48 世界の半分を捧げた一撃
邪竜と化した鴻池が、地を這うような唸りをあげて天に吼える。
ただの咆哮が大気をそして大地を揺らした。
漆黒の空が、今にも俺たちの頭上へ落ちてきそうだ。
「なっ、なによあれ……!? い、息が……!」
「うぐっ……直視できん……! なんと禍々しい気か……!」
マリンダとターニャは鴻池が無際限に放つ邪悪な気にあてられ、苦痛に顔を歪める。
見ると、周囲に生えた草木がじくじくと腐り始めていた。
さすがはかつて大陸を統べたという大魔王、さすがは邪竜――
それはともかく、俺は彼女の名を呼ぶ。
「――おら飯酒盃、時間稼いでやったぞ」
「いやぁ恭介君、まったく見事な煽りでしたねぇ、いっそプロレスラーを目指すっていうのはどうです?」
ちらりとそちらへ目をやれば、俺たちのやり取りの陰で芋虫みたく這いずってきた飯酒盃が、倒れたヒョウタンの口からぺろぺろとソーマを舐めとっていた。
作戦上仕方のない事とはいえ、ヤツも黙っていれば美人なのになんと惨めな姿か……
飯酒盃がひとしきりソーマを舐め切ると、彼女の顔に生気が戻る。
「ふぅ、気分が良くなりました。また飲み直しですねえ」
「……飯酒盃? 分かってるよな?」
「はいはい、仕事を終わらせてからにしまぁす」
飯酒盃が渋々とヒョウタンを拾い上げ、それを背負いこむと静かに走り出した。
俺が鴻池の気を惹きつけている内に、ソーマで回復した飯酒盃が同様に動けないレトラ、マリンダ、ターニャを治療し、そして安全な場所へと避難させる。
もちろん事前に打ち合わせをしたわけではないが、彼女はどうやら意図をくみ取ってくれたようだ。
さて、ヤツの爬虫類じみた深紅の瞳が俺を捉えた。
『千の神を殺し万の魔物を従えたかつての大魔王は、自らに挑む勇者へ向かって必ずある二択の質問を投げかけたという。さて、僕のような文化人は、その様式に則るとしよう。でも君のような野蛮人に選択肢だなんて、贅沢だ』
ころろろろ、と邪竜が喉を鳴らす。
たったそれだけの仕草が、彼こそが全ての頂点に立つ者なのだと、本能に伝えてくる。
そして魔王たる彼は、俺に対し、邪悪な笑みを浮かべて言うのだ。
『――君を殺して、なおかつ世界の半分の絶望を与えよう』
次の瞬間、闇に覆われた空に無数の星が煌めいた。
大地が鳴動し、大気は震える。
ああ、綺麗だな。
なんて場違いなことを思った次の瞬間には、鴻池の攻撃が炸裂した。
『“スターライト”』
無数の星が降り注いだ。
流星群、というやつである。
星が落ちてくるなんて、字面だけ見ればとても幻想的なのだろうが、むろんそんなことはない。
実際に星が落ちてきたとなれば、周囲一帯は地獄と化す。
流星は、空を切り裂き、地を穿ち、そして俺の頭上に降り注いだ。
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クワガワキョウスケに 891 のダメージ!
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クワガワキョウスケに 956 のダメージ!
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クワガワキョウスケに 884 のダメージ!
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クワガワキョウスケに 938 のダメージ!
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視界がホワイトアウトする。
その時、音が、色が、あらゆるものが世界から消えた。
あるのはただ視界を染め上げる、圧倒的な光のみ。
降り注ぐ流星群は、時間の概念さえも消し去ってしまったらしく、それはまるで永遠のようにも感じた。
やがてあたりは静寂に包まれる。
もうもうと立ち込めた土煙の外側から、バカみたいに笑う鴻池の声が聞こえた。
『くはっ、くははははっ!! 神さえ殺す大技だ! これを受けてはひとたまりもないだろう! ざまあみろ! 低学歴の分際で僕にたてつくからこうなる……ん?』
土煙が晴れる。
視界が明瞭になって、俺と鴻池の目が合った。
なんだかまだ目がちかちかするし、流れ星で頭を割ったらしく生温かい物が顔を伝っている。
でも、生きていた。クレーターのど真ん中で、腕組みをしながら佇んでいた。
『えっ、なんで生きてんの』
鴻池がまた素に戻って、威厳ある大魔王の姿に見合わない、実に間抜けな声をもらした。
俺は言ってやる。
「なぁ鴻池、俺はな、人生を豊かにするために最も大事なのは“大目に見てやる”ことだと思うんだよ」
「はっ?」
だからさ。
俺は彼に対してゆっくりと歩み寄りながら、更に続ける。
「人は誰でも間違える、なんてのは陳腐な言葉だけどさ、実際そうだろ? でも誰しもが過ちを犯すのに、どうしてか人はその間違いを許さない、お互いにつっつきあう」
『な、なにが言いたいんだよ、お前……』
「あ、話長かったか? いやな、要するにそんなのは窮屈じゃないか、って言いたいんだよな。世間がもっと人の間違いに寛容な精神を持つべきだと、お前もそう思わな……」
『――“ムーンライト”ぉっ!!』
ぎゅいん、と今まで聞いたこともないような音がして、頭上より“光そのもの”が降り注いだ。
いや、降り注いだ、という表現は正しくない。
超極大のレーザー光線が直上より“照射”され、俺の身体が光に呑み込まれたのだ。
一瞬にして、周囲の物体が蒸発する。
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クワガワキョウスケに 2178 のダメージ!
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クワガワキョウスケに 2684 のダメージ!
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クワガワキョウスケに 2334 のダメージ!
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『はっはっは!! さすがにこれは死んだだろ! 訳の分からないことばかり言いやがって! 僕に偉そうなこ……と……を……?』
「――うん、だからさ、話の途中にいきなりレーザービームで黒焦げにされて、もう服なんかほとんど残ってないけどさ、寛大な心で許すことが必要だと思うんだよね」
もちろん、死んでなどいない。
俺は極太レーザービームによって綺麗に円形にくりぬかれたクレーターの中から、よっこらせと這い出た。
せっかくアルヴィーの皆からもらった服が7割がた蒸発してしまったじゃないか。なんだよこの絵面。
一方で鴻池君はというと、これでもかというくらい邪竜の目をかっぴらいていた。
まぁ、そんなことは関係なく、俺は彼に向かって再び歩き始め、演説を再開するのだ。
「人なんて本来単純でいい加減な生き物だ。気まぐれに人を好きになったり、嫌いになったり、善人になったり悪人になったりする。でも、人はなんでかそのいい加減な部分が許せないんだよな」
「誰しもが間違いを犯すのなら、それをただ非難するんじゃなく、許した上で、正してやるのが人としての筋だと思うんだよ」
「俺とお前にしたってそうだ、こんな世界に転生させられて、もしも境遇が逆ならそうなっていたのは俺かもしれない、そのチートの、元の持ち主もそうだった」
理想郷で出会った、ヤツのことを思い出す。
彼もまたいくつものチートを用いて俺たちの前に立ちはだかった。
力に溺れ、現世への恨みに支配されてしまったヤツは、どうしようもなく悪役ではあったが、でも、確かにあったはずなのだ。
彼が英雄となる、主人公となる物語が。
『チッ……! 舐めるなよ低学歴がぁっ!!』
ここで鴻池はようやく我に返ったらしい、突然天に向かって唸りをあげた。
まるで血も凍るようなおぞましい雄叫びだ。
するとどうだ。
彼の咆哮と同調するかのように、周囲の地面がぼこぼこと泡立って、土の中より数え切れないほどのモンスターが這い出してきたではないか。
ヤツよりもひとまわりは小さな四足歩行のドラゴンや、禍々しい鎧に身を包んだ戦士、キメラに魔導士、石造りの巨人。
いかにも「RPGで終盤に出てくる強めの雑魚敵」然としたモンスターたちが、俺の前に立ちはだかった。
『ははははっ!! かつての大魔王の側近どもを召還した! あのゴーレムほどじゃないが、一体一体が国さえ亡ぼせる実力の持ち主だ! 今度こそ終わりだなぁっ!』
膨大な数のモンスターたちが、視界から鴻池の姿を覆い隠してしまう。
……まったく、話の途中だっていうのに、つくづく失礼なやつだ。
「あらら、すごい数の敵さんですねぇ、どうします恭介君?」
見ると、いつの間にか背後に飯酒盃が立っており、モンスターの群れを眺めて呑気なことを言っている。
彼女の傍にはマリンダとターニャ、そして気を失ってはいるが、レトラの姿もある。
こいつ、意外と仕事できるんだな……
俺はこちらへ向かってくる魑魅魍魎どもを見据えて、拳を構えた。
「ありがとよ飯酒盃、じゃあみんな、ゴーレムと一緒に俺の真後ろに隠れててくれ」
「ちょ、ちょっと、あんな数のモンスターどうするつもりよ!? 逃げないと! アンタ、クソ弱いのに!」
マリンダだけが唯一俺を引き留めようとしてくる。
クソ弱い、という評価がぐさりと胸に突き刺さるが、はたと思い返す。
……そうか、彼女だけは俺の拳骨を見たことがないのか。
心配してくれるのは素直にありがたい。マリンダ、良い奴だなぁ……
「マリンダ、心配するな」
マリンダを制したのは、ターニャであった。
体中が土埃やらなんやらで汚れてはいるものの、傷自体はきれいさっぱりなくなってしまっている。飯酒盃がソーマを飲ませてくれたのだろう。
「で、ですが……!」
「だから、気にするなと言っているだろう」
マリンダがこれに食い下がるが、不安に顔を歪ませる彼女とは対称的に、ターニャはどこか楽しげに笑うのだ。
「それよりもちゃんと目を開けて前を見ろ――これからすごいものが見れるぞ」
「すごいもの……?」
無駄にハードルを上げようとするなターニャ!
抗議しようと思って振り返ると、レトラが目を覚ましていた。
そして彼女は傷だらけの顔をこちらへ向け、優しげに笑って、言うのだ。
「キョウスケ、様……どうぞやっちゃってください」
「……ああ、任せとけ!」
そうさ、やってやるとも。
なんせ俺の拳骨は――
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クワガワ・キョウスケ Lv8
農民
HP 106685/999999
MP 12/12
こうげき 18
ぼうぎょ 23
すばやさ 19
めいちゅう 17
かしこさ 17
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――ゴーレムとの戦いでとっくに温まっている!
『ごちゃごちゃとうるさいんだよ! やっちまえ魔王の下僕ども!!』
鴻池の声を合図に、モンスターたちが一斉に飛び掛かってくる。
怒涛のように押し寄せるモンスターどもの足音やら咆哮やらにかき消されて、鴻池にはどうせ聞こえないだろうから心の中だけで言ってやる。
――拳骨とは、ただ衝動に任せて敵を倒すための単なる握り拳などでは、決してない。
それは戒めの鉄槌。それは許しの一撃。それは許容の拳。
俺にコレを教えてくれたじいちゃんも、決して怒りに任せて拳を振るったことは無かった。
いや、きっとじいちゃんのじいちゃん、遥か昔からずっと、そういう風に受け継がれてきたのだ。
だから俺も、この拳骨を振るうからにはお前を許す。
友達になってやる。一緒にバカやって、お互いがどれだけ間違おうとも、道を踏み外そうとも“大目に見れる”仲になろうじゃないか。
それにはまずこの拳骨を食らえ。
俺の世界の半分を捧げた、その一撃を食らえ。
「――弩拳骨、1000t!!」
構えた拳が、夜空の星のごとく煌めいた。
そして殺到するモンスターたちめがけて、一撃。
光の尾を引くそれは、奇しくも鴻池が天から降り注がせた流星に似ていた。
しかしその破壊力は文字通り桁違いだ。
俺の拳骨は、群れの先陣を切るドラゴンの鼻っ柱に叩き込まれる。
むろん、このドラゴンは潰れたトマトみたく無残な死にざまを晒すことになるわけだが、俺の弩拳骨はそれしきで終わらない。
ドラゴンと拳骨が激突した際、そこから放たれた衝撃波により、まず鎧の戦士が鎧ごと弾け飛んでバラバラになり、キメラや魔導士などは空気中のチリとなって、巨人は元の土くれに戻った。
ただの一撃、本当にただの一撃で魔王軍が壊滅したのだ。
しかし、そこまでしても弩拳骨はまだ死なない。
放たれた衝撃波はモンスターどもを薙ぎ倒しながら、一直線に突き抜けて、鴻池の鱗に覆われた鼻先へと届いた。
『はっ? えっ、な、なんだこの攻げ……ぶぁっ!!?』
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コウノイケヒロムに 5680 のダメージ!
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ぱぁんっ、と邪竜の外殻が黒い粒子となって弾け飛び、そしてその中から鴻池の野郎が弾き出された。




