07 現実
夕食の時間になったので、ルドルフと一緒に宿屋の食堂で夕食を取る。僅か数日ぶりなのに、随分と懐かしく感じる。
今日もパンとスープの夕食だが、お昼の味のないサンドイッチを食べた後では、塩味が付いているだけでも美味しい。
二人とも特に食堂では話すこともなく静かに食べ終え、再び私の部屋に戻った。
部屋に戻って早々、食事の間に考えていた自分なりの結論をルドルフに話す。
「どうやら私が単身で街に家を持つのは無理そうですが、街の外なら私でも家が持てそうですね」
ならばあの丘に家を建てようか。あの丘は私にとって始まりの場所でもあるし、家を建てるにも良さそうだ。
「カトゥ、俺の話をちゃんと聞いていたのか? 街の外に、しかも若い女性が単身で家を持つなど聞いたことがない」
「でも私なら、魔獣も破落戸も寄せ付けないような、強固な結界を長時間張り続けられるだろうし、家を魔力で建てることも出来ると解っていますから、問題ないかと思いますが」
何が問題なんだろう? ルドルフが渋い顔をしている。
「確かに、カトゥほどの魔力であれば強固な結界も張れるだろうし、家だって建てられるだろう。
だが未婚の女性が街の外で一人で暮らすなど、良からぬ噂が出かねん、婚期を逃がすぞ」
問題は婚期か。この世界で結婚なんてするかなぁ。
「私は噂なんて気にしませんよ。知り合いがいる訳でもありませんし。
そもそもこの世界では二十六歳の私は既に行き遅れじゃないですか?」
「確かに二十六だと行き遅れだが、カトゥは見た目が十五ほどなのだから何とかなるだろうよ」
「年を誤魔化して結婚しろと?」
「そうは言ってないが……」
「そもそもルドルフの三十二歳は、男の人でも十分すぎるほど行き遅れじゃないんですか?」
「俺はいいんだ!」
鼻の穴を膨らませて言い放ったルドルフの短い言葉から、なんとなく残念な過去が垣間見えてしまった。
暫し無言で見つめ合う。
正しくは、ルドルフは私を苛立つように睨みつけており、私はルドルフを哀れみを込めて眺めていた。
「とにかく。私は明日にでもあの丘に家を建てようかと思っています」
ルドルフが苦虫を噛み潰したような顔をしているが、気にしない。
魔力で家を建てられることは解っている。結界も張れる。それも解っている。ただ、一人で行うのはちょっと不安だ。
「無詠唱で結界を張ったり、家を建てたりするつもりですが、明日お休みなら見に来ます?」
「分かってて言ってるな」
狡賢い言い方だなと自分でも思う。でも素直にお願いするのは、何となく抵抗がある。
「では明日の朝食後に出発しますので、一緒に朝食を取りませんか?」
「……明日食堂に向かうときに声をかける」
「お願いします」
ルドルフは私の部屋から出る際、さりげなく扉の影から左右を見渡して人がいないことを確認していた。気を遣ってくれているらしい。そういえば夕食後部屋に入るときもきょろきょろしていた。
全身浄化の魔法を使い、明かりを伏せてベッドにもぐり込む。
壁に掛けられた丸いお盆のようなものの片面に魔法陣が刻まれており,部屋がほんわりと見える程度の弱い光を放っている。光を放つ面を壁側に裏返すことで暗くすることが出来る。
ルドルフの部屋の椅子が置きっ放しになっているが、まあいいか。
さて、明日どんな家を建てようか。
そもそも何故家が欲しいかと言えば、一番はトイレに耐えられないからだ。
この宿屋はこの世界の一般的な宿屋だと思う。高級宿でもなく安宿でもない。
その宿屋のトイレが、バケツの倍ほどの高さの桶に浄化の魔法陣が刻まれただけの代物なのだ。その桶をまたいで中腰になり用を足す。
座って用を足すことに慣れている分、中腰ではおかしなところに力が入り、用を足すどころではない。
ちなみにトイレットペーパーの代わりは柔らかく大きな葉っぱである。桶の横にある鉢植えの植物の葉がトイレットペーパー代わりであると、初日にルドルフに教えてもらった私は、まさに言葉を無くした。
ウォシュレットと柔らかなトイレットペーパーに慣れきった現代日本人には耐えがたき苦行である。
今は浄化の魔法が使えるので、まあ、あれだが、初日は……うん。
初日にちぎり取った葉は、翌日には再び生えていた。生命力の強い植物らしい。
トイレの桶とトイレットペーパーな鉢植えの横に、小ぶりなチェストがあり、その上に水の張られた桶が置かれていて、桶には浄化と一定の水量を保つ魔法陣が刻まれている。トイレの後の手を洗うのも、顔を洗うのも、うがいをするのも、この桶の水なのだ。
いくら魔法で浄化されているとはいえ、トイレの後の手を洗った水で、うがいをする気にはならない。
おまけに、部屋にお風呂がないので、別の場所に大浴場のような共同のお風呂があるのかと思ったら、お風呂の存在自体がなかった。
魔力が小さな人でも浄化の魔法を使える人は多く、一度に全身は無理でも、時間を置いて魔力が回復するのを待ち、上半身、下半身、頭部など、分割で浄化するという。魔法が使えない人は体を拭いたりもするが、大抵は魔力を持つ家族に浄化してもらうらしい。
そしてあの味の薄い食事。薄くとも味が付いているだけマシなあの食事。
……キッチンがあれば自分で作ろうと思う。たいして料理が得意だったわけではないものの、あの食事よりは美味しく作れる気がする。
最後にベッド。
ベッドと言っているが、実際は大きな四角い箱に厚手の毛布のようなものが敷かれた上にシーツが掛けられており、その上で毛布にくるまって眠っている。枕なんて無い。毎晩マイ腕枕である。
眠れないことはないが、朝起きると体中が痛い。寝ているのに疲れがとれている気がしない。むしろ寝る度に疲れがたまっているような気がする。
枕も掛け布団も我慢するから、マットレス、もしくは敷布団が欲しい。
現代日本人には生きていることが辛くなる現実である。
ここで生きていく以上、日々快適に生きていきたい。
ここで一人で生きていけるのかは不安だが、自分の家があればその不安も和らぐような気がする。
たとえ街の外の危険地帯であろうとも、よからぬ噂を立てられようとも、既に逃しているらしい婚期を更に逃そうとも、魔力で快適な家と生活を手に入れたい。一刻も早く手に入れたい。