「さよなら、私の青春」
音楽室で楽器を吹いていて、綺麗な音が出せたことに満足した私は、ふと、窓を見た。すると茜色の空になっていた。
立てかけられた時計の針は午後五時過ぎを差している。もう管理者が施錠の見回りをしている頃だ。
私ははっとなり、急いで楽器をケースの中に仕舞いこみ、元ある場所へ戻した後、部屋に鍵を掛けて飛び出した。
もう校舎の扉は閉められてしまっただろうか? 五階から一階へばたばたと音を鳴らしながら階段を降りていく。周りからは生徒や教師の声は聞こえない。時々、「ぱかーん!」というボールを打った音が聞こえるくらいだ。
扉へ辿り着き、取っ手を掴み前へ押す。しかしそれは「がちゃん」と音を立てた。
「遅かったか……」
扉の施錠が始まり、それが終わると一つの扉しか開いていない。東校舎の一階の扉だ。今いる場所は西校舎。そこへ行くには一度階段を上り、渡り廊下を歩いて行かなければならない。
「めんどくさ」
西校舎は校門に近いのもあって、さっさと帰れるというのに。わざわざ遠回りをしなければいけないなんて……。
東校舎は駐輪場に近い。歩いて登校している私には縁がない。
しかし窓を開けて帰るわけにも行かない。
私は、渋々と階段を上り始めた。
偶然を呪った。
駐輪場へ向かうと、そこには同級生の中島有佐と高橋健也が二人で向かい合って何やら会話をしていたのだ。
私はどきりとして、外へ踏み出した足を引っ込めてしまう。
「あの……高橋くん! あたしと、付き合ってください!」
「……えっ」
愛の告白、だった。
ちらりと横目で二人を見ると、有佐が高橋に頭を下げて、手を差しのばしている所だった。
おいおいおい、なんなんだ、あれは。告白? それにしてはやり方が古すぎるだろう。
いや、それよりも、なんで有佐が?
だって有佐は、高橋が嫌いと言っていたではないか。
それに彼女は、何より私の初恋を応援していたじゃないか。なのに……これは、どういうこと?
どうして私の初恋の相手に、有佐は自分の嫌いな相手に告白をしている?
頭の整理がつかない。冷や汗がこめかみを伝って、地面へと落ちていく。
「…………」
心臓の音がやけにうるさい。ばくばくばく。これは二人にばれないように緊張している故なのか、有佐の告白の答えに高橋がどう答えるのか気になっている故なのか。
高橋は暫くぽかんと口を開けて驚いた。そして漸く、自分が何を言われたのかを理解すると仄かに頬を赤らめた。
「ちょ、ちょっと待って……」
顔を覆い思考する。ばくばくばくばく。一段と心臓の高鳴る音が大きくなった気がした。
嫌だ。私はそんなことを思っていた。高橋の答えを聞きたくない、と。告白を受け入れる高橋も、振られて涙を流す有佐の姿も見たくない。
有佐は私の親友なんだ。小さいころから、私を引っ張ってくれてとても笑顔が素敵な女の子。憧れの存在。
どうして有佐が高橋に告白しているのか、高橋に恋をしていなのか、そんなことは気にならなかった。
ただ私は、有佐の恋が実ると、高橋が告白を断るのか、どちらを願っているのだろうかと考えていた。
矛盾する心がぐるぐると回る。
「――えっと……俺で良ければ」
ふ、と。体の力が抜けて私は壁にもたれかかった。
高橋と有佐が付き合う。
私の初恋が叶わなくなった。
たったそれだけの事実。
こんなにも簡単なのに、私はそれに言葉を失っていた。
初恋というのはこんなにも大切で重い想いということを自覚した。
「―――は。振られちゃった、なあ……」
言い聞かせるように私は呟いた。
気付くと目からは涙が溢れ出ていて、それは止まることを知らない。
きっと明日から高橋と有佐は二人で行動することが多くなるのだろう。勉強を教えるのも彼の役目だ。一緒にご飯を食べるのも私じゃあない。
お払い箱。もう彼女に私は必要ない。
「お幸せにね、有佐。それから――」
さよなら、私の青春。
私を置いていくように、二人は隣り合って校門をくぐっていった。