森の一幕
じわりと額に冷や汗が滲んでくる。
全身が強張るほどの緊張感が身を包み、剣を握る手に力がこもった。
『ぐ、ぐるる……!』
相対しているのは緑のまだら模様が特徴的な亜人種の魔物。荒削りの棍棒を担ぎ、ぎらぎらと赤い眼光を向けている。
城の北に広がる暗月の森に生息する魔物、ゴブリンだ。それも二体。
俺は剣を構えながら、ゴブリンたちの挙動に集中していた。
これは実戦だ。軽いミスでも死に直結するかもしれない。
例えレイアが後ろで控えていたとしても決して油断できない。
生死のやり取りをしている、その実感が必要以上に重くのしかかり、大して動いていないというのに息が荒くなっていた。
彫像のように固まりながら向かい合っていたのだが、先に均衡を破ったのはゴブリンの方だった。
『ごあぁッ!』
『ガッシュ、ガッシュッ!?』
ゴブリン二体が示し合わせたように左右に分かれ、棍棒を振りかざした。
「ぐぅッ」
突然の行動に俺の頭は真っ白になってしまったが、身体は自然に対応してくれていた。ミュルミルとレイアの施してくれた訓練のおかげだ。
まずは右、一気に間合いを詰めると頭上から降ってきた棍棒を身をよじって躱す。そして、勢いのまま剣でゴブリンの胴を切り裂いた。
『ぎゃ、ぎゃう!』
肉を切り裂く感触に鳥肌が立つ。ゴブリンの腹部から噴き出した血は地面を汚し、俺の服にもわずかにかかった。
やっぱり抵抗があるな。魔物とはいえ生きているものを殺すことには。
不快感に剣を取り落してしまいそうになるが、ぐっとこらえる。
まだ敵はいるのだから隙を見せるわけにはいかない。
強く剣を握りしめ、もう一体のゴブリンと向かい合った。
仲間がやられたことに一瞬、動揺したようだったが、強く踏み込んでくる。
ゴブリンの動作をよく見たうえで、カウンターの要領で剣を下から振り払う。
黒い剣は綺麗にゴブリンの醜い顔を断ち切り、身体は力なく地面に転がった。
致命傷だ。倒れる前にはもうこと切れていただろう。
「ふぅ~」
周りに敵がいないことを確認していたうえで剣を鞘へとしまった。
何とかなった。生きていることに心からの安堵の息が漏れた。
瞬間、パチパチと手を叩く音が耳に届く。
「上手……だいぶ、戦いにも慣れてきたね」
右上を見上げると、太い木の枝に器用に座り込んでいる少女の姿が。レイアは無表情に俺を見下ろしながら拍手をしていた。
「動きも悪くなかったよ……頑張ったね」
重力を感じさせないような着地で降り立つと駆け寄ってくる。
「あ、あはは……まだ足が震えているけどな」
情けないとは思うがこればっかりは自分の意志でもどうしようもない。やっぱりまだ実戦は怖い。
一週間前から俺の訓練の内容はがらりと変わった。
人形相手の訓練や自室で魔導書との睨めっこする日々は終わり、実戦経験を積むことを主眼に置いた訓練となった。
今いるのは城の北に広がる深く陰気な森林、暗月の森だ。
ここは多くの魔物が生息している危険な森。
群れで動き、強靭な歯を持つバケネズミ。
巨木に張り付き、毒液を吐く芋虫のような魔物、ワークワーム。
恐るべき突進力を持つ猪、ドルス。
そして今、倒したような魔物にしては高い知能を持つ緑色の皮膚が特徴的なゴブリン。
これらを相手にしながら、実戦の……つまりは命のやりとりを俺は体験している。
「戦いにはまだ慣れないか……」
この森で様々な魔物と戦ったが、やはり人形相手とはまるで違う。生き物であるためか、行動は不規則で個体差も大きくあるため、動きが読みずらい。
先ほどのゴブリンの戦闘では無傷で勝てたけど、次も上手くいくのやら。
俺の深いため息を聞いていたのか、先を歩いていたレイアが振り向いた。
「そんなことは無いと思うよ?さっきの戦いは良かった、逃げ回っていた一週間前に比べれば、大きな進歩」
「いや、一週間前のことを持ち出されてもな……っていうかあの時のことは忘れてほしい」
一週間前、初めて魔物と遭遇した時のことは本当に思い出したくない。
俺は初めて命のやり取りの場に立ったんだけど……いや、あれは戦いって呼べるものじゃなかったよな。
殺されるかもしれない、殺さなければならないという二重の恐怖のせいで俺は平常心を失い、剣を投げ捨てて逃げ出してしまったのだ。
獲物を狩る肉食獣のごとく、血に飢えた魔物たちに散々と追い回されてしまった情けない姿。泣き叫び、無様に命乞いをする様。
その姿を見たミュルミルには散々罵倒され、プライドというものを粉々にされてしまった。
だが、まぁ、言い訳をさせてもらうなら俺はこの異世界に来るまでは喧嘩もろくにしたことのない平凡な青年だったんだ。それを考えればまぁ、しょうがないことじゃないか?
まぁ、何にせよ。魔物との戦いをこなしていく中でようやく何とか逃げずにまともに戦えるようになったわけだ。
だが、それでも戦闘中は体に不自然な力がこもり、ぎこちなさが消えない。
それはまだ、俺の心の中に命のやり取りに対する怯えが残っているせいだろう。
こればかりは根性や気合でどうにかなるものとは思えない。戦闘の経験を重ねることで克服……もしくは麻痺させるしかないだろうな。
顔をバシンと叩き、気を引き締めながらさらに森の深くへ入り込んでいった。
魔物と遭遇するたびに律儀に倒していきながら進んでいく。
しばらく進んだ後で、疲労を感じたので休憩を取ることにした。
周囲の木々と比べて一回りも大きい巨木の根元。
地面に浮き出した巨大な根の上に腰を落とし、食事を取ろうとしていたのだが……
「ん?……何をしているの」
周囲の探索から帰ってきたレイアが俺の方を見ながら小首をかしげていた。
「料理だよ、さすがに干し肉と果物だけの生活には飽きてきたからさ」
俺は城から持ち込んできた鍋を使って、スープを作っていた。具は道中で仕留めたドルスの肉。それに香草やら干し肉をぶち込みかき混ぜているところだ。
ほかにも動物の油や塩を入れながら味を調整していく。
その様をレイアは興味深そうに見ていた。
「タケは器用なんだね……料理ができるんだ」
「う~ん、得意じゃないけど、しょうがなくだな」
もういい加減、質素すぎる食事に飽き飽きしていたんだ。飯が不味くては本当に気が滅入ってしまう。
食べ物が干し肉と果物だけというのはさすがに限界だ。味の濃いジャンクフードで育ってきた現代っ子としては物足りないにもほどがある。
何とかこの食生活を改善しようとここ最近は料理に打ち込んできた。
食べられそうな草花や調味料を調べていく毎日。
食当たりに悩まされながらもようやく美味いと思えるようなスープを作ることに成功したのだ。
そろそろ完成かな?木杓子でスープをすくい味見をしてみる。
うん、丁度いい塩加減だ、完璧!
椀にスープを移して、さぁ食べようかとした時、未だに不思議そうに眺めているレイアの存在に気付いた。
「……その、もし良かったらレイアもどう?食べないか?」
「……え?」
「魔族ってあんまり食事を取らなくてもいいんだよな?でも、もしお腹が空いてたら一緒に食べて感想を聞かせてもらいたいかな~なんて……」
感情もなくただ自分を見つめるレイアの瞳になんだか妙に焦ってしまう。気が付けば逸るように言葉を紡いでいた。
「ほ、ほら!俺だけ食べるのもなんだか気まずいしさ!ご飯は一緒に食べたほうが美味しいし!」
今さら引くに引けず、妙な切迫感に駆られながら言葉を吐き出していく。
レイアはただ少しだけ目を見開きながらじっと見つめていた。
こりゃダメか?と思ったが、不意にレイアは俺の隣に腰を下ろしてきた。
「じゃあ、私ももらうね……」
レイアは小さく頷くとためらいがちに俺の差し出した椀を受け取った。こんなこともあろうかと二つほどお椀を持ってきて本当に良かった。
木製のスプーンを手に取るとレイアはゆっくりとスープを口へと運ぶ。
俺はドキドキしながら横目で見つめていた。
薦めといてあれだけど、レイアの口に合わなかったらどうしよう?
不味いとか言われて椀を投げつけられたら、かなりショックなんだけど……まぁ、レイアはそんなことはしないか。
「……どう、かな?」
「うん……あったかい」
うん……そりゃスープで出来立てだからね。あったかいのは当然だ。俺が聞きたいのはそういうことじゃないんだが……。
「それに……胸がほっとする」
レイアは再び二口目を口にする。俺は若干ほころんだレイアの表情にただ見惚れていた。
美味しいという言葉は聞けなかったけど、どうやら彼女の口に合ってくれたらしい。
これで一安心。俺も自分のお椀を手に取りガツガツと食べて胃袋を満たしていった。
うん、美味しい!ただもうちょっと具があってもいいかな?
「レイアは料理とかしないのか?」
「うん、しないよ……私だけじゃなくてほとんどの魔族が料理はしないと思う。魔族にとって食事は必須なものじゃないから」
そうなのか、なら料理をする習慣が無いのも無理はないかな。
それにしても勿体ない。食べることが唯一の趣味といえる俺にとって料理の習慣が無いというのは考えられなかった。
二人で並んでスープを食べていく。
胃袋と心を満たしていくなかでふとこの間、魔王様と話したことを思い出した。
レイアは俺のことをどう思っているんだろう?
嫌われてはないと思うのだが……両親を人間に殺されたと聞いた後じゃ自信が無い。
聞いてもいいのかな?デリケートな問題なのは分かっているが、どうしても知りたい。
「なぁ……レイアはその……人間のことを憎くはないのか?」
「え?……急にどうしたの?」
「いやぁ、レイアとミュルミルのことをさ、魔王様に聞いたんだ。母親も人間に殺されて父親である魔王様も勇者に倒されたんだろう?それ聞いたらミュルミルは露骨に俺を嫌っているのも仕方がない気がして……それで、その……レイアは人間のことをどう思っているのか気になって、さ」
躊躇いがちに尋ねて、すぐに後悔した。
これは迂闊に聞いていいことじゃなかったかもしれない。
でも、今さら、撤回するわけにもいかず、スプーンを止めて悩むレイアを見ていた。
「……人間は、苦手かな?皆、魔族のことを怖がっているから」
「え?怖がっているから苦手なのか?」
「うん、怖がられるとね、私も怖くなっちゃうから……恐怖で胸が一杯の人間はどんなに説得しても聞いてくれないの。だから戦うしかなくなっちゃうんだ……」
しんみりと物思いに沈みながらレイアはたどたどしく答えた。
うん、そうなのかもな。恐怖に支配された人間との会話はひどく難しい。
自分のことばかりを考えてしまい、暴力的になってしまうと聞いたことがある。
「魔王様……父さんと母さんを殺した人は憎いと思うけど……だからって人間全部が悪いわけじゃないから」
レイアが言っていることは至極当然でごく普通のことだ。
だが、それを実践するのはとても難しいことだというのは世間知らずの俺でも分かる。
凄いな、と何の含みもなく思う。
「それに人間にも良い人がいるって分かったから……タケのおかげで……。人間だけど、私はタケが好きだよ」
「なっ!ちょっ!好きって!」
わ、分かってるぞ!レイアの言う好きは友達としての好きだ。
決して桃色のものではないのは分かってる!
でも余りの突然で、しかもストレート過ぎる言葉に顔に熱が集まってしまう。
うわっ、今、俺の顔は真っ赤だろうな。
「あのな、レイア!そういうことは人に、ましてや年頃の男に言うものじゃないの!」
勘違いしてしまうじゃないか!
「?……でも、ホントのことだから……タケは優しいし、温かいから好きだよ」
正直すぎるっていうのも考えものだよな。
あたふたとしながら、素直すぎる少女に困り果てる・
でも、良かった……レイアに嫌われていなくて。
「だからきっと大丈夫だよ……今は駄目かもしれないから、ミュルミルちゃんもいつかタケの良いところを分かってくれると思う……きっと仲良くなれるよ」
「だと、いいけどな~」
ミュルミルに俺を嫌う理由があろうと俺には彼女を嫌う理由が無い。
それどころか彼女の過去を知った今、憎むのも仕方がないのかと思うぐらいだ。
できればミュルミルとも仲良くしたいけど、やっぱり時間がかかるかな?
たわいもない雑談をしながら和やかに食事は進んでいく。
「ありがとう、タケ……食事って良いものだったんだね……また作ってくれる?」
「あ、あぁ!もちろん」
俺みたいな素人の作った料理よりもきっと遥かに美味しいものがあるだろうけど、レイアに頼まれたのなら何度でも作ろう。
ほっこりしながら、まだ温もりのあるスープを飲み干したのだった。