戦闘訓練
「…………まったく、やってられないわね」
「…………」
クソッ、それは俺のセリフだよ。
やってられないのはこっちの方だ。
だが、教えを乞う側としてそのような口を叩くわけにはいかず、拳を震わせながらただ耐えていた。
花壇のレンガの上でつまらなさそうにふてくされているのは金の髪を腰まで伸ばした美少女、ミュルミル。
陶磁器のような肌は白く滑らかで思わず頬すりをしてみたくなる。容姿も抜群に整っており、直視するのだって目に悪いほどの美貌だ。
まったく、すさまじいまでの美少女っぷり。
こんな女の子と二人っきり!男として生まれたのなら、喜んでしまうような状況だろう。
ただし、その少女が自分を殺したいほど嫌っていなければだが……。
虫けらでもみるかのようなその冷たい視線は、好きな人にはたまらないものかもしれないけど、生憎俺にはそういう性癖は無い。
ただ気まずいだけだ。
今、いるこの場所は廃城のわきに供えられた広大な庭だ。朽ちて久しいため、枯れ木が侘しく立っているだけで、花壇も雑草が生えているだけ。
なんでこんな所にいるかというと無論、訓練のためだ。
今回の訓練では体術を磨く。
出来ることなら、魔法の時と同じようにレイアに教えてもらいたかったのだけど、体術に至ってはミュルミルの方が上らしい。
そういうわけで今回の訓練はミュルミルに監督してもらうわけだが……案の定、俺たちの間の空気は最悪だった。
初めて出会った日から、少しは経過したのだが、彼女とは全くと言っていいほど打ち解けてはいない。
むしろ敵意が増しているような気さえする。
「アグバイン様に頼まれなければ、こんなこと絶対しないのに……」
「…………」
「まったくレイアは本当に優しいのね、追っ払わずに虫ケラの相手をしてあげるんですもの。さっさと駆除してもいいのにね」
「…………」
「あぁ〜あ、人間なんかと同じ空気を吸ってるだけで吐き気がしてくるわ」
「…………」
ぐおーーーーッ!もう勘弁してくれ!
クソッ、本気で帰りたい!
なんでこんなに理不尽な罵声を浴びせかけられなきゃいけないのか!泣けてくる。
訓練だか何だか知らないけど、さっさと終わらせて自室に帰ろう。
それがきっとお互いのためだ。
「な、なぁ……そろそろ訓練を始めないか?」
「ふんッ、分かっているわよ。こっちだってあんたの貧相な面、見ていたくないしね」
……この女、マジでぶん殴ってやろうか?
まぁ、その瞬間、俺の首が胴体とおさらばするだろうけどさ。
ミュルミルは重い腰を上げると、何もない開けた空間に手をかざした。
中に入っていたのは成年男性ほどの大きさの人形だった。
全身が真っ白で顔はのっぺらぼうのように何もない。ショップに置かれているマネキンといったところか。
「……起きなさい、愚かなマリオネット」
つまらなさそうにミュルミルが命令すると、二体の人形がたどたどしく立ち上がった。
今にも崩れそうなほどたどたどしく、重心もばらばらだ。その様は不気味の一言。
人間とまったく同じように動いているのだが、口では説明できない違和感があり、なんとなく不快だ。こういうのは確か不気味の谷っていうんだっけ。
「これは……一体?」
「魔導人形。魔力で動くオートマタよ。本来ならこの庭の手入れや城の掃除なんかに使っていた人形だけど、こんな様だからね。あんたの訓練に使いまわすことにしたの」
「あぁ、何だ……ミュルミルが相手をしてくれるわけじゃないのか」
「私が?嫌よ、あんたの醜い面を近くで見たら、トラウマになりそうだし。血で服を汚すのも最悪だしね」
相当、ひどいことを言われた。さすがに傷つく。
それに……血を流すのは前提ですか?
二体は俺の前まで来て立ち止まるとぴたりと動きを止める。無機質なその様にはどこか威圧感があり、思わず後ずさっていた。
「戦闘用の人形じゃないけど、人間を撲殺するぐらいの力はあるから。さぁ、戦ってみせなさい」
「え?いや、そんな急に言われても!」
戸惑う俺を余所に魔導人形が駆動を始める。一体がバネのように深く腰を落としこむと、一気に距離を詰めてきた。
そして拳の突き出すと、ピンポイントで俺の鳩尾に突き刺さる。
「うぐッ、おげぇ!」
勢いのまま後ろに転がっていく。唾液と嗚咽を漏らしながら、みっともなく地面をのた打ち回っていた。
い、痛い……!
これは洒落にならんわ。激痛で意識が切れそうになってしまった。目にはパチパチと星が瞬いている。
そんな無様な俺の姿をミュルミルは冷笑を浮かべながら見下していた。
「ふふッ、みっともない姿ね。あんな攻撃も避けることが出来ないなんて……よくそれで魔王様の配下を名乗れるわよね」
こ、この女ッ!
俺はこの時、初めて殺意というものを知った。
これ以上、あの女を楽しませたくないという一心で立ち上がり、剣を抜く。
「それは……ふん!アグバイン様の宝物庫の品ね。まったく、あんたには過ぎた名剣ね、その辺の木の枝がお似合いだってのに」
本当にボロカス言ってくれるな。今回ばかりは正しいから、黙るしかないわけだけど。
宝物庫で手に入れたこの剣。銘も分からない品だが紛れもない名剣であることは確かだ。
俺のような素人でさえ、振れば生木だろうと鉄だろうとスパッと斬ってしまえる。
一応、素振りなどはやってきたけど、素人であることには変わりなく……
「っと、うわぁッ!」
二体の人形にすっかり押されてしまっていた。剣を振るうどころか、避けるだけで精一杯だ。
「あぶなッ!って、がふ!」
再び人形の硬質な蹴りが頭に炸裂する。衝撃に思わず意識が飛びかけた。
そんな隙を無慈悲な人形が見逃すはずはなく、前のめりになった頭にさらに手刀打ちが放たれる。
みっともなく地面とキスを交わしてしまう。
痛い……!鼻と頭から熱い液体が滴り落ちてきた。
「ちッ!何やってんのよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!ストップストップ!」
血がしたたり落ちている頭を手で支えながら俺は吠えた。
瞬間、ピタッと人形たちの動きが止まる。
俺がこんな様になったとしても躊躇わず、まだ攻撃を加えようとしていたらしい。拳を振りかざした不格好な姿で止まる人形たち。
危なかった、止めなければマジで死んでいたかも……。
「……何よ」
「あのさ、こんな急に戦えって言われても無理だわ。なんか教えてくれない?こう……立ち回りの仕方とか、攻撃の避け方とかさ。あとは技なんかあったりしたら」
「馬鹿ね、あんたってホント馬鹿。脳みそ入ってるの?それとも殴られたショックでイカレちゃったのかしら?」
なんて言いざまだ。
呼吸するかのように放たれる罵声に俺は何も返すことが出来ない。
「いい?戦闘っていうのは慣れなのよ。痛みや疲労にさらされながら自分だけの戦い方というのを編み出していくの。人に教えられることじゃないのよ。それが魔族の一般常識」
俺は魔族じゃないっていう突っ込みは止めておこう。
「それでも、何か……コツとは無いのか?剣を振るう上で気を付けておくべきこととかさ」
「ふんっ……愚かな男ね、あくまで人に聞くというスタンスを崩さないわけか……まぁ、いいわ。まず気を付けておくべきことは決して敵に加減をしないこと」
「敵に……加減しないこと?」
何だか妙なことを言われた気がする。
敵に加減だって?
自分が戦いに関して素人であることは分かっている。そんなものするはずは無いと思うのだが……
「そうよ、加減なく相手を殺すことだけを目標として剣を振るうの。覚悟を持ってね。それが強くなるための最大のコツよ」
敵を殺す……その言葉の重みに思わず自分の手に納められた剣を見下ろした。
そうだった……何気なく持っていたけど、これは人殺しの道具なんだ。
これで斬れば、突き刺せば、あっけなく人は死ぬんだよな。当然のことだったけどすっかり忘れていたよ。
ここが異世界である以上、弱肉強食の世界である以上、この剣を振らなければならないときは必ず来る。
「下手な同情して半端に剣を振るうことだけは絶対、駄目よ。人間というのは本当にしぶといからね、情けをかけて後ろからズサリと刺された間抜けを何人も見たわ」
……いざというとき、俺は人を斬れるのだろうか?その場面になったら俺は一体……自分でも想像が付かなかった。
まぁ、今はいい。思い煩っても仕方ないだろうからな。
「立ち回りについてだけど、狙うのは不意打ちね。敵が気が付いていない時に一撃で殺すのが一番。まぁ、それが出来るときは限られているけど」
うんうんと頷く。気付かれる前に敵を倒す。
自分は何のリスクも追わずに対象を無力化できるのだ。
これに越したことはないだろう。
「もし敵との打ち合いなった場合、考えることは相手のリズムを崩すことね。熟練した戦士ほど動きにしっかりとした流れとリズムがある。それを破壊することによって隙が出来る。リズムを崩すには相手の想像を超えた行動をすることが最適。基本、戦いは先の読み合いだから」
想像を超えた動きか……一体どうすればいいんだろう。
爆笑必至の一発ギャグでもかませばいいんだろうか?
……いや、その隙にこっちが殺されてしまうか。
「あとは……戦闘というのは一対一で行われるのが稀なぐらいだからね、今みたいに。そういった場合は動き回りなさい。囲まれることだけは絶対にダメ。走りながら戦うことを心がけるのね。自分の視界に敵をすべて入れるように動くのがベストよ。そして遮蔽物なんかを使ってうまく立ち回って一人ずつ葬っていくの」
う、動き回る、か……。
そりゃ囲まれたらまずいのは分かるのだが。
動きながら剣を振るうって相当、難しいよね?それをこんな初っ端からやってのけろと?
「まぁ、こんなところかしら……さぁ、続きをやるわよ」
「え?ちょ!まだ心の準備が……!」
言い終る前に人形たちが再び動き出し、襲いかかってくる。
ええいもう、本当に!容赦ないな!
とりあえず助言の通り動き回るとするか。
立ち止まったとき、または攻撃を受けて怯んでしまった瞬間、袋にされるのは間違いないのだから。
庭に植えられていた枯れ木を障害物としていき、人形たちの攻撃をかわしていく。絶対に後ろに立たれないよう二体を視界に納めるように立ち回った。
あとは……何だっけ、確か相手のリズムを崩すんだっけ。
それには予想外の行動が最適だって言ってたけど、今回の相手にこれは使えないな。
だって人形だし、驚くなんて感情は無いだろう。
そのかわり……リズムは素人の俺でも分かるほど、読みやすかった。
時間をかけて見れば、次の動作がすぐに分かる。
たとえ二体いたとしても決められた通りの行動しか行えない、所詮は意思のない人形だった。
空気を切り裂きながら放たれた回し蹴りを避けながら、右に回り込んできたもう一体の人形に視線を滑らせる。
こいつは次、距離を詰めてくるな。
そしてその予想の通り、踏み込んできた人形は拳を突き出してくる。
大体だが、人形達の動きは掴めた。
丁寧に連撃を避けていきながらふと違和感を感じた。
あれ、俺、こんなに強かったけ?
人形たちの動きが目にとるように分かる。かなりの速度で動いているというのに目はしっかり二体の動きを捉えていた。
それにこの身体。相当、激しく動いているというのに息切れ一つしていない。
明らかにおかしい。
そこまで体力に自信は無かったはずなのだが。
え~と……何でだ。今更ながらに不思議だ。
原因を考えてみると……思い当たる節が一つだけあった。
魔法の訓練のさいに飲んだ魔王様の血液。あれは魔法を使用するために飲んだのだけど、身体能力をあげる効果もあったんじゃないのか?
それならこの身体にも納得がいくんだが……。
「うおっとッ!」
思考が内側に入ってしまったせいか、集中力が途切れ、人形の拳に頭をかすめてしまった。
考え事は後だな。取りあえずこいつらを片づけなければ……。
手にある剣を深くきつく握りこんだ。
人を斬ることが出来るのか、今は分からない。
でも相手が人形ならば躊躇する理由は何処にもないッ!
人形は俺の正面に立ちふさがり、そして下から強烈なアッパーを叩きこもうとする。
それをバックスウェイで避けてくるともう一体の人形は俺の右隣りへと回り込んでくるだろう。
人形たちの連携はもはや十二分に把握した。
ならば!
後ろに下がると同紙に思いっきり足を踏み込む、前方へと踏み込んでいった。
無理な方向転換に筋肉が悲鳴を上げたが、俺の強化された体はギリギリのところで耐えてくれる。
一気に踏み込むと、人形の体を袈裟斬りに叩き伏す。
漆黒の刃はバターのように人形の体に入り込み、情け容赦なく両断した。
そして返す刃で背後に回り込んできたもう一体も切り裂いた。
ほぼ同時に二体の人形を無力化した。
「ふぅ……」
気張っていた身体から力が抜ける。何とか……倒せたか。
一時は死も覚悟したけど意外とどうにかなるものだな。
でも、相当苦戦してしまったよな。
また何か言われるんじゃないかと思い、ミュルミルの方を見てみると……
「………………え?」
口をぽかんとあけながら食い入るように俺を見ていた。
えと、それはどういうリアクションなんだろう?
「あの……ミュルミル?どうしたんだ?」
「へ?……あ、あぁ、ぜ、全然駄目ね!何よ!あの程度の人形もすぐに倒せないなんて笑っちゃうわ!」
全然駄目だったらしい。自分としては頑張ったつもりなのだけど、熟練した彼女のお眼鏡にはかなわなかったようだ。
「じゃあ、次は……四体で行くわよ」
「え!い、いきなり倍ですか!それはいくらなんでも無茶なんじゃ……!」
「問答無用よ!また地べたを這いつくばりなさい!」
俺の言葉などまったくの無視で今度は四体の人形を起動させた。動き出した人形は勢いよく殴りかかってくる。
さすがにこの数は無理だろ……そう思っていたのだが……
「……意外と何とかなるものだな」
地面にはばらばらに切り裂かれた人形の体が散らばっている。
数が増えようが人形は人形だった。先ほどと攻撃パターンも変わってはおらず、意外にもたやすく対処することが出来た。
「くぅ~ッ!こ、今度は八体よ!」
さらに新たな人形が複数現れた。
が、対応は変わらない。動き回って翻弄して隙が出来たら一体一体丁寧に切り裂いていくだけだ。
むしろ数が増えたため、人形たちはうまく動けないようだ。
それもそうだ。倒すべき敵は俺一人のみなのだ。
囲むとしてもせいぜい四体だけ。むしろ仲間同士でぶつかり合い自滅していくだけだ。
っていか、ミュルミルのやつ、自棄になってないか?
どうやら俺が人形を倒していくのが気に入らないらしい。
声からはどんどん余裕がなくなって行っている。
だとしたらいい気味だな。
仕返しのチャンスが来たと思ってせいぜいイラつかせてやろう。
そう決断して続々と溢れてくる人形をガラクタに変えていったのだが……不意に後方からすさまじい怒気が叩き付けられた。
「ッ!?う、うわあああッ!」
避けれたとのは奇跡というほかない。
反射的に伏せた俺の頭上を黒い巨大な刃が通過した。
その正体はどこかで見たことのある歪な大鎌だった。
おそるおそる振り向くと……瞳にはメラメラと怒りの炎をたぎらせたミュルミルの姿が。
「…………今度の相手は私よ」
「ちょっと待って、ミュルミルは俺の相手なんかしないんじゃ……!」
「気が変わったの。感謝しなさい。私自らあんたの稽古をつけてあげるわ」
稽古ってあんた……それにしては殺気をばしばしと放ちすぎだろう。
本能的な危機感を感じ、俺の脚は後ずさりを始めていた。
「まぁ、訓練だといっても刃引きしていない得物を使うから、気をつけなさい。仮にどちらかが死んだとしても……それは事故だから」
あかんわ、この女……事故に見せかけて俺を殺すつもりじゃねぇか。
「ひいッ!」
「待ちなさいよ!殺してあげるからッ!」
今、はっきり殺すって言ったよね!
かつてないほどの死の恐怖にさらされながら俺たちは城中を駆け回ったのだった。命がけの鬼ごっこはレイアが止めるまでずっと続いたのだった。