滅び去った城
「ぶえ、へっくしょんッ!」
大きなくしゃみを一つし、鼻に詰まった不快感を弾き飛ばす。その拍子に俺は深い眠りから目を覚ましたのだった。
「う~ん、頭痛い……」
意識を取り戻して初めに感じたのは頭痛と身体の倦怠感だった。
一体、何が起こったんだ?
床は固い石畳で、ここで寝転がっていたせいか体の節々が痛い。
起き上がり、周囲を見渡すと俺は見たことのない場所にいた。
「どこよ、ここ……?」
そこは四畳半にも満たない狭い部屋だった。石造りの壁に粗末なベッド。
埃まみれの薄汚い場所で衛生的に考えれば最悪な場所だ。何よりも目立つのは頑丈そうな鉄格子。
ここは……牢屋か?
一体全体、俺はどうしてこんなところにいるのだろう?
混乱した頭を何とか落ち着かせ、記憶を掘り返す。
確かひい爺さんの屋敷の掃除を行っていて、地下室へ向かったんだったな。
趣味の悪い部屋で怪しげな骨董品がいくつも置かれていたのを覚えている。
げんなりしながらも掃除を行おうと部屋に立ち入ったら、部屋の床に描かれた模様が光り出して……いつの間にかここにいる、と。
うん、訳が分からないな。
「少なくともここは屋敷じゃないよな、それに何だか、寒い?」
おいおい、なんでちょっと肌寒いんだ?さっきまで蒸し風呂のような暑さを感じていたのに。
鉄格子には鍵がかかっておらず、押すと軋む音を鳴り響きながらゆっくりと開いた。
うす暗い廊下へと出ると、牢屋はこの一室だけでなくいくつも連なっている。光は頼りなく揺れる蝋燭の火だけで廊下の果ては見えなかった。
日本の刑務所のように清潔感が保たれている場所とは異なり、ここは遥か昔の……そう中世の牢獄をイメージさせるかのように硬質で、不衛生だった。
何で俺はこんな所に?
いくら一人で頭を抱えても仕方がない。取りあえず、人を探さないと!
燭代の蝋燭の灯、その一つを壁から外して明かりとし、先へと進む。
「あの……誰かいませんかー?」
声を張り上げ、呼び掛けるが返ってくるのは反響音だけ。
「クッソ……一体どこなんだよ、ここは!」
正直、恐怖と混乱で今にも叫び出したい心持だった。
建設してから一度も掃除をしたことが無いのかと思うほど汚れていて、現代の日本で生きる若者にとっては一分も耐えられない環境だ。
別に俺は潔癖症ってわけでは無いんだが、この尋常ではない汚れとほこり臭さはたまらない。
それにしても不気味な場所だ。並みのお化け屋敷なんかよりは遥かに雰囲気が出てるぞ。
どこから吹いたのか、風で蝋燭の灯が揺れるたびに身を縮ませていた。
周囲を警戒しながら進んでいると、不意に視界の片隅に人影のようなものをとらえた。
そこは牢屋の一室。
誰か人がいるのかッ!
期待に胸が高鳴り、燭代でうす暗い牢屋の中を照らしてみると……
そこにいたの人間ではなかった。元人間だった。
白骨死体。汚いぼろ布をまとった、テレビや漫画でした見たことのない物体がそこにあった。
「…………え?」
あまりに現実味のない存在に俺の思考は真っ白になった。
それはもう動かない。危害を与えてくるわけでもないのに、圧倒的な存在感を見る者に与えている。
えっと、どうしよう……?
これは本物なのだろうか、本物の、人の、死体か?
「……はっ、はは。つ、作り物にきまってるよ、なぁ?本物の、人骨だったら、大ニュースだし……なぁ?」
そうだ、そうに違いない!
あれが昔は動いて、生きていたなどどうして思うことが出来るのか?
だけど……ひょっとして……もしかしたら……万が一。
ガタっ!
不意にその骸骨が顔を上げた。
眼なんてない。その機能があった場所は単なる穴ぼこになっているのだが、確かにそれは俺を見ていた。
「う、うぎゃああああああああっ!」
気付けば俺は恥も外聞も理性も捨て、みっともなく走っていた。
並んでいる牢屋の中を絶対に見ないように気をつけ、駆けていく。
身体は急激な運動に悲鳴を上げていたが、絶対に立ち止まるようなことはしたくなかった。
あの骸骨が後ろから追ってきている!
脅迫観念に駆られながら俺は体育の授業でも出さないほどの本気を振り絞る。
そんなわけはないと分かっているのに、振り向くことすらできなかった。
「ひぃ、ふう、ひぃ!」
どこまで走っただろうか?
身体が限界を迎え、激しい息切れを起こしながら立ち止まった。
恐怖と疲れで膝から崩れ落ちていく。
今、自分の顔を見たらさぞ真っ青になっていることだろう。
「気の、せい、気のせいだよな……!」
先ほどの骸骨が動いたのは風か何かの影響だろうと何度も自分に言い聞かせる。
だが、恐怖心は少しもぬぐい去れなかった。
もちろん、もう一度確かめに行く気はこれぽッちも無いぞ!無いからな!
「そ、それよりも出口だ!出口を探さないと!」
あの骸骨が本物かどうかなんて調べる方法も無ければ勇気もない。
取りあえず一刻も早くこの空間から抜け出したかった。
どこかに逃げ道は?と、息を切らせながら周りを見渡すと視界の隅に階段を発見。
ここから抜け出せる!
ほのかな安心を感じながら俺は階段へと走っていった。
異様に長い階段を二段飛ばしで駆け上っていく。
無限に続いているのでは無いかと思ったが足が痺れ始めたころ、ようやく上層にたどり着いた。
階段を抜け、見えてきたのは城のホールを思わせる大広間へと抜けた。
エントランスホールを思わせる場所だったが、この場所もとうに朽ち果てており、栄華をかつてのものとしていた。
巨大な柱が規則的に並び、それらが支える天井はとてつもなく高かった。
素人目線だが、日本人が慣れしたんだ和風の建築物とは思えない。例えるならば、世界遺産などで見かける西洋のお城。
「……ほんとにここは何処なんだよ」
もはや、驚くのも疲れていた。ただ呆然と夢見心地で廃墟と化している城を歩いていく。
やがて、辿り着いたのは、城の玉座を思わせる場所だった。映画などでたまに見かける、謁見の間ってやつだろうか?
ここには窓があるせいか先ほどの地下よりかは大分、明るい。
窓か……。
ここがどこだか、分かる手掛かりがあるかもしれないな。
カツンカツンと無音の空間に足音だけを響かせながら窓際へと向かう。余りに汚れていたため、手で軽く拭き取ってから外を覗いた。
目の前に広がっていたのは、不気味で陰湿な森だった。
どこまでも深い緑が広がっており、果ては見えない。
手掛かりは無しか……。
「……え?」
そして空を見上げたところで……俺は今度こそ頭が真っ白になった。
自分の目が信じられない。
俺は思わず強く頬をつねった。痛い、紛れもない現実だ。
「……マジかよ」
空に浮かんでいたのは、俺が知っているものよりもはるかに巨大な月だった。
それも、一つではない。
青白い月と血のように深紅の月、まるで目のように並んで地上を見下ろしていた。
思わず窓から離れるように後ずさっている自分に気付く。
これ以上、あの異様な月を見ていたら正気を失ってしまいそうだった。
確信した……。
ここはもはや俺が知っている世界ではない。
地球ですらない。
「嘘だろ……?俺、どこにいるんだよ」
全身から力が抜け、膝から崩れ落ちた。
とても現実と思えない、思いたくない事態ばかりに視界が涙で滲んできた。
呆然とただ立ち尽くしていると不意に背後から何者かの気配を感じた。
「騒がしいと思ったら……ここで何をしているの?……人間」
「……侵入者、かな?」
二つの声が響くと同時に首筋と背中に何やら冷たいものが押しつけられた。
「……え?」
目線を下におろすと巨大で鋭利な刃物が首元で怪しく光っている。
硬質な光を放つその刃は、紛い物にはない重量感があった。
婉曲したその鋭い鋼鉄の正体は鎌。
そして背中にも固く冷たい棒状の何かが当たっていた。
ってか、あの……刺さってない?ちょっぴり痛いんだけど?
おそるおそる振り向くと……そこには人形のように似通った二人の女の子がいた。
「……うわぁ」
どちらもこれまで見たことのないほどの美しい少女だ。
片方は黄金色に光り輝く髪を腰まで伸ばした十代後半程度の女の子。陶磁器のように白い肌。純白のふりふりしたゴスロリの服を見にまとっていた。
敵意のこもった鋭い視線を俺に向けており、表情は氷のように冷たい。
それとは対照的に王冠のような銀の髪を肩で切りそろえた少女は表情が抜け落ちていた。
何の感情もない瞳で俺を見ている。
こっちは闇に同化してしまいそうな黒いドレスと身にまとっている。それが白銀の髪によく似合っていた。
普通に知り合えたのならまず間違いなくガッツポーズをしてしまうような美少女二人だったが、何分、状況が特殊過ぎる。
それに……金の髪の子は巨大な大鎌を、銀の髪の子は鋭利な巨槍をそれぞれ手に持ち、しかも刃先を俺に向けているじゃないか。
さすがに凶器を突き付けられている状況で女の子にデレデレするほど俺は間抜けじゃなかったようだ。
極め付けは……
(あれ…………羽、だよな?)
二人の背中には黒い羽根が生えており、それがパタパタ宙を掻いていたのだ。
もう訳がわからない……夢なら覚めてくれよ。
頭が真っ白になって何も言葉を発せない俺を二人の少女がじっと睨んでいた。
「……やっぱ人間だね?」
銀の髪の少女が小首をかしげる。
「君は……どこからここに入り込んだの?」
「いや、どこからと言われても……」
そんなの俺が聞きたいぐらいだよ。
なんと答えたらいいものか戸惑っていると金の髪の少女が鎌をわずかに動かした。冷たい鉄の感触に唾を呑みこむ。
「はっきり答えなさい!あんたは何者?どうやってここに入り込んできたの?ここをアグバイン様の居城と知っての狼藉かしら?」
「え、えぇ?」
怒涛のように浴びせかかってきた質問に思考が停止する。
聖徳太子じゃないんだから、そんな一気に質問されても答えられるわけがない。
廃墟かと思ったが、ここには人が住んでいたらしい。傍から見たらどう見ても俺は侵入者だ。
さすがにこの状況はまずいよな。
弁解しようとあわてて踏み込んだのだったが……
「あの、俺は……!」
「動くなっと言ったはずよ」
「ちょちょちょ、ちょっと!」
さ、刺さった!今、少し鎌が首に刺さったぞ!
薄皮一枚貫いたのか、僅かに血が滴るのを感じる。
何だ、これは?どうやら俺は命の危機に瀕しているらしいが余りの展開に思考が付いてこない。
どうして、ここにだって?そんなの俺が聞きたいぐらいだ。
喚き散らしたい衝動に駆られたが、返答を間違えば、命を落とす結果になるのは明白だった。
(お、お落ちつけよ!何にせよ、人と出会えたのは僥倖なんだから!)
きっと話せば分かってもらえる!深い深呼吸を一回。
「俺は、その気がついたらここにいて……」
「気がついたらここにいた、だって?馬鹿を言わないで、ここは砂礫の壁を越え、暗月の森を抜けた世界の果て。迷い込めるような場所じゃないわ」
「そんなことを言われても、本当なんですってば!目が覚めたらここの地下室にいたんですよ!俺だって何が何だか……!」
「…………へぇ、地下牢にいたの?」
「そうです、その……アグバインさんでしたっけ?そのお宅に侵入する意図なんてこれぽっちも無かったんですよ」
「…………」
金髪の少女は何やら思案しているかのように沈黙している。
こちらからも尋ねたいことはいくらでもあったが、まず俺が無害だと理解してもらうことが先決だろう。
胃が痛くなるような沈黙が続く。
やがて少女はゆっくりと口を開いた。
「まぁ、あんたが何者かなんてどうでもいいわね。どのみちここに忍び込んだ以上、殺すほかないわけだから」
「ファッッッッ!?」
放たれた無慈悲な言葉に唖然とした。
殺す、だって?見るも哀れで、帰る術なく途方に暮れている俺を?
何という冷たい女なんだ、こいつは!
「ちょっと、待ってくださいよ!俺はホントに知らずにここに連れてこられた被害者なんですって!そんな殺すなんて横暴な!」
「あんたの事情なんて知ったこっちゃないわ。私、そもそも人間って嫌いだし」
人間が嫌い?この少女もどこからどう見ても人間じゃないか?
発言に引っ掛かりを覚えながらも、俺は逃げ出そうとした。
が、体は震え上がるばかりで動いてはくれない。
「ミュルミルちゃん、……それは早計じゃない?……ご主人様に相談したほうが……」
銀の髪の少女が窘めるように口を開いたが、ミュルミル、そう呼ばれた少女は鼻で笑っただけだった。
「いいのよ、たかだか虫一匹侵入しただけじゃない?こんな些事を報告することはないわ」
「む、虫ッ!そ、そんな!」
人を虫呼ばわりかよ!
あまりの言い様にムカッとはきたが、怒鳴り返したりなんかして少女を逆上させるわけにはいかない。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。
だが、その間にも少女は大鎌を振り上げて斬りかかろうとしている。
俺はみっともなく地べたを這いつくばりながら、必死に命乞いをした。
何!恥ずかしくないのか、だって?
命に比べたら男の意地や誇りなんてゴミ屑だろ、こんちくしょうッ!
「お、お願いしますよ。そんな物騒なモノはおろして、ね!話しあいましょう。」
「あ~、うるさいわね。ここはあんたのような人間が土足で踏みにじって良い場所じゃないの!」
「あっ、靴なら脱ぎます、だから……!」
「死になさい!」
絶対的な死を与えるであろう巨大な鎌が容赦なく振り下ろされる。
あぁ、絶対痛いだろうな。いや痛みなんて感じる間もなく死んじゃうか。父さん、母さん先立つ息子の不幸をお許しください。伯父さん、屋敷の掃除を手伝えなくてごめん。そして、こんな事態になった元凶であろうひい爺さん、天国言ったら殴り飛ばしてやるからな……でもやっぱり死にたくない、誰か助けて!
一瞬で様々な考えが浮かんでは消えていく。
思わず目を閉じ、神様に祈ったところで……不意に何者かの強い気配と声を感じた。
『……騒がしいな、一体何事だ?』
威厳と貫禄に満ちた声が振り下ろされた鎌を紙一重で止めたのだった。