都市グリューン
どこまでも続く不毛な大地。肌に悪そうな日光にさらされる大地の上をレイアとミュルミルは並んで歩いていた。相当、進んだとは思うがそれらしい人里は未だに見えてこない。
視界には草木一本、存在しない乾いた大地が広がるだけだ。
レイアは表情に出さずとも変わらぬ風景に飽き飽きしていた。
人が住む地域がこれほど離れているとはさすがに予想外だった。今まで住んでいた魔王様の城は自分が思っていたよりはるかに果てに存在していたようだ。
「もう!あいつ、また遅れているじゃない!」
忌々しげな声が隣のミュルミルから届く。
背後を振り向くと遥か後方、小さな点と化した武光がいた。ふらふらと頼りなく揺れるその姿は今にも倒れしまいそうでやきもきさせる。
「まったくもう!トロトロ歩いて、さっさと来なさいよね」
一向に目的地へとたどり着けないことにミュルミルも苛立ちを感じていたようだ。普段にはない棘が口調から感じられる。
「もう置いてった方がいいんじゃない?やっぱり人間なんか足手まといに過ぎないのよ」
ミュルミルの口からいくつもの毒が吐かれる。それを肯定も否定もせずに黙って聞いていたレイアだったが、ため息をつくと、ついに口を開く。
「……ねぇ、ミュルミルちゃん」
「ん?どうしたの、レイア?」
「……もうタケを敵視するのは止めたら?一緒に旅をする仲間じゃない」
はっとしたようにミュルミルはレイアを見つめた。驚愕しように目を見開き、何も言わずにじっと黙り込む。無表情のままレイアはミュルミルにさらなる言葉を重ねた。
「……そんなこと言ったら可哀想だよ。タケは頑張ってるよ。そろそろミュルミルちゃんも認めてあげるのが良いと思うけど」
「で、でも、あいつは……人間で!」
「……魔王様が選んだ人だよ?それに、タケが悪い人じゃないってことはミュルミルちゃんも本当は分かっているでしょ?」
「…………」
黙りこくるミュルミル。そんな彼女を包み込むかのような母性に満ちた笑顔を浮かべてレイアは語り掛ける。
「人間を憎む気持ちは私も分かる……けどね、人間だからって皆が皆、悪い人じゃないと思うよ。魔族だからって敵視しない優しい人だってきっといる。タケみたいな……」
じっと表情を曇らせながらミュルミルは顔を伏せる。彼女の中ではいくつもの感情が複雑に入り混じっていた。
憎しみ、嫉妬、怒り、そして悲しみ。
確かに武光は、これまでミュルミルが思い描いていた人間の特徴と大きく異なっていた。魔族だからと言って差別したりはせず、敵意を向けられたことは無い。
だが、それでも……長きに渡って積み重ねてきた憎しみが消え去ることはなかった。
「それでも……それでも私は人間が憎いの!どうしようもなく!」
憎しみよりも悲しみの感情の方が大きい叫びを聞きながらレイアはゆっくり頷いた。レイアとて自分が言い聞かせたぐらいでミュルミルが納得してくれるとは思っていない。
だがそれでも、いつかは……
「旅を続けていく内に、タケと仲良くできたらいいね……」
満開の優しさをにじませたレイアの言葉に応えることなくミュルミルは黙っていたのだった。
そんな会話を交わしながらも足はしっかりと前へ進んでいく。すると徐々にだが、草木が生えた地面が見え始めてきた。乾燥地帯をようやく抜けたらしい。
そして視線の遥か先には……
「……街だ、ようやく着いたね」
小高い丘の上から見えたのは、広く豊かな森に囲まれた巨大な都市だった。町の喧騒がここまで聞こえてくるかのようであり、思わずレイアの顔が綻んだ。
あそこには人間達がいる。魔族にとって敵ともいえる存在だが、初めて見る大都市に興奮を感じずにはいられない。
胸の高鳴りを抑えきれないままに、背後で杖をつきながら歩く武光に向かって大きく手を振った。
「お~い!タケ~!……街を、見つけたよ~ッ!」
その声は普段、大人しいレイアとは思えないほど大きく活発的だった。
「ふはぁ~、すっごいな!」
今にも座り込みたいほどの疲労を感じていたが、それよりも遥かな興奮が胸の内から湧き上がっていた。
人の雑踏。市場らしき場所には多くのヒトが行きかっており、一時たりとも同じ場所に留まることは出来ない。
異世界で初めて来た都市に俺はすっかり興奮していた。
大通りを歩く人々に一人たりとも同じ人はいない。
簡素な服を着た典型的な村人から剣を担いだ傭兵らしき人物まで、さすが異世界の都市だけあって、人も多様だった。
都市は家が隙間なく建っていて道が異様に狭い。
その上、路上には風呂敷を広げて商品らしきものを並べる露店がいくつもあって、何ともカオスな光景だ。
俺が知っている日本の整備され尽した街とは全然違うけれど、不思議と胸が高鳴ってしまう。
辺境の都市グリューン、それがこの街の名前らしい。
長い旅を超えてようやくたどり着いた人が多く集う街。
見る物全てが目新しくて、痛くなるほどキョロキョロと首を回していた。
それはレイアも同じみたいで瞳を光らせながら周囲を見回している。
「あ~、もううざったいわね。見渡す限りの人間!まったく嫌になってくるわ!」
ぶつくさと背後でミュルミルが不満げに呻いていたが、俺は気付いていた。
ミュルミルも俺達と同じように都市に興味津々であることに。口とは対照的に視線は街の至る所に送られている。
まったく、素直じゃないんだからな。
ちなみにレイアとミュルミルの羽は小さく折り畳み、服の下に隠してある。
さすがに公然と羽を出すのは不味すぎる。人目を惹くし、瞬時に魔族だって分かってしまうからな。
「レイア~、物珍しいのは分かるが、あんまりうろうろするなよ」
「……うん、分かった」
興味深そうに露店のアクセサリーを見ていたレイアは声に頷くと、駆け寄ってきた。
「それで、これからどうするのかな?」
「う~ん……取りあえず宝石を換金してお金を手に入れなくちゃな。その次に宿屋。やっぱ休む場所は確保しときたいし」
まずは両替商だな。金が無くては宿を借りるどころじゃない。
道行く人々に両替商の場所を聞きながら歩いていく。
城から持ってきた様々な宝石類。その中で最も小さい宝石を換金したのだが、それだけでもかなりのお金を得ることが出来た。
この世界では金貨、銀貨、銅貨が通貨として使用されている。
金貨一枚で銀貨百枚分。銀貨一枚で銅貨約百枚分といったところか。
相場の変動によって変わることもあるらしいが、これが大まかな通貨だ。
金を得た俺達は人込みをかき分けて、宿屋らしい建物を探す。
そして見つけたのは年季の入った三階建ての宿屋だった。一階丸ごとを食堂としてその上の二階、三階に客を止めるというもの。幸いにも部屋は空いており、不愛想な主人に金を払って一室、部屋を借りる。
同じ部屋であることにミュルミルが大声で文句を言いだしたが、レイアの一声によって呆気なく撃沈。
結局、三人で一つの部屋に泊まることになった。
魔族とはいえ可愛い女の子と同じ部屋で眠る。そのことにドキドキしないわけは無かったが、さすがにこの二人に手を出そうと思うほど、俺は命知らずではない。
荷物を置いた再び出かけようとしたところで、ミュルミルが窓際のベットにゴロンと転がった。
「……私はここに残るから」
「え?何で?」
「あんな人混みの中に入っていくなんてごめんよ。情報収集か何か知らないけど二人で行ってきて」
具合でも悪いんだろうか?どこかミュルミルの表情が冴えない気がする。やっぱり大嫌いな人間の中に入っていくのは気が進まないんだろうか?
ミュルミルといえどさすがに一人残していくのは何とも不安だ。
どうしようかな……迷っていると近寄ったレイアがミュルミルの肩を揺らす。
「……ミュルミルちゃんも一緒に行こうよ。町を見て回るのだけでも楽しいと思うよ?」
「ごめん……レイア。私、ちょっと疲れたみたいだから休みたいの」
何か……マジで浮かない顔をしているな。
こんな表情を浮かべられてはレイアもこれ以上、誘えなかったんだろう。名残惜しそうにしながらもミュルミルに背中を向けた。
「……行こうか、タケ」
「あ、あぁ、そうだな……」
レイアに押されるままに部屋のドアに手を掛ける。部屋を出る直前で、声が掛かった。
「言っとくけどね、レイアを危険な目に合わせたら承知しないんだから」
背中を向けたままミュルミルはそう呟く。いつも通り冷たい口調だったが、どこか元気がないように聞こえるのは気のせいだろうか?
なんとなく放っておけない気分になりながらもミュルミルを置いて部屋を後にしたのだった。
「本当にすごい人だね……」
宿屋を出ると人々の流れに逆らうことなく街の中央に敷かれた大通りを歩いていく。
目をキョロキョロと動かしながらレイアは感嘆の息を漏らした。
「世の中にはこんなにたくさんの人がいたんだ……びっくり」
目に入るものが全てが珍しいみたいで幼い子供のように落ち着きなく動き回っていた。俺はそれに付き添うようについて回っていた。無邪気な子供の親にでもなったような気分だ。
やがて、レイアは香ばしい香りのする一つの露店で立ち止まる。
串についた焼き鳥を売る
店主らしいふくよかなおばさんがレイアを目に留めるとにっこりと人当たりの良い笑顔を浮かべる。
「あらっ、可愛らしい嬢ちゃんだね!一本どうだい。焼きたてで美味しいよ~!」
レイアはキョトンとした様子で差し出された焼き鳥を見ていたが、やがて躊躇いがちにそれを受け取る。にこにこ笑うおばさんと焼き鳥を交互に見た後、小さく口を開けかぶりついた、
最初は疑うような表情を浮かべていたが、焼き鳥を口に入れた瞬間、花が咲いたかのようにほほ笑んだ。
小動物のように口をもぐもぐさせて至福の声を漏らすレイア。
「ハグハグ…………美味しい」
「おう!良い食べっぷりだね!ほらッ、もっと食べな食べな!」
「うん」
餌付けされた犬のように差し出された焼き鳥をパクパク食べていくレイア。微笑ましくそれを見ながら、俺は首飾りを軽く叩いて魔王様を起こした。
『ん?どうした?タケミツ』
レイアに聞こえないように声を潜めながらこれからのことを魔王様と相談する。
「一応、都市についたんで報告を、と思って。それで街に来たのはいいんですけど、これからどうすればいいですかね?尖角とやらを探すにしても手掛かりがないと……」
『ふむ、そうだな……』
黙り込み、何やら思案する魔王様。答えが出たのか、ゆったりとした口調で話し出した。
『恐らくだが我の角を所持しているのは勇者の子孫だろうな。角が我の力の源であり、それ自体が危険な魔道具だと奴らは知っていた。持ち帰って厳重に封印したとみて間違いない』
「ってことは勇者の子孫を辿れば尖角が見つかる?」
『だろうな。だが、勇者と言っても奴らは二百年もの昔に生きた者達だ。そう都合よく子孫が見つかるかどうかだな』
「う~ん……でも勇者って、やっぱり世界を救った英雄なんですよね?だったら誰かに聞けばあっさりと分かるかもしれませんよ」
『かもな、それならば教会に行ってみろ。二百年前、勇者共は神によって選ばれたとかほざいていた教会の関係者なら詳しいのではないか?大人しく神父とかに聞いてみるのが一番だろう』
そうか、なら取りあえず教会を目指して行ってみるか。街の観光もしてみたいけど、まず情報を集めるのが先決だ。さて、教会はどこにあるかだけど……
『尖角のこともだが、現在の魔族がどうなっているのかも忘れずに調べろよ』
「……分かってますよ」
やれやれ、先はまだまだ長そうだな。これからやる事の多さを考えると何とも頭を抱えたくなる。
「ちょっと、後ろの兄さんもどうだい?美味しいよ~」
レイアの食べっぷりにほくほく顔をしていた露店のおばさんがタレの滴る串を俺に差し出す。思わず涎が出てしまいそうなほど美味しそうに見えた。
まっ、考えても仕方ないか。俺も腹ごしらえをするとしよう。
「そうですね、いただきます」
受け取りそのまま口に放り込むと、味の濃いタレとあふれ出す肉汁が絡みつき旨味が口内で爆発する。空腹もあって気が付けば、ペロりと食べてしまっていた。
「……美味しいね、タケ」
「あぁ、これは美味いな……!」
いくらでも食べてしまえそうだ。俺が知っている鶏肉よりも柔らいくせに歯ごたえもある。不思議な食感だ。異世界の食べ物というのも中々興味深い。
「満足いただけたようで何よりだよ……で、そろそろお代を貰いたいんだけど」
「あっ、はい」
頷き、いくらか計算しようとしたところでふと気付く。
レイアの足元に凄まじい量の串が落ちていることに……。おいおい、どんだけ食べたんだよこの子は!
「レイア……食べ過ぎだよ」
「……え?」
さらに両手に二本ずつ器用に焼き鳥を持ちながら、首を傾げるレイア。
いくら何でも食べ過ぎだよ……。換金したばかりでパンパンだった財布が早くも心許無くなってしまった。
そして露店のおばさんに教会までの道を尋ねて俺達は大通りを後にしたのだった。




