GAME.4「Escaper」その3
青い川辺は今、燃えさかる炎により赤く姿を変えていた。
「まつり。これはいったいなんの真似だ? こんなことをしたら――」
「こんなことしたら、なんだって言う気だ? 逃げられなくなったとでも言う気かい? けど、それはアンタだけの話だろ?」
まさか、まつりは俺をこのゲームから脱出させないためだけにこんなことをしたっていうのかよ?
「なぁ霧崎。さっき言ったことは覚えているか? ほら、アンタがどのくらいチェスを知っているかって話さ。――『アンパッサン』って知ってるか?」
アンパッサン? なんの話だ?
「ははは。その顔を見ると知らないようだね。アンパッサンってのはチェスで使う手の一つで、日本語でいうと『通過捕獲』って意味さ」
「つまりお前はその通過捕獲の手を打てばこの現状を打破できるともいいたいのか?」
「本当に知らないんだな? アンパッサンは特定条件下でポーンができる手だよ。アンタ、最初に黒駒ポーンを倒したとき変わった動きをしてたな? 身体を反転させ、敵ポーンを通過するように破壊しただろ? アタシはそれがこのゲームでアンパッサンを再現した現象じゃないかって見ている」
最初の敵ポーンに手応えがなかったのはそういうことか? だが、それが今この現状とどう関係するっていうんだ?
「今度はなんで今にこんな話をって顔だな? じゃあ、こんどはルークでの特殊な手を教えてやるよ。まぁ、アンパッサンに比べればメジャーな手だから、聞けばアタシがルークを選んだ意味に気づけるんじゃないか?」
俺はポケットの中のスマホに手を伸ばした。――ちとまずい。さっきまつりがイリーガルムーブとやらを確認したのは、思い描いた手を打てるかどうかの確認か。
「『キャスリング』。聞いたことくらいはあるだろ? それをアタシは今から使う」
ポケットに手をいれたまま、スマホの検索エンジンに文字を入力する。キャスリング――
「いいよいいよ、わざわざ調べなくても。今必要な情報だけ一言で説明してやるよ」
スマホをいじろうとしたのはバレバレかよ。
「キャスリングってのは、ゲーム中に1回だけキングとルークの場所を入れ替えることが出来るって手だよ」
まつりの身体が光り出す。そして、視界を奪う強烈な閃光がはしると、まつりのいた場所に京の姿があった。
……やられた。やりやがった、まつりの奴。あいつははなっから京と入れ替わる目的で手を進めていやがったのかよ。
まつりと入れ替わった京は、何が起きたがわかっていない様子だ。
入れ替わりに気づいた白い駒たちがあわててこちらに戻ってくる。
だが前線と川との距離は遠く、すぐに駆けつけてこれる距離ではない。
「じゃあな、霧崎。アンタはせいぜい命を張ってキングを守ってやることだな。そうすりゃアンタは名誉の二階級特進さ」
舟の上で、まつりが笑いながら同行する白のクイーンの駒を破壊した。これで、もうまつりを止める奴はいない。
襲いかかる大量の黒い駒から、京を守りながら交戦。まずい。これじゃあ、長くは持ちこたえられない。マジで二階級特進コースだ。
考えろ、Loopholeを。この現状を打破できる抜け穴を。
他になにかチェスの特殊ルールは――だめだ、調べている余裕はない。俺が知ってるチェスの知識で対抗策を講じないと。
駒の動き? ポーンは前進のみ。ナイトは桂馬、ルークが飛車で、ビジョップは角だったな? だが、このゲームでは駒の動きは攻撃範囲で再現されている。
それに、今ここにいるのはポーンの俺とキングの京ーのみ。他の駒なんて――、まてよ? たしかポーンには将棋の『成り』と同じようなルールがあったな?
最初に受け取った地図を広げる。注目して見るべきは敵前線基地とされている柵の位置。
地図上の柵の位置からして、あの策を越えれば成れるはずだ。
ん? ちょっとまて。
俺はもう一度地図を確認し、地図と実際の柵の位置を見比べた。……そういうことか。
だが、あのLoopholeにたどり着くためには、どうにかしてあの敵軍を突破しないとな。
たしか、チェスでは将棋みたく歩が成ると金というように決まった駒に変わるのではなく、キング以外の駒に自由に選んで成るきおとができるルールだったはずだ。
だけど、何の駒になればいい? 定石では最強の駒であるクイーンに成るべきだが、クイーンの特性はおそらくルークの槍とビジョップの持つ弓を片手で使えるようにした、京が持つボウガンが装備できるってことだけだろな。攻撃範囲が増えたところで、あの数は突破できない。
まだ足りない。考えろ、Loopholeにたどり着くためのLoophole。あの大群を突破できる方法……
……突破? なんで俺は『突破』なんて言葉を思い浮かべているんだ? なんで『撃破』ではなく『突破』なんだ?
考えろ。今、突破なんて言葉が出てきたのは、おそらくこのゲーム中に俺自身が突破という言葉を彷彿させるなにかを味わったからだ。
思い出せ。思い当たるのは、敵の増援が現れたとき。たしかあの時は、急な敵増援に気を取られ――!
俺は空を見上げる。広がる真っ青な空に突破口を垣間見る。
走り出した俺は、前線基地の柵を越え、空に向かって声を上げた。
「おいっ。敵陣に踏み込んだポーンは別の駒になれるってルールがチェスにはあったな?」
「『プロモーション』のことですか、霧崎灰次さん?」
いちいちフルネームを呼ばんでいいわ。
「それを使う。条件は満たしているはずだ。俺が変わる駒は――」
まつりが川を渡りきり、南国の国境線を越えた。
「はい、まつりさん、脱出成功です。クリアタイムは22分17秒、なかなかのスコアですねぇ」
「そうかい。で、アタシは後はここで待ってればいいわけかい?」
「いえ、その必要はありませんよ? 今回のゲームはこれで終了ですから」
「終了? おいおい、アイツらくたばっちまったんか」
「いえ、そうではありませんよ?」
「お前が三着だったからだよ」
まつりの前に俺と京が現れる。
「! 霧崎っ? お前、どうやって?」
「簡単な話さ。俺は京を連れてお前が川を渡りきる前に国外に脱出した。それだけだ」
納得がいかないような表情のまつりを横目に、俺は言葉を続ける。
「プロモーションっていうんだってな? チェスのルールに疎い俺でも、ポーンが成ることができるのは知っていたぜ?」
「あの状況じゃ、クイーンにプロモーションしたところで何もできやしないだろうがっ」
「誰がクイーンに成ったって言った?」
自分自身のことだがわかる。かなり嫌みったらしいキャラを演じているなぁ、俺。
「俺があの場で成った駒は――ナイトだよ」
そう。あのとき俺が選択した駒はナイトだった。
俺は駒の特性を考えていた。まつりの言うキャスリングやアンパッサンとかいったルールは正直言ってわからない。他にも俺がわからないルールの中にあの現状を打破する特殊なルールがあったかもしれない。
だが、俺はわからないルールに頼るより知っている知識とゲーム中に得た知識に頼った。
その中で注目したのは、ナイトの動きだ。他の駒は手持ちの武器で特徴を再現されていたが、敵ナイトだけは独特な行動を取ってきた。
頭上からの攻撃。それを思い出したとき、当たり前すぎて考えもしなかったナイトの特性に気づいた。
「知ってるか、まつり? 将棋の桂馬しかり、チェスのナイトしかり、この駒はな、敵の駒を飛び越えて移動することができるんだよ」
そう。特殊な駒の動かし方に気をとられがちで考えずに動かしていることが多いだろうが、ナイトムーブは特殊なルールを除けば駒を飛び越えて動くことができる唯一の移動方法だ。
「なに当たり前なことをいいやがるっ」 遠回しの説明に、まつりは苛立ちを見せる。
やれやれ。
「本当のチェス――平面のボードで行うゲームでは些細なことさ。だが、今回のゲームは仮想現実空間が舞台だ。ここでの飛べる飛べないでは、大きな差になるぞ?」
「霧崎っ。アタシが聞きたいのはそんなことじゃないっ」
わかってるよ。俺がまつりをどう出し抜いたか、だろ?
「なぁ、まつり。今回のゲームの脱出条件って覚えているか?」
「はぁ? そんなの、国外逃亡に決まってんだろ? だから川を渡って――」
「なんで川を渡る必要がある?」 そう、俺もあの瞬間にそれに気づいた。
「なにを言っていやがる? そういうゲームだったろうが?」
やっぱりまつりもそう思って行動していたか。
「だそうだが、どうなんだ、おい?」 俺は質問を上方に投げ飛ばした。
「おやおや? 私、そんなことを言いましたって?」
この耳障りな口調が、俺に向けたものじゃないっていうのは案外いいものだな?
「最初に言っただろうがっ!? 南に逃げることができるかって」
「それはこのゲームのバックストーリーであって、クリアの目的ではないですよ、まつりさん?」
そう。こいつは『南に逃げろ』とは一言もいってない。
地図とゲーム舞台を見比べた時に気づいた。地図では柵より北側は描かれていない。だが、ゲーム舞台は柵の向こうも続いていた。
地図にはこの北側部分は『国境線』と書かれていた。つまり、この前線基地の先もまた『国外』なんだよ。
「いいか、まつり。こいつは肝心な部分はボカしやがったが、クリアの条件に該当する言葉で口にしてたのは、『逃げればクリア』『逃げ出せば勝ち』っだけだ。南に逃げろだなんて一言も口にしてない。そして、渡された地図。わざわざ『国境線』なんて書き込んでくれているんだ、国外に逃げろってのがクリア条件ってのは明確だろ?」
「それで霧崎、お前はナイトになって敵の駒を飛び越えて敵国と設定されている北国に逃亡したって言うわけかよ。チェス盤の外に飛び出すように駒を動かすなんてありなのか?」
「おやおや? イリーガルムーブについて先に確認を取ったのはまつりさんではありませんか? 駒を動かしてからのキャスリングはOKで、ナイトを盤外に動かすにはなしだなんては言いませんよね?」
まつりは反論の言葉を失ったようだ。
「それではまつりさん。今回はあなたに罰ゲームを受けてもらいましょう」