って、ん?」
言いかけて、俺の視界へなにやら不可解なものが飛び込んできた。
腰関節から覗くゴーレムの内部で、何か小さな物のうごめいているのが見えたのだ。
「……おい、ゴーレムそのままにしてろよ」
「ん、なんじゃ?」
疑問符を浮かべるゴーレムのことはこの際無視して、俺は関節の隙間からゴーレムの内部を覗き込む。
中には、ちょうどバスケットボールが二つ入るくらいの空洞があった。本来ならば暗がりでよく見えないのだろうが、そこには光源があったのだ。
それはちょうど宝石のラピスラズリにも似た宙に浮かぶ光球。少しくすんでいるが、なにやら光とともに不思議な力を発散させているのが遠目にも分かる。
そしてその光球から溢れる光を、くちゃくちゃと咀嚼するやつがいた。
パラソルの下、木製デッキチェアに寝そべって生意気にもサングラスなどをかけている小さな、本当に小さなネズミ。
いや、ネズミによく似た何かが、そこにいた。
「……なあゴーレム、お前実は中で誰かが操縦してる、なんてことない?」
「はあ? そんなわけなかろう、ワシはゴーレムじゃぞ」
「だよな」
日光浴(?)中のネズミが、こちらの会話を耳障りに感じたのか、サングラスを外すと不機嫌そうなしかめ面でこちらを見上げ――そして「しまった」というような表情になった。
ネズミはそのままの状態で固まり、やがてごまかすように笑う。俺も愛想笑いを返す。
しばしの沈黙。さあ、判定やいかに。
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ピクシーマウスが あらわれた!
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「モンスターだあああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
俺はおそらく人生で一度もあげたことのないような大声を張り上げた。
ゴーレムの身体がびくんと跳ね上がり、体内でバカンス気分だったネズミ、もといピクシーマウスはゴーレムの身体から飛び出して脱兎のように逃げ出した。
「な、なんじゃなんじゃなんじゃなんじゃ!?!?」
ゴーレムは相変わらず上半身を地べたに密着させたまま、何が起こっているのかも把握できず慌てふためいていた。
そうこうしている間にも、ピクシーマウスはぐんぐんとこちらとの距離を離していく。
「お、おい! ゴーレム! お前の身体の中から、なんかピクシーマウスとかいうわけのわからんやつが飛び出してきたぞ!」
「なんじゃと!? きょ、キョースケ! そいつを捕まえてくれ!」
「言われなくても!」
本物のネズミとは似ても似つかず、二足歩行の全力ダッシュで逃げ去るピクシーマウス。
俺は渾身のスタートダッシュを切って、その追跡を開始した。
ネズミというだけあってさすがにすばしっこいが、しかし馬鹿め! 二足歩行のせいで追いつけないほどじゃない! 人間なめんな!
――などと思っていた時のことであった。
ピクシーマウスは突如としてこちらへ振り返って、その小さな手のひらをこちらにかざしてきたのだ。
やつの手がぼうっと淡く光り、次の瞬間、拳大の石つぶてが飛んでくる。
「!?」
ピクシーマウスに追いつこうと全力疾走していた俺にこれがかわせるはずもなく、顔面にもろ石つぶての直撃をもらってしまう。
眉間から鼻先にかけてを鈍い痛みが走り、俺は盛大にのけぞってしりもちをついてしまった。
「うぐっ!」
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クワガワキョウスケに 4の ダメージ!
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HPの減少を知らせるメッセージウインドウが頭の中に浮かんでくる。
忘れていたが、俺はこの世界に来てから一度も戦闘を行っていない。すなわちレベルや、それに伴うステータスの変動は全くないということだ。
確か俺の最大HPは15だったはず、となるとあと3発同じ攻撃を食らえば俺はアウトってことか!?
いやいやそれ以前に今の俺はレベル1の農民だ。
ピクシーマウスがどれほど強いのか分からないが、少なくとも俺よりレベルが下ということはありえない。
そんな心境を察したのか、見るとピクシーマウスは立ち止まって舌を出し、こちらを嘲笑していた。
――クソ! ネズミ風情が! こちとら元農家だ! すぐに駆除してやる!
こうして俺の異世界生活初めてのモンスター戦が始まった。