19 魔獣
さて。
さすがにひと月以上も家に籠もっていると、飽きる。
市が立つ度に庭に植える植物を買いに、ルドルフとアルバの街に出掛けてはいたが、それ以外は結界の中で過ごしている。
このひと月で結界内にも植物が増えたり、ときどき結界を抜けて小動物が入り込んでいたりする程度の変化はあるが、さすがに飽きる。
高級コテージは、たまに宿泊するからこその高級コテージであって、そこに住んでしまえば単なる自分の家である。高級品にもひと月もあれば慣れてしまう。贅沢だとは思うが、そんなものだ。
私の存在はルドルフ一家と侍従長、女官長、ルドルフの侍従以外には、今のところまだ秘密らしい。私という個人が分からなければ、人に紛れ、街に出掛けることも可能だ。その他大勢の内の一人である分には自由だが、私個人である分には不自由な生活だ。
とは言え、この家には生きてく上で必要な物が十分に揃っているので、働く必要もなく、……人としてダメになりそうだ。
食事の支度以外することがない。そして私は料理がそれ程好きではないので、料理で時間がつぶせない。
つまりは暇なのだ。
先日あまりにも暇なので、ルドルフとジークさんにちょっかいを出したら怒られた。怒られて当然なのだが、暇すぎて悲しかった。
あまりにもしょぼくれた私を見かねて、ジークさんが私でも処理できる仕事を与えてくれた。ジークさんいい人。でもその内容は書類を揃えるだけだった。
二節の終わりの幸の日に五男が婚儀を執り行うそうで、今はその準備に忙しいらしく、さすがに自重した。
暇である。
スマホもパソコンもテレビも本も無い。時間を潰せる道具が無い。ルドルフに借りた本は「魔法陣のなんとか」という、全く面白くないものだった。
ちなみに文字もちゃんと読める。この国の言葉をじっと見ていると、文字がくにゃっと崩れて日本語に変わる。
読もうと思わなければそのままなので、私のなんちゃって翻訳魔法のオプション的なものか、もしくはまた気付かないうちに魔力を使っているかのどちらかだと思う。特に困っていないのでそのままにしている。
朝からガーデンソファーに寝転んで、オレンジジュースをストローでちゅーちゅー吸いながら、庭を眺めている。
この世界に来て肉体が新たに形成されたおかげで、視力が良くなった。矯正せずともよく見える。コンタクトやメガネの煩わしさが無い上に、目が覚めた瞬間から周りがよく見えることに激しく感動した。
それにしても、暇である。
『……た、あ……、き……』
ん? 暇すぎると幻聴まで聞こえるのか?
ルドルフかと家の中を覗いても玄関のオートロックは閉まっている。そもそも音は庭の先から聞こえる。
なんだろう、また小動物でも迷い込んだのかと思い、音の方に行ってみる。
音に近づくにつれ、音と言うより声に聞こえる。だが、耳からではなく頭の中に直接聞こえているような、おかしな感じだ。
“主”、“何処”、“来た”、“呼ばれた”、という、言葉のような気持ちのような、なんだかよく分からないものが頭に響く。
『主、来た、呼ばれた、来た』
結界の先に何かいる。銀色の犬? 狼? だろうか。目が合うと頭の中にまた響いた。
目をそらさないようゆっくり近づいていくと、その狼の大きさに驚いた。すごく大きい。二メートル、いや三メートルはあるだろうか。
十メートル程先にある結界の外側に、大きな大きな銀色の狼がいた。この世界の狼はこんなに大きいのか。
「リーエ下がれ!」
ルドルフの声が聞こえて振り返ると、ルドルフとジークさんが血相を変え、叫びながら走ってくる。
その声を聞いた銀色狼が唸る。
「ルドルフ、銀色の狼がいるよ」
「それはただの狼じゃない! 魔獣だ! 下がれリーエ!」
思いっきり肩をつかまれ抱き込まれた。掴まれたところが地味に痛い。
「無事か?」
「へ? 平気だよ?」
「平気って、馬鹿かお前は! あれは魔獣の中でも恐ろしく強い部類だぞ! いくら結界があるとはいえ容易く近づくな!」
抱き込まれたまま腰に腕を回され、軽く持ち上げられながらずるずると銀色狼から距離を取られる。
入れ替わるようにジークさんが前に出ると、銀色狼はさっきよりも大きな唸り声を上げた。
『主、呼ばれた、来た、契』
頭に響いた言葉に、ルドルフの腕の中から顔を出して銀色狼を見ると、また同じ言葉が頭に響く。
「ルドルフ、この銀色狼呼んだ?」
「何故魔獣を呼ばねばならん!」
『主、呼んだ、前、呼んだ、遠い、来た』
「うーん。でも前に呼ばれたから来たって言ってるみたいだよ」
「は? リーエ、魔獣の言葉が分かるのか?」
ん? 分かるのか? 私。
じっと銀色狼を見ながら考える。きちんとお座りした銀色狼もじっと見つめ返してくれる。
さっきから頭に響いているのが、銀色狼の言葉なのだろうか。銀色狼から伝わってくる断片的な言葉を組み立てていく。
この世界に来たばかりの頃、この世界にも犬はいるのだろうかと思ったことがある。多分「ルドルフ、待て!」と言ったときだ。
どうやらその時に、この銀色狼を呼んだらしい。いや、呼んだつもりはないのだが、呼ばれたと感じた銀色狼が、ひと月以上かけてここまで来た。
多分そんな感じだ。
そして、この銀色狼と契約出来ることが解った。
それらをルドルフに伝える。
「は?」
「契約ってどうやるんだろうね」
契約の仕方を考え始めたら、焦ったようなルドルフに遮られた。
「ちょっと待て! 魔獣と契約できるのか!?」
「出来ないの?」
「出来るのか?」
出来るはずだけど。出来ないのだろうか。
「あれ? 出来るはずだけど……」
今まで誰も契約したことがないのだろうか。
「ジーク、聞いたことあるか?」
「ありません」
ルドルフとジークさんがなにやらぶつぶつ話している間に、契約の仕方を考える。
おとなしく待っている銀色狼を見ながら考えれば、自分の血を与えながら、契約を強く願えばいいと解る。
ジークさんと話しているルドルフの腕を抜け、銀色狼に近づく。近くで見ると更に大きい。見上げるほどの大きさは、小屋ほどもある。
銀色の毛並みが日の光を受けて輝いている。すごく綺麗だ。
これだけ大きな体だと、肉球もさぞや大きいに違いない。やっぱり硬いのだろうか。鼻先が黒いので肉球も黒いのだろうか。シロの肉球は適度に硬くて適度に柔らかかったな……。やっぱり香ばしい香りがするのだろうか。嗅いでみたい。
ルドルフはジークさんとの話に夢中で、私のことは気に掛けていないようだ。こっそり結界越しに銀色狼に話しかけてみる。
それにしても魔獣除けのこの結界、魔獣は入って来られないだけで、中は見えるのか。人は見えず入れずの結界にしたけど、魔獣からも見えないようにした方がいいだろうか。
「私の言ってること、分かる?」
銀色狼が軽く頷くと同時に頭に中に『是』と響く。
「あなたの考えていること? 意思? みたいなものは、私にしか分からないの?」
『是』
「ルドルフにも分かって貰うには……」
ルドルフにも銀色狼の意思が伝われば話が早そうだと思い、どうすればいいかと考えると、私の体液を与えればいいと解る。
……与える方も、与えられる方も、嫌だ。
暫し悩むも、背に腹は替えられないと、自分の指を舐め、ジークさんとまだぶつぶつ話し合っているルドルフの口の中にその指を突っ込んだ。
「っんな!」
ルドルフから変な声が上がった。ちょっと勢いが付きすぎたかも知れない。「ごめん、痛かった?」と言いながら、ルドルフの口から指を抜き浄化する。
後でハンドソープでも手を洗おう。




