47 愛は自由じゃないのかよ
「えっ、なんで生きてんのお前」
自らの勝ちを確信して、あれだけ上機嫌だった鴻池が、こちらを見て一瞬素に戻った。
フクロウみたいに目を丸くして、呆けたようにぽかんと口を開いている。自称インテリにあるまじき、阿呆のような顔だ。
なんだ失礼な奴だな、人を幽霊みたいに。
お前みたいな嫌味なヤツなんか、しがない町病院で日がな一日中棺桶に片足突っ込んだジジババどもにネチネチ言われて、その根性を叩きなおせばよいのだ。
事実、俺が住んでいた村の、その隣町の病院では若い医者が何人か精神を病んで辞めている。
ジジババの粘着質ないじめは、都会で育ったインテリ君にはちときつい。
いや、いや、そんなことはどうだっていいのだ。
鴻池の野郎がT大医学部卒のエリートだとか、なんで俺が生きているのだとか、そういう話はもはやどうでもいい。
重要なのは、俺が完全にトサカにきているってことだ。
少しでも頭に血の上ることがあれば、すぐに大声で怒鳴り散らしてしまうような短気な俺が、怒りのあまり笑顔になってしまっている。
――ただそれだけが問題なのだ。
しかし鈍感な鴻池君は、そのへんがよく分かってないようで、相変わらずの間抜け面で質問を投げてくる。
「お、おい? お前のところには、ゴーレムを差し向けたはずだろ? あいつはどうした?」
「はは、なんだ? ゴーレムの心配してくれてんのか? お前、意外といいヤツだな?」
引きつった笑みで、ははは、と笑う。
そして鴻池君の問いかけに答えるべく、俺は背後を指差した。
――ゴーレムは仰向けになって倒れていた。
念のため言っておくと死んではいない。が、もはや指先一本動かせない状態だ。
鴻池が「なっ!?」と驚愕の声をあげる。
「おっ、お前、何をした!? あの馬鹿力のゴーレムを、一体どうやって……!?」
「なにもくそも、ただ動けなくなるくらいに殴っただけだが?」
「ば、バカを言うな! おおおお、お前っ! さっきウインドウを見てたけど、あのゴーレムに2ダメージとかそこらしか与えられてなかったじゃないか!?」
「うん、だからめたくそに殴った」
そりゃあもう、殴りに殴った。
たったの1か2のダメージしか与えられない拳骨で、ぼこぼこに殴った。
たとえドラゴンボールでだってこんなにも殴らねえだろ、というぐらい殴った。
もちろんゴーレムとしてもただ殴られているだけではなく――というより、ほとんど俺がゴーレムに殴られ、蹴られ、踏みつぶされるがままだったので、こちらも相当のダメージを負ったが。
なんにせよ、この喧嘩は俺が勝った。
飯酒盃やレトラが圧倒的なチートを用いて巨大ヤモリどもをばったばったと薙ぎ倒していくその裏で、俺は実に泥臭く勝利を収めた。
ただそれだけの話である。
「な、なんだよそれ!? おかしいだろ!? だってあのゴーレムは、屈強なアルヴィー族ですら恐れる這う者を、まとめて相手にしても全然問題にならないような、そんな……!」
「いや、はは、そんなのはどうだっていいだろ?」
そう、どうだっていい。
俺はいい加減にひきつった笑みを取り去って、鴻池の野郎をにらみつけた。
「――まず、レトラの頭から足どけろよ。こっちはお前にこの拳骨をお見舞いしたくてうずうずしてんだよ」
これだけ距離が離れていても、鴻池の童顔にぴきりと青筋の浮かぶのが分かった。
鴻池は今まで足蹴にしていたレトラから、ゆっくりと足をどける。
そして項垂れるレトラの襟首をつかむと、目線の高さまで持ち上げた。
「……はは、どうやってゴーレムに勝ったのかは知らないけど、少し調子に乗りすぎだよ。拳骨? なんて野蛮な。僕が正面から殴り合うなんて、そんな頭の悪い事をするとでも? こっちには人質がいるんだよ?」
「キョウスケ、様……」
レトラが苦しげに声を絞り出す。
全身傷だらけの無残な姿を見せられて、マリンダとターニャが悲痛な叫びをあげる。
「レトラっ!? あ、アンタ! レトラを離しなさい!!」
「く、クソ、転生者め……! どこまで汚い真似を……!」
「……っ……っ」
レトラは確かに俺に向かってぱくぱくと口を動かした。極度の消耗からこれ以上声を出すこともできないようだ。
でも、あいつの言いそうなことは分かる。
大方「私に構わず、このテンセイシャを倒してください」とか、そんなところだろう。
まったく、俺は呆れて溜息を吐いてしまう。
レトラ、マリンダ、ターニャ、そして飯酒盃。
チート持ちの鴻池相手によくぞここまで持ちこたえてくれた。おかげで、ギリギリだけど間に合った。
でも、レトラ、その選択だけはいただけないぞ。
俺は、もう一度笑みを作って、言うのだ。
「――天晴、やっぱり性犯罪者なだけあって人質ひとつとるのも様になってるな、鴻池」
「せっ……!?」
鴻池が、凍ったように動きを止めた。
俺は「おや?」とわざとらしく首を傾げて、更に畳みかける。
「なんだ? 違うのか? ロリコンって確か犯罪なんだろ?」
「ろ、ロリコンなんて安い言葉で僕を括るなよ低脳……! 僕はただ、己の美学に基づいて、未成熟な肢体に美の極致を見出して……!」
「ああ、じゃあ犯罪者予備軍ってやつだっけか? ロリコン? ペドコン? まぁどっちでもいいが……」
鴻池のこめかみに浮かんだ青筋が、さらにびきびきびき、と分岐する。
でも、俺は構わずに続けるのだ。
「ああ、そういえば昔ニュースで見たぜ、ロリコンってあれだよな、確か根本的に女性不信の傾向があって、思春期にいじめられた経験があって」
「っ……!! っ……!!」
「あとオタク? なんだよな、萌え~、とかそういう感じの……」
ぶちん。
そんな音がこちらに聞こえてきそうなほど、はっきりと。
鴻池が“キレ”た。
「――ネットとかニュースとかの安っすい知識で僕を語るなぁっっっ!!!」
鴻池が、顔を真っ赤にして叫んだ。
お前そのちっさい体のどこからそんな声出てるの? と言いたくなるような声量で。
遠巻きに見ていたマリンダやターニャがびくりと肩を震わせるほどである。
一方で俺は内心ほくそえんでいた。
馬鹿め、まんまと食いつきやがって。
やはりインテリだのエリートだの、繋ぎなしのプライド十割人間には、この手の安っぽいカテゴライズが一番“効く”。
「そもそも誰がロリコンだ!? 僕がっ! 一体っ! いつっ!! 小さい子供になら誰彼構わず劣情を抱くと言った!? 僕のはそんな低俗な感情じゃない!!」
「え、違うのか? お前年端もいかないアルヴィーの子供に【自主規制】したり【自主規制】したりしたいって……」
マリンダとターニャが、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。
鴻池に向けられたその視線には、多分に侮蔑が含まれている。
それを受けて、鴻池は更に沸騰しそうなぐらい顔を真っ赤にする。
「お前っ!! お前お前お前オマエっ!!! お前みたいな低俗な人間が世に溢れてるから僕が白い目で見られるんだ!! クソがっ! クソがっっ!!」
「違うのか?」
「違うって言ってんだろ!?!? そんな下劣な考えで僕を測るなっ!! 僕のはもっと崇高な感情だ!! 愛!! 言うなれば愛なんだよ!!」
マリンダとターニャは苦虫を嚙み潰したような表情だ。語るに落ちるとはまさにこのことである。
ダメ押しに、俺は趣向を変えて、憐れむような口調で語り掛ける。
「鴻池……お前法律知ってるか? ロリコンは犯罪なんだぞ、普通に、順当に……」
「ぎいいいいいっ!! 何が法律だよ!!? クソが! 自由だなんだと言っておいて純粋な愛を禁じる!? 法律だ!! 法律が悪いんだよっ!!」
――そもそも、そもそもだ!!
鴻池はこちらの思惑以上にすっかり頭に血が上り切ってしまったらしく、更に演説を続ける。
「なんでロリコンが犯罪なんだよ!? 愛し合ってるならいいんじゃないのかよ!!? 愛は自由じゃないのかよっ!!?」
「法で決まってるからには仕方ないだろ?」
「出た! 出たよ!! 君たちみたいな思考停止猿は二言目には法律法律法律っ!! 自分たちが偶然ノーマルに生まれついたからってつけあがりやがって!! じゃあそういう子たちしか愛せないヤツらは誰も愛するなってことかよ!? クソが! クソがっ!!」
鴻池が地団太を踏む。
今までのキザったらしい印象はすっかりナリを潜めて、完全に我を忘れている。
さあ、仕上げだ。
「まぁ、お前の言うことも分からなくはないぜ。理屈だけはな、口ではなんとでも言える」
鴻池がぴたりと動きを止めて、こちらへ視線を向けてくる。
目が据わっていた。
完全に、キレている。
「……上等だよ」
鴻池がレトラを解放する。
レトラは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
そしてヤツは、チートボックスを構える。
様々なウイルスを自在に生成するチート“インフルエンサー”ではなく、彼が野蛮とさえ称したチート“SEKAI NO HANNBUNN”を。
「もうウイルスでじわじわとなぶり殺しなんてまどろっこしい真似はしない……! 絶対に、僕がこの手で殺してやる!! ――ボックス開放!!」
『ボックス開放、“SEKAI NO HANNBUNN”起動します』
鴻池の身体を淡い光が包み込み、そしてその直後、周囲一帯を闇に覆いつくしてしまうほどの禍々しい気が、鴻池の全身より発散された。
剥き出しの肌に漆黒の鱗が浮かび上がり、瞳は冷徹な爬虫類のソレへと変わって、巨大な角や、尻尾や、翼などが表出する。
そして彼の身体は見る見るうちに膨張していって、やがて見上げるほど巨体の――ドラゴンとなった。
『――くはっ、くはっ、くははははははっ!! “SEKAI NO HANNBUNN”最大開放だ!! 今や僕は完全に、かつての伝説に語られる大魔王と化した!!』




