五話 フレンドリースライム
「本当に追ってこない……な」
ザコル村の出口に立った俺は、後ろを振り向いて一人ごちる。
いや、別に追って欲しいとか思ってない。本当に下僕はうんざりだ。俺は先を急がねばならないし、早くこの先の森を抜けて第二都市ビフレリアへ向かわなければならない。
あそこに着いたら冒険者登録をして、まずは依頼を重ねて金と地位を築く。そしたらこんなどこの家庭にもあるようなゴミ装備じゃなくて、あれだ。もっとガッチガチの鎧とか大剣とかを買う。
何事もこつこつと、だ。
レイナなんか知ったことか。あんな傍若無人な女、勝手に一人で仕事していればいい。下僕の肩書きなんか知ったことか。俺は勇者だ。
「しっかし、ここか……」
三日かけて、俺はこの森へと舞い戻ってきた。因縁の森だ。スライムごときにボコボコにされた俺だったが、今度はそうは行かないぞ。
そう、この森はスライムに手を出してはいけない森だ。だったらスライムがのこのこやってきても一切手を出さずに素通りすればいいのだ。
いや寧ろフレンドリーに手を振ったりして長年の友達のように関わればいい。そうすればこの前みたいなスライム地獄に遭わずに済む。
「なんだ、誰もいないじゃないか」
鬱蒼とした森の舗装路を暢気に歩き、俺は第二都市への道をひたすら歩く。しばらく進むと、少し開けた空間に出た。
広場のようなところだ。
そこに、因縁の奴は居た。
――そう、緑色のアイツ、スライムだ。俺をボッコボコにしてくれたあの野朗だ。単体では弱いのに数百単位で襲ってくる弱いものいじめが大好きな雑魚モンスターだ。
ぜったいに許さん、ぶち殺してやる、と言いたいところだが……今回は見逃してやろう。いつか強くなったら蹂躙してやる。
大丈夫。今回は立て看板の書いてあることに従うから決してスライムに襲われたりしない。そう、友達のように、愛すべき隣人のように関わればいいのだ。
そうすればスライムも――。
憎き奴は、俺を見た瞬間にその半透明の身体をしならせた。不自然な動きに目を細める。
……あれ、これ襲ってくるんじゃね?
と思うのも束の間、スライムはしならせた反動で華麗に宙を舞い、俺に飛び掛ってきた。
左手に持った樫の棒もフライパンも使う暇なく、俺の顔面は緑色に覆われた。
「が、がぼっごぼぼここごぼ!」
スライムが当たった勢いで後ろにぶっ倒れ、尻餅を付いた俺は慌てて武器と盾を取り落とした。いやゴミみたいなもんだから落としてどうにかなるってものじゃないんだけど、両手が空いた俺はとにかく顔に纏わり付くスライムを剥ぎ取ろうと本体の内部へ手を突っ込んだ。
粘液とぶよぶよした肉体が息を吸おうとする俺の口内に侵入してくる、いやまじこれ外さないとめっちゃヤバイ。
不快なのは当然として、息ができないのはヤバイ。死ぬ。スライム如きに殺されるなんて洒落にならないよ。
「がぼっぼぼぼがばぼぼっぼがが」
スライムを千切っては投げ、千切っては投げ、張り付くスライムを少しずつ剥がしていく。違う、これじゃ駄目だ、キリがない――そうだ、コイツの核を潰せば。
意識が混濁しそうになる中、酸素を取り込めない脳が必死に解決策を生み出した。
半液状の内部を必死にまさぐり、固くて丸い物を見付けてそれを死にもの狂いで鷲掴みにする。
半ば無意識に握り潰せば、どろりと半液体の身体が溶けるように剥がれ、俺の顔から落ちていった。
「ぶっはぁ! 死ぬとこだった、わ……え?」
ぜぇぜぇ息を荒げながら新鮮な空気を吸うこと数秒、俺はあることに気が付いた。
スライム達が俺を取り囲んでいる――。
「冗談だろ……先に攻撃したのお前らぐぼっ!」
内の一体が先程の要領で俺の腹に体当たりしてきた。肺の中の空気を全て吐き出す。
「ちょ、待――あだっ!」
今度は後頭部にぶつかるスライム。彼らに続くように次々とスライムが飛び掛ってくる。
「なんでだよ……俺攻撃してないじゃん……なんで襲うんだよ……なあ、お前ら友達だろう?」
いいえ違いますとでも言いたげに新たなスライムが俺の額にぶつかる。
地獄絵図とは正にこのことだった。
まさかこの前のことを今現在も引きずっているというのか……? 嘘だろ、俺はまだ、自力で最初の町にも辿りつけてないのに。
と考える最中も、スライムは絶え間なく俺に激突してくる。
もう駄目だ、と思ったその時、緑色に歪む視界の奥で何かが見えた。
「あ……レ、レイ、ナ……」
そこで悪趣味な笑みを浮かべていたのは、魔術師レイナだった。うふふと意地の悪そうな笑い声を上げた彼女は、その翡翠の瞳を俺に向ける。
「あら、どう? 現実は見られたかしら」
「た、たす、け……たすけ、て」
「言うことはそれだけ?」
木製のロッドを弄びながら、彼女は口端を広げる。
「余裕がないのねぇ、じゃ、ちょっとだけ助けてあげる」
そう呟き、彼女はロッドの先をこちらへ向けた。ただそれだけのことなのに、スライムが恐れて俺の顔から離れてしまう。
魔力の流れがロッドの先で渦巻いているのが分かる、え、それ、俺に向けてね?
「で、言いたいことはそれだけかしら?」
「なんだよ……また自分勝手に助けて下僕にするつもりかよ、そんなの願い下げだからな」
「あっそう。別に今すぐスライムに質量で責められて死にたい! ってんなら助けないわよ。さようなら、お疲れ様」
怜悧な瞳で俺を睨み付け、レイナは立ち去ろうとする。
と同時、スライムが俺の顔に張り付いた。
「あ、ちょっと待って、待っごぼっ、ごぼがぼぼごご、待ってくれぇぇぇぇ!」
「何よ。もしかして、私の要求は一切呑まないけど自分の要求は呑んでくれって、そう思ってるんじゃないでしょうね。だとしたら嫌よ。それなりのことをして貰うんなら、それなりの見返りはあって当然でしょ」
この野朗。そう声を大にして叫びたいが、現状そんなことはできない。
……彼女が言っていることも概ね間違っちゃいない。自分だけ助けてくれ、じゃいくらなんでも身勝手過ぎる。
命を助ける対価。それが彼女で言えば『下僕』になるわけだ。
てかこいつ……さては俺がスライムに襲われるのが分かってて、野放しにしたのか。
……畜生!
「言ってるだろ、俺は魔王を倒す勇者になるんだって。だから、下僕にはなりたくないんだって――」
「しつこいわね! あんたみたいなのが勇者なんかになれるわけないでしょ? よく考えて物事は言いなさいよ、スライムに叩きのめされる勇者なんかがどこの世界にいるってんのよ、夢物語もいい加減にしなさいよ」
「まだ弱いさ! 弱いけど! 俺はこれから強くなって、いつかかならず魔王を」
「ああもうめんどくさい――【サンダーボルト】!」
レイナはロッドの先に収縮させていた魔力を雷に変換させて解き放った。それは俺ごとスライムを感電させ、張り付いていたスライムはおろか周囲で待機しているスライムも全員吹き飛んだ。
残ったのは全身感電して声も上げられない俺。舌が麻痺して喋ることもできなければ、腕の一本も動かせず硬直してしまっている。
「【ヒール】」
「――う、うあっ……」
治っ、た……?
「テメェ、自分で傷つけといて自分で治すってどんな神経してん」
「【サンダーボルト】」
「あぎゃああああああああああああああああああ」
「【ヒール】」
「……」
「何か言いたいことはある?」
レイナはこめかみをぴくつかせながら、そんなことをさらりと言った。
これはまるで拷問だ。いやまるでじゃなくて拷問だ。求める答えを吐き出すまで傷つけて治してを繰り返すつもりなんだこの女。
「なんで……俺、なんだよ。もっと他に人生諦めたような浮浪者とかいんだろうが……なんで、俺なんだよ」
「はぁ? あぁ……そう、分からないのならいいわ。――これ、無知そうなあんたでもわかるわよね、見えるかしら?」
スライムの残骸の中央で。無表情になったレイナは、鈍く輝く鉄製の指輪をつまみ、ずいと俺に差し出してきた。
これは――。
「ど、奴隷の証輪……!」
奴隷の証輪。こいつは奴隷にしたい人間に付けさせることによって効果を発揮する特殊な魔道具だ。
これを付けられた奴隷はそれを付けさせた主に強制的に従わされることとなり、主の命以外の行動はできなくなってしまうという恐ろしい代物だ。
しかも万が一屈強な精神なんかを発揮して命令に逆らうようなことがあれば、その指輪が締め上がり嵌めた指を切断することになってしまう。
まさかそれを、俺に。
嘘だろ。
「そう、もしアンタが下僕になるのが嫌だってんなら、これを付けてあげる」
「いやいやいやいや、それ奴隷じゃん! 俺奴隷じゃなくてげぼ……あっ」
「げぼ……なに?」
俺の左手首を無理矢理引っ張り、レイナはその指輪を俺の人差し指に嵌めようとする、その寸前で止めた。
俺の顔色が一気に悪くなる。多分、この世の絶望そのものって顔してると思う。
「下僕……です」
「そうね。分かってるじゃない? ユート」
悪魔のような顔をしたレイナは、指輪を持つ手で俺の頭を撫でる。
こうして俺の逃走劇は半ば強引な方法で終わりを迎えさせられた。
そして無理矢理下僕宣言をさせられた俺は、素直に従うしかなくなったのだった。
・アイテム
『奴隷の証輪』
奴隷に付ける指輪形の魔道具。これを付けた者は、付けさせた相手の命令に逆らえなくなってしまう。また命令に逆らうと魔道具に込められた術式が発動し、付けた箇所の輪が締め上がってその部位を切断させられることになる。
指以外にも首用などがあるが、切断が直接死に繋がってしまうのであまり使われない。