第八章:狂気の宴
ネクロが新たに作り出した人形は、わずか三体。しかし其れ故に、今までの雑兵とは違い、大きな力を持った人形である事は明白だった。その怒りを受け、作り出した主人と同じく殺気以外の何の感情も持たない人形。その両手には、刃渡り一メートルはあろうか、U字型に湾曲した振り子ギロチンの様な巨大な刃が握られていた。
「さあ、始めよう。貴様等に与えるは完全なる死。認識せよ、絶対なる力の差が、我と貴様等に有るという事を!」
右手を上げるネクロ。其れと同時に、レエンが起こした爆発を生き残ったものと、三体の殺人人形が動く。
大きな力を注がれた人形のその駆ける速さたるや、疾風迅雷。一歩目の踏み込みで、時速八十キロを越えるスピードを生み出した。数メートルの距離をノンステップで、天人とレエンに飛び掛かる!
「くっ!」
レエンは予想だにしなかったその身体能力の高さに舌打ちし、天人を弾き飛ばしながら自分も逆方向に跳んだ。其れとほぼ同時に、二人の元居た場所に三対六枚の首狩り刃が振り下ろされる。その膂力はコンクリートすらも砕き割った。
あまりのスピードに反応出来なかった天人は、レエンから突き飛ばされたときも受身を取れずにごろごろと床を転がる。彼女が突き飛ばしてくれなかったら、今頃巨大なギロチンで胴を真っ二つにされるか、首を飛ばされていただろう。
すぐさま体勢を立て直し、その場から大きく飛び退く天人。しかし、目の前には既に一体、刃を構えて跳んできていた。恐るべきそのスピード、目で追うことは何とか可能だが、其れに反応できるだけの反射神経と運動能力は、普通の人間である天人には備わっていない。
「天人!」
残り二体の人形を相手取りながら、レエンが悲鳴に近い声を上げた。
一瞬で目の前に迫った敵は、左手を平突きの構えに持ち上げる。右手を落とすつもりだ。既に、右手でしか能力を発動できないことを感付かれていたか。
そうはさせるかと咄嗟に大きく体を捻り、攻撃をを回避するために敵の右手方に回り込みつつ体を仰向けに倒した。正に紙一重、繰り出された突きは空を斬り、セーターの一部を削り取るだけに至った。
そのまま床に倒れこんだ天人は、背中を床にぶつけた衝撃に呻きながらもすぐさま床を転がり、体勢を立て直す。続く右手の一撃も、これで何とか回避出来た。しかし立ち上がろうと体を起こし、片膝をついたときには、既にギロチンはほぼ目の前まで迫ってきていた。
「洒落になってないぞ、畜生」
卓越した反射神経と其れについていけるだけの肉体。どれほど重量が有るのか知れない巨大なギロチンを操るだけでも充分な化け物なのに、こいつは常軌を逸している。
だが、これを破壊できれば、ネクロの力は大きく削げる。何とかして勝つ方法を考えなければ命は無いが、逆に大きなチャンスでもある。
「天人、後ろ! 周りもよく見て!」
言われて、外から入る微かな光に照らされて出来た影が自分にかかったのに気付いた。他の弱い人形も、攻撃の手を休めているわけではないのだ。気付けば挟み撃ちの状態になっている。
まずい。一瞬の焦り、そして死を想像しての恐怖が、天人の体を一気に駆け巡る。フラッシュバックする妹の死に顔、其れに触れる自分の右手……
レエンも流石に二体の強敵を相手にして、天人のサポートに回る暇が無い。
――殺される!?
「死んでたまるか!」
一瞬脳裏を過ぎった最悪の事態を掻き消すように叫び、背後の敵の足を、振り向かずに握った。そのまま凍結させて砕き割り、もう片方の足を掴んで自分とは逆方向に思い切り押す。完全にバランスを失った人形はそのまま天人の方に倒れ、人形が倒れこんだと同時に床を蹴って後方に跳んだ。
頭から床に倒れこんできた人形はそのまま天人の前に覆い被さるようになり、放たれた死の白刃は天人の盾となった人形をその背中から紙同然に突き破った。しかし、その攻撃は天人には届ずに空を切る。
咄嗟の判断で見事に攻撃を回避してのけたが、自分でもここまで巧く捌けたことに驚いていた。
更に来るであろう斬撃に備え、すぐさま立ち上がると頭の上から足先まで、見えない壁を擦る様に右手を下ろした。その手の軌跡がきらきらと輝く。
一瞬天人の姿をを見失った人形だったが、邪魔な同胞をそのまま飛ばし除けてからもう一撃を前進しながら繰り出した。その数瞬の間に高速移動が出来るほどの能力を天人は持っていないということは判っている為、居るとすれば先程斬った人形の向こう側しかない。
確かに天人の姿はそこに在った。迷い無く突き出された刃は、その体にめり込み……
パリン、と音を立てて一気に崩れた。
微かな光を浴び、空中で輝き床へと落ちるその破片。
「こっちだ!」
続く天人の声。斬ったのは、天人ではない。空気中に作られた、氷の鏡に映った天人の姿だったのだ。空気に対して死の冷たさを想像し、凍らせるような真似が出来たのも、この背水の状況であったからに違いなかった。
声のした方、自分の背後に振り向く人形だったが、既に天人の手は繰り出されていた。心臓の位置に氷の手が伸び、攻撃を許す前に貫く!
奪い取った核に力を込め、思い切り握り締める。完全に氷塊と化した白骨は、木っ端微塵になって落下し、床に転がる前に溶けて無くなった。消え行く人形は尚も天人への攻撃を試みようとしたが、届かずそのまま煙と消えた。
一方二体の人形を相手取るレエンは、予想以上の苛烈な攻撃に若干の焦りを感じていた。
四枚のギロチンが矢継ぎ早に繰り出され、幾重にもその軌跡を残していく。これを倒さなければネクロを消滅させる事など到底出来はしないのだが、正面からやり合って倒すとなれば力の消費が大きくなるのもまた事実。
元々完全回復していた訳ではない。如何にしてこの二体の核を破壊するか、其れによってこれからの戦闘の行方が左右する。
少し考えた後、レエンは意を決して避けから攻撃へと転じた。襲い来る高速の連撃を出来るだけ引き付けて躱し、両の人形が縦に並んだその瞬間に手前に迫った敵の鳩尾へと拳を叩き込む。その並外れた力をもってギロチンごと吹き飛ばし、同時にその背後に居たもう一体を巻き込ませた。
他の人形の波に埋まり、二体重なった所を見逃さず、レエンは一本の手槍を創造して投げた。手槍とは言え、長さは三メートル、直径は三十センチにも及ぶ。其れは狙い違わず二体同時にその核を貫く――筈だった。
空を裂いて飛んだ槍は雑魚数体を貫いただけに至り、狙った強敵は強靭な脚のバネで其々左右に散開してレエンの槍を回避していた。
「今のを躱すなんて……余程の力を込めたわね、ネクロ」
無駄な力の浪費に歯軋りし、レエンは再び避けへと行動を移した。これ以上手間取るわけにもいかない。
右へ左へと大きく跳びながら連携攻撃を避け、妨害となる雑魚には当身を食らわせ進路をこじ開ける。やや大きな動作で隙は大きく見えるが、何とか四枚の刃を躱してみせるその能力は見事なものだった。
上下左右前後、全ての方向に大きく飛びすさりながら猛攻を回避していくが、しかししばらく経っても攻撃を開始しようとはしない。何か策が有るのだろうか。その表情は焦りを見せているようではあるが、自信が感じて取れる。
この時一条の月明かりでも有れば、人形たちは気付いただろうか。レエンの逃げたその軌道に何が有るのかを。
これくらいで良いかしら、と小さく呟いて、レエンは足を止めて二体の人形に向き直った。既に彼女の周囲は人形で埋まっている。観念したと見たか、これぞ勝機と今まで以上のスピードで飛び掛かる人形の群れ。だが焦る様子も無く、ふっと口元に笑みを浮かべ、レエンは両手を水平に上げた。
「お前たちは、私を追い込んだんじゃないわ。逆に、追い込まれたのよ」
言いつつ、開いた両手を交差させる。彼女が攻撃を掻い潜り、邪魔なものには当身を当て、移動し得る全方向へと大きく跳んだ其の全ての軌跡に張り巡らせたもの……髪の毛よりも細い鋼線が、網の様になって一気に人形たちを包み込んだ。
刃の鋭さを備えるその鋼線は、創造主の元に収束しながら全てを切り裂いていく。その核、仮初めの肉体は勿論のこと、手に持つナイフやバール、巨大なギロチンまでをも易々と断ち切った。
網の範囲内に居たほぼ全ての人形は核を切断されて消滅し、残ったものは再生を始める前に死神によって核を握り潰されていく。
其の中で強力な力を受けた人形の核が埋まっている部分発見したレエンは、高速で駆けて其れを掴むや、青の炎で焼き滅ぼした。先程彼女を囲んでいた群れは何処へやら、レエンが再び足を止める頃には、既にその周囲に敵影は存在しなかった。
「ネクロ、そろそろ観念しなさい。もうお前に勝ち目は無いわ」
互いに敵を殲滅し、同じ場所に集った天人とレエン。圧倒するように彼女が言った。
「もう随分と力を使ったみたいね。怒りに身を任せて、その脆い能力を過信したのが仇になったわね」
「俺の親友をあんな目に遭わせた償いをしてもらうぞ」
確かにまだネクロの力は強大だが、レエンの力をもってすれば倒せる程に弱体している。勝機は見えた。
レエンの力だけではない。天人だって居るのだ。これ以上先程と同じ人形を生成した所で、二人に捌けない相手ではない。流石にネクロも、あれだけ力を持った人形を何十体と作り出すことはもう出来ないだろう。
二人の勝利を確信した言葉に俯くネクロだったが、何も喋らずにそのまま微動だにしない。だが、発するその気は変わらず殺気と怒り、そして余裕に満ち溢れている。
沈黙の空間を埋め尽くすその冷徹な気は、収まるどころか肥大しているようにさえ感じ、天人とレエンは思わず身を強張らせた。
「ふむ、面白い」
静寂を破るネクロの声。
「姫君は兎も角、人間まで我が人形を討ち取ろうとは。成る程、これは面白い」
言いつつ、ネクロはコートのポケットに手を入れた。取り出したものは、骨の欠片が山ほど入ったガラスの箱。
既に外は暗くになっており、窓から見える大きな満月を背にしたネクロは、その歪んだ笑みも含めて悪魔的に映った。ガラスの箱に月明かりが反射して光る。
「人間よ、この骨が何か、貴殿は判り得るか?」
更に同じ物を数個取り出しながら、唐突に訊いてきた。
この骨が何か、とは。天人は訳も判らず眉根を寄せた。
「人間というのは、我にとって好都合な事をしてくれる。食事であることは勿論の事、死者の骨を集めて保存するなどと、およそ我には理解の出来ぬ事も、な。材料を集めるのにも事欠かぬ」
ネクロの言う意味は、最初は解らなかった。しかし、次々と取り出されるガラスの箱を見ながら、ある一つの考えが浮かんだ。
そうだ、奴は昨日、玲菜の眠る墓地に居た。
「まさか」
ネクロが口元に笑みを浮かべた。其れは今まで以上の冷酷さを秘めている。
「全身までとはいかずとも、これ程の量を使って出来る我が人形、そう易々と破壊できるものではないぞ。まして、貴殿に縁深い者であるのなら」
一斉に音を立てて割れるガラスの箱。散らばった骨の山は一つの場所に集結し、ゆっくりと人の形を造っていく。
完成したその姿は――!
「天人、あれってまさか……」
「玲菜……!」
ネクロが作り出した新たな人形は、玲菜そのものだった。墓に納めてあった遺骨を全て取り出し、この人形を作るためだけに利用したと言うのか。
玲菜の人形もまた他と同じく、肌は白く、目は濁り、唇はどす黒く染まった、死体の其れと同じだった。表情も無く、視点も合っていない。
「貴様ぁぁぁ!」
怒りの咆哮を上げ、天人はネクロを睨みつけた。妹の存在そのものを冒涜された事に対する限りない憎悪が湧き上がる。
「ふっ、くっはっはっはっは! さぁ、やってみろ! 其の力で肉親の体を破壊出来るかな、人間よ!」
狂気の笑い声が部屋に響く。其れと同時に、たった一体だけ作り出された新たな人形は、二人に向かって疾走を開始した。