一話 今日から俺は勇者になります
「ハァ? 勇者? ばっかじゃないの!?」
日差しの暑い今日。俺は、勇者になる決意をした。
そのことを幼馴染みである彼女に告げると、もの凄い勢いで否定された。
「あなたに勇者が務まると思ってるわけ?」
なんでこんなに否定されるんだろうかと思いながら後頭部を掻き、俺は上着を羽織る。
「今は、まだ務まらないけどさ」
樫の棒に釘を刺しまくって加工した武器とフライパンの盾を持って、俺はそう答えた。
大丈夫だ、俺は必ず魔王を倒してここに戻ってくる。だからその決意を揺るがすようなことは言わないでくれ……。
「キアラ、お前はそんなことを言っているけど、本当はただ俺に行って欲しくないだけなんだろう? 大丈夫、時間は掛かるが必ず戻ってくる。死なないさ。だから、俺を信じて待っていてくれ」
俺がそう告げると、彼女は放心してしまった様子で黙ってしまった。それから無言の時間が二人の空間を漂う。
そうか。キアラも……ようやく分かってくれた、か。
俺は事前に纏めていた荷物を背中に背負うと、古ぼけた木製の扉を開ける。まるで自分を照らすかのような日差しに応援され、そのまま外へと飛び立った。
全ては魔王を倒すために――。
ぱたり、と。
木製の扉が閉められた後。
勇者に呼ばれたその部屋でポカンとしていた彼女は、今更ながら一人呟く。
「……は? 何言ってんの、あなたアホでしょ」
その言葉は当然勇者に向けられたものであったが、当の本人に聞こえているはずもなく。
限りなく冷淡に放たれた台詞は恐ろしく低く冷たく、キアラの瞳はまるで勇者のことを蔑んでいるようにも見えた。
「……ふう。中々良い雰囲気で出てきたのはいいとして」
つい一時間ほど前に勇者になった俺だったが、苔の生えたそれなりに大きい石に座り、早速頭を抱える事態に陥っていた。
「ああ……腹減った……まじで何か食いたい……」
そう。空腹である。腹の虫がずっと鳴りやまないのだ。
と、いうのも。
それもこれも全て彼女がいけないんだ。呼び出したはいいものの、さっき丁度作っていた飯が出来上がったところで予定よりも一時間以上早く彼女が来てしまい、そんなこんなで手早く話を済ませて最後まで格好付けたまま勢いのままに家を飛び出してきてしまったのだ。
本当はご飯を食べてお腹をいっぱいにしてから話を付けて、万全の状態で旅に出る予定だったのが……これだ。
腹も減っているし持ってきた保存食を今消費するわけにもいかないし、いやそもそも家の戸締まりだってちゃんとしてないし作ったご飯放置してたら腐っちゃうし。
格好なんて付けなければ良かった。
しかし、いくら自分を責めて嘆いたところで腹の虫が収まる訳ではない。時間が経つごとにそれらは酷くなっていき、俺の腹をきりきりと締め上げる。
仮にもここはダンジョンに指定された森なので、食べ物が売っている店なんかどこにもないし。
あ、金もなかった。
そんな不幸な時、更なる不幸が訪れた。
魔物が現れたのだ。
しかし幸いなことに、魔物といっても液体状で緑色をした半透明のスライムで、そいつはモンスターの中でも最弱指定となっているモンスターだ。そういった意味では不幸中の幸いと言えるのかもしれない。
ブニブニと動くスライムの中央には、なにやら核と思しき黒い塊が浮かんでいる。あれを潰せば倒せるのか。
俺は一つ溜め息を吐く。それから、周りに釘を付け足し加工した樫の棒とフライパンを正眼に構え――。
「……おしっ」
スライムを相手に戦闘態勢に入った。
先ずは駆け出し、相手の先制を取る。言っちゃ悪いが、戦闘はこれが初めてだ!
樫の棒を勢い良く横に振ると、スライムの上の部分を派手に抉り、ばちゃんと粘液が飛び散ったのを見てすぐ後ろへ飛び退いた。
「はっ……どうだァ!」
相手となるスライムはかなり深手を負ったのだろうか、その場から動こうとしない。
もう一度攻勢に転じ、今度は盾として使うはずのフライパンを縦に振り下ろす。盾だけに。
今度はブチョンという不気味な音がしてスライムがフライパンの下で弾け飛び、食欲が減退するような液体を飛び散らかして拡散した。
その中で核も潰れたのだろうか、フライパンを取ると、そこにはただの水溜まりと化した緑色の液体がただ存在しているだけだった。
……勝った。
土に混ざった液体を眺め、俺は初めての戦闘をした実感を確認した。モンスターを倒した。最弱とは言え、モンスターと呼ばれる存在を倒したのだ。
「……ふっ、どうだぁッ! はっははははは!!」
たかだかスライム如きに雄叫びを上げる俺。
だが、笑っていられるのも今の内だった。
ズル……ズル。
「ん?」
何かを引き擦るような音が耳に届き、俺はその方向へ視線を投げた。
ズル……ズル。
「は?」
視線の先。暗がりの奥から、先ほど倒したスライムと同系統であろう緑色のスライム達が大量に這いずってくるのである。
一体何体か数えようとしたのだが、数が三十を越えた辺りで俺は苦笑いを顔に貼り付けた。
全身から脂汗が吹き出す。
「いやいや……待てよ。おかしいだろ、なんだよ、それ、そんなのって」
気が付けば、俺は百を越えるスライム達に囲まれていた。全包囲を囲んだスライム達は死の宣告を告げるように一歩ずつ俺の周囲を埋めていく。
数分と経たない内に追い詰められ、俺は先ほど座っていた苔石の上に立ってぶるぶると身を震わせていた。
オークなどのモンスターと違って表情すらも窺えない。そんなスライム達がずるずると不協和音を奏でて俺の足下まで辿り付く。
「は……はは、は」
とうとう苔石を這い上がってきた。もう足に纏わりついてきた。怖い、液体の感触が怖ましい。
「あ、う、うわあああああ!」
最早狂気の域に達していた。
頼れるのは頼りない釘樫の棒とフライパンのみ。そんな武器と防具を振り回して次々に迫り来るスライムを叩き、斬り飛ばし、核を破壊する。
しかし、すぐに数の暴力に押し負け、とうとう俺の下半身は緑色で覆われてしまった。大量の粘体が蠢き身動きが取れなくなる。
俺はそうなって、ようやく思い出した。
この森のルール。少し前に歩いた道の横に立てかけてあった看板に、とある注意書きが記されていたことを。
腹が減っていてうっかり見過ごしていた、大事な言葉を。
――この森のスライムに、手を出すな――。
「あぁ、ああ……あ、あ」
今更になってその看板のことが浮かび、その意味にようやく気が付く。だがもう遅い。ついに上半身までもがスライムに飲み込まれ、首から上だけが残る。
この森に住む、スライムの怒りを買ってしまったのだ。
「助、けて……」
奇跡は起こらない。
そのまま俺は、スライムの軍勢に飲み込まれていった。
今日からの新連載になります。
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