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1 農家、殺される


 ――リライフ教、通称“異世界教”とも呼ばれる怪しげな宗教は、ここ数年で爆発的な広がりを見せた。

 日にバスが二本しか通ってないウチのようなクソ田舎でも信者がちらほらいるのだから、それは相当なものなのだろう。

 

 「ドジっこ女神と和解せよ」

 「死後、チートハーレムを築く」

 「異世界はすぐそこだ」


 これらは全て家の近所の看板に書いてあったありがたいお言葉である。

 世も末、というか新しいステージに移行しかけている気さえしてくる。

 

 更に熱心なことに連日信者が家まで押しかけてきて、ありがたい説法を聞かせてくれる。

 なんでも「現世での生が惨めであれば惨めであるほど、死後素晴らしい異世界へと転生させられ、チートハーレム欲望の限りを尽くせる」のだという。俺は眉をひそめるばかりだ。


 信者は毎度布教の度に教本を置いていく。


 「デスマーチで本当に死んだ俺は異世界で奴隷ハーレムを築く」

 「ゲーム廃人は異世界でも廃スペックでした」

 「異世界レストラン始めます」

 「ぼくはスライム」


 捨てるのももったいないので毎日農作業などの空いた時間に読んでいるのだが、そこそこ面白い。無料で貰える娯楽と思えば最高だ。

 ちなみにリライフ教に入信するつもりは一切ないのであしからず。


 そろそろ俺の話をしよう。

 俺の名前は桑川恭介、今年で22になる。

 幼い頃に両親が交通事故で死んだため、母方の祖父母に引き取られて、今はこんなコンビニもないようなド田舎で農業を手伝いながら暮らしている。

 別に引きこもりでも、ブラック企業に勤めているわけでも、ゲーム廃人でも、いじめられてるわけでもない。

 本当の意味で何一つ特筆するところのない、つまらない大人だ。

 

 祖父母の話をしよう。

 祖父の桑川庄三郎はとんでもなく考えの古い人間だった。

 男が多くを語るのは格好悪いと信じている。

 男はどんなにつらい時も耐え忍ばねばならないものだと信じている。

 女は男のために尽くし男もまた全力で女を庇護するものだと、男女平等のこの時代でも本気で信じている。

 そのため、いわゆる最近の若者と女に対して非常に厳しい。


 今考えると、祖母はスーパーウーマンだったのだ。

 家事全般を一人でそつなくこなし、その上で農業の手伝いも完璧、家計を管理していたのも祖母だ。

 なにより、あの祖父の面倒を見ていたというのがすごい。

 わかめ入りのカップ麺を好むくせにコンロでお湯も沸かせないようなあの不器用な祖父を支え続けた点に関しては、本当に尊敬の念しかない。


 だから、祖母が先に逝った時、俺は覚悟をしなければならなかった。

 俺は祖母に代わって、あの頑固おやじの世話をしなければならない。さもなくば祖父も死んでしまう、と。


 祖母の代わりは思った以上にキツかった。

 朝は5時起き、掃除洗濯料理、全てをこなして日が昇る頃には畑へ向かう。

 そして日が暮れる頃にようやく畑仕事が終わり、くたくたになって家へ帰れば、今度は夕飯と風呂の支度だ。

 寝る前には家計簿をつけ、床に就くのは午後10時。そうでなければ身体が持たないからだ。

 少しでも弱音を吐けば祖父はお決まりのセリフを吐く。


「最近の若いもんは」「背筋をしゃんと伸ばせ」


 口答えをしようもんならげんこつが飛んでくる。

 ちなみに祖父は若いころ米俵を三つ抱えて山を越えたという伝説が残っているため、殴られれば丸二日たんこぶが消えなかった。


 この野郎、いつか殺してやるぞ。

 なんて悪態をつきながらも、俺は祖母の代わりを務めていた。

 そんなある日のことである。


 その日の朝、祖父とともに朝食を食べながら朝のニュースを見ていると、ちょうどリライフ教に関してが取り上げられていた。

 なんでも、都内某所でリライフ教団の教祖が数人の信者とともに集団自殺をしたらしい。

 祖父はこれを見て呟いた。


「キ○ガイどもが」


 祖父と意見が一致するのは、大変珍しいことだったので、よく覚えている。

 そしてその直後、いつものごとくリライフ教団の信者が布教にやってきた。

 彼は田中耕太と名乗るやせぎすの男で、俺よりもずいぶんと若い。

 いつも通り適当に話を聞いてから追い返してやろうとしたところ、珍しく祖父が信者の応対にあたった。


「生前惨めな思いをした者は皆異世界へと転生し、欲望の限りが尽くせるのです!」


 祖父に対してもいつも通りの文句を吐いた田中君であったが、残念ながら相手が悪かった。

 おそらく先ほどのニュースを見て思うところがあったのだろう、祖父はいきなり田中の顔面を得意のげんこつでぶん殴ったのだ。

 田中は吹っ飛んだ。そりゃあもう、格ゲーか何かみたいに吹っ飛んで、のけぞって、転がって、そして鼻血を流しながら目を白黒させていた。


「ウチは真言宗だ」


 祖父は最後にそう吐き捨てて、ぴしゃりと戸を閉めた。

 そうしてクソガキこと田中耕太君は、情けない悲鳴をあげてあえなく逃げ去ったわけである。

 祖父の行為は決して褒められたことではないだろうが、内心ちょっとスカッとしたのは事実だ。


 ここまでが今朝の話。ここからは今の話。

 日も沈み始めたころ、俺はその日の分の畑仕事を終えて、祖父とともに帰路へ着いていた。


「じいちゃん、今日は何食うよ」

「任せる」


 一応聞いてみたが、想像通りの回答だ。

 祖父は多くを語らない。それこそが男だと信じているからだ。

 だが、たまにはあれが食いたいとかこれが食いたいとか、気の利いた返しをしてほしいものである。


「じゃあ今日はわらびの味噌汁と納豆な」


 祖父は返事をしなかった。それで良いということなのだろう。

 そんな風にぽつりぽつりと会話を交わしていると、おもむろに祖父が歩みを止めた。

 なにかと思えば、切り立った崖の下にある畑を眺めている。


「最近、岩倉のとこの畑を猿が荒らしていくらしい、何度追い払っても来るそうだ」

「有刺鉄線でも巻けばいいんじゃないか」

「見せしめに一匹打ち殺せればいいんだけどもな」


 表情も変えずに物騒なことを言うジジイである。


 祖父は考え事をする時に、いつも一時停止でもかけられたかのようにぴたりと固まって動かなくなってしまう。

 俺は祖父から少し離れてタバコを吸うことにした。

 祖父も昔は吸っていたらしいが、医者に止められて今は禁煙中。

 禁煙をしている人間の前でこれ見よがしにタバコを吸うのは忍びない。


 そんな具合でタバコをくわえ、マッチで火をつけようとしていると背後から気配を感じた。

 きっと近所の誰かだろうと思って振り返ってみれば、そこにはずんずんとこちらへ歩を進めてくるリライフ教の信者――今朝、ウチへ布教にきた田中耕太の姿があった。


 今日もまた日が暮れるまで布教活動か、熱心なことで。


 などと考えながら見ていたのだが、どうも様子がおかしい。

 ヤツの血走った眼は、畑を見下ろす祖父を捉えており、それ以外は目に入っていないご様子だ。


 まさか、いやそんなわけあるまい。


 自らのバカげた妄想を振り払って、自嘲したように笑う。

 しかし、しかしそのまさかだった。

 田中耕太は、右手にナイフを握りしめていたのだ。


「じ、じいちゃん!」


 俺が声をあげるのと同時に田中耕太がナイフを振り上げ、駆け出した。

 すかさずタバコを吐き捨てて祖父とヤツの間に割って入り、左の肩にナイフを受ける。

 痛い、というよりも熱い。刺された場所を中心に熱が広がっていく。


「くく、桑川恭介……! 邪魔をするな! おお俺はそこの爺さんを救済しなくちゃならない! 現世の苦しみ、朽ちた肉体から魂を解放して……!」


「腐ってんのはてめえの脳味噌だ!」


 俺はすかさず右の拳を握りしめ、田中耕太の顔面にじいちゃん直伝のげんこつを食らわせてやった。

 げんこつはクリーンヒット、とはいえ、じいちゃんのように吹っ飛ばすとまではいかない。

 田中耕太は情けない悲鳴をあげ、ナイフを握りしめたままよろめいた。

 肩に激痛が走り、俺は思わずヤツと同じ方向に体を傾ける。

 それがいけなかった。


「!?」


 俺たちの身体はいともたやすくガードレールを乗り越え、そのまま中空に放り出されてしまったのだ。

 世界が傾いていく。やがてそれはさかさまになる。


「恭介!」


 直前になって、祖父の呼ぶ声が耳に届く。

 頭の中を、様々な思考がかけめぐっていた。

 そして最後に考えたのは、一人残される祖父のことだ。

 俺は、祖父に応えて叫ぶ。


「――じいちゃん! お湯を沸かすときは完全に火がつくまでツマミを回すんだぞ!!」


 結局のところ俺のように何もない人間の遺言なんて、かくも間抜けなものなのだ。

 こうして俺と田中耕太は切り立った崖の上から落下し、二人仲良く首の骨を折って死亡したわけである。


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