24 なにかを忘れているような気がする
蜘蛛の糸は、思わぬところから垂らされていた。
理想郷を襲ったチート狂、近藤琢磨。
ヤツから吐き出されたチートボックスのひとつ、“天上天下唯一無双俺俺俺”。
なんの気なしに懐へしまっておいたのが、まさかこんな形で役立つなんて。
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クワガワ・キョウスケ Lv7
農民
HP 231/999999
MP 12/12
こうげき 999
ぼうぎょ 999
すばやさ 999
めいちゅう 15
かしこさ 17
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“天上天下唯一無双俺俺俺”の効果によって、俺の攻撃力、防御力、素早さは、とんでもない数値を叩き出していた。
どうでもいいが、ステータス上の攻撃力、防御力、素早さの数値は999でカンストらしい。
……しかし何故HPは999でカンストにしなかったのだろう?
まぁそれに助けられている手前、あまり強くは言えないが。
「クソッ……! また厄介な“箱”を……!」
ターニャが悔しそうに舌打ちをする。
ボックスによるステータス上昇の効果が周りに知れる形式で本当に良かった。
おかげで彼女らは怖気づいている。
攻撃防御素早さ999などという規格外の存在に、少なからず戦意が削がれたようだ。
よかった、この調子ならば話し合いで解決ということもできるだろう……
そう思ってほっと胸をなでおろす。
しかし、さすがというかなんというか――ターニャは依然戦意を失っていなかった。
「臆するな! アルヴィ―族の女は強大な敵を前に背中を見せたりはしない!」
えっ、なにいってんの?
そして周りの人たちもそれを受けて、なんで覚悟を決めたような目つきになるの?
「いくら化け物じみた力を持っているとはいえ、ダメージは与えられる! さあ弱き者たちを守るのだ!」
意外と冷静だ!!
そして今ので完全にアルヴィー族の皆さんがやる気になってらっしゃる!
こちとら下手に反撃すればジェノサイド、細心の注意を払って防御に徹するしかないのに、この状況は非常にまずい!
いかに防御力がカンストしているといっても、この人数でちくちくと1ダメージずつ突かれればあっという間にお陀仏じゃないか!
「――もう異世界転生なんてこりごりだ!」
俺はとっさに足元で鼻ちょうちんをふくらましている飯酒盃を抱え上げた。
これを好機と見て、アルヴィー族の女たちが一斉に飛び掛かってくる。
――こんな物騒なハーレムだってこりごりだ!
俺は地面を蹴って、高く、高く飛び跳ねた。
俺の身体はぐんぐんと上昇していって、紙に穴でもあけるかのようにたやすく屋根を突き破ると、そのまま屋根の上に着地する。
「なに!?」
でかでかとあいた穴から、ターニャが驚愕の表情でこちらを見上げている。
悪いな、屋根に穴をあけたのは心の中だけで謝っておく。
さて、予想通り囲まれていた。
長の家の周りを、アルヴィー族の若い女戦士たちが囲んでいる。その数およそ20。
さすがに婆さんや子供の姿はないが、それでもこの光景はいっそ壮観である。
「いたぞ! 転生者だ!」
外で待ち伏せていた連中が、ぎりり、と弓を引く。
矢尻の先にあるのは、もちろん俺の姿。
俺はもう一度、屋根を蹴って高く跳躍した。
衝撃で屋根が崩れ落ち、下から短い悲鳴があるが、今はそれどころじゃない。
飛来した無数の矢が、俺の残像を射る。
彼女らがはっと見上げた時、俺は直上にいた。
かんかんと照り付ける太陽の、黒点となった。
遠目に見れば、さぞや綺麗な流れ星に見えることであろう。
俺は彼女らの頭上を綺麗に飛び越えて、砂塵を巻き上げながら着地した。
「じゃあ色々世話になったな、ごっそさん!」
去り際、俺はアルヴィー族の皆さんに別れの挨拶を済ませて、颯爽と走り去った。
さらばアルヴィー族の皆さん、さらばアルヴィー族の集落。
短い間だったが、多分忘れないぜ。
俺はカンストした素早さを存分に発揮して草原を駆ける。
アルヴィー族の集落が、もはや豆粒のようだ。
そういえばなにかを忘れているような気がする。
はて、なんだったかな?
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「――ワシのことを忘れておったじゃろう!!」
そういえばそうだった……
忘れられていたことがよっぽど不服だったらしく、ゴーレムは丸太のような腕をぶんぶんと振り回している。
なんなら少し涙声だ。
「すまん、悪かった、こっちも殺されかけてて、必死だったから」
「ワシだって殺されそうになったわ! 死にかけたわ! 危機一髪だったわ!」
「でもその感じだと大丈夫だったんだろ」
「当たり前じゃ!」
ゴーレムはふんすと、胸を張ってふんぞり返る。
「アルヴィー族だろうがモンスターだろうが、ワシに勝てるヤツなどおらんのじゃ! いいかよく聞け!」
割愛、はさすがにかわいそうなので要約する。
なんでもあの後、アルヴィー族の女たちに「集落を案内する」と言われ、ゴーレムは村の外れにまで連れ出されたのだそうだ。
最初に落とし穴、見事にひっかかってゴーレムは身動きがとれなくなる。
あれよあれよという内に投網、これもまたゴーレムの動きを封じるものだ。
そして極めつけには隠れていたアルヴィー族の連中が現れて、ゴーレムの無力化を試みた。
しかしここからがワシの腕の見せ所――とはゴーレムの談。
ゴーレムは土の神秘を用いて早々に穴から脱し、力任せに網を引きちぎった。
それからはもうゴーレムの独壇場。
鋼鉄のボディは放たれた矢も、研ぎ澄まされた刃もものともしない。
アルヴィー族の屈強な戦士たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
……今回は本当にちぎってはないらしいので、そこはひとまず安心した。
「気絶させるだけに留めておいたわ、キョースケにあまりグロいもんは見せられんからのぅ」
「その気遣いは素直に嬉しいわ」
こちとら平和な現代日本からやってきているのだ。
そんなスプラッターなものは想像したくもない。
「それにしても、キョースケの方も間一髪じゃったな、“ちーと”に助けられたのう」
「上にいた頃は散々に辛酸を舐めさせられたけどな」
俺は胸ポケットの内から黒いボックスを取り出して、まじまじと見つめる。
表面には「天上天下唯一無双俺俺俺」と記してあり、ご丁寧にデフォルメ化された女神のイラストまで添えられている。
イラストの女神は、ぺろり、と舌を出してウインクをしている。
憎たらしい。可愛さ足りずに、憎さ1000倍。
「それにしても“ちーと”というのは当人以外でも使えるもんなんじゃのう」
「そうなんだよな、意外とダメ元だったんだが、助かった」
「どうじゃった? 念願のちーとの気分は?」
「まぁ良かったよ、最初はな」
ボックス使用直後は力のみなぎるような感覚があり、ある種心地よかったが、あくまで最初だけだ。
すぐに充実感にとってかわってゆるやかな倦怠感が満ち、最後の方など頭痛と軽い吐き気さえあった。
重い風邪をこじらせた次の日の、病み上がりのあの感じに似ている。
かと思っていると、ぽろーん、と零れ落ちるように、自然とボックスが排出された。
「近藤琢磨はそんな様子なかったが」
「なんじゃろ、体質が合わんのかのう」
「そんな薬みたいな……」
言いかけたところで「ごがっ」と汚い音がした。
俺とゴーレムは同時に視線を音の方へ向ける。
それは、律儀にもゴーレムが持って帰ってきてくれたパゼロの助手席で、気持ちよさそうに眠る飯酒盃祭のイビキであった。
「……こいつ全然起きねえな」
「もうそのへんに放り出しておかんか?」
むにゃむにゃ、もうのめませんよお。
飯酒盃はそんな、そこはかとなくむかつく寝言をつぶやいて、寝返りをうった。
あの巨大なヒョウタンは、彼女の抱き枕の役割を果たしている。
「そういうわけにもいかないだろ、一応、女だし」
「キョースケは優しいのう、その優しさの半分でも親友にくれんのかのう……ああ、でもワシはゴーレムじゃしなあ、所詮人間の女子ではないしなあ……」
あ、やばい、またゴーレムの卑屈スイッチが入った。
これは面倒なことになる、さあどうしたものか……
そんな風に思案していると――背後から声が聞こえた。
「ハァ、お、追い詰めたぞ……転生者……!」
えっ、俺とゴーレムは同時に声をあげて振り返る。
俺たちの後ろには、はちきれんばかりの褐色肌に、玉の汗をいくつも浮かべたターニャ・エヴァンの姿があった
いや、よく見るとその後ろにはレトラもいる。
どちらも肩で息をして、いかにも疲労困憊といった様子だが……
「え、なんだ? まさかお前ら追いかけてきたのか?」
素早さ999の俺が、新幹線もかくやというスピードで、10分近くかけて走り続けたのだぞ。
もはやアルヴィー族の集落など影も形も見えないのに、まさか、あそこから追いかけてきたのか。
……いや、諦めろよ。
出ていけ、と言われて出て行ったんだから、もう諦めろよ。
ターニャは、きっとこちらをにらみつけた。
「また……また、ハァ、集落に戻って、ハァ、復讐せんとも限らん……! 転生者とは、ふぅ……、それほどに狡猾だ……!」
「いや、確かに俺は転生者だよ? でもお前らをどうこうしようなんてつもりはないって、最初から言ってるじゃないか。ていうかいったん呼吸整えろ」
「私は……どうしてもキョウスケ様が、そんな人には思えなかったんです……」
そう言ったのは、レトラだった。
ターニャは、鋭い視線でレトラをにらみつけた。
「おい、レトラ! お前はまた……!」
「長、今度こそ絶対に……!」
「レトラ! お前は素直すぎる! 転生者なぞ、転生者なぞ……っ!」
レトラは、槍を構えて、感情任せにこちらへ切りかかってきた。
――まずい!
今の俺はチートの恩恵を受けていない! こんな状態で攻撃を食らえば……!
レトラがターニャを止めに入り、ゴーレムがとっさに間へ割り込もうとするが、手遅れだった。
ターニャの振るった刃は、俺の胸に振り下ろされて――
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クワガワキョウスケに 10 のダメージ!
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すぱん、と俺の胸に小さな切り傷を残した。
じわりと小指の爪の先ほどの血がにじむ。
……えっ?
「くっ!」
ターニャはすぐに体勢を立て直して、もう一度切りかかってくる。
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クワガワキョウスケに 7 のダメージ!
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すぱんっ、と二つ目の小さな切り傷が刻まれる。
今度は薄皮が切れただけで、血さえ滲まなかった。
もう一度、ターニャの斬撃が飛んでくる。
もはや微塵も恐怖していなかった。
「もしかして、お前」
そういって、俺はターニャの振り下ろした刃を受け止める。
真剣白羽取り――などという大層なものではない。
両手で蚊を潰すよりも楽な作業であった。
「……めちゃくちゃ弱「言うなぁっっ!!!!!!」
涙目になりながら、ふーっ、ふーっ、と威嚇する猫のような声をあげるターニャ。
その顔面は、尖った耳の先端に至るまで、あますところなく真っ赤に染まっていた。




