四十三話 とんだ巡り合わせ
「ふぅん……」
俺が簡潔に説明すること十数秒後。
レイナは呆れたような声を一通り吐き、足組みを解いて立ち上がった。
やっぱりかとでも言わんばかりの溜め息だった。
腑に落ちない。
「アンタはほんっとに変わらないわね……まあ? 人の金を本来の目的以外に使ったのは許してやるわ。別にアンタの分だったし」
俺から受け取った飲み物を飲みながらそう言い、「ぬるい」と呟いて近くのテーブルへ置いてしまった。
まだ半分以上残っている。
まあ、俺が買ってから結構な時間が経過していたからな。
てかぬるいって分かってたろ、なんで飲んだんだ。
「それで――あなた、ユートの後ろでずっと隠れてるけど、そろそろ出てきてくれないかしら? 別に取って食いはしないわよ」
「う……うう……おにーちゃん、一人じゃなかったなんて知らなかった」
「そりゃ言ってないからでしょ。アンタがこいつに取り入ろうとしたのは正解だったんだろうけど、私がこいつの御主人様だったのは誤算だったわね。どうせ手に負えなくなって私に助け求めようとしたのよ、こいつ考えなしだから」
うっ……そんなこと一言も言ってないのに何でばれたの?
こいつエスパーかよ……!
「ユート、ところで一つ聞くけど。いい?」
「え? 別にいいけど何を」
「この子の名前」
レイナは俺の言葉を遮ってそう放った。
名前――。
「それがどうしたんだ?」
「名前を聞いたかって言ってんの」
「……あ、いや聞いてないけど」
レイナがそれを言った途端、少女は俺の服の裾を強く掴んで背中に隠てしまった。あまりにも強く引っ張ってくるせいか痛い。
って、なんで名前を聞かれたくらいで怯えてるんだこの少女。
そんなにレイナが怖いか? まあ怖いよな、俺も初対面の印象は最悪だったから分かるよその気持ち。
「でしょうね。説明の中に一度もその子の名前が出てこなかったもの。どうせ聞いたところで本当の名前を言ったとは思えないけど」
「それどういう意味だよ?」
「どうもこうもないわ。アンタは自分が考えている以上に面倒事に巻き込まれてしまったってわけ」
レイナは自分のこめかみをとんとんと二度人差し指で叩いてから続ける。
「そんなことしてる場合? 私は言ったわよね、明日は早いって」
「でも、誘拐されようとしてるのを見てみすみす放っておくなんてできるわけないだろ!」
「ま、そうね。だから仕方ないわ……今回は巡り合わせが悪かったってことね」
「だから何だって、回りくどいこと言ってないで教えてくれよ」
「その子に聞いてみたら? 名前とか」
レイナはこめかみを叩いた指で俺の背後を指し示す。
その仕草にびくんと反応した少女は、おずおずと俺の後ろから横へと顔を出した。
「――あたしの何を知ってるっていうの? あたしはただあの変態から逃げてただけ! 知った風なこと言わないでよ!」
いきなり罵倒かよ!
「ユート、この子かなり動揺しているみたいだけど?」
「いや待て、待てって、いきなり過ぎてどうにも……そうだよ、お前名前なんて言うんだ? そういやまだ聞いてなか」
「うるさい!」
「――ってぇ、耳元で叫ぶなお前がうるさい! 名前くらいいいじゃねーかよ」
「イヤだ! もうなんなの! あたしもう出てく! さっきの全部撤回する!」
突然な癇癪を起こした少女は俺の背中を思い切り突き飛ばして扉へ走り出した。
当然前方へよろけた俺はレイナの方へ向かい、
「っ危ないわね」
「不可抗力じゃんぐうぇへっ!」
レイナの右足が腹部に食い込んで強引に動きを止められた。
なにこの扱い、病気の身体に酷だと思います……。
そんなことしてるとパンツ見えちゃうぞぐぼぉほっちょやめて腹押さないで中身出……出る。
「……なんで、開かないの」
俺がそんなことをしている間、少女はいつの間にか凍結されて固まってしまった扉を開けられずに戸惑っていた。
十中八九レイナの仕業だ。
俺を蹴る片手間に氷の魔法を行使していたのか、レイナの右手には青白い魔法の残滓が残っている。
「はぁ、私は最初に取って食わないって言ったでしょうよ。別にあなたをどうこうするつもりも全然ない……ただ、嘘や隠し事は頂けないわね。この馬鹿を騙して変な事件に巻き込もうとしたことについて、私はまだ謝罪の一つも貰ってないのよ」
「あたしは……あたしは、何も悪くないもん」
「悪気がないってのもそれはそれで性質が悪いわね? それで、ここから逃げ出すにしても他に宛はあるの? ないでしょ」
「おいレイナ。この子はまだ小さい女の子なんだぞ、何があるのか知らないけど今はそんなに追い詰めるなって」
「アンタは黙ってなさい」
俺はレイナにヘッドロックをかまされて締め上げられた。
「いでででででで! な、なんでだよ、痛いって!」
なにこの扱い。
しかし当然のようにレイナは俺の悲鳴をスルーしやがり、少女へ追い打ちを掛けるかのようにこう言い放った。
「あなたを追いかけていた青年、レイピアに覚えがあるわ。赤と青の二つの得物を腰に提げ、紋章を背負う騎士。それは――」
「やめて!」
少女の抵抗に、レイナは応えず続きを告げる。
「――王国の騎士の特徴よねそれ、それもかなり上等な。そんなもんに追われてるってことは、必ず理由があるはずよ」
王国の、騎士?
――あの変態が?
うっそ、まじで?
小さい女の子のパンツで興奮するのに?
「まさかそんな人物があなたを誘拐なんてするわけがない。その必要もない。捕まえてどっかに売り飛ばすとか? 現実的な話じゃないわね。だったら他には? あなたが王国から何か大切な物を奪ったとか……いいえそれもないわね。だってあなた、手を汚すような者には見えないもの。町娘の格好をしているけれど、その透き通るほど手入れの行き届いた金色の髪や綺麗な肌、傷やコブ一つない指から察するに……ただの町娘に扮装したお忍びの貴族って感じだものね。つまり」
「なん、で、やめて、よ」
「レイフォード王国第二王女、ノヴァ・レイフォード。度々脱走しては外の世界へ逃げ出すじゃじゃ馬王女だってのはこの耳にも届いていたけど、まさか本当だとはね」
「――あたしは、あたしは王女なんかじゃない!」
俺は思わずレイナの言葉に目を疑う。
え……?
あの執拗に人の股間蹴りまくってた少女が、王女?
嘘だろ。
「あなたがそう思っていたのだとしても、肩書きは変わらないわよ? もしユートが何も知らずにあなたと一緒に旅なんて出てみなさい。その途中で捕まったりした時点でユートは王女誘拐罪か何かで極刑は免れなかったわ」
えっ。
「――そこんところ、アンタ分かっててやったんでしょうね? ええ?」
レイナの冷え切った怒声が、少女へ放たれた。
少女は黙ったまま動かない。
俺やレイナから視線を逸らし、俯き気味に下を向いたまま喋らない。
それだけで、半信半疑だった俺はレイナの言っていることが本当のことなのだと理解してしまった。
……そうか、レイナは怒っていたのか。
俺のために、怒っていてくれていたのか。
「分かってないなら別にいいわ。でもね、アンタの我儘で簡単に人が死ぬってことを覚えておきなさい」
「あたしは……王女なんかじゃ、ない。あたしは自由に生きるの、なんで、なりたくもないものなんか!」
「思うのは勝手よ、そのために行動するのも勝手にしなさい。だけど他人を巻き込むんじゃないわよ!」
叫ぼうとしていた少女は、レイナの怒声に途中で言葉を止め――再び口を閉ざしてしまう。
「レイナ……そのくらいにしていいんじゃないか? 俺も、事情は分かったから」
「分かってどうすんの、どうこの王女を扱うわけ? なんにも知りませんでしたじゃ済まないわよ。こうして部屋に連れ込んでしまっている時点で、酒場なんかで庶民の食す物を与えてしまった時点で――もっと言えば、手を触れ合っただけでも重罪よ。どうしようもないわ」
「……な、なんでそれだけで」
「宝物のような存在なのよ。腫れ物……いえ」
俺の拘束を解いて、レイナは少女に――王女と呼ばれた彼女へ向かい合う。
「あなたが今、するべきことは何?」
少女はレイナを凄絶な眼差しで睨み付けたまま動かない。
「あたしは――」
「我儘を通したいならこの世を知ることね。宝石箱に閉じこめられているだけのお姫様のままじゃ」
「うるさい! うるさいのよ!あたしに説教するなんて――何様のつもり!」
どん、と。
少女は木製の床を叩いて叫び散らす。
喚いて手当たり次第に物を投げ飛ばしてきた。
その中にはレイナの私物も大量に入っていた。
だけど、正気を失って物に当たる少女はお構いなしに部屋を破壊する。
叫びと共に散らされるその光景。
冷めた目をしたレイナがぽつりと呟いた一言が、俺には聞こえてきた。
恐らく独り言だったのだろうけど。
「謝ることすらできないのね、あなたは」
底冷えに凍りついた、失望と落胆の言葉。
軽蔑を通り越して関心を失ったその瞳を。
「……レイナ」
俺はレイナのそんな姿を初めて見た。
そして何故だか分からないけど、胸がきりきりと軋むのを感じて。
思わず、レイナに手を伸ばそうと。
「――ご心配には及びません。あなた達二人は無罪放免、いえ寧ろ協力者として歓迎してもいいくらいしょう」
――凍り付いて開かないはずの扉が開き、そこから発された声に止められた。
俺はその声に聞き覚えがあって扉の方へ顔を向けると、そこに立っているのは少女と同じ金髪の青年。
先ほど出会った時の姿そのまま、彼は整然とした面持ちで部屋に入ってきた。
「お前、さっきの」
「こうなっては取り繕う理由もありませんね。ノヴァ様、今日のところはお戻り下さい」
「なんで、ここにぃ……!」
「そこの彼に隠者の指輪なんて渡してどうするつもりだったんですか? 去り際、彼の人差し指に嵌まっていたのを見て確信しましたよ。なので悪いとは思いつつも、後を付けさせて貰いました」
あ、と気付いて俺は指輪へ視線を落とす。
そうか――あの時、ばっちり見られていたらしい。
じゃあもしかして、あんな唐突な去り方をしたのはわざとだったってことか?
「おい変態! 人の後付けるなんてお前……ストーカー趣味まであったのか」
「ちょっと君黙っててくれるかな? 話がこじれるから!」
「わ、分かったよ今のは流石に冗談だって――てかいつからそこにいたんだ」
「ずっと居たよ。君達の話を聞きながら入る機会を窺っていただけのこと」
青年はレイナをちらりと見て薄く笑み、こう言う。
「これ以上追い詰めるのはよしてくれませんか? ノヴァ様はまだ未熟なのです。代わりに僕がいくらでも謝罪をしましょう」
「……そんなものいらないわ。それより、扉の前で張ってたならさっさと入ってきなさいよ」
「申し訳ありません。少し、貴女の説教に聞き入っていたもので」
「面白いものじゃないわ。早く連れて帰りなさい」
「――しかし口には気を付けて頂きたい。隣の彼と違って身分を弁えている身であるのならば、僕やノヴァ様へその態度を向けるべきではないことは承知しているはずです」
レイピアの柄に触れ、彼はそう告げる。
それに舌打ちをするレイナは呆れた顔で首を傾げ、疲れたように背後の椅子へと座り直す。
「僕は貴女のようなお美しい方を、不敬罪で捕らえたくはありませんよ」
「……っは、人の物を大量に壊しておいて態度もクソもないわ。きっちり弁償してくれるんでしょうね」
「勿論約束しましょう。その代わりといってはなんですが、この事は他言しないで下さいね。これでもお忍びなもので」
深々と一礼して柄から手を離す。
そうして青年は懐から麻袋を取り出すと、作り物めいた笑顔でこちらへ歩み寄ってきた。
「流石に物そのものを返すには時間がありませんので、これでどうでしょうか?」
「私は取引ではなく弁償しろと言ったのだけど、まぁ……いいわ」
袋の中身は金だったらしく、レイナは中身を確認して適当に頷いた。
青年は再び一礼して引き下がると今度は俺に視線を向けてくる。
「あ、その指輪は返して貰うよ」
「なんでさっきの丁寧口調止めたのお前」
さっき口論した時のような砕けた口調に戻った青年へ苦笑を一つ。
ただまあ俺が持っていても仕方ないことなので、指輪を抜いて差し出してきた手の平へと返してやった。
うんうんと満足げに頷く彼が立ち去ろうとする前に、俺は呼び止める。
「おい。さっきの、全部本当なのかよ」
「さっきのって?」
「王女とか、騎士とか」
「ああ、信じられないか? 全部本当だからくれぐれも口伝しないように頼むよ、僕は君を捕まえる気はないからね。あと二度と変態って言うな」
それ最後に言うかお前……。
「最初はマジもんの変態かと思ったけど今は思ってねぇって」
「そうかいそれは良かった、僕の沽券に関わるからね」
股間には関わってるけどな。
青年は一歩後ろへ下がり、くるりと反転して部屋の端でうずくまっていた少女へ歩いていくとその手をやや強引に取って自らの方へ引き上げる。
少女は小さな抵抗をするものの、今回ばかりは逃げられないと悟ったのだろう。
諦めたように力を抜き、代わりに俺とレイナに視線を向けてくる。
様々な感情が混ざり合って混乱している、そんな表情だ。
一言も口を開こうとしなかったが、今は憤りで半ば我を見失っているのだろう。
それを抑えているのはこの青年の存在が今は大きい。
「それでは戻りましょう。皆、心配しておられます」
「なんで、私は――自由に外に出ちゃいけないの」
「ノヴァ様、一人ではいけません。ですが僕やシェラが付いていれば町へ出る事も出来ますよ」
「それじゃ駄目なの……もう、いいです。分かりました、戻ります」
「ありがとうございます、ノヴァ様。本日は僕がそれなりの言い訳を考えておきましょう」
さっき金的されて悶絶していたようには思えないほど騎士然とした顔付きで少女へ語り掛けた後、こちらへ一礼する。
「失礼、名乗り遅れました。レイフォード王国騎士団長、キース・シュバリエと申します。冒険者ならば、またどこかでお会いする機会もありましょう」
「レイナよ。こっちは下僕のユート」
「覚えておきます。してレイナ殿、まさか貴女とこのような場所でお会いするとは――」
「余計な話をするつもりはないわ、用が済んだのなら帰りなさい」
「――そうですか。では、また」
少女を連れ、彼は開け放たれた扉から出ていく。
未だにレイナの魔法で凍り付いていた扉が向こうから閉められると同時、だん、と重い衝撃音が真横から聞こえてきた。
恐る恐るそちらのほうへ目をやれば、空になった瓶を叩き付けるよう机に置いているレイナの姿が映る。
「ユート、私はもう寝るわ。アンタも早く寝なさい、明日は早いわよ」
「あ、え? でもとりあえず部屋片付け」
「明日私がやるわ。じゃ、おやすみ」
椅子から降りると、レイナは有無を言わさないオーラを全面に押し出しながら端のベッドへ潜り込んでしまう。
俺はそんなレイナを呆然と眺めた後、散らばった部屋を見渡してやっちまったと心の中で嘆く。
色々聞きたいことはあったが今は聞ける状況ではなさそうだ。
これ以上レイナを刺激したら死ぬほど怒られそうだし、今は止めておこう。
それにしても――今日はまさか、こんなことになるとは思わなかった。
当初は筋トレして飲み物買ってくるだけだったはずなのに。
「明かり、消すか」
俺は天井の魔力灯を消すと、レイナと反対方向へ備え付けられたベッドへ倒れ込むのだった。




