28 唯一
ふっと、目が覚めた。
まだ暗い。夜明け前だろうか。
近くのぬくもりに擦り寄り、そのぬくもりに抱えられ、我に返る。
「ルドルフ?」
驚き身じろいだ私の体を更に抱き込みながらルドルフが耳元で囁く。
「大丈夫だ。側にいる。一人にはしないから、安心して眠れ」
ああ……。
そうか。そうだったのか。
ああ……。
思い出した。
いつでもルドルフは側にいてくれた。
放置されていたと思っていた引きこもりの三日間も、そして最初の晩からほぼ毎晩、私を慰め、安心させてくれていた。ずっとずっと守られていた。
ルドルフに施されていたまじないが解けていく。契約ではないまじない。私とルドルフだけが使える。絶対の約束。
ルドルフは私の唯一だと解った。
ルドルフが信用できる人だと解ったのは、ルドルフが私のただ一人の人だからだ。
まるで花が綻ぶように心が綻んでいく。
ルドルフへと繋がる全てが鮮やかに煌めく。
渡り人はこの世界で生きていくために、自分の心を守ってくれるただ一人の人と出会う。
そしてその人と共に生きていく限り、この世界で狂うことなく生きていける。
今までとはあらゆる全てが異なるこの世界では、寄りかかる人がいなければ心が壊れる。
その唯一を自らの魔力で引き寄せる。
いくら元の世界に拠り所がない身だとはいえ、たった三日で開き直れるはずがない。毎晩ルドルフが支えてくれたから、守ってくれたから、今日まで心が壊れることなく生きることが出来た。
漸く解った。
ルドルフは私の唯一だ。
「ルドルフは、……私の唯一」
ルドルフを起こさないよう、小さな声で己に向かって呟けば、がばりとルドルフが起き上がり、驚いた顔で私を見下ろす。
「リーエ、今、俺が……俺が唯一だと、そう言ったのか?」
「ルドルフが、ルドルフが私の唯一だって、解ったの。今まで気付かなくてごめんなさい。今まで守ってくれてありがとう」
「ああ、そうだ。リーエ、俺の唯一」
呟きながらルドルフが慈しむようにキスしてくれる。
この唇を知っている。毎晩私にまじないを施してくれた唇だ。
私にキスを与えながら、ルドルフの手のひらが優しく体に触れていく。
この手を知っている。いつでも私を優しく包んでくれる手だ。
私は私のまま、ルドルフのものになる。
翌朝になっても忘れず、翌朝同じベッドで目覚め、そして「おはよう」と言うのだ。
ルドルフとひとつになる。
この人がいてくれるから、私はこの世界で生きていける。
「おはよう、ルドルフ」
「ああ、おはよう、リーエ」
翌朝、同じベッドで目覚めたルドルフに声を掛けると、ルドルフが優しく、嬉しそうに返してくれた。
甘酸っぱい。照れる。無性に恥ずかしい。でも幸せだ。
フェンリルたちに結界を張って貰っているせいか、熱は一晩で下がっていた。
魔力熱に浮かされていたあの七日間の記憶も朧気ながら思い出し、顔から火が出そうだ。なんか自分がえろえろしかったような……。私から誘うとか……うわぁ。
「俺は嬉しかったがな」
思い出しながら、つい声に出ていたのか、ルドルフに笑いながら言われた。
嬉しかったとか言うな! 恥ずかしい。
普通顔のはずのルドルフがこの世で一番格好良く見えるなんて、私の脳みそは腐りかけているらしい。
「悪かったな、普通顔で」
うわ、また声にしていたらしい。
「俺にとってリーエは、この世で一番可愛いし綺麗だが……」
小っ恥ずかしいことを言われた。だめだ……恥ずかしさで死ねる。
小っ恥ずかしいことも甘酸っぱいこともしばらく禁止! を言い渡し、朝食の準備に部屋を出る。後ろからルドルフの笑い声が聞こえた。
朝食を取りながら、私の身の安全とルドルフ自身の希望から、婚儀を早めに済ませたいと言われた。
いきなり結婚か……。
不意にルドルフが席を立ち、私の前に跪く。
「リーエ、私の唯一。
リーエに私の生涯の愛と忠誠を誓う」
いいのかな、私で。ルドルフは王族なのに。
「私と共に生き、共に愛し、共に誠実でありたいと願う」
私はこの世界の人ですらないのに。
「リーエ、決して一人にはしない、いかなる時も側にいると誓おう」
この世界では異質だと解っているのに。
「リーエ、俺の伴侶となれ」
なかなか頷けない私に、最後はルドルフらしい言葉が飛び出した。
最後の一言がルドルフらしくて嬉しくなる。そして真っ直ぐに心に届き、響き、震わす。
「はい。ルドルフの伴侶にしてください」
泣き笑いの、みっともないだろう笑顔でそう答えながら抱きつけば、ルドルフが静かに優しく誓いのキスをくれた。
その瞬間、私の魔力とルドルフの魔力が共に互いを包み、渦を巻くように混ざり合い、混ざり合った魔力に二人が包まれる。
互いに驚きながらも、今度は私からルドルフに誓いのキスを返せば、混ざり合った魔力が互いの体に吸い込まれていった。
「番となったな」
「縁が強まりましたね」
いつの間にか近くに来ていたフェンリルとシュヴァルツの声に、慌ててルドルフから離れる。
「何故離れる? 番とは常に寄り添うものだ」
フェンリルの言葉に顔から火が出そうだ。恥ずかしいからやめてくれ。
意識の片隅でルドルフと繋がっていることが分かる。不思議な感覚だ。
心の力が抜ける。心が解れる。
ルドルフも私と繋がっていることが分かると言う。
おまけにフェンリルとも繋がっていると言うので、その繋がりを意識すれば、フェンリルともシュヴァルツとも繋がっていることが分かる。
今まで蜘蛛の糸のような頼りない繋がりだったのが、まるでワイヤーロープのような、細いけど強固な繋がりになっている。意識すればいくらでもその繋がりを太くすることも、細くすることも出来る。でも決して切れることはない。
「なんだかすごいことになってるね」
繋がっていることに嘗て無いほどの安堵を覚える。
その繋がりを心強く思い、嬉しくなってルドルフにそう言えば、ルドルフも嬉しそうに頷いてくれた。
フェンリルもシュヴァルツも、見たことがないほど嬉しそうに笑っている。いつもクールなフェンリルやシュヴァルツが、こうも素直に笑ってるなんて。イケメンたちの笑顔が眩しい。
フェンリルにしては珍しく弾んだ声で、「これで主の守護が万全になる」とシュヴァルツと言い合っている。
ルドルフから前回の渡り人の話を大まかに聞いた。魔力絶対主義国には注意するよう、何度もしつこく言われる。
それに関してなのか、皆と繋がっていることが、私の身を守ることに役立つと、ルドルフも喜んでいる。
世界一と言われるルドルフの魔力、魔獣一と言われるフェンリルの魔力、それに次ぐシュヴァルツの魔力、そしてこの世の者とは思えないほどの私の魔力。これだけ揃えばなんとかなるだろう。なんとかどころか無敵じゃないかと思う。
以前、ルドルフに恋愛感情は無いと断言していたのが嘘のようだ。恥ずかしいほどに気持ちが溢れる。
いや、正しいとも言える。
あの時私が考えていた恋愛感情とは、「好き」とか、「一緒にいたい」とか、そんな甘酸っぱいような、きらきらしい感情のことだ。
実際に今私がルドルフに抱えている感情は、あの時私が考えていた恋愛感情以上の、もっとずっと重々しいものだ。
甘酸っぱいキレイな感情ばかりではない。どろりとしたほの暗い感情さえも隠し持つ、執着のような、自分でも持てあますくらいの重苦しい感情だ。奪われたくない、誰にも渡さない、自分だけのものだという、ちょっと怖いくらいの仄暗い想い。
こんな私でいいのだろうか。こんなどろりとした感情を持つなんて、自分でも怖い。
「ん? ……大丈夫だ、俺はリーエがいい、リーエだけが俺に必要だ」
「やだ! また口に出てた?」
ルドルフが少し驚いた顔で「ああ、これが繋がるということか……」と呟く。
「いいんだよ、そんなリーエで」
心を読んだかのような答えが、ルドルフからもたらされる。
私にもルドルフからの感情が伝わってくる。『私が必要』、『私だけが必要』そう伝わってくる。
「伝わったか?」
「ん、伝わった」
「強い感情は互いに伝わるんだな。便利だけど怖いな。俺のいかがわしい欲望までもが伝わりそうだ」
ルドルフが軽く笑いながら言う。確かに便利だけど、確かに怖い。というより恥ずかしい。
「もしかして……だから私は今までもルドルフが呼べたのかな。互いの唯一だったから」
「そうかもな」
ルドルフが極上の笑みで答えた。
普通顔が極上のイケメンに見えるとは……。あばたもえくぼ、かな。




