第五話 動揺
side 悠
深い夢だった。日向のような優しい感覚と、それを殺すような凍える感覚を覚えている。視界は真っ白。でも、決してそれは雪などではなかった。ふと、身体を動かそうと思い、力を入れた。だが、肉体の躍動する感覚は皆無で、自分の身体が存在するのかと視線を動かすが、これもまったくの変化なし。
そして景色は暗転する。テレビのスイッチが切れたように真っ暗になった周囲を眺めていると、段々と明かりや人を写していく。そして思い出す。
「(あー、胸糞悪い……)」
十二月二十五日。その日、悠が狂い始めた日だ。
大きな影。それが今では大型トラックであることが分かる。その影が今正に小さな子供をひき殺そうとした時、二人の大人がその子供をトラックの進路から突き飛ばした。そしてその大人二人は……。
鳴り叫ぶサイレンの音、周りの人の悲鳴が聞こえていたが、段々と音は小さくなっていった。
そしてまた暗転。恐らく、いや確実に現れるであろう次の場面を想像し、悠は面倒くさそうにこう言った。いや、ただ思い浮かべただけなのかもしれない。
「(まだ納得できてないのか……甘ったれかよ、俺は……)」
四月二十三日。やはり予想どおりだった。
黒尽くめの目だし帽の男が孤児院の門を飛び越え、侵入してきた。たまたま近くを歩いていた悠はその男にナイフを突きつけられ、人質に取られた。その頃の自分は恐怖心で動けなかったのだろうか。それとも殺してくれ、とでも思ってそのままでいたのだろうか。そんなことを客観的に考えながらも場面は進む。孤児院のマザーがすぐに犯人に飛び付いて悠のことを救い出す。
だが、次の瞬間。マザーの背中に太陽の光を浴びて鈍く輝くナイフが突き立てられた。血が飛び散る。それを見てただ一言悠は呟いた。
「貴方達を救えなかった分、救ってみせますよ……納得の行くまで、ね?」
その一言と共に、周りの風景は薄れていく。意識が鮮明になっていく。身体が深い闇から浮上していくのを感じる。
もう、夜が明ける。
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四月十一日 午前五時半
「……もうこんな時間ですか……っ……あー、痛いです」
目を覚ますと共に全身に走る激痛は、容易に悠を睡魔の底から引き摺り出した。全身、皮膚の裏にまるで根性焼きをされた上に電流でも流しているような痛みが走っている。|(常人ならこの程度では済まない)時計を横目で見ながら、浴場へと足を向ける。あの夢を見たせいか、薬の副作用の所為かは分からないが、汗で全身がベトベトする。
「(……一体、僕は何に苛々しているんでしょう?)」
浴場に足を向けながら考える。襲撃した男達は大した実力もなく、あっさりと制圧できてしまった。不完全燃焼という奴なのだろうか? いやそんなことはない、と悠は首を振る。命のやり取りをしたのだ。それだけで今までは満足できていたのだ。戦闘狂じみているかもしれないが、それが悠の生きがいだった。他の事ではてんで駄目な人間であると自覚しているから、尚更だ。考えられるのは……
「(金崎さんと……未だ実物すら見ていない護衛対象ですか……)」
下らない、と切り捨ててしまえばそれまでなのだろうが、その選択は間違いだろう。己の考えていることは己で理解できなければならない。そう教わってきた悠は思う。この任務、今までとは違った意味で己との戦いになりそうだ、と。それは決して身体的な意味ではない。既に悠は己の身体をある意味では便利な道具と割り切って行動できる。自分を追い込んで行動できる。だが、この任務で必要とされている、いや、確実に必要なのは己の精神面とどう向き合うかだ。過去への罪悪感は少なからずある。それをどうするか。また、面倒くさそうな護衛対象をどうやって守り切るか。そこが今回の任務の重要なところだろう。
「ふー、久しぶりに面倒くさい任務ですね……」
呆れたような口調で誰に届く訳でもない、届くはずのない言葉を紡いだ。
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四月十一日 午前八時十分
国立魔法研究第一高等学校は優れた魔術を学ぶ学校であると同時に歪んだ社会の縮図でもある。例えば「努力しても顔が良くなければ正当に評価されない」であったり、「正直者が馬鹿を見る」であったり。神嵜悠は寧ろ世界はこうでなくては、と思っているぐらいであった。だが、今回だけはその考えを否定すると共に、このようなシチュエーションだけは勘弁したいと切実に思っていた。このように……
「おい、おまえ闇属性なんだってなぁ?」
「犯罪者が堂々と歩いてんじゃねぇ!」
闇属性を持っている神嵜悠は校内を歩くだけでこの有様である。場所は校舎棟の非常階段前。教師達のいる教員棟からは丁度死角になり、発見されることはない。つまり恐喝などに使うには絶好場所というわけだ。相手は四人。実力的に負けることは有り得ないのだが
「(痛みも抜けていませんし、今回は逃げましょう。追いつかれたら素手でやればいいですし……)」
薬の副作用の所為で時間改竄は使えない。それこそ死にはしないがその後の戦闘が苦しくなるのだ。素手での戦闘もなるべく避けたい場面である。ここで暴力で解決しても
「アイツが一方的に」
その一言だけで、悠が何を言ったとしても意味を持たない。信用されないのである。校内の問題行動はそれだけで行動の自由を奪う。それはこの任務の成否に関係する重要なことなのだ。そして、その問題を起こすことが……
「(面倒くさいんですよね。問題を起こすのも、この手の相手も)」
「おい、なんか言えよこの屑!」
黙って話を聞いていた悠だったが、向こうはその反応が気に入らないようで魔術の詠唱を始めていた。ストレス発散のつもりで絡んでいるのだろうが、逆にイライラさせられているのだからある意味納得の行動ではある。(行動自体は許されないが)
「調子に……乗ってんじゃねぇぞ!!!」
「おぉ、危ない危ない|(この学校の生徒は強化が好きなんでしょうか?)」
強化の術式により、圧倒的なエネルギーを持った拳が悠に向かう。その拳を嘲笑うようにギリギリで避ける悠。だが、一発避けただけでは相手は諦めないようで、もう一発、悠に向けて打ち込んできた。これを避けようと少し身を反らした悠。だが、その拳が悠に向かって飛ぶことも、不良が三度目の攻撃をしてくることもなかった。何故なら
「トオォォォォォリャアァァァァ!」
非常階段の上から、誰かが不良に跳び蹴りを喰らわせたからだ。その影は悠を見るとその手を取り、こう言った。
「ちょっとこっちに来て!」
「え? ちょっと、あなた誰ですか!?」
そう言われ校舎の影を抜けて昇降口へと通じる通りへと出た。突然のこと過ぎて、悠も不良も反応できないでいたが、不良は相手に逃げられたと認識すると
「「「待てやゴルアァァァァァァァァァァァァ!!!」」」
一目散に追いかけてきた。だが、十分に開いた距離を縮めることなどできるわけもなく悠と名も知らない影は登校する生徒の波に紛れて見えなくなった。
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「ハァ、ハァ、ハァ……危ないところだったね?」
悠は自分を連れ出した影を見た。淡く、柔らかいオレンジ色のショートヘアーにぱっちりした眼。全体的にスラっとした体系。金崎 燐や桐山 蒼衣などのように抜群なアイドル、というよりもクラスの中心になるタイプの人のように思えた。だが、悠はこの女性が恐らくこの校内でもトップクラスの実力を持っていると推測できた。その原因は先ほどの蹴りであった。恰好だけ見れば日曜8時から頑張るヒーローだが、体重の掛け方や足首の柔軟性を見ればかなりの実力を持っていると容易に想像できた。
「……あのですね、多分先輩方のほうにも噂は伝わってると思いますけど、噂の犯罪者ですよ?あそこで蹴る相手、間違えてませんか?」
制服に縫い付けられた黄色の校章をチラリと見て彼女が自分より上の学年だと分かった悠はそれらしい台詞を適当に紡いでいく。
「いやぁ……君の噂は聞くんだけど、さっきの絡まれてる時の反応を見るととても犯罪者に見えなくてね?」
「さいですか……僕なんて構っても何にもでませんよ? 面白い事を言うわけでもなし、楽しく充実した毎日を送れるでもなし、しかも僕は闇属性。だから「俄然興味が沸いてきた!」……はぁ?」
初めてだった。他人から興味が沸いた、などと言われたのは。いや、興味を持たれるのは初めてではなかったが、初対面の人間からというのが初めてであった。自分と相対するものは必ず疑いから入ってくると思っていた悠だが、驚きというものを久しぶりに味わっていた。
「貴方、見た目はかなり良いし、かなり強そうだし、面白そうね! 私と友達にならない?」
「はぁ? すいません。一言言いますけど、僕に構っていると貴方まで嫌われますよ? 僕は一人で静かに暮らしたいんです。あ、某変態性癖持ちの爆弾魔みたいなセリフに聞こえたのは気のせいですよ?」
「そんな古い漫画よく知ってるね! だから言うけど、だが断る! 私は貴方が気に入ったから言ってるの! それ以上でもそれ以下でもないの。それじゃあ昼休みに食堂で!」
そう言うと悠に背を向け走り出した。だが、ここで悠は大事なことを忘れていることに気が付いた。
「お互いに名前を知らないじゃないですか…」
だが、肝心の相手は既に登校する生徒の波に紛れ、姿を見ることはできなかった。仕方ない、と溜息を吐きながら歩いている生徒たちに合流し、そのまま校舎へと向かった。
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「(……なんなの、この気配……)」
悠や金崎の所属する一年A組の窓際の席。そこに彼女はいた。肩まで伸びた黒髪。キリッと引き締まった目元。そして魔術属性を極めた者に現れる特有の眼の色。その少女の名前は黄川 哀音。可愛いとは対極と美しさを持ったその女子を生徒達はこう呼ぶ。「炎獄の女帝」と。だが、その渾名はある意味ではその少女の本質を捉えていたが、ある意味では見当外れな渾名ともいえるものだった。
さて、彼女は毎朝窓際の席に座り、学校全体に誰も気付かないような微弱な探知結界を張って校内を見張る。毎朝休むことなくその習慣を続ける理由はただ一つ。自分が狙われていて、危険な目に遭わないようにするためだ。今回の入学の際に親が護衛を一緒に学校まで連れて行くように言っていたが、そんな話は無視して高層マンションへと引越を行った。己の父親と母親の名を知らぬ者はいない。世界に轟くその名前の所為で、色々と面倒を被っているのだ。その年代で経験できるはずのことも、できない。常に誰かに守られていた。いや、檻の中に閉じ込められたのと何ら変わらない。
だが、この気配はなんだ? 今まで学園内でこんな強い魔力を持った人間や物体を見たことがない。この学校に来てからも、今まで生きてきた中でもだ。そして何故だか知らないが感じた。いや、そう思いたかっただけなのかも知れない。
「何かが、変わるかもしれない……変えてくれるかもしれない……」
今までの自分に対する嫌悪と、不確かな希望。今、彼女が思うのはその二つだけだった。
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四月十一日 午前零時 イタリア
「さて、皆集まったな?」
銀狼の傘下組織が経営するバーに彼等はいた。
それは飄々とした様子の細身の青年であった。
それは時間帯に似合わないあどけない顔と体躯を持つ双子であった。
それは鋼のように鍛え上げられた身体と威圧感を持つ男であった。
それは落ち着いた雰囲気に鋭い眼光を持つ老人であった。
「さて……今回集まってもらったのは他でもない。日本へV,I,Pの依頼を受けて飛んだ悠から襲撃の報告があった」
その場にいた者達の間に漂っていた明るい雰囲気は「任務」「襲撃」という言葉が響いた瞬間、消え去った。それを感じた大上はそのまま言葉を続けた。
「報告によれば襲撃してきた集団は魔術協会に雇われた傭兵五十二名。……全員『処理』したそうだ。だが、これではっきりしたことがある」
一拍置いて大上が続ける。何も告げることなく、大上は確信していた。こいつ等は分かっている。着いて来てくれる。そこに言葉はないし、眼で訴えるようなこともなかった。だが、そんなものは必要なかった。だから、安心して告げられる。
「あいつ等に少しお灸を据える必要があるようだ……」
本当の仲間といえる存在だからこそ、そこに了解を取る言葉は必要なかった。
「皆、準備を始めてくれ。……全員で行くぞ……」
紡がれる言葉はどこか無機質であった。だが、その中には確かに強さがあった。
「四月十一日午前零時……これより銀狼はこれより神嵜悠の援軍として日本へと向かう……。出発は四時間後だ」
そう告げると、呟くような声で誰かが言葉を紡いだ。
「楽しみだなぁ。早速騒ぎが起こるんだ、退屈しないで済みそうだね」
ただ飄々と告げる。
「悠のおにーちゃんが困っている、だよね?」
「ならば私達が助けに行かないと、ですね?」
幼さを残しつつ告げる。
「彼への助力なら、拒否する理由は何もないだろう。直ちに準備を始める」
ただ淡々と告げる。
「おやおや……あの坊やも成長したようですね。なら、協力は惜しみませんよ」
落ち着いた雰囲気で告げる。
「……なら、始めよう。悠に一度救われたように。こんな形だが、救ってやろう」
彼らの意思がただ一つの目的に向かって歩みだした。一遍の曇りもなく、躊躇もなく。そこにあったのは絶対的な絆だった。揺らぐことのない信頼だった。
午前零時十三分。彼等は闇の中へと姿を消した。
中々更新速度が上がりません……。ですが、己の限界を突き進んでがんばって生きたいと思いますのでどうか応援よろしくお願いします。