50 友達になれてよかった
「さっきの話からすると、アンタここから出ていくっていうこと?」
マリンダの問いかけに対し、俺は「ああ」とゆっくり頷いた。
「出ていくよ、短い間だったけど世話になったな」
「どうしてよ」
どうして、と言われても……
そういえば以前もターニャに似たようなことを聞かれたな。なにゆえ、旅に出る? と。
「別に、目的なんてないんでしょ? なら、もう少しぐらいここに居てもいいんじゃない?」
「ん? お前俺たちに出て行ってほしいんじゃなかったのか?」
「……! うっさい! そういうのもアリなんじゃないか、って提案しただけよ!」
マリンダが顔を真っ赤にして言う。
……しかし、なにゆえ、と言われても、恥ずかしい話、俺には語るべき大層な理由なんて実のところないのだ。
俺は指先でかりかりと後ろ頭を掻いた。
「……俺、ここに来る前はスゲー小さな村に住んでたんだ」
四方山に囲まれ、交通の便は悪く、雪が降れば即席のクローズドサークル。
店なんて酒屋が一軒あるだけで、バスは一日二本、そんなところだ。
なんて言ってもマリンダには分からないだろうから「とにかく小さい村だよ」と、付け足す。
「悪い所じゃないんだけどよ、世界なんてそこしか知らない。だから俺、ちょっと恥ずかしい事言うけど、この集落でアルヴィーの皆と出会えて結構楽しかったんだ」
「……だったら」
「もっと、色んな人と出会ってみたいって思ったんだよ」
マリンダが口をつぐんだ。
「頑張り屋のレトラ、器のでかいターニャ、飲兵衛の飯酒盃、ナルシストだけど真面目な鴻池、誇り高いアルヴィーの皆、あとはトゲトゲしてる割には意外と素直なマリンダ」
「な、誰が素直よ! そもそもアンタ……!」
「――みんなスゲー良い奴だったよ、友達になれてよかった」
俺は彼女に対して微笑みかけ、そして踵を返した。
それだけ言えれば十分だ。これ以上顔を合わせているのは、なんというか、とても恥ずかしい。
……あ、そういえば。
俺はふとあることを思い出して、彼女に振り返る。
「そういえばさ」
「……なによ」
「マリンダ、さっきやっと俺のこと名前で呼んでくれたな」
今までアンタ、としか呼んでくれなかったのに。
マリンダもそれに気付いたらしく、はっとしたような表情になって、途端にかああっ、と顔を赤くした。
「う、うっさい!! 出ていくんなら早く出ていきなさいよ! あー、テンセイシャがいなくなってせいせいするわ!!」
「はいはい」
やっぱり素直じゃないな。
俺は踵を返して、ひらひらと後ろ手を振り、そして彼女に別れを告げるのだ。
「またな」
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「……会わなくて良かったの?」
彼がいなくなった後、私は瓦礫の陰で丸くなったレトラへ尋ねかける。
彼女は膝を抱え、ひぐひぐと声を押し殺して泣いていた。
……よくバレなかったわね。
「会えるわけないじゃないですかぁ……こんなぐしゃぐしゃの顔で……」
レトラがこちらへ振り返る。
……なるほど、確かにぐしゃぐしゃだ。
そして彼がその場からいなくなったのだと分かると、レトラはわんわんと声をあげて泣き出した。
「友達、友達って言われましたぁ……っ!! マリンダさん、私、私っ……!」
「あーはいはい、あいつそのへんのこと疎そうだからね、気にしないの気にしないの」
「キョウスケ様は優しすぎるんですよぉ……私、自分が嫌になってきました、だって今顔を合わせたら間違いなく引き留めちゃいますよぉ……!」
「そうだね、そうだね」
「マリンダさん、私、魅力が足りないんですかねぇ……? 長みたいに胸大きくないし、強くないし、腹筋もあんまり割れてないし……うわああああん!!」
「よーしよし」
背中をさすって、なんとか彼女を落ち着かせようとする。
……まったく、アイツもでっかい置き土産を残していったものだ。
やっぱりテンセイシャなんて、ロクなもんじゃない。
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マリンダと別れた直後、俺は散々に薬草汁を飲まされてグロッキー状態の鴻池を外に呼び出した。
これを助け船と思ったのか、鴻池は嬉々として俺の後についてきて、薬草汁がいかにまずかったか、などを語っていた。
あれは人間の飲むものじゃない、ヘドロのような味がする。などとひとしきり吐き出した後で、彼は首を傾げて言う。
「で、僕はどこへ連れていかれるんだい?」
「ん、ちょっと答え合わせにな」
「は?」
鴻池が訝しげに眉をひそめた。説明するより見てもらった方が早い。
俺は強引に鴻池を引っ張って集落を出ると、ある場所に鴻池を導いた。
集落の傍を流れる川のほとり“ゴーレム温泉”で戯れるアルヴィーの子供たちの姿が、そこにはあった。
あと何故か飯酒盃もいた。
温泉に浸かってゆるみきった顔で、子供たちに何かを教えている。
「いいですかぁ、これはどんなお酒でも湧き出す魔法のヒョウタンです」
「おさけ?」
「おさけはわるいものだーって長がいってたよ?」
「そんなことありませんよ~、なんなら悪いものかどうか試してみます? 美味しすぎてやめられなくなってしまうかもしれませんが……ふふふ」
「コラ」
後ろから飯酒盃の頭をどつく。
全く無防備だった飯酒盃は、そのまま湯船の中へ顔からばしゃあっと突っ込んだ。
「ぷぁ!? な、なんですかぁ? ……鷹?」
「鷹なわけねーだろ俺だよ、子供になんてこと教えてんだコラ」
「ああ、恭介君でしたか」
飯酒盃は、お先いただいてますぅ、なんてすっとぼけてくる。
こいつのマイペースは折り紙付きだ。いっそ感心してしまう。
「あ、テンセイシャだー!」
「あそぼあそぼ!」
「テンセイシャさん、そっちのおにーさんは?」
子供たちのうち一人が――いったいどういう了見なのか俺の後ろで縮こまっている鴻池――を指した。
鴻池はびくりと肩を震わせて更に俺の陰に隠れてしまう。
「……おい、どういうつもりだ鴻池」
「き、君はなんとも思わないのかい!? ほとんど裸じゃないか! 年ごろの娘たちが……! 不健全だ!」
鴻池が顔を赤らめて、目を覆う。
……お前が言う“年ごろ”ってのは第二次反抗期を迎える前の子供のことを言うのか?
まぁ、レトラやターニャを見る限りアルヴィー族というのは見た目と実年齢が伴っていないらしいが、なんにせよ、鴻池のこの恥じらいのようなものに付き合うのも、しちめんどくさい。
俺は興味深そうにこちらを眺めるアルヴィーの子供たち一同へ言ってやった。
「こいつは鴻池って言うんだけど、なんかお前らと結婚したいんだとさ」
「ちょ!?」
鴻池が慌てて俺の口をふさぎに来る。
が、俺と鴻池では頭二つ分も身長が違うので、全く口元へ手が届いていない。
なにより、もう言ってしまった。
アルヴィーの子供たちが「えーーーっ!」っと口を揃えて言う。
しかし、意外に満更でもなさそうだ。
やがて子供たちのうち一人が鴻池に歩み寄り、尋ねた。
「おにーさん、わたしたちとケッコンしたいの?」
「そ、そそ、それはだね、違うんだ、このバカが勝手に言ってるだけで、結婚だとか、そんな……」
「じゃあ、しょーぶしよ! ムランバで!」
「ムランバ?」
ムランバ? なにやら聞き覚えのある単語だな。
そう思っていると、勝負を持ちかけてきた女の子が、浴槽のヘリから身を乗り出して地面に落ちた二本の小枝を拾い上げた。
……ああ、あれか。
「にほんのえだをなげて、そのかたちがつよいほうのかち! かったらケッコンしてあげる! はい! おにーさんさきやっていいよ!」
「えっ……こんなのでいいのか?」
鴻池がおそるおそるといった様子で、子供から二本の小枝を受け取った。
彼女は、にこにこと微笑んで鴻池が枝を投げるのを待っている。
どうやら本気らしいということが分かって、鴻池の目の色が変わった。マジの目だ。少し引く。
「く、くは、くはははははっ! そうと分かれば負けるわけにはいかないよ! こい! 僕の未来!」
ドン引きしている俺と飯酒盃はさておいて、鴻池が注目すべき第一投を決めた。
しかし気合を入れすぎるあまり、必要以上に振りかぶってしまったせいだろう。
小枝は地面に叩きつけられて――ぱきん、と、真っ二つに折れてしまった。
「あ、折れちゃった。ごめん、代わりの枝もらえないかな……」
「――ぺなるてぃ!! まいなすごじゅってん!! ごじゅっかいまけ!!」
「マイナス!? 50回負け!?」
「ばつげーむでうまになれーー! やっちゃえーーー!!」
「ぎゃああああっ!!?」
あれって公式ルールだったんだな……
温泉より飛び出したちびっこ軍団が、鴻池の抵抗もむなしくあっという間に彼の貧弱な身体を組み伏せて、馬乗りになってしまう。
子供たちは実に楽しそうにはしゃぐ反面、鴻池はというとすでに顔を青くしている。
そして、俺はそんな鴻池を見下ろして言うのだ。
「愛は自由って言ってたよな。お前が言ってたこと、正直おおむね正しいと思うよ、ある一点を除いたら」
「と……いうと……?」
「――相手の気持ちを考えることも含めて愛だろ、しばらくガキのお守でもして、そのへん考え直すんだな」
それだけ言い残すと、俺はその場を立ち去った。
「はしれはしれー!」
「かぜよりはやく!」
「ひぃぃ……」
子供たちに尻を叩かれて、鴻池号が草原を走る。
あいつも屈強なアルヴィーの子供たちにみっちりしごかれれば、いつかはちゃんとしたお兄さんになれることだろう。
もう、思い残すことはなにもない。
俺は、彼の後ろ姿を見送るとめいっぱい背伸びをしてから、ひとりごちた。
「……そろそろ行くか」
さあ、出立の時だ。




