48 移転
力あるものとの契約で慌ただしかった日々が少し落ち着いた頃、漸くまったり出来るはずの市の日に、ルドルフがジーク一家を呼び出した。
「皆とも相談したのだがな、この家とジークの家を、ファルファラーの南の沖にある島に移そうかと思うのだが、どうだ?」
「仕事部屋の転移扉はそのまま?」
「そうだ。大きめの無人島で、島ごと結界を張る」
「私はいいけど、ジークたちは?」
「構いません」
ジークが当たり前のような顔で答えている。まあ、ジークは事前に知っていてもおかしくない。ロッテはレオとバンビに「無人島だって!」とわくわくした顔で話しかけている。
「まあ、実際には今までと何も変わらんがな、場所が変わるだけで」
「でもどうして急に?」
「アルバの街にアベラールの密偵が増えていることもあるんだが、それよりこの場所が噂になり始めている。丘の上にたどり着けないとな。丁度この丘の上に金になる薬草が生えていたそうだ」
「なるほど」
「家を移した後、あえて結界を残して、薬草の独占を企んだ風に装う。その辺はマックスが上手くやるそうだ」
ふーんと頷いていると、フェンリルとシュヴァルツ、ゴルトが現れた。
シュヴァルツが「いつでもいいですよ」と言うと、ルドルフが立ち上がり「じゃ、行くか」と軽く言う。
「へ? 今から?」
「そうだ、今からだ」
窓の外を見れば、結界があった辺りが煌めき、その煌めきが敷地全体を包んで消えた。
「着いたな」
「もう?」
ルドルフの言葉に驚いて、テラスから外に出ると、敷地にあった庭木も花も今までとそっくりそのままの景色の向こうに、たくさんの樹が見える。鳥の鳴き声と、どこからか微かに水音も聞こえる。
「もしかして水が湧いてる?」
「ああ。リーエの言っていた温泉も湧いてるぞ」
「温泉! ルドルフは事前に来たことがあるの?」
「ああ、フェンリルたちと一緒にな。ここはゴルトが見つけてくれたんだ」
「ゴルト! ステキ! ありがとう!」
ゴルトにそう言えば、嬉しそうに笑ってくれた。このところゴルトの姿が見えなかったのは、引っ越し先を探してくれていたからなのか。
島はドーナツ状の森に囲まれており、その中心のぽっかり空いた場所に泉が大小で三つあると言う。一番小さな泉が温泉だそうだ。
玄関が北、ガーデンセットの置いてある、リビング、ホール、ダイニングキッチン側のテラスが南、露天風呂が西。
どうやらきっちり東西南北を向いているらしく、私があの丘に建てたときより、テラスがきっちり南向きになっていた。今回の移転はシュヴァルツの魔力で行ったらしい。シュヴァルツらしい正確さだ。
テラスの先、いつもの景色のその先に森が見える。
結界の先から森までは花畑のようになっており、色取り取りの花が風に揺れている。私が植えた庭の花が寂しそうに見えるほど、花が咲き乱れ、色があふれている。
バンビがレオを背中に乗せ、一目散に花の中に突っ込んで行き、ぴょんぴょん跳ねている。レオが落ちないのが不思議だ。プチサイズのバンビは花に埋もれそうになっては、跳ねてその姿を現している。レオのはしゃぐ声がここまで聞こえ、横でロッテがレオを羨ましそうに見ていた。
東側のリビングの窓からは大小の泉が見える。
リビングからまっすぐ東側に小さな泉、大きな泉は北東の位置にある。小さな泉は卵のような形をしており、少し先細っている方が大きな泉に向いている。大きな泉は森に沿ったジェリービーンズ型だ。凹んだ辺りに何本か樹が生えており、丁度いい木陰になっている。あの場所でバーベキューなんていいかも。ハンモックやブランコもいい。
大小の泉は日の光を受けて、水面がきらきら輝いている。毎日この景色が見られるなんて贅沢だ。
ルドルフに連れられて露天風呂に向かえば、いつの間にか目隠しの板塀が無くなっており、その先に温泉が湧いている。温泉までは三十メートルほどだろうか。遊歩道みたいな石畳で露天風呂と繋ぐのもいいかも知れない。
露天風呂には元々不可視の結界を張っていたので、外からは見えないようになっていた。板塀が無くなったことにより眺めが良くなり、素晴らしき開放感だ。
玄関扉を開けると、今までと同じ位置にジークとロッテの家がある。リビングの窓からは見えない位置、我が家の日陰にならない絶妙な位置に建っている。ここでもシュヴァルツの正確さが現れている。
ジークとロッテの家越しに大きな泉が見え、そこまでは百メートル程だろうか。それなりに離れている。
「探検に行くか?」
ルドルフの言葉に、フェンリル、シュヴァルツ、ゴルト、いつの間にか戻ってきていたバンビが、元の姿に戻る。
バンビの頭には花の冠が乗っている。どうやって作ったのだろう。魔力か? レオの頭にも花冠が乗っている。口にくわえていた花冠はロッテの分らしく、ロッテが嬉しそうに頭に乗せた。かわいい。ものすごく可愛い。猛烈に可愛い。ジークがロッテとレオを見て、私同様悶えている。わかる。あの可愛さは人をダメにする。
フェンリルの背に乗って、バンビの背に乗ったロッテと一緒に島を巡る。ルドルフを乗せたシュヴァルツとレオを抱えたジークを乗せたゴルトが空を飛ぶ。
先程のバンビとレオを羨ましそうに見ていたからだろうか、フェンリルとバンビは花畑に入り、飛び跳ねてくれたのだが……そりゃもう怖かった。絶叫マシンかと思った。
プチサイズのバンビが跳ねるのと、大きなフェンリルやバンビが跳ねるのとでは、その跳躍距離が違う。「うぎゃーっ」と叫んだ私に、慌ててフェンリルが跳ねるのをやめた。近くで「きゃーっ」とロッテも声を上げている。可愛い子は叫び声まで可愛い。ちょっと凹む。
「先程バンビを見て羨ましそうにしていただろうに、我だって……」
フェンリルも凹んでいた。
「フェンリルの背に乗せて貰えただけで嬉しいよ。跳ねるのはちょっと無理だけど……」
フェンリルの背越しにぐるっと見渡す。視点が随分高くなるので、その視点の違いが面白い。ずっと遠くまで見通せる。
ゆっくり花畑から温泉に移動する。改めてみると、外から露天風呂が見えない。露天風呂の存在自体が消えており、左右と同じ回廊が続いているだけだ。
温泉に近づいてフェンリルの背から降り、手を入れてみると、なんと炭酸泉だった。手に小さな泡が纏わり付く。同じく手を入れているロッテが「なんでしょう、この不思議なお湯は……」と驚いている。
温泉の底には白い砂が敷き詰められており、縁は磨かれた黒っぽい岩で囲われている。大きさは、四畳半くらいだろうか。もう少し大きいかも知れない。
「我が設えた」
フェンリルが少しだけ自慢げに言う。誰かと違って鼻の穴が膨らまない。
「すごくいい! フェン、センスいいね!」
「そうであろう」
あ、鼻の穴が少しだけ膨らんだ。
フェンリルの背に再び乗せて貰い、温泉から大きな泉まで移動する。
透明度の高い澄んだ水の底には水草がゆらりゆらりと揺れている。小さな花を咲かせている水草もあり、とても幻想的だ。
少し青みや黄み、赤みがかっているものの、基本的に白っぽい大小様々な形の魚が、気持ちよさそうに泳いでいる。
思わず食べられるのだろうかと考えてしまった。「食べられますが、美味しくはないですよ」と、ロッテが教えてくれた。また口から漏れていたようだ。
どうやら水が湧いているのは小さな泉の方らしく、小さな泉と大きな泉は細い川で繋がっており、小さい泉から水が流れている。小さな泉の底はやはり白い砂で覆われており、水草は所々にしか生えていない。
温泉は真ん中辺りで砂が舞っていたのでそこから湧き出ていたのだろうが、小さな泉はそこかしこで湧き出ているようで、あちこちで砂が舞っている。砂が舞っていない場所には水草が揺れていて、なんとも清々しい。
小さい方は水が湧いているので泉、大きい方は湖と呼ぶことにする。正しくは湖ではなく池という大きさなのだろうが、湖の方が私の印象がいいので、無理矢理湖と呼ぶ。いいのだ、先に呼んだもの勝ちだ。
「家の水はこの泉の水を浄化して繋いだ」
フェンリルの説明で、水源であるこの泉には結界が張られている事に気付いた。なるほど。
フェンリルの転移で森の外に出ると、白い砂浜と、その先に驚くほど透明度の高い海が拡がっていた。潮の香りが鼻をくすぐる。
「私、初めて海を見ました」
両手を広げて思いっきり潮風を吸い込みながら、ロッテが初めての海に感動している。あとでレオと一緒に海水浴を楽しもう。スイカ割りとかしてみたい。この世界にもスイカはあるのだろうか。……無いと解った。似たようなウリはある。それでいいか。
フェンリルの転移で家に戻れば、丁度ルドルフとジークも島の外から家が見えないかを確認して戻ってきていた。ロッテがジークに海を見た感動を一生懸命伝えている。ロッテのきらきらと感動している眼差しに、ジークの顔の締まりがどんどん無くなっていく。
そんなジークを放置して、ルドルフは引っ越し完了の報告にお城に戻った。慌ててジークが後に続く。それと入れ替わるように、ティーナさんが嫁一行を連れて現れ、揃って家の周りを散策し、炭酸温泉に目を輝かせていた。




