6 最初で最期の友人
ゴーレム。
某伝説的RPGにも登場し、最早ファンタジー世界にはつきもののモンスターだ。
一般的なイメージでいうと、粘土や泥、もしくは石や金属などから人工的に作られた人形の事である。
たいへんな巨体で力が強い。
知能や感情を持たず、単純な命令にしか従うことができない。
町や宝などを守っている。
これがおおかたの認識だろう。
そして全身を錆で覆った彼は、自らを“ユートピア・ゴーレム”と、そう名乗った。
「さっきから見ておればなんじゃぬしは、一人ではしゃぎおって」
岩、もとい錆の塊、もといユートピア・ゴーレムは呆れたように言った。
かーっと顔面が熱くなる。
この廃墟にはもはや自分以外誰もいないものだと思い込んで寂しさを紛らわすためにやっていた俺の奇行や多すぎる独り言が全てバレている……!
「お、お前! 見てたんならもうちょっと早く声かけてくれよ! こっちは死ぬ思いだったんだぞ!」
「どーせ“風”にすっ飛ばされて終わりじゃと思っとったから、知らんふりをしていたのじゃ~」
「見殺しにするつもりだったのかよ!」
これ、本格的にパゼロがなかったら俺死んでたんじゃねえか!
「見殺しもなにも今のワシは見てのとおり手も足も出んのじゃ。それに今まで何人もの転生者たちがアホ面でこの楽園へ飛ばされてきたが、あの“風”を耐えた輩は初めてじゃからのう」
「いや、そりゃそんな錆だらけの身体じゃ無理だろうけどよ、せめて……って、ちょっと待て、お前今、転生者が飛ばされてきたって言ったか? 何人も?」
「ああ、ぬしで13人目じゃ」
「そ、そんなにいたのかよ!」
そういえば女神も俺が“777人目の転生者”とか言ってたな。
勝手に1異世界につき1転生者と思い込んでいたのだが、そういえば女神はそれぞれが別の異世界に飛ばされるなんて一言も言ってない。
777人というバカげた転生者の数を考えれば、それも納得だ。
にしても俺を含め、ここに飛ばされた13人は不幸だな……
「風に耐えられなかったやつは、やっぱり」
「ああ、みーんな来て早々風に吹っ飛ばされて雲海へ真っ逆さま、すぐに“スカイフィッシュ”のおやつじゃ」
「……スカイフィッシュ? 空に魚がいるのか?」
「ああおるぞ、とびっきりの大物がのう」
ゴーレムが意味深に答えた時だ。
盛大な“雲しぶき”をあげて、遠くの雲海から巨大ななにかが跳ね上がった。
全長10m、20m……? いや、そんなものじゃ全然きかない。
少なく見積もっても頭から尾まで100m以上、もはやスケールが違いすぎて俺の感覚では測りようがない。
ぬらぬら光る蒼い鱗、巨大な、とてつもなく巨大な水かきにも似た翼、そして鰐のように強靭な顎と鋭い眼差し。
「おう、これまた立派なスカイフィッシュじゃあ」
「フィッシュ!?」
どう見てもドラゴンじゃねえか!
「スカイフィッシュは基本的に雲の下の生き物しか食わん、雲の上に生物はいないからのう。じゃが食い物の方から降ってくるなら話は別じゃ、今度からは下を覗く時も気を付けたほうがよいぞ」
全身から、さーっと血の気が引いた。
ということは俺もあのドキドキ☆女神ルーレットで、パゼロでなく中途半端なチートを引き当ててしまっていたら、今までの転生者と同じくスカイフィッシュのおやつだったのだ。
いやそもそもスカイフィッシュがなんとかなったとしても、そのまま上空数千メートルから放り出されれば、たとえどんなチート能力だって生き残れはしないだろう。
運がいいんだか悪いんだか分からないが、とにかくパゼロ、ありがとう。
「まさかあの“風”を耐えきる輩がいるとは思わんかったからのう、はぁ大したものじゃと感心していたら、今度は毒で死にかけておる。そこで見るに見かねてようやく声をかけたというわけじゃ」
「ぐ……」
一番恥ずかしくて情けないところで声をかけたというわけか。
もちろん顔から火が出るほど恥ずかしいが、命を救われた手前文句を言うわけにもいかない。
「というかお前、普通に喋ってるけど何者だよ」
話題逸らしの意味も兼ねて、俺は目の前のソレに至極当然の疑問を投げかけた。
彼は巨体を震わせて、それに答える。
「じゃから、ユートピア・ゴーレムじゃ、この理想郷の管理人でもある」
「その理想郷っていうのがすでに分からん」
俺から言わせてもらえば、ここは最も天国に近い地獄だ。
食料もなく、定期的に強烈な風の吹きすさぶ厳しい環境で、しかも逃げ出すことすらできないときてる。
精神と時の部屋だって、もう少しチョロイだろ。
「今でこそ人っこ一人おらぬが、昔は確かに理想郷だったのじゃ、人も大勢暮らしておった」
「どうやってこんな場所に人が暮らしてけるっていうんだ、食料もないんだぞ」
「転移魔法を使える魔術師もおったからのう、地上との出入りは自由自在じゃ」
いつかは来ると思っていたが、とうとう出やがったな魔法という単語が。
くそ、まったく便利そうでうらやましい限りだ。
「その転移魔法、とやらがあったとしても、どうしてわざわざ人はこんな面倒な場所を選んで暮らしていたんだ」
「ぬしはもう身をもって体験済みじゃろうが、ここに生息する動植物はこの過酷な環境下で独自の進化を遂げたものばかりじゃ、漢方に使えるものも多いと聞く。魔術師たちはこれに目を付けた」
「その草だのカエルだのトカゲだのを研究をするために町を作ったと?」
「そう、そして同時に魔術師たちは当時最新鋭の魔法技術を駆使して全く新しい一体のゴーレムを作った。与えた役割は理想郷の保護と人が快適に暮らせる環境づくり、それがワシじゃな」
「でも今のありさまを見る限り失敗したのか?」
これはもしや不用意な発言であったかもしれない。
あれほど矢継ぎ早に喋っていたゴーレムが、この一言でぴたりと押し黙ってしまったのだ。
しばし沈黙が訪れる。
「……遠い昔の話じゃ」
ややあって、ゴーレムはゆっくりと語りだした。
「ある日突然、ワシの身体が動作不良を起こし始めた。初めは小さなものだったが、気が付けばワシは人の暮らせる環境を維持することすら難しくなっていた」
「魔術師たちは慌ててワシの身体を調べたが結局原因は分からず、早々に荷物をまとめて地上へ逃げ帰ってしまったよ、ワシを一人残して……」
「今では自己修復機能さえ上手く機能せん、気付けば錆の塊よ。まぁゴーレムの本来の用途なぞ、こんなもんじゃ。人の役に立たぬゴーレムなぞ、なんの価値もないからのう」
そうして、ゴーレムは悠久にも等しい時間であったろう自らの半生を語り終えた。
俺はと言うと、これを黙って聞いていた。
「辛かったな」「いいことあるさ」「十分頑張ったよ」
頭の中に浮かんできたこれらの言葉は全部嘘っぱちだ。
もしも俺が安易にもこれらの言葉を口に出して彼を慰めたとすれば、それは彼に対する最大級の侮辱となる。
だから俺は、それらの言葉を無理やり飲み込んだ。
ゴーレムは続けて言う。
「……そしてワシの機能ももうじき停止するだろう。感覚で分かるのじゃ」
「死ぬってことか?」
「はは、まぁ生き物ならばそう言うな、しかしワシはただの人形じゃ」
ゴーレムは自嘲気味に乾いた笑いをもらした。
「……ぬしには悪いが、ワシの機能が停止したら最後、理想郷は本来の地獄としての姿を取り戻すじゃろう。あの鉄の塊があったとて生き残ることは不可能じゃ。さりとてここから脱出する手段もない……申し訳ないが、ワシと心中する形になるな」
彼に対する怒り、この不条理な状況に対する怒り、これらは微塵も沸かなかった。
なぜなら、それにも増して目の前にいる一個の生き物が、とてつもなく可哀想だったからだ。
人の都合で作られ、人を助けてきたにも関わらず、人は彼を助けてくれない。あまつさえ見捨てて逃げてしまった。
こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。
俺はこの瞬間、彼の錆に覆われた体と、この世界へ飛ばされる前に見た祖父の背中を重ねていた。
祖父とゴーレム、この二人の共通点は、おそらく途方もない時間の中で生まれた誰とも共有できないもの、すなわち――寂寥である。
「動くなよ」
俺は一言だけそう言って、つかつかとゴーレムの後ろへ回り込んだ。
「そうか……そうじゃな、許せるわけもなかろう、人の手で作られて人の手により土へ還る、それもまたゴーレムとして正しい在り方じゃ」
ゴーレムがなにやら諦めに満ちた口調で言っているが、俺はそれを無視した。
じいちゃん曰く“男は多くを語らない”だ。
俺はゴーレムの錆がべっとりこびりついた背中を見上げると、気つけのためにぱんぱんと自らの頬を張り、ツナギの袖をまくる。そしてポケットからあるものを取り出した。
どこの家庭にもあり、ホームセンターならば百円ほどで購入できる、なんの変哲もない例のアレ。
――女神から受け取った、残念賞のたわしだ。
「俺だけは最期まで見ててやる」
「……え? ぬし、それはどういう意味……」
「ぬしじゃない、恭介だ」
それ以上の言葉はいらなかった。
俺はゴーレムの制止を全て無視して、両手で握ったたわしを彼の背中にあてる。
そうして、俺はいつもやっているように彼の背中にたっぷりとこびりついた“垢”を流し始めたのだ。