GAME.4「Escaper」その2
「それでは、皆さんのコマ選びも終わったことですし、そろそろゲームの舞台を用意しましょうか」
殺風景だった背景が、草原の背景へと変わる。
「まずは皆さんに簡単な地図をお渡ししましょう」
地図が舞い降りてくる。A4――いや、B5くらいの大きさか。
地図に目を通す。中央付近は緑に色づけされている。これは草原を示しているのか?
上――つまりは、方角にして北だな。地図の上の端の部分には緑色の平原の上に茶色い柵の絵が書かれている。そして、補足書き。
『北国国境線。敵軍南下中』
つまりは、あの柵は国境にある敵の前線基地とでもいったところか。
下部分、約4分の1くらいは青く塗られた部分が目立つな。これは、川か? 補足書きは――
『南国国境線。同盟国軍待機』
要するに、川を越えて同盟国と設定されている南の国に逃げ切ればクリアってことか。
まわりを見渡すと、北側の遠くにはうっすらと柵が見え、南側の遠くには水辺が広がっているのが確認できる。
「では次はコマの配置ですね」
人間の等身大をした白いチェス駒と黒いチェス駒が次々とこの草原に落ちてくる。白い駒は俺たちのいる中央付近に、黒い駒は北側――うっすらと柵の見えている方に落ちていく。
白が俺たちの仲間と設定されている駒だな?
こちらの駒は、クイーンとルークが一つずつ、ビジョップとナイトが二つずつ、それにポーンが七つか。つまり一般的にチェスで使う16の駒から、俺たちが演じるコマを除いた残りの13駒がここにあるってわけか。……だが、うっすらと見える黒い駒は、とても16個には見えないんだが?
俺が声をあげようとしたタイミングで、まつりが声をあげた。
「おい、確認だ」
「はいはい。どうぞ、まつりさん」
「このゲーム、キングを取られたらどうなる? まさか、連帯責任で負けとかは言わないだろうな?」
たしかにそうだ。このゲームがまがりなりにもチェスを模している以上、キングを取られたらどうなる?
「安心してください。あなた方の目的は逃げること、王を見捨てて逃げようと、無事に逃げ出せば勝ちですよ。……ただ、一言アドバイスをするなら、王を見捨てる行為はオススメできません。NPCの王を守るって思いは尋常ではないように設定してあります。もし王を見捨てるなんて考えがNPCに知れたら、あなた、ただではすみませんよ?」
「あ、あの。私からもいいですか?」 京が質問の手をあげた。
「どうぞどうぞ」
「さっき、まつりちゃんが『王を取られたら』っていいましたけど、どうなったら駒をとられちゃうんですか? もし触られただけでもダメなら――」
その質問の答えはわかってる。わかっているからこそ、まつりも確認していないのだろう。そんなのは、最初のゲームや吉法師との対戦で思い知ってるさ。
「ははは。なにをおっしゃっているんですか、京さんは」
次にお前が続ける言葉は『決まってるでしょう』、だろ?
「決まっているでしょう、そんなのは。コマを取られるというのは、アナタの命を取られるということです。触られた程度、どうってことないでしょう?」
京の表情がみるみる青ざめていくな。初参戦とは言ってなかったから、初心者ではないのだろうが、恐らく星1か2のゲームしかやっていないんだろうな。さて――
「じゃあ、俺からもいいか? 向こうに見える敵駒だが、あきらかに多くないか? それに、見たところキングの駒がない」
それが気になっていた。見えないだけかもしれないが、他の駒はうっすらでも判別できるのに、キングらしき駒がない。……あと、なにげにクイーンが数体あるんだが。
「霧崎灰次さんも当たり前なことを質問しますか」
当たり前? 何が?
「大国の王様が前線に姿を見せるわけがないでしょう」
つまり、あの駒の数はこちらとの戦力差を示しているとでもいいたいのか。
「では、そろそろゲームを始めましょうか。質問はゲーム中でも受け付けておりますので」
白い駒たちが剣や盾、槍などを構える。それと同時に俺の元に剣と盾が現れた。これがポーンの装備ってことか。
まつりは? ……斧槍――『ハルバード』かよ。いい武器を支給されやがった。これが階級差ってことか?
……また、京に耳打ちか。まるで傀儡の王様だな。
実質、この軍を支配しているのはまつりとみてよさそうだ。
「全軍、王様の撤退を支援するため、侵攻してくる敵軍を食い止めろっ」 まつりが大声で命を下す。
女王の駒を京の元に残し、白い駒たちは北上を始めた。
おいおい。護衛は一人(一体?)で大丈夫かよ?
まつりが俺の横に立つ。
「では、あたしらもいきますか、霧崎一等兵?」
せめて兵長くらいの階級をください。
「はいはい、わかっておりますよ『軍曹』さま」
剣や槍を携えた、黒い駒の姿を敵兵士がこちらに向かってくる。
さて。敵駒さんはどのくらいの強さか。
敵ポーンが突きさしてくる剣を、身体を反転させて華麗にかわすとそのまま遠心力にまかせて身体ごと剣を振り回す。
頭部、といっていいかはわからないが、駒のシンボル部分である上部を破壊した。ポーンは剣と盾を落とし、動かなくなった。
……おいおい。いくらポーンっていったって、これでは弱くないか? 仮にも難易度星4のゲームだろ? いくら数が多くても、これじゃあ無双状態だろうが? まだ、Routeの時の骸骨や翼持ちの方がやばかったぞ?
「おやおや。霧崎灰次さんの動きが一瞬止まりましたねぇ。もしかして、『簡単すぎる』だとか思っていませんか? ダメですよ、ゲーム初盤でそんなことを思ってちゃ」
いちいち癇にさわる奴だな。
「ほら、ここからが楽しくなるんです。まさか、敵は前線基地からしかこないとでも思ってましたか?」
なにもなかった平原に、突如数体の駒が現れる。
その駒たちは、まっすぐ京――キングを目指して侵攻を始めた。
その兵たちに一瞬気を取られたときだった。
俺の頭上に影。気づいた時には槍の先端が俺の頬をかすめていた。
確認すると、跳躍したのは敵ナイトの駒だ。そうか、ナイトムーブはここでは跳躍というカタチで表現されているのか。
体制を立て直そうとした俺に、矢が飛んでくる。射ったのはビジョップか。やばい。このままだと一気に囲まれる。
突如、目の前の敵ポーンの頭部が吹き飛んだ。鎖? なんだこれは?
「ボケっとすんな、霧崎っ」 まつりが声を上げる。
鎖はまつりの攻撃か。あのハルバード、槍の先端が飛ばせるのか。
鎖がまつりのハルバードに吸い込まれるように戻っていく。
察するところ、矢はビジョップのナナメの動きを、先端を飛ばせるハルバードはルークの直線の動きを再現したってところかよ。
! 京は?
矢が京に向かっていった駒の頭部を砕く。射ったのは、京か?
京の手にはボウガンらしき武器がある。なんだ、あのボウガン?
だがそれはすぐに誰のものかわかった。
俺に向かって矢が飛来する。ビジョップのいる方向とは別方向。
敵のクイーン駒の右側にはハルバード。ルークの持つ武器だな。そして、左にはボウガン。なるほど。ルークとビジョップの動きが出来るクイーンはそうやって再現したか。
京のボウガンは、味方クイーンの武器を借りたってことか。どうやら少し彼女を甘くみていたかもな。
「そうですよ、霧崎灰次さん。彼女だってこのゲームの経験者なんですから」
脈絡もなく、俺のモノローグに返答すんなっ。
「まつり。そろそろ俺たちも下がりながら交戦するぞ?」
京が脱出に成功したら、まつりと徒競走だな。ペナルティを賭けて、となるがな。
「はぁ? お前はなにを言ってやがる。まずは王様が渡し船に乗るのを確認してからだろうが。それまではここで敵本軍の足止めだ」
そして、まつりは交戦しながら話を続ける。
「そうだな。ここはアタシと霧崎の二人だけで大丈夫だな。他の駒は王様に合流させようか」
? どういうことだ? 奴は駒の思考は王様守護最優先って言ってたが、それは俺たちが後退しながら戦うことには関係ないだろ? このまま前線で交戦してたら、俺たちがここを脱出するっていう目的が果たせないぞ?
「おっと。アンタはここでアタシと一緒に居てもらうよ?」
まつりが俺にハルバードを突きつける。……独断で下がろうものなら、背後から刺し貫くってか?
白い駒が一斉に後退を始める。どういうつもりだ? これじゃあ、まつりだって脱出できないぞ?
「おい、ひとつ確認だ」 まつりが空に向けて声をあげた。
「『イリーガルムーブ』を行った場合はここではどう扱う? まさか即時敗北ってことはないよな?」
イリーガルムーブ? なんのことを言っている?
「そうですね。今回のゲーム、チェスの駒を模して戦ってもらっているだけですから、細かいルールは無視していいでしょう。でも、自由に動きまわれるのに、イリーガルムーブを心配されるなんて、おかしなまつりさんですねぇ」
まつりがかすかに笑みをこぼした。
「なるぼどね。あともうひとつだ。当然ながら、駒の特色は再現されるんだろ?」
「それはもちろんです」
「なら充分だ」
いったいなんの確認だ?
「なぁ霧崎。アンタはどのくらいチェスを知ってる?」
どのくらい、だと?
まつりは俺の返答を待たずに言葉を続ける。
「大方、将棋みたいにいろいろな動き方をする駒を駆使して互いの王様を取り合うゲームってことくらいだろうな。けど、将棋のつもりでいると、痛い目を見るよ?」
なにをいっている?
川辺では京とクイーンの駒が渡し舟に乗り、NPCの船頭が舟を出し、川を渡り始めていた。
「頃合いかな?」 まつりが不敵な笑みを浮かべた。今度ははっきりと俺にわかるように。
そして、大きく息を吸い、大声をあげた。
「お前らっ。敵の追っ手を防ぐため、残りの渡し舟全部に火を放て」
狂気ともとれるまつりの命令。白い駒たちはどまどっているように見える。
しばらくして、駒たちの声が聞こえてきた。
多分、実際に口にしているわけではないだろう。ただ俺だけに聴こえる幻聴なのかもしれない。
だが、駒たちがそう口にしているともいえるような光景だった。
『全ては王のため、全ては王のため……』
そして、とまどっていた駒たちは川辺で待機していた全ての渡し舟に向けて火を放った。