39 仲間たちは今朝、最高の計画を立てる
「――“ソーマ”」
俺は、助手席で眠りこける飯酒盃が、まるで親の形見でもあるかのようにかたく抱きしめたヒョウタンを、手の甲で小突いた。
とくとくとく、とヒョウタンの中で音がする。ソーマが湧き出してきたのだ。
さて、眠る飯酒盃からヒョウタンを引き剥がすのが、一番の関門であった。
なんせこいつ、こんな緩み切った顔でいびきをかいているくせに、石造のようにびくともしない。
よほど前回俺にヒョウタンをひったくられたのがトラウマだったのだろうか、無意識下でも凄まじい力だ!
十数秒に及ぶ格闘の末、俺は魔法のヒョウタン“ほろ酔い横丁”の奪取に成功する。
これを取り上げた時、飯酒盃の幸せそうな寝顔が一瞬にしてしかめっ面に変わるのを、確かに見た。
それはともかく、俺は彼女から奪ったヒョウタンから、これまた彼女から奪った赤い盃へ、ソーマを手酌する。
そして、後部座席でうんうんうなされているレトラの口の中へ半分、そして残った半分を、しかめっ面の飯酒盃の口の中へ注ぎ込んでやった。
これにより、彼女らの状態異常“睡眠”が、解除される。
先に目を覚ましたのは、レトラであった。
「へ? あ、あれ? 私、なんで眠って……」
「気が付いた?」
「えっ、あっ!? マリンダさん!? どうしてここに!?」
レトラが驚きの声をあげて跳ね起きた。
相変わらず、すごい効き目だ。
「あのテンセイシャに高い毒耐性があったのを覚えてたから、使ったのよ、コレ」
マリンダは手に持った香炉をレトラに見せる。
香炉からはもう、あの独特な甘い香りのする煙は漂っていない。
「もしかして、ヌムラ根を?」
「ええ、あいつらを眠らせるのに結構な量使っちゃったから、もう使えないけどね」
「あいつら……?」
マリンダが、「あいつら」とパゼロの外を指さす。
レトラがおそるおそる窓からこれを覗くと、「ひっ」と短い悲鳴をあげた。
ゾンビと化したアルヴィーの女たちが、パゼロの周りを囲むように倒れ伏しており、ぐうぐう寝息を立てている。
「ヌムラ根を使った香は本来屋内で使うものなの、それにこの数、長くは持たないわよ」
マリンダが後部座席からきっとこちらをにらみつけて言った。
バックミラー越しでもこええ。
なに? 怒ってんの?
「そうは言われてもだな」
俺はわしわしと頭をかいた。
もちろんこの場からは早々に逃げ出すつもりだ。
先ほど死にそうな思いをしながらパゼロ前方に倒れたアルヴィー・ゾンビどもを左右に避けたのも、もちろんそのためである。
でも
「今回の事件、きっと転生者の仕業だぞ?」
「やっぱりそうなのね、ホント忌々しいわ」
レトラは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
「転生者は、おそらくお前らのチートボックスを狙ってこの集落にやってくる。俺の渡したチートボックスもあるし、今逃げたら……」
「それなら半分は心配いらないわ」
半分? 俺とレトラが首を傾げると、マリンダは懐からある物を取り出した。
それはテニスボール大の小さな箱。
側面に描かれた小憎らしい女神のイラスト、そして記された“天上天下唯一無双俺俺俺”の文字。
「それは……」
「長から託されたの、これを持って集落の外へ逃げるように、ってね」
「長……そ、そうです! 長は!? 長はどこへ!?」
レトラは、マリンダへ詰め寄った。しかしマリンダはかぶりを振る。
「長は早い段階でこの騒動がテンセイシャの仕業であると見抜いていたの。だから私にこの箱を託すと、もう一つの箱を回収してくると言って、一人で行ってしまったわ」
「そ、そんな……」
レトラが力なく項垂れる。
ターニャの判断は、なるほど確かにこの状況下においては最適解であると思えた。
集落の中に二つあるチートボックスを、二手に分かれて集落の外へ持ち出す。
そうすればもしもどちらかが黒幕にチートボックスが奪われたとしても、もう一方のチートボックスは奪われずに済む。
もっと言えば、残ったチートボックスで転生者に対抗することも可能、というわけだ。
しかしそれは同時に、ターニャがこのゾンビに溢れる集落の中へ単身飛び込んでいって、初めて成立する作戦だ。
仲間思いのターニャがかつての仲間たちとマトモに戦えるはずもない。
ましてこの事件の元凶が本当に転生者だとすれば、運よくゾンビの群れをかいくぐってボックスの回収に成功したとしても、転生者と鉢合わせになる可能性がある。
悪魔じみたチートを持つ、転生者と。
言うまでもなく、自殺行為だ。
「ターニャのやつ、またなんてムチャを……」
「……そういう人よ、あの人は」
マリンダもまた、やりきれない気持ちで呟いた。
「だからこそ、私はあの人の意思を無下にはできない。箱を持って、どこか遠くへ逃げるのよ」
マリンダは力強い口調で言い放つ。
しかし、俺は気付いてしまった。その言葉の裏に隠れた逡巡に。
「……それはお前の意思か?」
「そんなわけないでしょ」
マリンダはきっぱりと言い切った。俯いていて表情は分からないが、声が震えている。
「本当のことを言えば、黒幕をこの手でぶん殴ってやりたいわよ……! 私たちアルヴィー族は誇り高き一族よ、それを、こんな獣同然の姿に……!」
マリンダの膝元に黒いシミが浮かび上がった。――それは涙だ。
あれだけ気の強いマリンダが、ぽたぽたと涙を流し、それでも崩れ落ちそうになるのを必死でこらえている。
「私たちが何をしたって言うのよ……! なんでそんなにも簡単に人が積み重ねてきたものを奪えるの……!? ――ねえ、あんたもテンセイシャなんでしょ!? 答えなさいよ!」
マリンダが身を乗り出して、こちらの胸倉を掴む。
涙が滲んだ彼女の眼光は、変わらず鋭い。普段の俺ならば、きっとまったく委縮してしまったことであろう。
だが、今の俺はそうはならなかった。
何故なら俺の目には、彼女がちゃんとした“人”として映っていたからだ。
人間とアルヴィー族、種族は違えど、彼女は間違いなく思考している。
自らと、自らの仲間たちの尊厳を傷つけられたことに、本気で怒りを、悲しみを覚えている。
そうであれば、恐れることなどは何もない。
俺には目の前の彼女が、一人の、とてつもなく真面目でそして素直な、普通の女の子に見えている。
そしていかなる理由があるにせよ、女の子に“熱のある涙”を流させたこと、じいちゃんは決して許さない。
「――腹が決まった」
俺はゆっくりとマリンダの拘束を振りほどく。
そして翻ると、エンジンキーを回して、再び車のエンジンを始動させた。
「飯酒盃」
「ふぇ?」
飯酒盃が、今更とぼけた声をあげて目を覚ます。
俺はギアを入れて、エンジンをふかした。
「尾崎をかけてくれ、“15の夜”な」
もう迷うことなどなかった。
飯酒盃が「はぁい」とすっとぼけた返事をして、CDを入れ替える。
まもなくカーオーディオから尾崎の歌声と情緒的なピアノの音色が流れだし、俺を鼓舞してくれる。
「ちょ、ちょっとアンタ、何する気!?」
マリンダに問い詰められて、俺はこう答えるのだ。
「――ターニャを助け出してチートボックスも回収! ついでに転生者をぶっ飛ばして、アルヴィーの皆を正気に戻す! これが大正解だろ!」
俺は倒れ伏したアルヴィーの女たちを置き去りに、アクセルを全開にしてパゼロを走らせた。
バックミラー越しに、レトラとマリンダの言葉を失う様が見える。
「キョウスケ様……! そう! それでこそです! 私、キョウスケ様に一生ついていきますからっ!!」
「ありがとよ!」
女神にもらったパゼロで走り出す。
たとえ転生者がどれだけ反則じみたチートを持っていようが関係ない。
今の俺には、飯酒盃とレトラとマリンダと、そして昭和の一世を風靡した最高の歌手がついているのだ!
迷いは晴れた。体の奥から、ふつふつと万能感が湧き出してくる。
――見ているか女神。
俺はチートをもらえなかった、あまつさえあんな劣悪な環境下に転生させられて右往左往するさまは至極滑稽だったろう。
きっとチートをもらえた連中は、悠々自適にこのバカげた世界を過ごせているのだろう。
だけど、ヤツらにはこんなにも頼れる仲間はいないはずだ!
俺の胸の内に決意の炎が宿った。
そして炎が宿った直後に、がこん、と大きく車体が揺れた。
視点がいくぶんか下がり、車はそれ以上前に進まなくなる。
さて、何が起きたのか、さっぱり分からなかった。
「え?」
アクセルを踏み込むと、ぐううん、ぐううううん、と音がする。しかし車は1㎜たりとも前へは進まない。
俺たちは揃って間抜け顔を晒した。
唯一、元から間抜けな顔をした飯酒盃が言う。
「ああ、これは……」
……そういえば、昨日ゴーレムが巨大ヤモリの群れを倒した場所って、この辺だっけ……
「――脱輪ですねぇ」
仮免だったら一発で失格ですよぉ、と飯酒盃がけらけら笑う。
そう、パゼロは昨日ゴーレムの攻撃によってできたクレーターの一つに、すっぽりとはまってしまっていたのだ。
嫌な汗が全身から滲みだす。
ふとバックミラーを見やると、後部座席に座ったマリンダがぶるぶると肩を震わせていた。
ヤバい。
「ホント……何がしたいのよアンタ!!」
「マジでごめん!!」
ちょうどそのころ、この騒ぎで目を覚ましたのだろう後方で眠っていたアルヴィー・ゾンビたちがゆっくりと起き上がり、こちらへ集まり始めていた。
チクショウ! 最近の俺、調子悪すぎないか!?




