39 爺
「夢のような一晩でした」
翌朝のツアさんの一言だ。
シルクの肌触り、ベッドの寝心地、露天風呂の心地よさ、そしてティーナさんとのおしゃべり。ツアさんにとって忘れられない思い出になったそうだ。
「またティーナさんと一緒に遊びに来てください」
「こんな素晴らしいことがそう度々あったら、私は早死にしてしまいます」
ツアさんがまじめな顔で言うので、思わず笑ってしまった。ロッテもにこにこして聞いている。
「温泉に入ると長生きするって言われていますから、来る度に露天風呂に入っていれば大丈夫ですよ」
そう私が言えば、ツアさんが声を上げて笑った。
「あら、ツアが声を上げて笑うなんて珍しいですね」
キッチンで朝食の準備をしているところに、ティーナさんが顔を出す。
「私も何かお手伝いしますわ」
「とんでもございません」
「あら、やってみたいのよ。いいでしょ、リーエ」
「もちろんです」
オレンジジュースをグラスに注いで貰う。零しそうになり、ツアさんにはらはらされながらも楽しそうだ。
今日はクロワッサンにソーセージ、スクランブルエッグにサラダたっぷりのモーニングセットだ。食後にプリンとコーヒーが待っている。品種改良の成果なのだろう、この家の野菜は信じられないくらい美味しいと好評だ。
「ロッテたちも一緒に食べるのでしょう? ツアも一緒に食べましょう」
ティーナさんがツアさんに提案している。いつの間にかティーナさんがツアと呼んでいる。愛称普及活動が地味に広がっていて嬉しい。
ツアさんとロッテが、「とんでもない!」と言って遠慮しているが、ティーナさんは一緒に食べる気満々だ。
「ルードルフが言っていたのです。皆で取る食事はことのほか美味しく楽しい、と。私も体験してみたいのですよ。この家だけの特別と言うことで。ね、ツア」
「姫様……」
「そう、ほら、あの頃二人で隠れてこっそり甘味を食べた、あれと同じですよ」
なんとティーナさん、昔はお転婆だったらしい。今のこの静穏な姿からは想像出来ない。
「おはよう。賑やかですね」
ルドルフが顔を出す。
「ルードルフ、皆で食事にしましょう」
「そう言うと思って、ジークとレオも呼んでおきました」
ルドルフの後ろから顔を出したジークさんが、ティーナさんに朝の挨拶をしている。ティーナさんはジークさんの挨拶よりレオに夢中だ。「この家では無礼講です」と言いながら、レオの頬をつついて笑わせている。
和やかで楽しい朝食を終え、ティーナさんとツアさんは露天風呂を再度堪能して戻っていった。今日も昼餐会だそうだ。今回はルドルフも参加するらしい。
昼食を挟みながら、カーテシーや立ち振る舞いのおさらい、ロッテに全身を磨いて貰う。
「いよいよですね」
「やっぱり緊張するよ」
「明日ルードルフ様はお休みだそうですから、お二人だけでゆっくりされます?」
「そうしようかな、いい?」
「もちろんです」
いつもより少し遅れてルドルフが帰ってきた。その後ろにおじいちゃんやヴァルさん、ティーナさんが続く。無詠唱のことを話すのだろう、ルドルフからもそう伝わってきていた。
一緒に食事を取り、一息ついたところで、ルドルフが話し始めた。
「リーエは今までにない渡り人のようで、魔力が膨大、かつ詠唱なしで行使できます。そして、リーエの体液を得た者の魔力が一時的に増したり、リーエの産む子は皆大きな魔力を持つことが解っています」
皆驚きながらも黙って聞いている。
「私はリーエと番となり、リーエに次ぐ魔力を持つこととなりました」
「そうなの?」
「そうだ」
知らなかった。いいのだろうか。『いいに決まっているだろう』とルドルフから伝わってくる。
「これは……、漏れると大事だな」
ヴァルさんが言う。ティーナさんも肯いている。
「リーエ、今のところ無詠唱と子のことを知るのは、爺様、父上、母上だけだ。契約で縛れるか?」
「え、そんなことしなくても……」
「いや、そこまでした方がいいじゃろ。儂らはもちろん漏らすつもりはない。じゃが万が一と言うこともある」
「リーエ、私もそう思うぞ」
ヴァルさんも頷いている。
ならばと、私が他の渡り人と違う部分に関することは他言無用の契約を結ぶ。初めて意識して結ぶ契約なのだが、特に魔力が出たりすることもなく、本当に結べているのかが分からない。
「ちゃんと結ばれてます?」
「出来ておるぞ」
おじちゃんが答えてくれた。
「体液に関しては、カールハインツとジークヴァルト、ロッテが知っている。あとリーエの魔力の大きさはジギスヴァルトも知っているな」
ルドルフが続ける。
「体液に関しては、魔獣と契約する際にリーエの血を必要とすることが多くなるだろう。その都度縛った方がいいかもしれんが……。どのみちリーエが血を与えればその魔獣と繋がることになる。ひいてはその主とも繋がる事になるからそれほど心配もないが、用心に越したことはないな」
ルドルフがこちらを見て言う。
「今ここでカールとジーク、ロッテを縛れるだろう? 念のため縛っておけ。ジギスは魔力の大きさしか知らせてない上、俺に忠誠を誓っているから大丈夫だろう」
「離れていても縛れるの?」
「可能だろう」
私と繋がっているルドルフが言うならそうなんだろう。
カールさんとジーク、ロッテに向けて、先ほどと同じ契約を結ぶ。勝手に結んでいいのだろうか。ジークとロッテにはゴルトを通じて知らせておく。カールさんは……あの人のことだ、察すると思う。
それを見ていたおじいちゃんが、私を心配そうに見ながら言う。
「目の前で見るとやはり驚くな。なおのことアベラールには漏らすわけにはいかん。確実に狙ってくるぞ」
「ええ。ですので父上と爺様にも魔獣契約をして頂きたいのです。特に爺様は魔力が大きいですから」
「じゃが儂はもう先が長くないぞ」
おじいちゃんがそう言った時、フェンリルが姿を現しながら言う。
「我が眷属に爺の意を汲んでも尚契りたいと言うものが在る」
ティーナさんが軽く目を見開いている。急に現れるなんて、お行儀悪いよ、フェンリル。
目だけで驚きつつも動じることのないティーナさんと、驚いているかすら分からないヴァルさんに、フェンリルは私の契約魔獣であると紹介する。二人とも動じないのはさすがだ。私なら確実におかしな声を上げながら、びびりまくる。
「既に控えておる。来い」
フェンリルの後ろに大きな濃い灰色の狼が現れた。
「此の生も終わりに近い。爺、それでもいいか」
「よい」
おじいちゃんが決意したような顔で答え、自分の指先を噛み切り、灰色の狼に差し出す。
おじいちゃんから出た魔力が灰色の狼を包み、その体に消える。その美しい光景に、ティーナさんの口からほうっと息が漏れた。
「名の契約をしても良いか?」
おじいちゃんがいぶし銀の狼に聞けば、頭を下げてそれに答える。
「そうじゃな、汝の名はグラウ、グラウと名付ける」
再びおじいちゃんから出た魔力が灰色の狼を包み、その体に消えると、グラウは大型犬サイズになっていた。おじちゃんが耳の後ろを掻くと、目を細めてじっとしている。
「我が主、血の契約を」
フェンリルの声に頷き、指を噛み、その血をグラウに与える。
私の魔力がグラウを包み、吸い込まれて消えると同時に、グラウが人型になった。
ダークグレーの髪に漆黒の瞳、たわわな乳がふるりと揺れる、ものすごく妖艶な美女が現れた。グラウ、雌だったのか!
「ルー、見ちゃダメ!」
食い入るように見ている男たちに、私の叫びと、ティーナさんの無言の平手がそれぞれの唯一に放たれた。ティーナさん、強い。
いつの間にか現れたシュヴァルツが、バスローブをグラウさんの肩に掛けている。本当に出来る魔獣だ、シュヴァルツ。
「ヴァルにはゴルトが夜目の利く者を探しておる。翼を持つ者と契ることになるだろう」
「父上、魔獣と契約をすれば、父上の唯一である母上もその魔獣と繋がり、守って貰えます。あと、父上自身の魔力も上がります」
「そうか、それは楽しみだな。
私は魔力が小さかったゆえ、このような機会に恵まれるとは思ってもみなかった」
ヴァルさんが嬉しそうだ。
「それにしても、爺とは……。ヴァレンティーンはヴァルなのか……」
「爺ではなかったか? 我が主も爺と呼んでおろうが」
「……爺で良いわ」
「我が主、私も爺と呼んだ方がよろしいですか」
グラウがおじいちゃんにお伺いを立てている。声まで美人だ。
「……儂はアウグスティーンじゃ」
「……では我が主と」
「……爺で良いわ」
グラウも呼びにくかったんだね。分かるよ、私もおじいちゃんと呼ばせて貰って助かっているもん。




