九話 エネミースライム
――一陣の風が、緊張感漂う空間を吹き抜ける。ざわざわと草原が囁き、虫の音が聞こえてきた。
その空間の中央だ。
それが行われたのは、次の日の午後であった。
「うわああああああああ、レイナ、頼む! もうスライムは懲り懲りだからあああ!」
叫ぶ俺と、その両腕を背後からがっちりとホールドする金髪の女。ちらちらと覗かせる翡翠の瞳が美しく輝き、絶世の美女であることを匂わせる、そんな気品だ。
「アンタにはこれからスライムを五十体は倒して貰うわ。スライムの習性と戦闘方法、身のこなし、全てをそのゴミ眼で見抜けるようになるまで、延々と、戦い方が身に付くまで永遠に、戦って貰うわよ。やりなさい、下僕」
しかしその絶世の美女から放たれる言葉は、下種の極みだった。ゴミに下僕。そんな言葉で呼ばれるのは、なんと俺。
フライパンを二丁構え、すっかりトラウマとなったスライムを相手にぶるぶる身を震わせている。当然レイナからの拘束を受けているため、逃げようにも逃げられない。
まじかよ……冗談、だろ? そんな、てっきり俺はレイナから手ほどきを受けるもんだとばかり。
「アンタに甘えた鍛え方は合わないわよ。勇者になりたいんでしょ? それが今よ、さあ勇者になりなさい」
こいつはただの鬼畜女だった。
どん、と背中を押されただけで俺は足下を崩して数歩前へ飛び出してしまう。
ごくり、と生唾を飲んで眼前のスライムを睨み付けた。スライムはレイナがいなくなったことで己の優勢を実感したか、俺に向けてタックルをしようと身体を縮め始める。
「くそ……スライム如きが調子に乗りやがってぇぇ――」
来る。フライパンを構えた俺は――飛び掛かってきたスライムを――渾身の力を込めて打ち返した。
ばちゅんと弾け、スライムの肉体が四散し辺りに飛び散る。核も潰れたらしい。
「くそおお近寄るんじゃねぇぇ! お前らなんか友達じゃないからな! くんな! くんな!」
「さっきから何言ってんの、気持ち悪いわよ」
やはりだ。スライムの一体目を叩き潰した瞬間、スライムの軍勢が全包囲から姿を現す。
そうだ、そうやってこいつらは俺を蹂躙するんだ。フレンドリーな俺との関係を断ち切り、格下だと見くびって集団リンチを敢行する最低種族共……。
そしてその戦闘を背後で観戦するレイナはもっとクソ野郎だ。俺がやられる度にヒールを掛けると言って、それから静観を決め込んでいる。
これは特訓でも鍛錬でも訓練でもない、いじめだ、拷問だ!
「お前ら……俺の気持ちも知らずにそうやって」
どれだけ俺が嘆き苦しみ昨日レイナが優しいだなんて錯覚してしまったことを後悔していても、スライムは緑色に光り、プルプルと身を動かして俺へ攻撃の構えを取る。
やるしかない、やらないと、やらないとまたあの粘液地獄だ、絶対に嫌だ!
「うおおおおおおおおおおお!」
俺は、俺を囲む多数のスライムを相手取り、フライパンを天に突き上げ雄叫びを上げた。
恐らくこの戦いは俺とスライムの命運を掛けた聖戦であったことだろう。
緑色の液体が飛び、ヒールの嵐が俺を直撃する。ぶちょりぶちょりという音が断続的に続くこと、かなりの時間。
継続的に襲い掛かってきていたスライムの軍勢の残りは、俺に一瞥をくれると次々に退散していく。
フフ、クフフ……勝った。
最初こそスライムにやられていた俺だったが、長時間戦い続けている内にやつらの弱点に気付いてしまったのだ。
あれ……こいつら、動き単純じゃね?
そう、こいつらはどいつもこいつも身を縮めた反動で跳躍してタックルしてくることしかできなかったのである。その為見抜いてしまえばそれに合わせてフライパンを振るうのは実に容易く、俺に勝てないと理解したスライムが逃走する事態にまで漕ぎ着けることができたのだ。
それからという時間は、レイナの連続ヒールのお陰でずっと俺のターンが続いていたからな。
スライムを潰した数は本当に五十を越えた。その辺りからは覚えていない。
しかし、これが聖戦というやつか……レイナの補助ヒールがなければ俺は途中で力尽きていただろう……苦しかった。辛い戦いを強いられた。
だが、勝ったのだ。俺はスライムに俺が強者であることを示したのだ。もうこの森で俺に逆らおうとするスライムなんて存在しないだろう……はは……ははは。
「ってなんじゃこりゃあああああああああああああああ!」
全てが終わった草原は緑色の粘液だらけで見るに耐えない風景になっていた。
俺はレイナはに対して声を張り上げる。
「何よ。倒せたじゃない。ほらよかったわね、あんたもこれでスライムに勝てるようになったでしょ、おめでとうおめでとう」
「全然感情籠もってないのな!?」
「当たり前じゃない。私の回復魔法の恩恵を得続けながら戦っといて負けたら許さないわよ」
この日、改めて能力鑑定処で鑑定して貰ったら、なんと攻撃力が2上がって10になっていた。
ステータスが二桁になったよ! やったね! との一言が書かれた紙を持って、俺は何とも言えない顔をしていた。レイナとの差は倍以上もあるのだ……。
今日は能力強化の道は甘くない……というのを、身体の隅々まで実感した日であった。