二十一話 宿の横の中庭にて
翌日のこと。
俺は旅を始める際に持っていった釘刺しまくった樫の棒を使って、せっせと地面を掘って図を描いていた。
途中で通り掛かる子供達が「何やってんの下僕のお兄ちゃんーお絵かきお絵かき?」「僕達も混ぜて混ぜて!」などとはしゃぎながらしゃしゃり出て来たところを頑張って説得して追い返し、それから数十分の時を経て――。
とうとう完成した。
複雑な模様から作られた術式――レイナから借りた本に記載されたディヒールの魔法陣、である。
いつも宿屋の受付をしている女の子に頑張って許可を取ってから描いたのだが、若干不思議そうな顔で見られたのは割愛。
さて、本を見ながら慣れないことをやったので何時間掛かったか分からないが、こいつは力作だ……! 俺の超大作だ、いやめっちゃ上手いなこれ。
樫の棒を投げ捨て、掘られた魔法陣の前にしゃがみ込んで俺は両手を出す。うーん、どうやって魔力ってのを流すのか……。
そもそも魔力の流れとか、身体に溜まった魔力ってのを感じたことが一度もないんだけど。この本にはそういった根本的な説明は書かれていないからな……。
「こう、手に力が入る要領でやればいい気がするんだけどな……いや違うこれ単に力が入ってるだけだわ……あ」
中庭で思考錯誤をしながらあれこれやっていると、ふと後ろから視線を感じた。振り返ると、受付の女の子が箒を持って首を傾げていた。
あ、あれ、いつからいたんですかねぇ。
「ユートさん。中庭を借りてから結構な時間が経過していたので……何をしていらっしゃったんですか?」
「ああ、ええと、魔法の練習を」
「魔法、ですか」
箒を抱えているってことは中庭の掃除についでに見に来たのだろう。仕事の邪魔をするわけにはいかないし、そろそろ退散するか。
「ん、これは……何の魔法陣なのでしょうか?」
とてとてと寄って来た受付さんは、俺が描いた魔法陣を眺めて興味信心に尋ねてきた。
こうして改めて見てみるとなんか恥ずかしいというか、汚いというか……なんで俺こんなに下手クソなんだろう。無性に消したくなってきた。
「ディヒールっていうんだけどさ」
「あ、聞いたことありますよ! 覚えるのが難しいんですよね?」
「う、うん。そう」
「ユートさんって魔法得意なんですね! 私は魔法が苦手で……初級魔法を覚えるので精一杯です」
「えっそういうわけじゃ」
ユートさんと丁寧に呼んでくれる彼女は、本当に尊敬してくれている様子の眼差しで俺を見つめてくる。
うっ、その目は痛いんだ……止めてくれ、今の俺には酷く効く。
「やっぱりユートさんは凄い人です」
「ちょっと待って、ねぇちょっと待とう」
実はこの受付さんとはそれなりに面識があるのだ。
というのも、あの盗賊団の件から始まったことなのだが……一緒に掃除をしている最中にちょこちょこ話して仲良くなり、それからも時々話をしていたのである。
どうやら受付さんは俺のことを尊敬してくれているみたいで、名前交換をしてからというもののユートさんと呼ばれるようになってしまっていた。俺を下僕とか下僕くんとか下僕のお兄ちゃんとかではなく、ちゃんと呼んでくれる数少ない人なので嬉しいっちゃ嬉しいんだが……。
大したこともしていない身としては肩身が狭い思いでいっぱいだ。
あの男だって、彼女を助けようとしたけどボコボコにされて結局レイナに助けられただけだというのに。
ダサいところしか見せていないじゃん、俺。なんで尊敬されてるんだろう。
ちなみに彼女の名前はリリアと言うそうだ。俺は名前では呼んでないが。
「はい?」
レイナと違って可愛らしく素直な上目遣いに半ば悶えつつ、俺はしっかり訂正することに。
このままずるずる行くと、俺はただの大嘘つきの虚言野郎になってしまう。そんなことになったら二度と顔見せられる自信がない。
「あのね……俺、魔法なんて使えないんだよ」
「えっ」
事の詳細をありのままに説明してやると、彼女は「なるほどなるほど」と頷いてから両手を合わせて頭を下げた。
「そうだったんですね、勘違いしちゃってすみません」
「いや、気にすることはないよ……初手からディヒールなんて普通覚えようとしないし」
消費魔力が少ないって理由だけで選んだ魔法だ。
いや……他にも生活魔法ならあったんだけどね、あれは魔法でやる必要性を感じなかったから止めた。最初に覚える魔法が掃除魔法とか、なんか嫌だったし。
こんなことをレイナに言ったら「贅沢言ってんじゃないわよ下僕」とか突っ込まれそうだけど。
「ううん、そうですね。でも確かにユートさんの魔力だと使える魔法も限られてきちゃいますからね」
「うっ……はは……そうなんだよね」
レイナのように悪意たっぷりじゃなく、こう純粋に言われた方が心に来る。
本当は先に魔力総量自体を増やすことを優先させるべきなんだろうけども!
体力トレーニングだって一応やってはいるのだ。
「よし、では私がユートさんに魔法を教えましょう!」
「えっ」
「ディヒールは無理ですが……魔力の流し方くらいなら教えられると思いますよ! どうですか?」
途方に暮れている中、リリアは元気な声でそう言った。
俺は天使を見た気がする。ああこの子は天使だ。天から舞い降りた奇跡、慈愛の女神に他ならない。
「でも、中庭の掃除に来たんじゃ? 仕事の邪魔をしちゃうのは悪いよ」
「いえいえ大丈夫ですよ。暇な時の雑用ですから、時間は空いてます」
私に任せて下さいとでも言わんばかりに、彼女はどんと胸を張る。俺は頬をぽりぽりと掻きながら、じゃあと小さくお願いした。
「はい、任されました!」
かくして、宿屋の受付の娘による特訓が始まったのであった。




