親子
この廃城に飛ばされてからいつの間にか一か月ほど経過した。
苦痛に耐え、罵声に耐え、慣れない環境に胃が痛くなる毎日だった。何もかも投げ出して失踪してしまおうかと思ったのも何度かある。
それでも人間には順応性があるもので俺は徐々にだが、この廃城での生活に慣れていった。
ただそれでも元の世界へと帰りたいという欲求は消えることなく胸にとどまりつづけ、時々ホームシックに駆られる。
父さん、母さん、伯父さんの顔が頭によぎると無性に泣きたくなってしまう。
ただそんなセンチメンタルな心も訓練で忙しい毎日に少しずつだが鈍化していった。
そして現在、俺は自室にこもり、本を読み漁っていた。この廃城の四階には広大な図書館が設置され、膨大な量の書物が置かれている。
何年も放置されていたため、大半が触っただけでぼろぼろと崩れてしまうようなありさまだったが、中にはまだ読める本もそこそこ残っていた。
その中から有益であろう書物をレイアに厳選してもらい、こうして読み漁っているのだ。
いつかこの城を出て旅に出なければならない。そのためのこの世界の知識をある程度は身に着けておかなければいけないのだ。
書物から、またはレイアからの話を整理するとこの世界、というかこの大陸には様々な種族がいるらしい。
魔族、獣人、森の守り人とも呼ばれるエルフに、人間。他にも多数存在している。
獣人というのは文字通り、獣の特性を内に秘めた種族だ。主に大陸の東で部族単位で暮らしているらしい。身体能力に優れており、他種族よりも遥かに頑丈だとか。
やっぱり猫耳とかふさふさの尻尾があるのだろうか?もしそうなら……ロマンがあるよな。
エルフは深い森の中にひっそりと住む自然を愛する種族だとある。とんでもなく美しい容姿をしているとも書いてあった。
ただし、人間……というか他の種族が大嫌いらしい、交流などはほとんどないようだ。心を奪われてしまうほど美しいとあるので、一度は会ってみたいと思うのだが……やっぱ難しいか?
人間。遥か昔に他の大陸から移り住んできた者達で主に大陸の中心部に王国を建立しているらしい。
人間がこの大陸に来訪したのは五百年前のこと。あっという間に勢力を拡大して今では魔族と張り合うほどにまで成長した。
そして最後に魔族。最古の種族であり、強力な肉体と魔力を持ち合わせた種族だ。人間が来るまでは大陸の覇者として絶対の力を誇っており、気位も高い存在だ。
魔族の性質といえば絶対の実力主義。
まさに力こそ正義という連中だ。
魔族という種族の頂点に立つものこそ魔王と呼ばれる存在らしい。
本を見て分かったことだが、どうやら魔王というのは特定の一人を指し示す言葉ではなく、世代ごとの種族の主を指し示す言葉だという。
魔王というのは世襲ではなく魔族の中で最も強力な者が先代魔王により任命される。
あのアグバイン様は第七四代目らしい。
歴代最強といえる魔力を誇る武人であり、【歴代魔王書】と題名の書物には凄まじい美辞麗句が並んでいた。
これらの本は、魔族が記したものだけにほとんどが身内びいきの情報ばかりだった。
魔族は高等な種族だの、他種族は下等で劣った存在だの、読んでいてうんざりしてくる。
様々な本を読んでこの世界についての大まかな知識を得ていったわけだが……忘れてはいけないのはこれらの書物は二百年前のものだということだ。
現在もそのままという保証もなく、多くの変遷があるだろう。そればかりは自分で調べていくしかない。
勧められた本を読み進めていたのだが……グウと胃袋が空腹を訴え始めた。
「飯食いに行くか……」
決断は一瞬。長いこと部屋に篭りきって本ばかりを読んでいるのは精神衛生上、さすがに悪すぎる。
俺は部屋を出て、長く薄暗い廊下を歩いていく。蝋燭の火だけが光源の通路を進み、階段を下りていった。
たどり着いた先は城の規模に比べては小さな食堂。
その奥に入り込み、棚を開け、いくつかの色鮮やかな果物と保存食を取り出した。
それは干し肉。携帯食としても重宝される食べ物だ。
味は?と聞かれれば美味しくはないと答える。
それでもまぁ、食べないわけにもいかず、薄暗い食堂で一人、胃袋を満たしていた。干し肉をもぐもぐ口に含みながらふと思う。
これは一体何の肉なんだろうな?
う~ん、味からをとても判別がつかない。
まぁ、どうでもいいか。食べられるのなら、今までだって腹を壊すようなことにはならなかったしな。
そして黄色の果物、レモンのように見えるが非常に甘い果実の皮をナイフで剥いていると……不意に前方から凄まじい速度で何かが飛来してきた。
「おほ?おおおおおおッ!!」
反射的に横へと飛び込む。猛烈な回転をしながら元いた場所を切り裂いたのは巨大な大鎌。それは顔すれすれで通過すると背後の机を壊しながら壁に突き刺さった。
な、何これ?何なのよ?
ポカンとその鎌を見つめていると、背中から声がかかった。
「ちッ、躱されたか……」
鎌が飛んできた方向、食堂と廊下を繋ぐ扉から姿を現したのはミュルミル。忌々しげな舌打ちを鳴らしながら歩み寄ってくる。
「な、何すんだよ!あ、危うく死ぬところだったぞ!」
「……食堂でこそこそとしていたからネズミかと思ったのよ」
「そんな……ネズミって、おいおい……!」
白々しすぎる言葉に額に青筋が浮かぶ。
こ、この女は何だっていつもいつも、俺を殺そうとするのか!
「馬鹿言うなよ!こんなデカいネズミなんていないだろ?よく見てくれ!」
「は?何言ってるのよ?あんたぐらいの大きさのネズミなんて普通じゃない?」
「……え?」
「ん?」
今……相当、怖い事実をレイアは言わなかったか?
人間サイズのネズミが普通って……いや、考えるのは止めよう。さすがに聞きたくないわ。
「それよりあんた、こんな所で何してるのよ?あんまり城をウロウロされると目障りなんだけど」
「いや、何をやってるってさ……食堂でやることと言ったら一つだろ?食事だよ」
今の衝撃で床に落ちてしまった果物を拾いながら答えた。
これ、まだ食べれるかな?確実に三秒以上、床に落ちていたけど……まぁ、大丈夫か。埃さえ払えば。
「また食べてるの?朝も食べていたじゃない、ホント、バクバクよく食べるわね」
「そうかな?普通だと思うけど……」
朝食を取ったのは大体、六時間前。腹が空いてもおかしくない頃だろう?
そういえば、とふと気付く。俺はいつも一人で食事をするばかりでレイアやミュルミルと食べたことがないな。
「ミュルミルは食べないのか?」
「はぁ?いらないわよ、私は一週間前に食べたから」
「そうか、なら良いか…………うん?一週間前……?って、ぶ、ぶふうッ!」
あまりの衝撃的な発言に齧っていた果物を吹き出してしまった。
「い、一週間前に食事をとったのが最後って、だ、大丈夫なのか?」
「はッ!貧弱な人間と一緒にしないでよ、魔族はね、二週間に一回食事を取れば十分なのよ」
「二週間に一回!ほえ~、それは凄いな」
恐ろしく燃費のいい体をしているんだな、魔族という種族は。
羨ましいようなそうでないような……。
「それよりあんた、アグバイン様が呼んでいるわよ、いつまでも食っていないでさっさと行きなさい」
「魔王様が?わ、分かった!」
なら待たせるわけにはいかないな。
果物を一息に口へ放り込むと食堂を飛び出して、玉座へと向かった。
ここ一か月の生活でこの廃城のほとんどの処は見て回った。
訓練所、庭に図書館などなど……
城の外には相当数の魔物がはびこっているため、まだ外出は許可されていないがそのぶん、この広い城については把握しきったと思う。
だが、それでもこの城の中心、玉座に入るとどうも体が緊張してしまう。
城全体が陰鬱な空気を醸し出しているのだが、この玉座ではそれに加えて妙な圧迫感を感じる。それは魔王様がおられる場所だからだろう。体を固くしながら玉座の前まで歩いていく。
『……よく来たな、タケミツ』
相変わらず魔王アグバイン様は不健康そうな顔つきをしていた。
不健康っていうか、骸骨なんだけど……
それにしても慣れたものだ。こうして骸骨と話していても、もはや違和感を感じなくなっているんだから。
ちなみに魔王様は一日の大半を寝て過ごしている。
こう言うと凄まじくダメな人間のように聞こえるが、もちろん理由がある。
今の魔王様は魂だけの存在、体はとうに滅び、非常に不安定な存在としてこの世界に留まっているのだ。
そのため、人と話すだけでもかなりのエネルギーを消耗し、不必要なときは休眠状態に入ってるのだという。
『どうだ?ここに来て、しばらく経つが生活には慣れたか?』
「はい、まぁ、それなりには……」
『そうか、それは何よりだ。訓練の方も順調の様だな。レイアが褒めておったぞ、お前は呑み込みが凄まじく早いと。時機に自分よりも強くなるだろうとも言っておったわ」
自分じゃあ強くなったっていう実感はあんまり無いんだけどな。
『期待しているぞ、タケミツ。困ったことがあったら報告してくれ。できる限りの便宜は図ろう』
「……お優しいんですね」
『ふふ、お前は私の復活を託すことになる大事な駒だからな、些細な事で潰すわけにはいかない』
そうですか……駒という言い方には少し引っかかったが良しとしよう。
不思議だな。魔王様と聞いた時はそりゃビビったけどアグバイン様の言動は基本的に紳士そのものだ。
俺が持つ魔王のイメージ像とはまるで違うよな。俺にとっては有り難い話だけどさ。
それにしても困ったことか……。
飯が不味いこと、城が暗いこと、娯楽があまりにも少ないこと、それなりにたくさんあるが、一番の懸念事項はというと……
頭によぎったのは一人の少女の顔だった。
「では、その一つだけ……ミュルミルのことなんですけど……」
『ほう、ミュルミルがどうかしたか?』
「いや~、その……事あるごとに俺を殺そうとしているんですよね、何とか魔王様からも止めるように言ってくれませんか?」
『そうか、ミュルミルのことは確かに懸念していたが……そんなに酷いのか?』
「はい……」
訓練中に隙あらば俺の命を狙ってくるのだ、まったく堪ったものじゃない。
事故を装いながら襲い掛かってくるミュルミルの存在にさすがにもう我慢の限界だった。
最初のころはまだ痛がらせ半分といった様子だったが、ここ最近は本気で命を狙われているような気がする。
それに襲撃は訓練中だけでなく、日常生活にまで広がっているのだ。
これじゃあいつ死んでもおかしくない。
『ふ~む……それは難しい問題だな。あやつの人間嫌いは筋金入りだ。諭したところで納得するようなタマでもあるまい』
「魔王様が言っても、ですか?」
『あぁ、我が諭しても、だな』
肩が露骨に落ちる。
ミュルミルの魔王様への忠義の厚さは相当なものだ。これまでの会話でそれは痛いほどよく分かる。
そんな魔王様が止められないのならどうしようもないだろう。
せめて奇襲だけでも勘弁してもらいたいんだが。
「……何でミュルミルはそこまで俺を嫌うんですかね?」
『タケミツには非は無い。あの子は人間という種族を激しく憎んでいるからな。異世界の者だろうと、人間というだけであいつには我慢が出来んのだろうよ』
人間を憎んでる。そういえばレイアもそう言っていたな。
「やっぱり、それって二百年前に起こったって云う戦争が原因ですか?」
『いや、それ以前から人間と魔族は強くいがみ合っていた。あの戦争は憎しみが溜まりに溜まって爆発した結果だろう……歴史を紐解けば魔族と人間が憎しみ合う理由などいくらでもある』
例えば宗教、信じるものの違い。
生活習慣も人間と魔族で大きく異なっている。
そして、魔族は非常に長命だ。それこそ人間の何倍も長く生きることができる。
そのため短い命しか持たぬ人間は目先のことしか考えられないと蔑み、人間は魔族の長すぎる生を羨む半面、不気味にも思っている。
『魔族も人間も互いにいがみ合っている。その事実は覚えておけ。異なる世界からきた汝には実感が無いだろうが、この世界では常識だ』
種族間同士の争いか……きっと俺の想像以上に深刻で根が深いんだろう。
俺のいた世界では同じ人間同士ですら憎しみ合っていたんだ。姿形も異なる種族じゃ受け入れるのも難しいか。
『まぁ、魔族の中でもミュルミルほど過激なのはそういないがな。だが、それも仕方ないだろう。両親を人間に殺されているのだから』
何気なくつぶやいた魔王様の言葉に思わず体が固まった。
『母は戦争で倒れ、父親である我もまた勇者の手によって殺された。あやつは我と勇者の戦いの一部始終を覗いていたらしい。我が止めを刺される瞬間もだ……憎しみを滾らせるのは十分すぎる理由だな』
「…………」
返す言葉が見つからない。何とも壮絶な過去だった。
だが不意に魔王様の言葉に一部引っ掛かりを覚えた。
今、おかしなことを言わなかったか?父である我とか何とか……え?
「聞き間違いかもしれませんけど……今、父である我って言いませんでしたか?ひょ、ひょっとしてレイアとミュルミルって……」
『言っていなかったか?そうだ、あの二人は正真正銘、我の娘だ。』
し、知らなかった~!さすがに予想していなかったぞ、血縁関係があったなんて!
レイアもミュルミルも外見だけで言うのなら極上の美少女だ。それがこんな骸骨の娘とはさすがに驚きだ。
あっ、いや、違うか。魔王様は勇者に負けて躯の姿をしているんだったな。生前は凄い美形だったのかもしれない。
それよりも……。
「ま、魔王様は自分の娘に敬語を強要して、ご主人様とも呼ばせているんですね……」
あの仰々しい仕草が自分の父親に向けられていると聞いたら少しだけ引く。
なるほど、魔王と呼ばれるだけのことはある。大した趣味だこと。
『……何を勘違いしているかは知らんが、我は魔王だ、すなわち魔族という種族の王。一人の父親である前にな。父としてではなく王としてあいつらと接さねばならんのだ』
「そ、そうですか……」
公私混同はしない方なんだな。
あれが親子の会話だとは思えないけれど、三人が違和感を感じないのならそれでいいかもしれない。そもそも俺が口出すことじゃないしな。
それにしてもミュルミルは父親である魔王様が殺されるのを目撃していたのか。
っていうことは双子であるレイアもまた両親を人間に殺されたってことになるよな?
……レイアはどうなんだろうか?彼女にとっても人間は親の敵といえる存在だ。なら俺のことも心の中では憎んでいるのだろうか?
慣れない異世界での生活を送る俺に何かと気を使ってくれるレイア。その優しさも外面だけのもの?
……もしそうだとしたら、相当キツイな。
「その……レイアは俺のことをどう思っているんですかね?」
『無論、レイアも人間に思うところはあるはず。だが、だからといって何も知らない、まして異世界の人間を嫌うほどでは無いのだろうよ』
ほっと胸をなでおろす。
もしレイアもミュルミルと同じ対応されていたら胃に風穴が空いていたはずだ。
いや、それどころか命を落としていても不思議じゃない。
レイアは右も左も分からない俺に色々なことを教えてくれた。本当に感謝している。
それにしても……あの二人には壮絶な過去があったんだな。
同じ城で暮らしほぼ毎日、顔を合わしながらも訓練ばかりで二人のことをろくに知らなかった。
過去を知ったからと言ってどうだというわけじゃないが……何だか複雑だ。
俺は別の世界の人間。
この世界の人間が何をしてきたかなんて俺には関係ない、なんて言うことも出来るけど……。
深いため息をこぼしながら俺は玉座を後にしたのだった。