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魔族と人間

 薄暗い森の中でも宝石のような輝きを放つ金の髪に初雪のような真っ白な肌。神自らが造形したかのようなその容姿は絵画に出てくる天使そのものだった。


 辺境を進む冒険者達の前に現れたのは場違いなほどの美少女だ。


 高貴な血筋を引く人間でもこれほどの美を誇るものはそうおるまい。


 四人は魔物の襲撃だと思っただけに、唖然としてしまった。


 だが、ラルバートはすぐに気づく。現れた者がただの少女では無いことに。


 そもそもこのような僻地に潜んでいた者が普通の人間であるはずが無いのだが……。


「何だ、あいつ……魔族か?」


 少女の背中についた黒羽と赤い瞳を目に止めたダグが愛用の鉄甲を腕に嵌めながらがポツリと呟く。


 魔族、かつてはこの大陸の支配者でありながら凋落した種族した種族の名だ。


 二百年前の戦争以来、すっかりと姿を隠してしまった。現在では辺境にでも行かない限り滅多に会うことのない存在だ。


 いったい何を思って自分達の前に姿を現したのか?


 戸惑う四人の中で最初に声を張り上げたのは、地図をしわくちゃにして懐にしまったモルガンだった。


「は、ハハッ!こりゃいい拾いモノをしたもんだな!」

 

 気が狂ったかのように残酷な笑みを浮かべると太い根をまたぎながら少女の方へと近寄っていく。


「お、おい!モルガンッ!何するつもりなんだよ!」


「こんな上玉が自分から現れたんだ、ほっとかない手はないだろ!」


「でも、おい!……ま、魔族だぞ!」


 シームが怯える理由も分かる。

 魔族というのはかつてこの大陸で覇を唱えた最強の種族なのだ。

 

 人間よりもはるかに長い生、エルフよりも高い魔力、獣人並みのも強靭な体。すべてを兼ね備えた存在だ。唯一、個体数が少ないという欠点もあるが、単騎での戦闘力は計り知れないものがあった。


 しかし、モルガンはシームの泣き言を気にも留めない。


「魔族が何だっていうんだよ、所詮は俺ら人間様に負けた種族だろ。魔族なんてのはな、今は貴族様の玩具か、奴隷でしかないんだからよ?ビビることなんざ、何もねぇよ」


 怯える様子は欠片もない。そもそも彼にとって人間以外は下等な種族だと何の根拠もなく思う差別主義者であり、魔族に対する恐怖心などあるはず無かった。


「こんな上玉の魔族なんだ、高く売れるぞ。貴族の変態共ならきっとたんまりと金を払うだろうよ……それにこんな辺境まで来たんだ、少しぐらい俺らにも役得がねぇとな」


 いやらしく笑うモルガンの顔を見てラルバートは目的を悟った。


 生憎、ラルバートには例え種族は違えど、年若い少女を嬲って喜ぶような趣味は無い。ましてや同じ年頃の妹がいる身だ。それを他人事だとして、見過ごすつもりもない。


 かといって今のモルガンは過剰なストレスで今にも溜まった鬱憤が破裂してしまいそうな爆弾みたいな存在だ。


 下手に正論を振りかざして止めようとすれば、怒りの矛先が自分に向かうかもしれない。


(さて、どうしたものか……)


 出来ることなら少女には今すぐにでも去って欲しいのだが……ふと少女を見ながらラルバートは気付く。

 

 これだけ目の前で騒がれながらも未だに一言も話さない魔族の少女が酷く不気味だった。


 怖がって声が出ないのか?いや、それならばそもそも自分たちの前に現れる必要がない。


 そして何より少女の目、まるで地を這う虫けらでも見るかのような残酷で冷たすぎる視線。それに気づいたラルバートはぞっと背筋に鳥肌が立つのを感じた。


 この少女は危険だ。それは本能的な予感。


 警戒するラルバートとは反対にモルガンは好色げな笑みを浮かべながら、魔族の少女に近づいていく。


「おい、嬢ちゃん。大人しくしてろよ。そうすれば痛くしないからよ」


 モルガンはごつい手を華奢な少女へと伸ばす。傍から見たら凄まじい体格差だ。


 だが、少女の目には恐れの色は一切なく、それどころか……殺意の炎が瞳の中で燃え上がるのをラルバートは見てしまった。


(これは……不味いッ!)


 慌てて静止の声を張り上げようとしたが、少し遅かった。


「……触るな、人間」 


 瞬間、黒閃がモルガンの前をほとばしる。


 痛みを感じる暇も無かった。凄まじい速度で通過したそれはモルガンの腕を呆気なく両断する。


 綺麗すぎる断面図を作り出し、ポロリと落ちる肘の先。

 それを呆然とした様子でモルガンは眺めていた。


 一拍置いた後で、噴水のように血液が噴き出し、モルガンは踏みつぶされた雄豚そっくりの悲鳴を上げながら床に昏倒した。

 

「ぎゃッ、ぎゃああああああッ!俺の手、俺の手がぁッ!」


 無様にのたうち回る巨漢の冒険者。それを凍てつくような視線で見下ろす少女の手には、どこから取り出したのか、両端に刃を備えた一つの鎌が納められていた。


 とても少女の体格には不釣り合いの大鎌だったが、今の動きから察するに相当使い慣れた得物なのだろう。血を滴らせながら、金属とも樹脂ともつかぬ不思議な輝きを湛えていた。


「……!モ、モルガンッ!」

  

 ようやく衝撃から立ち直ったダグが慌ててモルガンに駆け寄ろうとしたが、今度こそラルバートが止める。


「ダメだ!ダグ!迂闊に近寄るな!」


「だ、だがよ……!」


 分かっている!

 あの傷は確実に致命傷だ。放っと置けば命を落としてしまう。


 しかし、あの少女の凶刃の前に身を晒すことは死を意味する。何の準備もなく動き出すことはできない。 


 少女は鎌についた血を一閃して振り払うと、氷河のような冷え切った口調で唱えた。


「……建前として一応、警告をしておいてあげる。ここは貴様らのような下等種族が踏み入っていい場所じゃないの。今すぐ尻尾を巻いて、無様に命乞いをしながら立ち去りなさい。十秒だけ待ってあげるわ」


 天使のような少女から吐かれたのは凄まじい罵詈雑言。 


 少女が降り立った時、女神かと思ったが、その実、悪魔の類であったわけか。


 あまりの冷たすぎる言葉に凍り付く三人だったが、怒りの篭った怒声を上げたのは倒れ伏していたはずのモルガンだった。


「ふざけてんじゃねぇぞ!このメスがッ!よくも……よくも俺の腕を切り飛ばしてくれたなぁッ!」


 腕を切り飛ばされたなおこの気迫。立ち上がる執念。見事と言う他ない。


 だが、この場合、相手が悪かった。モルガンの啖呵を聞いて少女はひどく残酷に笑う。まるでその答えを待ち望んでいたと言わんばかりに。


 事実、ミュルミルにはこの人間どもを見逃すつもりはなかった。


 ここ最近は凄まじく鬱憤が溜まっていたのだ。


 その元凶は目の前にいるこいつらと同じ人間。城に紛れ込んできた害虫のせいだ。


 数か月前、城へと突然現れて、崇拝する魔王様の配下に収まったタケミツとかいう名前の人間。


 最近ではその人間風情を主である魔王様が高く評価しているではないか。あの忠誠心も礼儀も弁えていない野良犬風情を。


 自分の最愛の片割れすらもその人間に対して好意らしきものを抱いている始末だ。


 まるで自分の領域が侵略されているような感覚。

 面白いわけがない。


 出来ることなら縊り殺してやりたかったが、武光を保護すると決めたのはほかならぬ魔王様なので手を出すことは許されない。


 その溜まりに溜まった鬱憤を全てぶつけられる相手が見つかった。見逃す手なとあるはずがない。


「そう、情けはいらないみたいね……ふふっ、愚かで愚昧な人間共、今一度思い出させてあげるわ。この世界の支配者が誰なのかをその身に嫌というほど刻んであげる……そして後悔の果てに死になさい」


 その峻烈な笑顔を確認したラルバートらは戦いが避けられ無いことを悟る。


(やれやれ、本当についてないな……!)


 それともこれは運ではなく神の罰だろうか?妹を放っておいて旅に出てしまった自分への。


 だが、自分はこんなところで死ぬわけにはいかない。


 家族の元へと帰らなければならないのだ。自分がこんな辺境の地で果ててしまったら必然的に最愛の妹も……。それだけは絶対に許容するわけにはいかない。


 少女の凄まじい殺気に晒されながら、ラルバートは決意を固め、レッグホルスターに収納された己の得物、魔導銃を引き抜いた。

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