31 異世界版八岐大蛇伝説
「た、ターニャ! レベルが戻ったのか!?」
「お陰様でな、そして、ふむ、どうやら私は考えを改めねばならんようだ」
ターニャは巧みに槍を操り、長槍がひゅおんひゅおんと風を切る。その舞うような動きはまるで演舞だ。
以前武器を返せ武器を返せと子供のようにみっともなく跳ね回っていた時とはえらい違いである。
これがターニャの本来の力なのだ。
「私は齢360歳にもなるが、常日頃から同胞たちに酒とは堕落の象徴であると説いた、なんせ先代のそのまた先代、遥か昔から私たちはそう教えられていたからだ。しかし、これまたどうして」
ターニャは槍を地面に突き立て、高らかに笑う。
「正直に言おう! 私はあんなにも美味いものを飲んだのは初めてだ! 堕落? ――とんでもない! むしろかつてないほどに力がみなぎる! 気分もすこぶる良い! 今ならばたとえ這う者が束になってかかってこようが、全く負ける気がせん!」
わっはっは、とターニャは気持ち良さそうに笑っている。よく見ると微かに頰が紅潮していた。
……そりゃあそうさ、なんせあれ、神様が飲む酒だもの。
まあ、それを差し引いても、ターニャは酒との相性が良いらしい。見るからに"良い酔い方"をしている。
なんにせよ、結果オーライだ。
飯酒盃祭のチート"ほろ酔い横丁"が作り出した神酒ソーマは"レベルを1に戻す奇病"に対しても、存分に効果を発揮したのだ。
だが、それはそれとしても
「キョースケぇ!! もう限界じゃ! 抑えきれん!!」
「キョウスケ様っ! お助けください! もう、もう……っ!」
振り返ればゴーレムが頭の結晶から放ったレーザーで、巨大ヤモリの身体を同時に三体分両断していた。
いよいよ怪獣大戦争の様相を呈している。
唯一病に侵されていなかったレトラもそれに加わって、弓による遠距離からの援護射撃でなんとか巨大ヤモリたちを押しとどめているが、ゴーレムの言葉通り、それももはや限界だった。
敵の数が多すぎる。
ゴーレムの圧倒的なパワーをもってしても、彼ら二人だけでは無力な女たちを守りきれない。
「キョウスケ殿! 悪いがまたあの大砲のような拳骨をかましてくれないか! その、ずばーん、と!」
「ゴーレムみたいなこと言わないでくれ! 話すと長くなるから端折るが、あの拳骨は俺が本当の本当に死にかけの時にしか使えないんだよ!」
「なんと不便な! しかしこの量、さすがの私でも仲間たちを守りながらでは分が悪すぎる!」
ゴーレムとレトラに対処しきれなかった巨大ヤモリの群れが女たちを襲っている。
ゴーレムは持ち前の機動力で縦横無尽に動き回りこれを迎撃しているが、さすがに限りがある。
アルヴィー族の女たちも必死で逃げ回っているが、この調子では時間の問題だ!
クソ! 少しでかめのヤモリの分際で! せめて一箇所に集められれば……!
……待てよ!
「名案が浮かんだ!」
人間追い詰められればいくらでも閃きは生まれるのだ!
俺はその場から一目散に駆け出した。
「キョウスケ殿! いったいどこへ……!」
「ターニャ! 何も聞かずに数秒でいいから持ちこたえてくれ! 俺は切り札を持ってくる!」
「……あい分かった!」
そう言うなり、ターニャは驚くべきスピードで大地を駆けて俺を追い越し、目の前に立ちふさがった巨大ヤモリへと斬りかかった。
巨大ヤモリがぎぃぎぃと壊れたおもちゃのような悲鳴をあげる。
「ありがとよ! じゃあ頼んだ!」
巨大ヤモリの傍をすり抜け、パニック状態で逃げ惑うアルヴィー族の女たちや、巨大ヤモリの追撃、更には火の海をかいくぐりながら、俺はある場所を目指して一心不乱に駆け抜けた。
「ゴーレムとレトラももう少しだけ耐えてくれ!」
「キョースケもムチャを言う! しかし頼られて悪い気はせん! なぜならワシはゴーレムじゃから!」
途端、ゴーレムの全身が赤い光に包まれる。
「――ユートピア・ゴーレム・フルパワーじゃ! もう少しと言わず半日ぐらい耐えてみせよう!」
「わ、私もできる限り頑張ってみます!」
「頼りにしてるぞ!」
俺は力を振り絞って駆け抜けた。
こんな状況にあっても相も変わらず、ヒョウタンと盃を手に酒を煽る飯酒盃の下へ。
「――おやぁ恭介君、そんなに息を切らして、一杯やります?」
「お前、ハァ、全然ぶれねえな! その目ちゃんと開いてんのか!?」
糸目の彼女は、最初と全く変わらない場所で胡坐をかいてべろんべろんに酔っぱらっていた。
呆れるを通り越して、もはや天晴である。
目と鼻の先でこれほどのことが起こっているというのに見上げた飲兵衛だ。
いや、しかし、今はそんなことよりも――
「――飯酒盃! お前のそのヒョウタン、望めばどんな酒でも出てくるって言ってたよな!?」
「ええ、そうですよぉ、どぶろくから神話に語られるお酒まで、なんでもござれ~~」
「じゃあ前言ってた八塩折之酒も出せるんだよな!」
「ええ、もちろん出せますよぉ、あ、恭介君やっぱり日本酒が好きなんですねぇ、日本人ですもんねぇ、えい“八塩折之酒”」
飯酒盃は手の甲でぽこん、とヒョウタンを小突いた。
そしてそのまま飯酒盃がヒョウタンを傾けると、ヒョウタンの口から出た液体が、とくとくと盃へ注がれる。
その折に、むせかえるような酒精と甘ったるい香りがつんと鼻をついた。
「はい、八塩折之酒です。すんごいきついので、あんまり飲みすぎるとすぐにぶっ倒れちゃいますよぉ。あれ? 私前もこれ言いましたっけ、まぁいいですかぁ」
飯酒盃が盃を差し出してくる。
俺はこれを受け取らずに――飯酒盃からヒョウタンをひったくった。
「悪い飯酒盃! 緊急なんだ!」
「えっ!? 恭介君!! 私のヒョウタン!! 魔法のヒョウタンっ!!」
普段あれだけぽへーっとしている飯酒盃が、ヒョウタンを奪われると、一転してぎゃあぎゃあ喚き出した。
アル中から酒を取り上げるとこうなるのか……勉強になったような、知りたくなかったような。
なんにせよ俺は身体へしがみついてこようとする飯酒盃の追跡をかわすと、例のヒョウタン型チート“ほろ酔い横丁”を背負って駆けだした。
「あとで絶対に返すから! 少しだけ待っててくれ!!」
後ろからぎゃあぎゃあと飯酒盃の抗議する声が聞こえる。
正直な話、まさかあそこまで狼狽するとは思っていなかったので後のことを考えると少し不安だが……今はそんなことを言っている場合でもない!
俺が一歩、また一歩と踏み出すたび、背負ったヒョウタンからちゃぷんちゃぷんと音がする。
内部で波打った酒は、空気によってかき混ぜられ、ヒョウタンの細口から周囲に発散される。
むせかえるような酒精、甘ったるい香り。
思った通り、これにいち早く気付いたのは、巨大ヤモリどもであった。
ヒョウタンを背負ったまま巨大ヤモリの近くを駆け抜けると、内何匹かが鼻をすんすんと鳴らし、こちらへ振り返る。
俺が酒の匂いを振りまいて走れば走るほど、ヤツらは一匹、また一匹、とこちらへ振り返って琥珀色の瞳をぎらつかせる。
「――おら、クソヤモリども! 酒ならここにいくらでもあるぞ! 欲しかったら奪い取ってみやがれ!」
巨大ヤモリどもが攻撃の手を止めた。そしてその直後。
ざざ、ざざざざ、ざざざざざざ。
俺の挑発が効いたのか、ヤモリどもが続々と俺の背中を追い始めたのだ。
「な、なに!? 這う者たちが突然……!」
レベル1ながらも勇猛果敢に立ち向かい、子供たちを守っていたマリンダの前から、巨大ヤモリたちが一斉に退く。
「こ、これは!」
ターニャと刃を交えていた巨大ヤモリたちも。
「な、なんじゃ!? おい! どこへゆく!」
「は、這う者が一斉に……!」
ゴーレムとレトラの討ちもらした巨大ヤモリたちも。
逃げ遅れた女に今にも食らいつこうとしていた巨大ヤモリも。
子供たちを弄ぶように追い詰めていた巨大ヤモリも。
集落の破壊に勤しんでいた巨大ヤモリも。
まとめて全部、俺、もとい俺が抱えたヒョウタンの中の酒へ標的を変えた。
初めは一匹だったのが、二匹、三匹、やがて大群となって俺の後へ続く。
当然、俺はこの大群から集落中を逃げ回る形だ。
さながらジュラシック・パークの気分である!
「うおおおお! 怖ええ!!」
全力疾走する俺のすぐ後ろには、我先にと仲間を押しのけながら大挙する巨大ヤモリの群れ。
俺はそれでも必死で駆け抜けて、集落中の巨大ヤモリたちを一身に引き受けた。
狙い通りといえば狙い通りなのだが、この状況はいささか怖すぎる!!
――そう、これこそが俺の作戦だ。
八岐大蛇伝説ならば、たとえ学のない俺でも知っている。
それは古事記に語られる神話だ。
かつて須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に八岐大蛇討伐を敢行した。
八岐大蛇は一つの胴体に八つ頭と八つの尾を持つ、ポピュラーな伝説上の生き物である。
平たく言えば、蛇の化け物だ。
そして大酒飲みのことをウワバミと称すように、八岐大蛇もまた酒が大好物であった。
そこを利用して、須佐之男命は八塩折之酒を用意させ、それを八岐大蛇へ飲ませて、べろんべろんに酔っぱらったところで八つの首をはね、八岐大蛇を討伐した、というのが話の顛末だ。
翻ってこの“這う者”と呼ばれる巨大ヤモリ。
ヤモリと言えば爬虫類、爬虫類と言えば大きなくくりで蛇の親戚。
思いつきの作戦ではあったが、ヤツらの血走った眼を見るに、どうやら効果は覿面である!
そしてこの作戦は、これで仕上げだ!
「――おらヤモリども! 熱燗をくれてやる!」
俺は集落中のほとんどの巨大ヤモリたちがこちらへ集中したのを確認すると、その場で踏み止まって急ブレーキをかけ、ヒョウタンを手に取った。
そしてあちこちで燃え盛る炎の一つめがけて、ヒョウタンの中身を力いっぱいぶちまけたのである。
「ああ! なんてもったいない事を!」
飯酒盃の悲痛な叫びが聞こえてきたが、お構いなしだ!
ぶちまけられた酒は高温の炎にあてられて一気に蒸発した。
古来より上等な日本酒は冷酒より熱燗の方が“効く”と相場が決まっている!
気化したアルコールは、膨大な量の水蒸気とともに周囲へ発散され、あたり一帯に酒精をばらまいた。
思わずこちらがくらりときてしまうほどの濃度だ。
これを吸い込んだ巨大ヤモリたちは一斉に目の色を変え、狂ったようにこちらへ押し寄せてくる。
むろんその中心にいた俺は、群がってきた巨大ヤモリたちに押しつぶされるかたちとなってしまう。
「うぐっ!?」
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クワガワキョウスケに 233 のダメージ!
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クワガワキョウスケに 261 のダメージ!
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クワガワキョウスケに 193 のダメージ!
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押し寄せてくる膨大な質量に全身を踏みしだかれれば当然俺もダメージも負うのだが、こんなものHPが100万ある俺にとっては痛くもかゆくもない!
いややっぱ嘘! 痛い! ただ死ににくいというだけでめちゃくちゃ痛い!
だからこそ、こんなのはさっさと終わらせるべきだ!
「――ゴーレム!! やっちまえ!!」
俺は肉の壁の合間から、ありったけの声を振り絞ってゴーレムへ合図をする。
すると――そこはやはり俺とアイツの仲。
以心伝心、阿吽の呼吸。
ゴーレムはすでに天高く跳躍し、夜空に赤く煌めいて、こちらを見下ろしていた。
「もう準備は終わっておる! 少し痛いかもしれんが勘弁するのじゃ!」
ゴーレムの片腕が、ひときわ強く赤い輝きを放った。
それはまるで夜空に煌めく星のように、彼の手の内に、大地より吸い出された“神力”と呼ばれるソレが集中していく。
「――密するは鉄、成すは剣! これこそがユートピア・ゴーレム究極奥義!」
ゴーレムが口上をあげると、彼の周囲に無数の鉄製の剣が精製された。
剣はゴーレムより放たれた赤い光を返し、夜空に煌めいている。
それはかつての理想郷で見た、息をのむほどの満天の星空に、よく似ていた。
……やっぱりゴーレムはかっこいいな。
俺はそんなことを考えながら、巨大ヤモリたちの中へ埋もれていった。
「――大地帰する剣!」
俺がざらざらした鱗に揉まれていると、必殺技の名前らしきものが遥か頭上から響いてきた。
その刹那、天空より降り注いだ流星のごとき無数の剣が巨大ヤモリたちに突き刺さる。
当然、渦中にいる俺とてその例外ではない。
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這う者に 379 のダメージ!
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這う者に 465 のダメージ!
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クワガワキョウスケに 595 のダメージ!
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クリティカル! 這う者に 523 のダメージ!
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這う者に 421 のダメージ!
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這う者に 386 のダメージ!
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クリティカル! クワガワキョウスケに 764 のダメージ!
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歯車のこすれるような耳障りな悲鳴が断続的にあがって、やがてあたりは静寂に包まれる。
ゴーレムの超絶にカッコいい必殺技は、あれだけいた巨大ヤモリの大群を、ことごとく討ち滅ぼしてしまったのである。
そして俺はというと、あまりの痛みに気を失いかけていた。
「ワハハハハ! 作戦は大成功! やはりワシらはベストパートナーよなぁキョースケ! ……ん? キョースケ?」
「きょ、キョウスケ様!? 血! 血が!!」
「お、おい! 早く治療を!」
「ああ、もう、恭介君私のヒョウタン返してくださいよぉ……」
薄れゆく意識の中、そんな声が聞こえた。
異世界転生って、もっとスマートでかっこいいものじゃなかったっけ……
――かくして異世界版八岐大蛇伝説は、ここに終局した。




