38 味方
ついに婚儀まで残すところ三日となった。
毎日全身をロッテが磨いてくれている。特に全身マッサージは極楽である。蕩ける。
先日の市に日にはエルさんとティアさんが露天風呂に入りに来た。忙しくて時間がなかなか取れないらしく、二刻しか入れない! と呟いていた。
四時間も入れば湯中りするだろうと、入ったり出たりを繰り返す方がお肌にいいですよ、といい加減なことを言っておいたおかげか、湯中りすることなく艶々になって帰って行った。
今日明日はティーナさんが泊まりに来てくれる。
私のドレスの最終チェックと露天風呂を堪能するためだそうだ。大勢の前に出るのでお肌を磨きたいらしい。ツアさんももちろん同行。
ティーナさんとツアさんはこの国に輿入れしてくる前からの関係らしく、すでに主従の域を超えた親友なのだそうだ。だから今日は二人で同じベッドで寝るのを楽しみにしてきたらしい。二人で嬉し恥ずかしそうに、「内緒よ」と教えられた。
「でしたら、露天風呂もお二人でどうぞ」
「あら、それはいいわね」
遠慮するツアさんを引っ張りながら、ティーナさんは露天風呂に向かった。
「この家にいると皆さん、本来の自分に戻ってしまうようですね。私ものびのびと生きている気がします」
ロッテがそう言ってくれる。
「私自身、身分差を感じたことがない世界で生きていたからかな。逆に身分にとらわれている人には毛嫌いされそう」
「そうかも知れませんね。実際そういう方もいらっしゃいますし」
「合う人、合わない人はいるよね、どうしても」
「ですね」
「リーエに合わない人は最初から俺が会わせないけどな」
ルドルフが顔を出す。
「あれ? 今日はもうお仕事終わり?」
「ああ、母上が来ているから、フェンリルたちが姿を隠してレオの相手をしているだろ、不自然にならないうちにロッテを家に帰そうと思って」
「なるほど」
「申し訳ございません」
「ロッテが謝ることないよ、こっちの勝手だもん。じゃ、サンドイッチ持ってく? お昼に」
「よろしいのですか!」
「いいよー。ついでにロールケーキも付けちゃう」
きゃーっ! とロッテが喜んだ。ロールケーキが大好きなロッテは、「ロールケーキさえ与えておけば機嫌がいい」とジークは言う。かく言うジークもロールケーキ好きである。
私たちのお昼はぶっかけうどんだ。最近ルドルフがお箸を使えるようになってきたので、お昼はうどんやおそばが多い。ずずっと啜ることにはどうにも抵抗があるようなのだが、これが正式な食べ方だと主張している。
ティーナさんはお昼に一度王城に戻って、昼餐会に参加しなければならないそうだ。五男の婚儀の来賓がぞくぞくと到着しており、そのお相手らしい。
戻ってきたらドレスの最終確認をすると言って、ツアさんと艶々になって戻っていった。
ずずっと調子に乗ってお腹いっぱい食べてはいけない。
「ねえ、今更なんだけど、本当にいいの? 妃らしいこと何もしなくて」
「いいんじゃないか? 実際妃らしいことしているのは、王妃のミュリエル殿と、それを補佐しているカレスティア殿くらいじゃないか? ヴィルヘルミーナは割と自由に過ごしているぞ」
「そうなの?」
食後のコーヒーを飲みながらルドルフが続ける。
「元々義姉上たちは産まれたときから王族だからな。慣れているんだろう」
「こないだ本人たちもそう言ってた」
「だろう? リーエが思う通りでいいと思うぞ」
「そっか」
なんだか肩の荷が下りたかも。
「すっきりしたか?」
「あれ? 伝わった?」
「ああ、なんとなくな」
えへへ、と笑えば、ルドルフが頭をくしゃっと撫でてくれた。
ティーナさんとツアさんが戻ってきて、ドレスの最終確認が始まった。
前回見たときよりもデコルテが華やかになっている。思ったより胸が足りなかったのか、飾りで誤魔化されてる。くっ、泣ける。
このデコルテの飾りはティーナさんのドレスの一部から出来ているそうだ。ツアさんがこっそり教えてくれた。気持ちを分けて貰えたようで嬉しい。
露天風呂に続くパウダールームの大きな鏡を気に入っているティーナさんに言われて、パウダールームでの試着だ。腰の後ろに着いた大きなリボンが思ったより目立つそうで、ティーナさんが悩んでいる。
「少し細めてみますか?」
ツアさんがティーナさんに聞いている。
「そうね、細く全体的に小ぶりに」
「少々お待ちください」
ツアさんが今回も泊まるローズの部屋に何かを取りに行った。
細く小ぶりにか……。指先から魔力が出て、腰のリボンが少し細く全体的に小ぶりになった。こんな感じかな?
「リーエ、あなた……」
しまった! 思わず無詠唱で魔力を使った! どうしよう! どうしよう!
「大丈夫よ、大丈夫。リーエ、大丈夫よ」
気が付けばティーナさんに抱きしめられていた。
背後にルドルフの気配がする。
「リーエ、あなたが何を抱えていても、私はあなたの味方です。そんなに怯えなくても大丈夫。誰にも言わないわ」
「母上、お願いします。これに関しては私しか知りません」
「そうですね、その方がいいでしょう」
私を抱きしめ、背中を撫でながらティーナさんが言う。「大丈夫、大丈夫よ」と繰り返してくれる。
「出来れば父上にも……」
「それはできる限りとしか言えないわ。私が言わなくても気が付いてしまうかも知れません」
「そうですね、返って話しておいた方がいいのかも知れませんね」
ルドルフが静かな声で言う。
「リーエ、大丈夫だ。ほら、おいで」
「ごめんなさい」
ティーナさんからルドルフの腕の中に場所を変え、甘やかされる。本当にどうして私は……。いつだって考えが足りない。
パウダールームの扉がノックされ、ツアさんが戻ってきた。
「リーエが気になって様子を見に来てしまったんだ。腰のリボンはこのくらいでいいですか? 母上」
ルドルフがリボンを調節してくれたかのように話してくれる。
「そうですね、ここはもう少し細く、この先から少しずつ太くなるように出来ますか」
ティーナさんがそれに答えて指示を出す。呟くルドルフの指先から魔力が流れ、リボンが少し変化する。
「さすがでございますね」
明らかに私の纏う空気が変わっているのに、ツアさんは何事もなかったかのようにルドルフを賞賛する。
私は何も言えず、俯くばかりだ。
「リーエ、大丈夫だ。綺麗だよ、よく似合ってる。姿見を見てごらん」
顔を上げれば、優しく笑うルドルフと優しく笑って頷くティーナさんがいる。
この人たちは、出会ったばかりの私にこんなに優しい。いつか必ず恩に報いよう。
二人を見てにっこりと笑う。ちゃんと笑えているかな。『笑えてるよ』とルドルフから返ってきた。『ありがとう』と返す。本当に大好きな人たちだ。
ツアさんは、そんな私たちを優しく見守ってくれている。
門をくぐり抜けた先がこの場所でよかった。
一人っ子だった私の両親は三年前に揃って交通事故に遭い他界した。両方の祖父母も子供の頃に他界している。両親の保険金に釣られて色んな人が会いに来て、勝手な事を言ってきた。考えが足りなかった私は、彼らにいいように翻弄された。
人は綺麗な生き物ではない。
その時私が思ったことだ。
押しつけられた優しさの裏に隠された欲望がある。
今この世界に居る私の周りには、優しさだけを持つ人ばかりだ。小さな欲望は、欲望であるときちんと告げてくれる。
見返りがなくとも優しくしてくれ、見返りが欲しいときはちゃんと要求してくれる。
勝手に優しさを押しつけることもなく、その裏で見返りを期待したりしない。
本当に、門をくぐり抜けた先がこの場所でよかった。この人たちに出会えて良かった。




