18 先王夫妻
先王夫妻が滞在したのは、わずか五日間だった。
その間、この家にある、この世界における所謂オーバーテクノロジーの数々をどうするかの話し合いが行われた。主に先王とルドルフの間で。
ちなみに先王であるルドルフのお父さんは、ヴァルさんである。
ヴァルなんとかだったのだが、やっぱり正しく発音出来ていないそうで、ヴァルでいいと言われた。面目ない。時々ヴァルがバルになるがご愛敬だ。
先王妃でありルドルフのお母さんはティーナさんだ。
私がヴァルさんやティーナさんの名前を一生懸命憶えようと、小さく声に出して復唱している横で、ティーナさんは体をよじりながら笑いを堪えていた。
そんなにおかしな発音なのだろうか。……泣ける。
「……笑っていいですよ」
そう言った途端、ティーナさんは上品ではあるものの大笑いして、ヴァルさんとルドルフに窘められていた。
おかげでティーナさんとはすぐに仲良くなった。
正直なところ、彼らは私がこの国にとってどういう存在となるのかを確かめに来たのではないかと疑っていたのだが、ティーナさんの笑いっぷりを見ていたら、どうでも良くなった。
こちらから害を与えるつもりはこれっぽっちも無い。この世界に元の世界の影響を積極的に与えるつもりもない。
出来るだけ元の世界と同じよう、その他大勢に埋もれながら、ひっそりと生きていければそれでいい。
この家にあるものはこの家から出さない方向で、意見が一致している。
私の存在もこの家の存在も、過去に例の無いことなので慎重にならざるを得ないのだとか。
ただ、シルクやタオルなど、今ある技術に一工夫することで製造できそうな物は、公にするそうだ。
「大抵の布製品は、綿などの原料を魔法で一旦圧縮し、それを魔法で伸していくことで一枚の生地となる」
ヴァルさんが説明してくれる、伸すとは、金箔のような感じだろうか。
「そう言えば、最初にルドルフに市で買って貰ったワンピースは、薄手のフェルトのような布でしたね」
「ふぇると? とは?」
「動物の毛を纏めて平らに圧縮したような感じの布、でしょうか」
「似たような製法があるのか……」
同じ製法があると知り、ルドルフは感心している。
「ですから、薄くなればなるほど脆くなります。これほどの薄さで、これほど丈夫な生地は、この国では滅多にない最高級品です」
私が試しにと渡したハンカチを見ながら、ティーナさんが言う。端に付いているレースに目が輝いている。フリルはあるがレースは無いそうだ。
オーダーメイドの洋服などは魔法でその人の体型に合わせて一体成形されており、縫い目が少なければ少ないほど価値が高くなるそうだ。
「補整着は体型維持というより、体のラインに沿って薄く作られた服が裂けないように付けるものですね」
ティーナさんに、コルセットの有無を聞いたらそう教えられた。服が裂けるのか……。
「私の世界では、フェルトのように似たような製法もありますが、大抵はこのハンカチのように、糸を織って一枚の布を作っています」
「なるほどな。糸は圧縮した原料を細く伸ばして作られる。
伸すことで生地にしているためか、わざわざ一度糸にした後、織ったり編んだりした品はほとんど無いな」
加工法を考えついた人はいるものの、その手間を考えると商品にならなかっただけだと解った。縫い目が少ない方が価値のある服だというのも、裏目に出ている。
それをルドルフに伝えると、ならば話が早いと直ぐに公にするそうだ。
うろ覚えの機織りや編みものの方法を教える。織り方や編み方によって伸縮性も多少は出るだろう。ステテコパンツとおさらばできる日も近いかもしれないが、超高級品となりそうだ。
長男嫁がシルクを所望していた時、ティーナさんはにこにこしながらも羨ましそうだったので、シルクのベッドリネン一式をプレゼントしたら、それはもう喜んでくれた。
「そのシルクの原料は虫が吐き出した糸ですよ、母上」
ルドルフにそう教えられた瞬間、ティーナさんはそれまでシルクの手触りを堪能していた手の動きを一瞬止めたものの、彼女の中の何かが勝ったのだろう、再びなでりなでりとその感触を楽しんでいる。
その様子を見ていたヴァルさんは、一刻も早く蚕を集めるよう、ルドルフに強く言っている。
家電の中でも、オーブンとIHは似たようなものがあるものの、使用開始や終了、温度調節など、その都度魔力を必要とするそうで、魔力がない人が単独では使えないらしい。それゆえ魔力のない人は竈を使用するのだそうだ。
「使い始めるときに魔力を必要とするのは仕方ありませんが、魔力のない者でも、使用の終了やつまみをひねることでの温度調節など、この家の製品と同じように使えるか検討してみます。
ただ、魔力のない者が、最初から最後まで一人で使用出来るようになるには、もう一工夫が必要となりそうです。
竈でもそれほど不便では無さそうですし、他の分野に応用できないかも検討してみます」
ルドルフがヴァルさんにそう話していた。
ベッドの寝心地がいたくお気に召したヴァルさんは、マットレスの加工方法を聞いてきた。
ローズの部屋のマットレスはポケットコイルだったので、その内部を大まかに説明すると、これはすぐにでも製品化できそうだと、ヴァルさんは侍従長に指示を出していた。
いい歳した大人たちがベッドの上できゃっきゃと跳ねていたのを、私とルドルフは知っている。ちなみにルドルフも最初に跳ねてみたらしい。そう言われると、初日にジャスミンの部屋で何か叫んでいたことを思い出した。
羽毛布団はこの国の寒い地域にもあるそうなのだが、フェザー百パーセントだと言うので、この世界の鳥と同じかどうかは分からないが、ダウンの方が温かいことを一応教えておいた。
枕の存在を強くオススメすると、ヴァルさんも力強く頷いてくれた。
これにはルドルフもティーナさんも同意してくれ、直ぐにでも用意できる綿の枕を王城で働く者たちに配ってみると言う。
石油が原料のものは今のところ公開しないらしい。
石油製品がなくとも現状何とかなっているというのが一番大きい。
そもそも私は石油の精製方法や加工方法をよくは知らない。
この世界のことは解るが、元の世界のことは私の持つ知識でしか分からない。特に興味も無かった石油の精製方法など、学校で習った以上のことは知る由も無い。更に学校で習ったはずのことも、うっすらとした記憶しか無い。
ペットボトルがいたくお気に入りのルドルフは不満そうだが、さすがに油田を探すことからとなるので諦めたらしい。
ルドルフの部屋には、露天風呂で飲んでいたミネラルウォーターの空きペットボトルが、まるでオブジェかトロフィーのようにずらーっと並べられている。相当気に入っているらしい。
同じものはあるが、この家の物と比べると精度が落ちる物、主にガラス製品や陶器、調理器具などに関しても公開しないそうだ。
「そのうち信頼できる職人には見せてやろう。見せるだけでも彼らの刺激となるだろう」
ヴァルさんが言うと、クリスタルガラスの透明な輝きに感動していたティーナさんが頷いていた。
などということを五日間の間に話し合った。
後半飽きた私はルドルフに丸投げして、同じく飽きていたティーナさんと遊んでいた。
私がこの国の事に口出しするのはどうかと思うので、聞かれたことには答えるが、この国の人であるルドルフたちがどうするかを決めればいいと思っている。
ティーナさんと共に、露天風呂に入りながらアイスを食べたり、露天風呂に入りながらお酒を飲んだり、露天風呂に入りながらお茶にしたり、主に露天風呂で生息していた。
女官長のおかげで、私まで至れり尽くせりな露天風呂三昧だった。
ティーナさんは私が着ていたワンピースやバレエシューズに興味があるようで、露天風呂での話題は主にファッションやデザインについてだった。
それにしてもティーナさん、素晴らしすぎるスタイルである。
お湯越し、湯煙越しではあるものの、隠しきれないスタイルの良さに、同性とは言え惚れ惚れする。ルドルフのお母さんのはずなのに、ルドルフのお姉さんにしか見えない。
途中ルドルフが怒りながらパウダールームのドアを叩いていたが、ティーナさんは大笑いしながら放置していた。私もここぞとばかりに便乗した。
「また近いうちにお世話になるわ」
ティーナさんはつやっつやな顔でお上品に微笑みながら帰って行った。
ヴァルさんは毎日よく眠れたそうで、こちらも上機嫌だった。
侍従長と女官長もいい笑顔で、それぞれの主のお土産の数々を抱えている。ティーナさんにはシルクのベッドリネン、ドイツの名窯のティーセット一式、クッキーや紅茶など。ヴァルさんにはお酒、フランスのクリスタルガラスメーカーのグラスを数種類、おつまみに出して気に入ったチーズも数種類など。
侍従長と女官長にもこっそりお酒や紅茶をお土産に渡してある。
一人ルドルフだけが疲れていた。
トイレのドアから消えていく先王一行を見て、いい加減トイレのドアと呼ぶのはやめようと思う。
入れ替わりにやってきたルドルフの侍従に、「せめて今日一日は休ませてくれ」と懇願したルドルフは、食べ物やお酒を持ち込んだ露天風呂で、その日一日を過ごしていた。ふやけるよ。




