3 より良い異世界生活を
人が求めるがゆえに神は存在する。と、異世界転生の女神(仮称)は、言った。
ならば人がたびたびすがり、泣きつく幸運の女神とやらも確かに存在するはずだ。
そしてどういうわけか、幸運の女神なにがしは俺のことが嫌いらしい。
だってそうだろう?
そうじゃなきゃ、たわしと乗用車を餞別に異世界へ転生などさせられたりするもんか。
「どうすんだよこれ……」
周囲は深い霧の立ち込める、見渡す限りの広大な――廃墟。
建造物らしきものの残骸にツタが巻き付き、風化した石畳の上に緑が生い茂っているところを見るに、今の状態になってから結構な時間が経つようだ。
少なくとも数十年やそこらではきかないだろう。
それでは適当な場所に飛ばします。安心してください、どこかの町に飛ばしますのでいきなり死ぬということはないでしょう。では、よい異世界生活を。
とは、俺をここへ送る際の女神の言葉。
確かに町へは送られた。送られた……が
「廃墟となればだいぶ話は変わってくるだろうが!! 人っこ一人見当たらねえぞチクショー!!」
とりあえず叫んではみたものの、俺の声は無人の町をむなしく反響して、あげく霧に溶けるように消えてしまった。むなしさだけが残る。
いったい俺が何をしたというんだ。何が悲しくてたわし片手に、ぴかぴかのパゼロの傍に突っ立っているのだ……
というか今気付いたんだがこの世界、たぶんガソリンとかないよな……じゃあパゼロなんて実質ただの鉄の塊じゃないか。
まぁチートはもらえなかったけどパゼロ四駆だし? 異世界の舗装されていない道もすいすい移動できるからある意味便利じゃね?
などと考えていた自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。
早くも日本に帰りたい……でも女神様は無理って言ってたしなぁ、じいちゃん、一人で暮らしていけんのかな……
ああ、こんな時こそタバコが吸いたい。そういえばこの世界にタバコとかあんのか?
……いや待てよ。
はたと思いついて、俺は自分の服装を見た。
こういう異世界転生モノにおいて異世界に飛ばされた場合、主人公の服装はその土地準拠のものに変わるか、もしくは現世のままか、その二通りがある。
確認してみたところ幸運なことに俺は後者だったようだ。俺の服装は畑仕事用の薄汚れたツナギのままだ。
となれば、必然的にポケットには……!
「おおお! やった!!」
これには素直に喜んだ。俺のポケットには見慣れたソフトケースのタバコがひと箱、それとマッチがひと箱あった。
どちらも使いかけでタバコに関しては残り十本ほどだが、この際贅沢は言うまい。
惜しむらくはケータイを持ち歩いていなかったことだが、どのみちこの世界ではケータイなんてなんの役にも立たないだろう。
俺は喜々として、ひとまずタバコを一本ふかした。
辺りに立ち込める深い霧のせいでマッチがしけってしまい、火をつけるのに少々難儀したが、異世界にあってもタバコの味は変わらないことに安堵し、俺はふうと息を吐き出す。
一服して落ち着いたら、思考がクリアになってきた。泣き言ばかり言っていても始まらない。俺はタバコを咥えたまま状況を確認することにした。
そういえば女神は、この世界にはステータスという制度があると言っていた。
なんの気なしにそんなことを考えると、頭の中にいくつかの数値が浮かんでくる。
----------------------------------------------------------------
クワガワ・キョウスケ Lv1
農民
HP 15/15
MP 4/4
こうげき 6
ぼうぎょ 8
すばやさ 9
めいちゅう 11
かしこさ 15
----------------------------------------------------------------
なるほどこれがステータスか。頭で念じればすぐに出てくるらしい。
農民のわりに他のステータスと比べてかしこさが少し高めというのは誇らしいが、しかし、なんというか、本当に俺、ただのレベル1の農民なんだな……
スキルや魔法が使えるわけでなく、チート能力などもってのほかだ。
……段々気分が落ち込んできた。
「……探索しよう」
俺は短くなったタバコを惜しむように、フィルターギリギリまで煙を吸い込むと、吸殻を足でもみ消した。
それから女神にもらった鍵でパゼロにロックをかけ(限りなく無意味に近い行為であるが)、たわしを片手にこの廃墟を探索することとした。
その姿は、傍から見れば非常に間抜けである。
それと、探索の様子は割愛させていただく。
なぜかといえば、この廃墟はまぎれもなくただの廃墟で、失われた古代兵器とか神秘的な力を宿した何かとか、そういったものが一切見つからなかったためだ。
深い霧の中から見つけたものといえば、すっかり風化しきった瓦礫の山ぐらいなもので、分かったことと言えば、遥か昔ここで生活していた者たちは高度な文明を持っていたということぐらいだ。
あと、これは異世界だから当然なのかもしれないが、この廃墟にはあらゆる場所で得体のしれない植物が群生していた。
毒々しい色のやつとか、尖ったやつとか、なんか近づくとぶるぶる震えてめっちゃキモイやつとか、とにかく世にも奇妙な植物たちのオンパレードであった。
そのせいか、そこらへんを這っている虫やらカエルやらトカゲやらも、なにやらこの世のものとは思えない外見をしている。
そしてこれは幸か不幸か、トカゲ以上に大きな生物はこの廃墟に存在しないということが分かった。
町中でモンスターに襲われて即死、という最悪の可能性は避けられたが、なんとなく悲しいものである。
そうそう、探索中の最も大きな発見、これを報告しなければ始まらない。
――どうやら俺はこの町から出られないだろう、ということだ。
「冗談だろ」
町中に立ち込めた深い霧のせいで分からなかったのだが、俺は町のはずれにて、おそらく最大級の絶望を味わうこととなった。
――少し話は変わるが、ギアナ高地というのを知っているだろうか?
知らない人のために説明すると、南アメリカ大陸北部に位置する、およそ100を超えるテーブルマウンテンからなる高地帯のことだ。
そしてこのテーブルマウンテンというのが地面とほぼ垂直に切り立った山のことで、その標高は3000mに達するものまである。
俺はこれを初めてテレビのドキュメンタリーで見た時、それはそれは感動して、生きてる内に一度は行ってみたいなぁ、なんてことを考えていたわけだが、まぁ、あとはご察しのとおりだ。
眼下に真っ白な雲の海が広がっている。辺りにたちこめた深い霧はすなわちこれのせいだ。
要するに、俺はこのテーブルマウンテンの頂上にいた。
「ええ……」
もはやマトモな言葉すら発せない状態である。
なにやら足元からぎゃあぎゃあと妙な音がするので見てみれば、雲海の中を巨大な影が飛び回っていた。
もしかしてだけどあの影、ファンタジーにはつきもののドラゴンってやつかもしれない。
「誰だ、こんな場所に町を作ろうと考えた馬鹿は……」
もういっそ泣き出してしまいそうだった。