34 子猫
不意にフェンリルからの『来たぞ』と云う言葉が頭に響いた。
次男が呼んだ魔獣が来たらしい。
急いで身繕いをし、下に降りた私たちを迎えたのは、にやにやしているおじいちゃんと次男だ。帰ってなかったのか……。カールさんの魔獣が来る予定だったから当然か。二人とも日本酒をちびちびと楽しんでいたらしい。
フェンリルたちは、結界の近くに到着した魔獣を迎えに行ったようだ。
疲労感たっぷりな私をよそに、たくさんの魔力を使って魔力熱が出てもおかしくないはずだったルドルフは、妙にご機嫌だ。
「ジークはすでに契約したようですね」
次男の声に、ルドルフが昨日のことを説明している。
今のところ魔獣との契約を知るのは、ルドルフ兄弟、ヴァルさん、おじいちゃん、ジークさんとロッテさんだけだ。さっきまでフェンリルたちは、自分の周りに不可視の結界を張って、庭で日向ぼっこをしていた。日向ぼっこしているといい具合に魔力を取り込めるらしい。
魔力が大きいおじいちゃんも本当は魔獣と契約したいそうなのだが、「儂は老い先短いからの」としょぼんとしている。自分の寿命に契約した魔獣を付き合わせるわけにはいかないそうだ。
「なら、血の契約だけをすればいいじゃないですか」
「一度契約してしまえば名を与えたくなるものじゃ。ならば最初から契約などせぬ方がいい。縛られた方も可哀想じゃろ」
おじいちゃんの言葉に、自分が発した浅はかな言葉が恥ずかしくなる。
おじいちゃんは、この世界においては長生きだ。おじいちゃんの唯一はすでに儚くなったそうだ。遺される気持ちなど分かりたくなかったと言う。
遺される気持ち……。
また遺されたら……。今度はルドルフがいなくなったら、私は生きていけるだろうか。
『大丈夫だ、側にいる』
ルドルフから伝わってくる。見れば穏やかに微笑んでいた。ルドルフとの繋がりに肩の力が抜ける。
気が付けば、フェンリルたちがテラスの先で待っていた。その後ろには真っ白な豹がいる。
「主、入ってよいか」
「いいよ」
そうだった。
昨日家にシュヴァルツが結界を張った。私とルドルフの意識に反応するという結界は、古代魔法で張られている。結界を張るシュヴァルツを見ていたルドルフは、自分も早く古代魔法を使えるようになりたいと言っていた。
フェンリルに伴われてやって来たのは、カールさんの呼びかけに答えた魔獣だ。
『主、少し良いか』
フェンリルの言葉が頭に響く。
『どうしたの?』
『このものは我らの中でも少し変わっておる。お主らの言う魔獣の力の他に僅かばかりだが精霊の力を持っておる』
『この世界にも精霊っているの?』
『主の言う精霊という言葉に一番近い存在がいる』
『どういうことだ?』
ルドルフにも伝わっているらしい。
『万物に宿る力とでも言うべきか、ああ、八百万の神という言葉でもよいか。その力が少し宿っておる。
主たちはともかく、人にはわかり得ぬ力ゆえ、秘する方が良かろう』
『それって契約しない方がいいってこと?』
『いや、そこまでの力ではない』
『うーん、なら大丈夫かな? ルドルフどう思う?』
『そもそもフェンリルは認めているからここにいるのだろう?』
そうルドルフが言うと、フェンリルが笑ったような思念を感じた。
私たちが内緒話をしている傍らで、カールさんはじっと白豹を見つめていた。白豹も紫の瞳でじっとカールさんを見ている。
その様子をおじいちゃんも静かに見守る。
「契約しますか?」
カールさんが聞けば、「なおーん」と豹が鳴いた。うわぁ、なんだか妙に可愛い。
カールさんが指を噛み切り、その指をざらりと舐めた白豹は、カールさんの魔力に体を包まれ、魔力がすーっとその体に吸い込まれて消えた。
直ぐに、カールさんは続ける。
「名の契約もしますよね?」
白豹が「んにゃ」と鳴く。うぅ可愛い。
「では、名の契約を。
あなたの名はヴァイス。ヴァイスと名付けます」
再びカールさんの魔力がヴァイスを包み、その体に消えると、子猫ほどの大きさになった。カールさんの足下に寄り添って、顔をすりすりとなすりつけている。可愛すぎる!
「私とも血の契約をする?」
「いや、ヴァイスはまだ成体ではないゆえ、成体になってからだ」
フェンリルがそう言うなら。
ヴァイスにそろりと近寄りながら「早く大きくなろうねー」と言って手を差し出そうとすると、「しゃーっ!」と鼻の上にしわを寄せ、小さな牙を剥いて威嚇された。さっきまでの可愛さはどこへやら。……泣く。
フェンリルがものすごい勢いでヴァイスの首根っこを掴みあげ、顔の前にぶら下げてじっと睨んでいる。うぅ、ぷらぷらしているヴァイスも可愛い。
それを見てカールさんが珍しくおろおろしている。
しばらくフェンリルの顔の前でぶら下がっていたヴァイスが、徐々にふるふると震えだし、終いにはがたがたと震えだした。
「フェンリル? 苛めちゃダメ!」
フェンリルがヴァイスから手を離すと、ぽてっと床に着地し、しゅたっとカールさんの胸に飛び込んだ。いいなぁ、カールさん。
私を威嚇したヴァイスが許せなかったのに、その私にダメ出しを食らったフェンリルが、ふんふんと鼻を鳴らしてしょげている。よしよしと頭を撫でると、手が届かないために屈んで貰いながらのなでなでだったにもかかわらず、フェンリルは満足そうに目を細めていた。
そう言えばお腹がすいたな。遅くなったけどお昼にしよう。
ゴルトに思念で『お昼がまだだったら一緒に食べよう』と、ジークさんたちを呼んで貰う。繋がってるって便利だ。
人数も多いし、お鍋にしよう。簡単だし。
はふはふとフォークでお鍋を食べる様は微妙だった。
さすがに遠慮したジークさんたちには、小鍋を用意した。カフェコーナーで二人ではふはふしていることだろう。
その後、男性陣はゴルトとヴァイスをどうするか、コーヒーをおかわりしながら話し合っている。
私とロッテはフェンリルたちと共におやつのプリンを食べながらそれを聞くともなしに聞いている。フェンリルもだいぶ上手にスプーンを使えるようになった。シュヴァルツは何故か初めから綺麗な所作で食べている。なんと箸まで使えるのだ。何だろうこの違い。
フェンリルもシュヴァルツもこの家に主がいるから問題はない。ジークさんも敷地内に家がある。問題はカールさんだ。
「成体まではこの形態で過ごせば良い」
フェンリルの一言で、カールさんは子猫を拾ったことにすると言う。ヴァイスに「あーん」と言いながらプリンを食べさせているカールさんは、すっかりヴァイスにめろめろだ。
成体になれば、姿を自由に変えたり、魔石に宿ったりも出来るそうだ。
「ならばそれ用の装身具を用意しましょう」
「魔石は俺のところに予備がある」
兄弟仲良くどんな装身具にするか話し合っている。
「ねえねえ、フェンリル。あのさ、魔石間の移動とかも出来る?」
「というと?」
「例えば、私が持っている魔石から、ルドルフが持っている魔石に一瞬で移動できたりする?」
「条件はあるが可能だな」
「すごいね、フェンリル!」
「可能なのは上位体に限るがな」
「ヴァイスは私と血の契約をしたら上位体になる?」
「おそらくは」
「なら、離れていても互いを行き来できるね」
聞いていたカールさんとルドルフも、なるほど、と頷いている。
私とルドルフは番として互いに繋がっている上に魔力も大きいので、いざという時でも距離は関係なく互いの居場所に転移できる。でも他の人には無理だ。
代わりにフェンリルたちに魔石に転移して貰うことで、いざという時の助けになればいい。魔獣同士は私と血の契約で繋がることになるので、意思疎通も可能となるはずだ。




