62 焦燥
前回の渡り人の遺骨がなかなか見つからないらしい。
「さすがにやり過ぎたじゃろうか。アベラールの王城への侵入が簡単じゃなくなってしもおた」
おじいちゃんが腕を組み、「うーむ」と唸りながら言う。侵入自体は出来るのだが、かすかな痕跡がどうしても残ってしまうそうだ。再三侵入しすぎて、今や彼の国の警戒はMAXだと言う。
痕跡を残さず進入できるのは、私かルードルフ、フェンリル、シュヴァルツ、ユニコーン、フリッツだけらしい。バンビも可能だが、人型になれないので侵入には向かないそうだ。
「ですが、呪いの気配はその王城から強く感じます」
グラウの言葉におじいちゃんも頷く。
「最初はその辺に捨て置かれているのかと思っておったのじゃがな。どうも王城の結界に彼の渡り人の魔力の気配が残っとるんじゃ。もしや遺骨を使って結界を強化しておるやも知れん」
新年から半月ほどが過ぎた頃、離れの会議室にいつものメンバーが集められ、おじいちゃんの報告を聞いている。
「死して尚捕らわれているとは……」
カールさんが珍しくその顔に嫌悪を浮かべている。
「そりゃ、呪いたくもなるな」
マックスの言葉に皆が同意し頷く。
人としての尊厳を悉く踏みにじるやり方は、許されるべきではないと思う。
彼らにとって渡り人とは人ではないのかも知れない。自分たちとは似て異なる存在、そんな免罪符を以て非道に扱うのかも知れない。
私の感覚では許されざる事であっても、彼らの感覚では許されるべき事なのだろうか。
ルードルフやこの国の人たちが私と感覚を同じとしてくれることは、奇跡なのかも知れない。
同じ国であっても、場所が変われば常識も変わる。世界が変われば全ての根底が覆るほどの違いがあってもおかしくはない。
同じ渡り人の血を引く者なのに、この違いは何だろう。
片や唯一との間に生まれた子供、片や蹂躙の果てに生まれた子供。
まさかそんな単純なことだろうか。
……そんな単純なことなのかも知れない。愛とはあらゆる意味で重く尊い。
『莉恵、愛の尊さに思いを馳せているところ悪いが、ちゃんと聞いていてくれ』
ルードルフからやれやれという気配が伝わってくる。……ごめん。
『フリッツがアベラールの城内に入ることとなったぞ』
フリッツは同じ姿の蛇や蜘蛛などを使役することが出来るそうだ。それらと一緒に城内を隈無く探してくると言う。フリッツ自体は結界の目をくぐって城内に進入し、魔力を隠して、小さな蛇の姿で堂々と動き回るそうだ。確かに私も自分の結界内に小動物が入り込んでもそのままにしていた。
フリッツはおじいちゃんとグラウと一緒にアベラールの隠れ家に転移し、三日ほどで一度戻ることとなった。いつの間にか隠れ家まで用意されているとは。ちょっと行ってみたい。
「リーエ、今度儂と一緒に行くかの」
「本当?」
「ああ、アベラールの城下も風情があってなかなかじゃよ」
「リーエは俺が連れて行くので、爺様は一人で堪能してください」
渋い顔のルードルフにいつものごとく遮られた。
それにしても、そんなに行きたそうな顔をしていたんだろうか、私。繋がってないおじいちゃんにまで読まれた。
「えー、たまにはおじいちゃんと一緒がいいなぁ」
「そうじゃろ、そうじゃろ」
二人で顔を見合わせてにやりと笑うも、最近のルードルフは釣られてくれない。しれっとした顔で放置された……。なんか凹む。
おじちゃんとこそこそ話す。
「最近のルードルフは釣れんなぁ」
「次の手を考えますか?」
「そうじゃのぉ」
「いい加減にしないと怒りますよ。特に爺様」
「うわ、何か今の言い方カールさんっぽい。やっぱり兄弟なんだねぇ」
「ほう、私っぽいとは?」
しまった! 腹黒に聞かれた。うわ、ルードルフがにやにやして見てる。おじいちゃんまで! 裏切り者め。
「大吟醸三本!」
「聞かなかったことにしましょう」
カールさんが手を打ちながら即座に答えた。最近カールさんは日本酒に凝っているので、憶えている限りの日本酒の銘柄を冷蔵庫から取り出している。
「緊張感ないなぁ……」
ジギスさんに言われた。あのジギスさんに言われたよ、ショックだ。
「リーエがこの様子なら、案外あっさり解決するのかも知れませんね」
買収された人に失礼なことを言われた。もしや私ってアホっぽいのだろうか。
「リーエは全て顔に出ますからね、ちょろいですよ」
……腹黒にちょろいとか言われた。ちょろいとか……誰に教わったのか。ジギスさんか。そうかそうか。
「俺じゃない! ユニコだ!」
ジギスさんの後ろに忽然と現れたユニコが、必死な顔で首を横に振っている。
ほほう、人のせいにするのは男としてどうなんだ? ジギスさん。フェン、やっておしまい。
私の後ろに現れたフェンリルを見て、ジギスさんの顔色が悪くなった。
「リーエ、それくらいにしておけ」
ルードルフに静かに怒られた。静かに怒られるって怖いよね。
早速アベラールの隠れ家に転移するフリッツさんの手を取って、「無事に帰ってきてね」と言いながら手の甲に口づけておいた。さっきの「やっておしまい」な女王様気分の延長だ。それっぽく微笑んでみた。
ルードルフに引き剥がされたが、何となくやってみたかっただけで、深い意味はない。
「ありがたき幸せに存じます」
フリッツさんが色っぽい笑顔と王子様のような礼を残して転移した。ノリがいいな、フリッツさん。
「リーエ、……まあいい」
「仕方ありませんね」
「仕方ないな」
いつの間にか現れたシュヴァルツやフェンリルからもやれやれな気配を感じる。
いや、浮気じゃないよ。浮気じゃないんだよ。
「そこは疑ってない」
ルードルフからやけにきっぱりと言われた。そうきっぱり言われるのもなんとなくもやっとする。
そう言えば、気になっていたことをフェルさんとカールさんに聞いてみる。
「エルさんにこの事って話してあるんですか?」
「いや。まだだ」
「話さずに済むならそれに越したことはありませんが、王妃という立場上ある程度は話す必要はあるでしょうね」
「あれは王族としての最低限の教育はされてはいたが、冷遇されていたからな。あの国にそこまでの思い入れはないだろう」
フェルさんが言うならそうなんだろうな。自分の妹さんにも一線引いているような感じがしたし。
「エルの家族はここにあるからな、大丈夫だろう。それにあれは存外逞しいぞ」
フェルさんが何かを思い出したように笑いながら言う。エルさんもロッテ並みに逞しいのだろうか。意外だ。エルさんは可憐な王妃様なイメージだったのに……逞しく可憐な王妃様なのか。それはそれでありかな。ありだな。
「莉恵、今日はちょっとおかしくないか?」
ルードルフが人前で「莉恵」と呼ぶのは珍しい。おかしいのかな私。おかしいんだろうな。ルードルフは分かっちゃうよね。自分でも無駄にテンションが高いのは分かってる。
「んー、なんって言ったらいいのかなぁ。よく分からないんだけど、不安なんだよね。なんだか分からないんだけど、焦燥感というか、焦るような、不安なような、何とも言えないざわざわした感じがしてる。でも不思議と恐怖感はないから大事にはならない気がするんだけど……」
「おそらく我が主が直接出向く事態になるのだろう。フリッツが遺骨を探し出せばはっきりするだろうが」
「どういうことですか?」
カールさんがフェンリルに聞く。
「あの呪いを解くのは我が主以外には無理だろう。おそらく我にも無理だ」
「そうなの?」
「おそらくな」
フェンリルの言葉にルードルフが何とも言えない顔をしている。もしかしてルードルフとフェンリルは既に話し合っていたことなのかも知れない。
フェンリルがそう言うなら、そうなのだろう。
同じ渡り人同士だからか、唯の渡り人ではない私だからこそなのか、そのあたりは分からないものの、私でなければ出来ないなら、出来るだけのことはしたい。
「結局リーエに頼ることになってしまうんだな」
フェルさんが申し訳なさそうに小さく呟いた。
フェルさんは自分たちの世界のことは、なるべく自分たちで解決したいと思っている。そういうところ、心から尊敬する。私なんて人に頼ってばかりなのに。だからこそ力になりたいと思う。
「リーエには、貰ってばかりですね」
珍しくカールさんがしょげたように言う。たくさん貰っているのは私の方だ。
「ならば、大吟醸はいりませんね」
「それとこれとは話は別です」
別らしい。そう言うと思ったけど。
心のざわめきを吐き出したからか、少しだけ不安が薄れた。




