26 湯~とぴあ(前編)
俺がアルヴィー族を救ってやる、か。
思い返すとよくもまあずいぶん恥ずかしいことを、高らかと宣言したものだ。
俺はただの農民である。
神に愛されず、チートもなく、さした苦労もせずに死んでここにいる、ごく普通の人間である。
救う? なんとおこがましい。
俺のような者はさっさと田舎へ帰って米でも作り、せいぜい自国の自給率を無駄に引き上げることに勤しんでいればいいのだ。
そしてそんな卑屈な思考に陥ってしまうのも、全て今の状況が悪い。
「――諸君! 私は先に説明した理由から、この三人を信用に足る人物として認め、彼らを正式に我らが同志として歓迎しようと思う! 異論はないか!」
女たちの間にざわめきが生じる。
いかにも「長の手前、異論は唱えないが賛同もない」といった感じだ。
そりゃあそうだろう、倒すべき敵を追っていったはずの二人が、ようやく戻ってきたと思えば、倒すべき敵と一緒で。
ただならぬ事態を察知したアルヴィー族の女戦士たちがこれを囲むと、先ほどまで不退転の決意を示していた長が「彼らは敵でない」と言う。
極めつけは「同志として歓迎しよう」だ。彼女らが首を傾げるのも当然である。
というか、俺たちが今疑惑の目に取り込まれていることに関してはターニャも悪い!
彼女が持ち前の真面目さを存分に発揮して、先ほど起こったことを懇切丁寧そのままに説明したせいだ。
要約するとこう
「この青年が、ただの拳骨の一発で巨大ヤモリをきれいさっぱり蒸発させてしまった」。
――誰が信じるか! もう少し機転を利かせろ、機転を!
しかし、そんなことを言っても後の祭りである。
「ど、どうも」
俺はにこりとぎこちない笑みを作り、改めて彼女らに挨拶した。
彼女らの表情には、拭い去れない警戒の色がある。
小さな子どもにいたっては、さっと母親の後ろに隠れてしまった。
……俺って笑顔下手なのかな。
では他の二人に、俺の不足分が補えるかといえばそんなことはない。
かたや古代兵器じみたロボット。
かたやこんな状況でも盃を傾ける堕落の象徴、もとい飲んだくれ女である。
信頼しろというのがどだい無理な話だ。
案の定、アルヴィー族の女たちの中には、こんなヤツもいた。
「長、これは一体どういう風の吹き回しですか」
女たちの中から、一歩前へ歩み出てくる者がいた。
見た目だけならレトラよりも若く、上背もないが、いかにも気の強そうな女だ。
手を差し出せば、いきなり噛みついてきそうな雰囲気さえある。
彼女はこちらをぎろりとにらみつける。
「マリンダか、意見があるならば受け付けよう」
「彼は転生者なのでしょう、それともそれは長の勘違いだった、という事でしょうか」
「いや、鉄の身体の彼はともかく、彼らが転生者ということには違いない」
長の一言に女たちがどよめく。
マリンダはただでさえ鋭い眼光をよりいっそう鋭く研ぎ澄ました。
「では、なおさら何故ですか、忘れたわけではないでしょう。転生者というのは己が欲望のまま悪逆非道の限りを尽くす、血も涙もない連中です」
「血は知らんが、涙はあったぞ」
「は?」
さらっと恥ずかしいことを思い出させるな!!
「……ヤツらは箱を持っています、しかもかなり凶悪な、我々が保管する箱よりも強力かもしれません」
「力を持つからと言って、必ずしも敵対するとは限らない」
「危険です」
「――いえ、そんなことはありません」
声をあげたのはレトラであった。
その場の全員がレトラへ視線を集中させる。
しかし衆目の中、彼女は臆せずに言葉を続けた。
「キョウスケ様、そしてゴーレム様は確かに驚異的な力を持っています。しかしその力で、二度も私の命を救ってくれました」
「……レトラ、あなたは子供だから分からないかもしれないけどね。人の信頼を得るということは……」
「しかし恩義には報いなくてはいけません」
レトラは力強く言って、マリンダを黙らせる。
「私たちは誇り高きアルヴィー族です。たとえどれだけ危機的状況にあろうとも、恩義には最大限の敬意を払って報いなくてはなりません。たとえ彼らが腹の内で何を考えていようと」
「……」
レトラの演説に、誇り高きアルヴィー族の一員であるマリンダは口を閉ざさざるを得ない。
それは他のアルヴィー族の女たちも同様だ。
中には目を丸くする者も、納得するように深く頷く者もいる。
そして皆がレトラに注目していたから気付いてないのだろうが、ターニャが今までにないような表情をしている。
今までの凛々しい表情はどこへやら、目尻口角をこれでもかと緩めて、内からこぼれる笑みを隠し切れない様子だ。
にんまり、という形容にぴったり当てはまる。
そしてその表情は見たことがある。
寂しい爺婆が、孫の成長を見る時のソレだ。
しかしそれも一瞬のこと。
ターニャはさっと表情を作り直して、ぱぁんと手を打った。
「さて、決まったようだな、これより我らアルヴィー族は彼らを手厚く歓迎する」
こうして、俺たちはアルヴィー族の集落へ迎えられる手はずとなった。
「歓迎ということは新歓コンパですねぇ、新人はお酌しないと……」
「飯酒盃、ようやく話がまとまりそうなんだから余計なことするな、拳骨くらわすぞ」
「まだ死にたくないので一人寂しく飲みまぁす」
「まぁなんにせよ、結果オーライじゃな」
ゴーレムがほっと胸を撫でおろして言う。確かに、結果オーライだ。
俺もまた安堵のため息をもらすと、今回の功労者、レトラがこちらへ駆け寄ってくる。
「キョウスケ様、私、上手くできてましたか?」
「上出来も上出来、ちょっと感動しかけたよ、お前あんなマトモなことも言えるんだな」
「えへへ、恥ずかしいですね、えへへへ」
どうやら後半の部分は聞こえなかったらしい。
レトラは顔を真っ赤にして、恥ずかしさから身体をくねくねさせている。
「まぁまぁだったぞ、レトラ、その、レトラもようやくアルヴィー族の戦士らしくなってきたな」
これを言ったのはターニャだ。
レトラは「本当ですか!? 恥ずかしいです!」と更に身体をくねらせる。
嘘つけ、なにが「まぁまぁ」だ。さっきあんなにニヤニヤしていたくせに。
「さて、それはともかくとして、まず君たちは……」
ターニャがちらりと俺の方へ目をやる。
そして頭のてっぺんからつま先まで視線を滑らせた。
俺はその視線に含まれている意味が最初分からず、首を傾げていたが、やがて理解する。
……ああ、そういえば俺全身泥だらけだっけ。
「……水浴びでもしてきてはどうかな?」
ターニャの高い鼻が、ひくっと動いた。
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汚い話になるので、あまり考えないようにしていたのだが、それでもそれはまぎれもない事実である。
俺はこの世界に来てからの一か月間、一度も風呂に入っていない。
言うまでもなく、面倒だから入らなかったというわけではない。
むしろ風呂は好きな方だ。大好きだ。
特に薪で沸かした、茹るような熱い風呂が良い。
単純に、風呂などという文化的なものを消費する手立てが理想郷には存在しなかったのだ。
一応、苦し紛れに立ち込めた霧で簡単に身体を流してみたりもしたのだが、それでも気休め程度だ。
なんせ肌着とツナギに関しては貴重な一張羅なので一ヶ月着通しである。
改めて考えると鳥肌が立った。一刻も早くなんとかしなくては、と思った。
そしてターニャに案内されるがまま、集落から出て少し歩くと、草原を断ち割って大きな川があった。
なんでもアルヴィー族の女性はここで水を浴びて体を清めるのだという。
水浴びは良い。
夏場には俺もよく家の近くの小川で水浴びをして涼んだものだ。
まぁ、ほんの数分もすれば無数のメジロアブにたかられて、すたこら逃げ帰る羽目となるのだが。
そういう点では、イヘルキにアブはいないようでなによりだ。
落ち着いて水浴びができることであろう。
しかし、しかしだ。一ヶ月ぶりの入浴である。
贅沢を言えば薪で沸かしたあっつい風呂に浸かりたかった。
浴槽のヘリにもたれかかって、思いっきり足を伸ばし、ばばんばばんばんばん、なんてやりたかったのだ。
もちろん善意で歓迎してくれているターニャにこんなこと言うはずもない。
だから、親友のゴーレムにだけぽろっと漏らした。
すると
「熱い湯に入りたいのか? できるぞ?」
ゴーレムがなんでもないように言うので、思わず「えっ」と聞き返した。
彼は、巨大な手のひらを川べりの地面に押し付けて、大地の精霊と契約を交わす。
するとどうだ、大地より四枚の岩盤がせり上がって来て浴槽の形を成す。
それだけでなく、浴槽の底から滾々と湯が沸き出してきて、あっという間に即席の浴槽に湯船が張ってしまったではないか。
これにはさすがに度肝を抜かれた。
「土の神秘じゃ、地中に埋まった岩盤を表出させて枠を作り、そこへ地熱に温められた水を引いたのじゃが」
「お前最高かよ……」
あまりに感激しすぎて語彙力が死んでしまった。
まさか異世界で風呂――いや、温泉に入れるなんて思いもしなかった。
俺はすぐに泥だらけのツナギやら、下着やらを脱ぎ捨てて、生まれたままの姿でこのゴーレム温泉(仮)へ飛び込んだ。
――その時の快感を、一体どのように言い表せばよいのか。
俺の貧困なボキャブラリィでは圧倒的に言葉が足りない。
しかしあえて言葉にするのなら、こうだ。
体が溶けるかと思った。
「ひぃぃぃぃ~~~~~」
自然と口から出たのは、もはや言葉ですらなかった。
ヤバい、これはヤバい、最高すぎる。
この快感を得るために転生したのだと信じたくなるほどだ。
「どうじゃキョースケ、望み通りのものか?」
「最高……」
もはや最高以外の言葉を失っていた。
全身から疲れという疲れ、ともすれば自我すら湯に溶けだしそうだ。
「生きててよかった……」
ほう、と漏れ出た吐息が、異世界の空へ溶けてゆく。
そういえば現世では明けても暮れても畑を耕すばかりで、温泉など数えるほどしか行ったことがなかった。
こんな思いが出来るなら、異世界転生も案外いいものじゃないか……
さて、そんな風に湯に浸かり、気分も良くなったので「ばばんばばんばんばん」と歌い出そうとしたところ。
「あ、なにあれ!?」
「ゆげだ! おゆだよ!」
「とびこめー!!」
と、声が聞こえてくる。
何事かと身体を起こす間もなく、ゴーレム製露天風呂へいくつかの影が飛び込んできた。
それはアルヴィー族の子どもたちである。布のような服は、まとったまま。
「うお!? なんだお前ら!?」
「あ、テンセイシャだ!」
「やっつけろ!!」
と、アルヴィー族の子どもたち、無邪気に笑って飛び掛かってくる。
「なんの返り討ちだ!」
俺は奴らに対抗して、湯をかける。
きゃあきゃあと悲鳴をあげて、彼女たちが逃げ回る。
そして彼女たちも、反撃に湯をかけてくる。
異世界において、こんなにも童心に帰れるとは、やはり思いもよらなかった。
ちなみにこの話のオチは、誰にも構ってもらえず自棄になったゴーレムが、土の神秘を用いて間欠泉のごとく温泉を噴き上がらせ、俺たちが天高く吹っ飛ばされたことである。




