40 天が呼ぶ、地が呼ぶ
「これは完全に俺のミスだ! 甘んじて受け入れるから思う存分罵れ!」
「言われなくても罵るわよ! 馬鹿! 愚図! ノロマ! 間抜け――ああ、もう! 息が切れるでしょ!? 何言わせんのよ!」
この甲斐性無し! とフィニッシュを決められる。
マリンダのこんな理不尽ですら、俺は甘んじて受け入れなくてはならない。
何故ならば俺たちは今、背後から追いかけてくる女ゾンビの群れから必死こいて逃げ回っている最中だからだ。
その原因は、言うまでもなく俺。
前方不注意によりパゼロを脱輪させ、車を捨てて走って逃げざるを得ない状況を作った、間抜けな俺のせいである。
――マジでごめん!
「キョウスケ様!! 齧られるっ!! また齧られちゃいますよぉ!?!」
ちょっと後ろの方では、レトラが涙やらなんやらを垂れ流しにしながら、ゾンビの群れに追いつかれんとすべく全力疾走をしている。
その隣には飯酒盃だ。あんなぽへーっとした顔をしているくせに、巨大なヒョウタンを抱えながらもなかなかに足が早く、少し驚く。
そしてその更に後方には、言うまでもなく腹筋の割れた赤目褐色女ゾンビたちの群れ。
ゾンビとはいえ、両手を前に突き出し「あーあー」言いながらゆっくり近寄ってくるタイプではない。
歯牙を剥き出しにして、獲物を追い詰める狼のごとく全力で追いかけてくる。
これから逃げ続けるのは、やはり容易なことではない! 肺も筋肉も引き千切れそうだ!
そしてなにより、怖い!
「ちょっと! こうなったのもアンタの責任でしょ!? なんとかしなさいよ!」
「無理無理無理無理! 俺HP三分の一からじゃないと本気出せねえし!」
俺の切り札“弩拳骨1000t”はHPが三分の一以下になってから、そして“野菜超人”はHPが五分の一以下になってからでないと発動できない!
要するにHPがほぼ満タン状態の俺は、かくも役立たずなのだ!
「なによそれ! じゃあアンタあの中に突っ込んでくればいいじゃない!」
「噛まれたら一発でゾンビじゃん! 俺もゾンビじゃん!!」
「もうダメですっ!! 私たちみんな誰彼構わず噛みついちゃうようなふしだらな女になっちゃうんですよぉ!!」
とうとうレトラがわんわんと声をあげて泣き始めた。
「そ、そうだ飯酒盃! また前みたいにヤツらに八塩折之酒をぶっかけて……!」
「嫌ですぅ」
「何故!?」
「恭介君はイマイチこのヒョウタンのありがたみが分かってないみたいですね、そんなに易々と使いたくありませ~ん」
飯酒盃はゾンビから逃げる足を止めないまま、冗談だか冗談じゃないんだか、ともかくそんな風に言ってつーんとそっぽを向いてしまった。
びきり、と額に青筋が浮かぶ。
「お前だって神酒をガバガバ飲んでるじゃねえか! ありがたみも何もあるか!」
「そんなことを言ってるんじゃありません、いいですか恭介君? お酒は飲むものです、神酒なんて大層なものならばなおさらです。それをぶっかけるだなんて、人にもお酒にも失礼だと思いませんか?」
「どうしてこの状況で真っ当なことを!」
しかし、そういう風に言われると、厳格な祖父に育てられた俺は弱い!
食べ物やら飲み物やらを粗末にするな、とは幼い頃から耳にタコができるほど言われてきたことだ。
ちなみに桑川家にはじいちゃんの作った特殊ルールがあった。
ご飯を食べる際、残した米粒一つにつき、脳天へじいちゃんの拳骨一発。
五粒も残せば頭蓋骨が陥没して死に至る。そんなデスゲームじみたルールが。
閑話休題。
「ああ、もう! じゃあどうすんだよこの状況! 誰か! 誰でもいいから助けてくれ!」
背後に迫るアルヴィー・ゾンビの群れ。
もはや体力も限界で、逃げ切ることなど到底不可能だ。
絶体絶命、万事休す、完璧な八方塞がり、このような危機的な状況に陥ると、自然アイツの事を思い出す。
この馬鹿げた世界で初めてできた友人、苦難を共に分かち合った友、そして親友。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、キョースケが呼ぶ、悪を倒せとワシを呼ぶ――」
――どこからともなく、彼の声が聞こえた。
耳を疑った。初めは幻聴かと思った。
しかし、間違いなく彼はそこにいたのだ。
俺たちの行く先に、威風堂々、傲然とたたずんでいたのだ。
「――ワシが楽園の管理人、ユートピアゴーレムじゃあ!!」
彼はどこかで聞いたような名乗り口上をあげる。
ゴーレム!! やっぱり最後の最後に頼りになるのはお前だけだ!
俺は感動のあまり、その場で泣き出してしまいそうになった。
「ゴーレム!」
俺は彼の名を呼び、最後の力を振り絞って一直線に突っ走る。
彼もまた、俺のことを歓迎してくれるだろう――そう思っていたのだが
「ふんっ!」
ゴーレムがその剛腕を振るう。何故か、俺に。
「ぐべぇっ!?」
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クワガワキョウスケに 670 のダメージ!
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カウンターにゴーレム渾身のラリアットを食らい、俺の身体は後方へ吹っ飛んだ。
一直線に吹っ飛んで、さながら砲弾と化した俺は、レトラやマリンダ、飯酒盃を通り越して、アルヴィー・ゾンビの群れに突っ込む。
そしてそのままアルヴィー・ゾンビどもを残らず薙ぎ倒した。
ボウリングで言えば文句なしのストライクである。
「な、なんで……?」
「白々しいのじゃキョースケ! さっきはよくもワシを見捨ておったな! これでチャラにしてやるからありがたく思うがよい!」
ああ、そうか……そういえばさっきゴーレムをアルヴィー・ゾンビの群れの中に置いてきたんだっけ……でもこれはやりすぎだろ……
俺は痛む身体に鞭打って、屍の山から這い出す。
屍の山というのはもちろん比喩で、実際にはのびているだけである。
いつ起き上がるとも分からないので、俺は早々に退散して、ゴーレムたちの下へ駆け寄る。
「しかし、見事に面倒なことになっておるのう」
ゴーレムが死屍累々のアルヴィー・ゾンビたちを眺めて言う。
見ると、早いもので数人はふらふらと立ち上がっている。ダメージも大して入っちゃいない。
あと数秒もすれば、再びこちらへ襲い掛かってくることであろう。
「そうなんだ……なんとかできるか? ゴーレム」
「なんとかできるか、じゃと? ふん、ワシを誰と心得る。ユートピア・ゴーレムじゃぞ!」
ゴーレムはそう言って、大地に手のひらを押し当てた。
その直後、彼の腕が淡い光を放ちだし、あたり一帯の大地もまた、連動して光を帯びる。
神力を行使することで大地の精霊と契約を交わす、ゴーレムお得意の“土の神秘”その予備動作だ。
「要するに傷つけず捕えればよいのじゃろう、ならば――密するは鉄、成すは監獄」
いち早く体勢を立て直したアルヴィー・ゾンビの一人がこちらへ振り向いて、その場から駆けだそうとする。
しかし、それは叶わなかった。
何故ならば、彼女らを囲むように、地面より四枚の鉄格子がせり上がってきたためである。
鉄格子はあっという間に見上げんばかりの大きさになり、そして四枚とも頂点でぐりんと曲がると、ちょうど鳥かごのようなかたちとなって、アルヴィー・ゾンビたちを収容した。
何人かのアルヴィー・ゾンビたちがこれを破ろうと試みていたが、さすがのアルヴィーといえど鋼鉄製の檻は壊せないようだ。
なんと見事な手腕だろうか、あの数のアルヴィー・ゾンビたちを一瞬の内に無力化してしまった。
「す、すごいですゴーレム様! こんな大規模な神秘の行使……!」
「数十人分を閉じ込める檻を一瞬で……こんなのお伽噺でしか聞いたことないわよ……」
現地人のレトラとマリンダが感心しているところを見るに、それはやはりすごい事なのだろう。
そうだろうそうだろう。
ゴーレムが褒められていると、なんだかこちらもうれしくなってくる。彼はもっとだろう。そう思ってゴーレムの方へ振り返る。
彼は地べたに手のひらを押し当てたまま、項垂れている――なにやら様子がおかしい。
「……ゴーレム? どうした?」
彼の顔を覗き込む。小さく、彼の苦悶に呻く声が聞こえた。
「キョースケ、くそ、やられたのじゃ……全く驚くほど狡猾な奴がいたものよ……」
ごごご、と大地が揺れ、ゴーレムの周囲からまるで逆さ氷柱のように尖った岩がいくつも突き出す。
俺の足元より突き出した岩が服の端を切った。危ない。俺は後ずさる。
一体どうしたのか、まるで神秘とやらを制御し切れていないような……
「大地が汚染され精霊が変質しておる……キョースケ、これは罠じゃ……! アルヴィー族の女たちを獣のようにしたのも、はじめからこのためじゃった……!」
「だ、だから何言ってるんだよゴーレム!」
「分からんのか! これは全て、ワシに神秘を使わせるための作戦だったという事じゃ……!」
ぐっ、とゴーレムがひときわ苦しそうな声を漏らす。
俺は慌てて彼に駆け寄ろうとするのだが、彼はこちらをにらみつけて、俺を制する。
「近寄るなキョースケ! さっきの神秘の行使をきっかけにワシのマナが狂い始めておる……! このままでは……!」
「ご、ゴーレム? お前……」
「……キョースケ」
ゴーレムは、まるで我が子に語り掛けるかのような、優しげな口調で言う。
「その時は壊してくれて構わん、何故ならワシは、ただのゴーレムじゃから」
その言葉を最後に、ゴーレムの全身から光が消えた。
ゴーレム? もう一度彼の名前を呼びかけ、肩を揺さぶってみるのだが、まるで反応がない。
ふつふつと腹の底からよくわからない感情が湧き出してきて、胸をざわつかせる。
「はっはっは、作戦は大成功、やはり僕は天才だ」
ぱちぱちぱち、という気のない拍手の音とともに、鼻につく声が聞こえてくる。
声の聞こえる方へ振り返ると、そこには白衣を身に纏った少年が立っていた。
「さすが僕、さすがT大医学部を卒業しただけある。偉い。よく頑張った、僕」
彼は自らへの称賛を並べ立てながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
その場にいた全員が直感した。
――転生者だ。
「――そうとも、僕こそがT大出の天才医師こと鴻池拡、この騒動の影の黒幕というわけだ」
彼はナルシズムに満ちた笑みを浮かべ、やたらに長い前髪をキザっぽくかきあげた。




