61 睦言
おじいちゃんは呪いの発生源を探しに行ったらしい。
この世界では、亡くなると六日目に自然と肉体が消えて骨だけとなり、その骨も一巡り後に消える。
以前、浄化したときに浄化されたものはどうなるのか考えたことがある。
大地から発生したものは大地に還り、人から発生したものは大気中の魔力になる。服に付いた汚れのうち、ホコリなどは大地に還り、垢などは魔力に還る。
人の肉体や骨も魔力に還る。
家族が亡くなると、骨に変わるまでは寝台に安置し、弔う。
骨になると遺品と共に長持のような箱に入れられ、一巡りの間家族が集まる部屋に置いて、故人を弔い偲ぶそうだ。
その骨が消えるまで最後の祝福が効いていると言われている。
骨が消えた後、長持の中身は形見分けされる。
つまりおじいちゃんは、前回の渡り人の骨を探しに行ったらしい。
どうして百年もの間骨が消えずに残っているのか。「それほど強い呪詛なのだろう」とルードルフは眉を寄せて言う。
家に帰ってきて、何となく静かに食事を済ませ、色んな事を考えながらお風呂に浸かり、ベッドに潜り込む。少し遅れて露天風呂に入っていたルードルフもやって来た。
「ねえ、ルーがあの国に望まれてたのって、やっぱりそう言うことなのかなぁ」
「どうだろうな。あの時の俺ではそうなっていたかも知れんな」
「あの枷もあったしね」
「そうだな。あの時の俺ではあの枷を外すことは出来なかっただろうしな」
「ルーが無事でよかった」
「莉恵と出会えて、番となって、シュヴァルツと契約できて。本当に良かったよ」
「うん、私も」
「少しでも時期がずれていたらどうなっていたことか。何と言ったか……そう、タイミングだな」
「そっか、丁度いいタイミングだったのかぁ」
この世界に来たのはルードルフに出会うためだったなんて、そんな陳腐ことは言わない。そんなことを言えば、この世界に来た理由がルードルフにもなってしまう。何かの拍子にルードルフのせいだと八つ当たりしてしまうかも知れない。
どういう理由でこの世界に来たのは分からないし解らない。理由なんてなかったのかも知れない。あるのかも知れない。来てしまったからこそ、ルードルフという唯一に出会った。どちらが先かはきっと問題じゃない。きっと考えても仕方がないことなんだろう。
「俺のために来たんだよ、きっと。俺が莉恵を喚んだんだ」
「違うでしょ。でも……」
ちゃんと目を見て言う。優しいこの人は、あらゆることを自分のせいにしてまで、私を守ろうとしてくれる。
「ルーに出会えてよかった。私の唯一がルーでよかった。この世界に来て一番よかったことだよ」
「そうか。俺も俺の唯一が莉恵でよかった。莉恵の番となれてよかった」
そっとルードルフに擦り寄れば、柔らかく抱きしめてくれる。
「莉恵、子を願ってもいいだろうか」
今までにないほど真っ直ぐな目をしたルードルフに聞かれた。
ルードルフのその綺麗な青が心の奥を疼かせる。今まで身近になかった色だからだろうか、その色は宝石のように美しく思う。アクアマリンより濃く、サファイヤよりも薄い。喩えて言うなら地球の色だ。宇宙から見た、あの青い星の色。私の奥に仕舞い込んだ何かが疼く。
「分かっている。俺の気持ちを言ったまでだ」
なにも言えなくなった私に、ふっと笑いながら言葉を足す。
私にはまだその覚悟がない。
もう少し二人だけの時を……なんて、甘いことを考えているわけではない。唯々怖いのだ。
自分がまだこの世界に根を下ろしているとは言えない状態で、自分を抱えるだけで手一杯なのに、それ以上を抱えられるとは到底思えない。どうしたってその負担はルードルフが負うことになる。もうそれは嫌だ。自分でも抱えられるようになりたい。
「もう少しだけ待って」
「大丈夫だ。分かっている。俺の気持ちを言ったまでだ。俺は莉恵の全てを抱えて、莉恵の全てを俺のものにしたい。子も含めてな」
ルードルフがにやりと笑いながら抱きしめる腕の力を強めてくる。
この人はその全てが優しい。
今なら聞けるかも知れない。
ずっと考えないようにしていたことを。
「ねえ、……フェンリルたちは魔力が大きいから寿命が長いんでしょ。渡り人も魔力が大きいから長寿だったんでしょ。なら私は、どれだけ生きることになるか、解る?」
「俺と同じだけ生きることになるな」
「ルーと同じだけ? ……それって、私と番になったからルードルフの寿命も長くなったって事?」
「俺と一緒じゃ嫌か?」
「嫌じゃない! 嫌じゃないけど……。ごめんなさい」
「何故謝る? 俺は莉恵と長く生きられて嬉しいよ。繋がっているから嘘じゃないって分かるだろう?」
ルードルフからそれが本心であると伝わってくる。
「どれだけ生きるかは、正直分からないな。フェンリルが言うには、フェンリルより長く生きるかも知れないらしいぞ。俺もフェンリルもシュヴァルツも同じだけ生きるんだ、寂しくないだろ?」
よく考えもせず、ルードルフと番となったことが悔やまれる。
本当は頭のどこかで分かっていたのに、気付きたくないと目を背け続けた報いだ。私の異質な生にルードルフたちを巻き込んだ。私は唯の渡り人ではないのに……。
え?
私は唯の渡り人ではない?
今そう頭に浮かんだ。どういうこと?
え?
「莉恵!落ち着け」
ルードルフの強い声に、我に返る。
「俺は全て分かった上で番となったんだ。莉恵の寿命のことも、莉恵の存在の意味も」
「私の存在の意味?」
「そうだ、莉恵の存在の意味。莉恵はこの世を統べるものだそうだ」
すべる? 滑るもの? ……統べる、もの?
「どういうこと?」
「俺も良くは分からん。ただ、莉恵はこの世を統べる存在だと、以前フェンリルが言っていた」
「王とか、そういうこと? 統治者みたいな?」
「そうとも言えるが……おそらく莉恵の世界で言う、神に近い存在じゃないか?」
「はぁ? それはない。こんな神様嫌だよ私。フェンリルの方がよっぽど神様っぽいし」
「それに近いと言うだけで、そうだって事ではないだろ?」
「あー、もしかして監理者とかそういう感じかなぁ。神は世界の監理者だって聞いたことがある。でもこの世界に神はいないはず」
「どうだろうな、明日にでもフェンリルに聞いてみればいい」
「何かしなきゃいけないこととかあるのかな……面倒くさいな」
「面倒くさいとか言うなよ。もっとはしゃげよ。『この世は私のもの!』って高笑いしてもいいぞ」
「……ばっかじゃないの? もう寝る」
ルードルフの腕の中から逃れて、もぞもぞと寝る体制に入ると、再びゆるくルードルフに抱え込まれる。
「莉恵は莉恵のままで」
「ん、私は私以外になりようがないよ」
「そうだな」
「そうだよ」
答えるルードルフの声が優しい。この人だけは、そのままの私をそのまま受け入れてくれる。
「ルー、巻き込んでごめんね」
「喜んで巻き込まれたさ」
「ありがと」
「大丈夫だ、ずっと側に居る」
この人が側に居てくれるなら、生きていける。
「問題はジギスたちに何と言うかだな……」
「え? 寿命のこと? 言ってなかったの?」
「ああ、何となくな」
きっと私を慮ってのことだろう。ジギスさんたちの寿命が長いと知ったら、当然自分の寿命のことを考える。きっとそういう事だろう。
「ジギスさんたちはどのくらいの寿命になるの?」
「倍ほどじゃないかとフェンリルが言ってたな」
「ジギスさんと、リッツさんと、もしかしてジークも?」
「そうだな、上位との契約者は特に長寿となるだろうな。まあ、あいつらは薄々勘付いていると思うぞ。魔力が大きい者は比較的長寿だというのは周知の事実だからな。だからこそ今更って気がして言い出せなかったんだよ」
そんなルードルフの心配事は、翌朝フェンリルの「とっくに我が教えておいた」の一言で、あっさり片付いた。




